第3章「歪な和音(ディソナンス)」
春の午後、雪月花の訓練場に響く音は、どこか落ち着かない。
「なーんか最近、指がうまく走らねぇんだよなぁ…。」
嵐は苦笑しながら、六弦ギターを肩にかけた。
彼の隣では、涙がフルートを手に悠歌に音の出し方を教えている。
「ね、ここを優しく押さえて…うん、そうそう。もう少し、息を細く…。」
涙の言葉に、悠歌はこくりとうなずく。
けれど、やはり音は掠れてしまう。
「…やっぱり難しい、な。」
「最初は誰でもそうだよ。」
涙はにこりと笑った。その笑顔には、どこか別れを覚悟したような淡さがあった。
「もうすぐ、お前も帰っちまうのか…。」
嵐がぽつりと呟いた声に、悠歌も涙も、少しだけ目を伏せる。
「……。」
そんな重たい空気を振り払うかのように、嵐はギターの弦をかき鳴らす。
「よしっ、新技いっちょ考えてみっか!”多弦斬光”だっけ?あれの応用なら—―」
パキィンッ!!
唐突な音。ギターの弦がはじけたような、しかし音では済まない音波の振動が走った。
「…え?」
空気がひび割れる。
瞬間、周囲にいた訓練人形が次々とはじけ飛び、風が巻き起こった。
「嵐、危ない!!」
涙の声が届くよりも早く、ギターが暴走した。
6本の弦から放たれる暴力的な音波が制御を失い、爆ぜる。
その風圧の中心にいたのは—―悠歌だった。
「悠歌ぁっ!!」
涙が飛び出した。
次の瞬間、彼女は悠歌の前に立ちはだかる。
ドンッ……!
暴風のような衝撃が彼女の身体を押し飛ばす。
が、彼女は崩れながらも悠歌を抱きしめ、庇い切った。
「る、るい…ちゃん……?」
—―血のにじむ、白い肌。
少女の首筋には、裂かれたような一文字の傷。
ツインテールが吹き飛び、地に落ちる。地面には落ちた黒髪が散らばっていた。
「っ……っ!」
声が出ない。けれど、彼女はただ、微笑んだ。
悠歌が無事だったことに、安堵したように。
「涙ぃいいいいいいいい!!!!!」
嵐の叫びが、訓練場に響いた。
……静寂。
全てが止まったような時間の中で、悠歌は、涙のフルートにそっと手を伸ばした。
—―癒して。どうか、この人を。
意識より先に、祈りが動いた。
指先が、音孔を押さえる。
息を吹き込む。音が鳴るはずもなかった。
だが—―
ぽうっ……。
ほのかに、淡い光が吹き出した。
静かに、周囲の風が音に応えるように揺れる。
それは、悠歌が初めて奏でた”音”。
それは、癒しの波動そのものだった。
「……な、んだよこれ…。」
嵐が呆然と立ち尽くす。
悠歌の周囲に、音と風と光が集い、傷ついた涙の首にそっと触れていく。
—―彼の内に眠っていた、”癒しの力”が、目を覚ました。
涙の瞳が、かすかに開かれた。
けれど、声は出ない。傷は深く、癒しの波動では時間がかかる。
その代わり、彼女は小さく笑っていた。
まるで、「よかったね」と、悠歌に言っているかのように—―。