第17章「覚醒するもの」
森の奥。血と風の匂いが混ざる中、霧が地面を這っていた。
倒れた悠歌の身体を庇い、涙は震える指でマレットを握り直す。
森を囲むように現れた15人の鏡水家の部隊。
その誰もが、涙の命を奪うことに迷いはなかった。
「——ったく、こんなガキに振り回されるとはな。」
一人の男が舌打ちし、サックスのベルをこちらに向けた。炎玉の気配が空気を灼く。
だが、涙は下がらなかった。瞳に浮かぶのは、悠歌の血に濡れた顔。
(守らなきゃ—―私が。)
涙は喉を震わせるが、声にならない。まだ完全には戻っていない声。
その代わりに、全身の力を込めてマレットを振るう。マリンバの音が森に響き渡る。温もりを帯びた一撃。だが、多勢に無勢。
背後からの攻撃を避けきれず、涙の身体が宙を舞った。地に叩きつけられた時、首元のロングマフラーが裂け、あの傷跡が露わになる。
「……ッぐぅ…!」
血が首を伝い、胸元を濡らす。目の前がぼやけていく。マレットが手から転がり落ちる。
「…ぅ……ゆ…か……。」
それでも、声にならぬ声で悠歌の名を呼ぶ。
その時だった。
「——選べ、人間の少女よ。」
どこからともなく、澄んだ声が響いた。森の中心——聖樹の幹が淡く光を放ち、幻のように現れたのは、銀白の衣を纏った女王。妖精の頂に立つもの。
「その命、妖精の力に換えるならば、お前に奇跡を与えよう。少年も助けられよう—―。」
涙の瞳が、微かに揺れる。
「…人間…捨て…たら、悠歌……助け…られる……?」
女王は頷いた。
涙は、ほんの一瞬だけ迷った。
(もし、もう一度、悠歌を守れるなら—―。)
震える手で、マフラーの端に触れた。雪月花の紋章が、指先の血に染まる。
「……力を…ください―――。」
次の瞬間、光が彼女を包んだ。
破けたマフラーが風に舞い、裂け目から星々の光が零れる。
涙の髪がふわりと揺れ、瞳に淡い輝きが宿る。
彼女の背後から、淡い羽のような光が広がった。
妖精の力を得た涙は、再びマレットを握った。
「——この子は、渡さない!!」
その一声は、森を裂くように響いた。
周囲の空気が震える。マリンバの幻影が宙に浮かび、涙の周囲を巡る。
マレットが振り下ろされるたび、癒しと破壊の力が敵を薙ぎ払っていく。
教学と恐怖に包まれた鏡水家の部隊は、次々と倒れていった。
そして静粛が戻ったとき—―。
涙は、膝をついた。
「——悠歌…っ……。」
彼の元に這うように近づき、優しく手を重ねる。白い光が掌から溢れ、彼の傷を癒していく。
「お願い…生きて……。」
しかし、その光の代償は大きかった。
全てを癒し終えた後、涙の意識がふっと途切れた。
身体がゆっくり倒れこみ、マリンバの幻影も霧のように消えていった。
風が静かに、二人の身体を撫でていく。
森の聖樹だけが、妖精となった少女の姿を静かに見守っていた。