第9話 カレーと仲間
「うわっ! このカレーすごくおいしい!」『ほんとー! エミルがつくったのより、ずっとおいしい!』「ひとことよけいだよ!」
エミルとシロンは、川の近くに張った自分たちの野営地で、ユーリが作ってくれたカレーに舌つづみを打っていました。
ユーリたちを助けに行くために全速力で走ったり、強力な魔法を使ったりしたので、とくにおなかがすいていたふたりは、口のまわりを汚しながらばくばくと食べ進めています。お行儀はよくないとわかっていますが、そんなこと気にしてられないほど腹ペコで、なによりユーリの作ったカレーがおいしいのです。
「……それはよかった」
ユーリはふたりの食欲にちょっと引き……とまどいぎみでしたが、自分の作ったカレーをとてもおいしそうに食べてくれているエミルたちを見て、うれしそうにほほえみました。
ちなみに、野生のワンダーに襲われたりしないように、野営地にはシロンが《聖結界》の魔法を張っています。おかげで半径約5メートルの範囲に野生のワンダーは寄ってきません。便利な反面、移動しながらは使えない、という欠点もありますけれど。
「心得があるって言ってたねえ。ふだんからお料理作ったりしてるんだ?」
ほくほく顔のエミルは、カレーまみれの口でたずねました。
「……うん、故郷ではよく自分で作ってたんだ」
ユーリは、すこし口ごもったように言いました。どうも、あまり自慢できないことみたいです。けれどすっかりごきげんになっているエミルは、その機微に気づくことができませんでした。
「ユーリの故郷ってどこなの? わたしは南東のソルン村ってところだけど」
「……ぼくは、クリスタイドって村から来たんだ」
「クリスタイドって、ソルン村から北に行ったところにある村だよね。たしか鉱山の村で、水晶の洞窟っていうのが近くにあるんでしょ?」
「そうだよ、よく知ってるね」
「お姉ちゃんが、いつか行ってみたいって言ってたから」
「へ、へー……エミルって、お姉さんがいるんだね……」
「うん。エイル・スターリングだよ。知ってるでしょ?」
ブーーーーーッ!
その瞬間、ユーリは口の中のカレーをいきおいよく吹き出しました。
エミルもシロンも、びっくりして目を丸くしました。こんなシーンを見るのは、お姉さんがすごく苦い草をひろい食いしたときや、これまたお姉さんがお母さんの誕生祝いに作ったケーキを自分で味見したとき以来です。エイルお姉ちゃんはよくそういうことをします。
ちなみにユーリのそばにいたクリスもびっくりしていて、ばたんとひっくりかえっていました。
「だ、だいじょうぶ?」『ぽんぽんいたいの?』『クー?』
エミルたちは、はげしくせきこむユーリを心配しました。
「エ、エ、エ、エミルって、エ、エ、エ、エイルの妹さんなの?」
「うん、ほんとだよ。ほら」
エミルが紺色のベレー帽を脱ぐと、頭のてっぺんから、かわいらしくぴょこんとはねた浮き毛があらわになりました。この浮き毛は、エイルと姉妹そろっておなじ特徴です。
「そ、そのはねた毛……それによく見たら顔もすごくそっくりだし……ま、まちがいなさそう……」
ユーリはガタガタとふるえながら、エミルの頭を指さして言いました。あの最年少で最上位ウィザードにのぼりつめたエイルの妹だというなら、黒い犬の群れを一瞬でまっくろこげにした強さも納得です。
「そ、そんなにおどろくことかなあ?」
エミルはふしぎそうに目をぱちくりさせながら、帽子をかぶりなおしました。
ぐるぐる考えをめぐらせていたユーリはハッとして、あたふたしながら言いました。
「お、おどろくことだよ。なんたって、エイル・スターリングはマスターウィザード、この国のウィザードのトップだよ! しかも、史上最年少の!」
エミルだって、それくらいは知ってます。大好きなお姉さんのことですし、国じゅうの新聞が取れる文化圏の人なら、みんな知っているでしょう。でも、ここまで大げさな反応をされるとは思いませんでした。ソルン村の人たちはエミルがエイルの妹だなんてことは当然知っているため、だれもびっくりなんてしませんでしたので。
エミルは、身内とよその人たちとでは、感じ方がちがうのだということがよくわかりました。男の子ひとり相手でこうなら、これからおとずれることになる町々などで、たくさんの人たちにエイルとの姉妹関係を知られたら、もっと大ごとに、言ってしまえばめんどくさいことになるかもしれません。
「う~ん、それじゃあこれからは、人にはわたしたちが姉妹だってこと、隠したほうがいいのかな?」
エミルは帽子をかぶり直して、首をかしげました。
「う、うん、そうしたほうがいいよ。きっと、どこでも大さわぎになるから」
ユーリは冷や汗をたらしながら、ブンブンと首をすばやく縦に振りました。
「ふふふっ」
「どうしたの?」
急に笑いだしたエミルに、今度はユーリが首をかしげました。
「だって、お姉ちゃんがそんなに大物になってるんだと思うと、うれしくて」
エミルの言葉に、ユーリもおかしくなってふふっと笑いました。
「お姉さんのこと、好きなんだね」
「うん! 世界でいちばん、だーいすき!」
はずかしげもなく言い切ったエミルの満面の笑顔に、ユーリはドキッとしました。こんなに胸が高鳴ったのは、生まれてはじめてです。
「だからわたし、お姉ちゃんに会いにいくために村を出たんだ。12歳の春から、ひとりで旅に出ていいって決まりだもんね」
『そうそう! シロンもはやく、おねえちゃんとシロにあいたーい!』
「そう、だったんだ」
そのとき、ユーリの元気がなくなったように見えたので、エミルはたずねました。
「ユーリは、どうして旅をしてるの? 見た感じ、わたしとおなじくらいの歳に見えるけど」
「そうだよ。ぼくもエミルとおなじ12歳。けど、旅には出たくて出たわけじゃないんだ」
「どういうこと?」
ユーリは、そばにいるクリスの頭をなでながら話しはじめました。
「この子……クリスはね、特別なたまごから生まれたんだ」『クー』
「とくべつ?」『たまご?』
エミルとシロンは、わずかに目の色を変えました。特別なんて言われると、気になるものなのです。
「村の言い伝えによると、そのたまごは"選ばれしもの"にしか孵せないらしかったんだけど、どういうわけか、ぼくが孵すことができちゃって……」『クー』
「へえ、じゃあユーリは"選ばれしもの"なんだ。すごいねえ」『すごーい!』
エミルとシロンがキラキラした羨望のまなざしを向けると、ユーリは「そ、そんなことないよ」と照れながら目をそらしました。かわらしい女の子とドラゴンにほめられて、内心悪い気はしないのです。
「……それで、選ばれしものはこの子を連れて、村を出て世界をまわらなきゃいけない、ってオキテがあって、しかたなくって感じなんだ。ぼく、ウィザードになりたいわけじゃないんだけどね」『クー……』
だからでしょうか、旅立ちにそなえて気合の入ったファッションのエミルとちがって、ユーリは水色のシャツと草色のパンツという、しゃれっ気のないシンプルな服装です。
おまけに体つきは細くなよっとしていて、あかるいブラウンの短い髪に水色の目のかわいらしい顔、悪いヤツに狙ってくださいと言ってるようなものだと、エミルはひそかに心のなかでつぶやきました。
荷物も、食糧くらいしか入ってなさそうなズタ袋ひとつですし、ろくに準備をするまもなく村を放りだされたということが見てとれます。
「なるほどね、よその村には、いろんなオキテがあるんだなあ。でも、ウィザードになりたくないっていうなら、ユーリは将来なにになりたいの?」
エミルがたずねると、ユーリはさみしそうに満天の星がひかる夜空を見上げて言いました。
「なにになりたいか、かぁ。あらためてそう言われると、なにも思いつかないんだよね……」
すると、エミルは顔をキリッとさせて言いました。
「じゃあ、チャンスだよ」
「え?」
「世界じゅう見てまわれば、ユーリがやりたいことだっていつかきっと見つかるよ。この旅は、そのチャンスだと思えばいいんだよ。ぜんぜん悪いことじゃないよ」
エミルのまっすぐなまなざしと言葉に、ユーリは胸を打たれて、ふっと笑顔をこぼしました。
「エミルは、前向きなんだね」
「そうだね、そうありたいって思ってるよ。お姉ちゃんみたいにね」
「ありがとう。おかげで、ちょっとやる気が出てきたよ」
「それはよかった!」
ふたりはおたがいに、笑顔を見あわせました。
そうして、カレーを先に食べ終わったエミルが話を切り出しました。
「ねえ、提案があるんだけど。わたしたちといっしょに旅しない?」
「え?」
ユーリは突然のことにおどろいて、スプーンを持つ手が止まりました。シロンとクリスも、おくちあんぐり。
「ひとりより、ふたりのほうが心強いよ。ユーリって、なんだかあぶなっかしいし、ほうっておけないんだよね」
「あ、あぶなっかしいって……」
たしかにその通りですが、さすがに同い年の女の子にこうはっきり言われると、ユーリはちょっとキズつきました。
「それにわたしたち、なんだかよく似てるし」
「え、そ、そうかな?」
ユーリは意外そうに言いました。へなちょこの自分と、強くてやさしいエミルに共通点なんてひとつも見いだせないからです。しいて言うなら、白いドラゴンをパートナーにしているくらいでしょうか。
「そうだよ。白いドラゴンがパートナーだし、目の色だって近いし」
「め、目の色って……でも、それだけでしょ?」
「それだけじゃないよ。命がけでパートナーを守ろうとしたところもね。ちっちゃいころのわたしにそっくり」
「ち、ちっちゃいころの、ね……」
ぼくは小さいころの彼女とくらべてやっと同じレベルなのか、とユーリはちょっとがっくりしました。
「そんながっくりすることないのに。かっこよかったよ?」『うん! シロンもそうおもう!』『クー!』
「かっ……!」
ユーリは思わず顔をまっかにして、エミルたちからばっと目をそむけました。かっこいいだなんて言ってもらったことなんてないので、どういう反応をすればいいのかわからないのです。
「それで、どうかな? いっしょに行くの、考えてくれる?」
「う、うーん……」
たしかに、ろくに準備もなく町を放り出されたユーリとちがって、エミルはお姉さんに会いにいくというたしかな目的のために、入念な準備をしてきています。
それに、さっきはあぶないところを助けてもらっていますし、そんなに強い彼女の協力が得られるなんて、ねがってもないことです。
「で、でもエミルは、ぼくといっしょでいいの?」
ユーリも、エミルたちといっしょに旅をするのがイヤ、というわけではけっしてありません。ただ、体力に自信がなく、ワンダーの知識も少なく、ウィザードとしてはまったくのシロウト以下の自分が、はたしてエミルの役に立てるのかと、彼女の足を引っぱってしまうんじゃないかということが、とても不安なのです。
すると、エミルはからっぽになったカレーのお皿を見せながら、またまた満面の笑顔で言いました。
「うん! だって、毎日ユーリのごはん、食べたいもん!」『たべたーい!』
シロンもいっしょになって、からっぽのお皿を口にくわえながら元気に鳴きました。
「ま、まいにちって、ぼくが作るの、決まってるの?」
ユーリはさっきまでなやんでいたことを忘れたように、びっくりしました。
「だって、ユーリのほうが料理上手だもん! そのぶん、ワンダーの相手はわたしたちにおまかせあれ!」『そうそう! シロン、つよいんだよ!』
エミルとシロンはどーんと胸を張りました。
「それにわたし、村じゃ近い歳の友だちがいなかったから、ユーリがそうなってくれたらうれしいなって」
エミルがはにかみながら言うと、ユーリはまたドキッとしました。
ユーリもおなじく、村では友だちがいなかったので、エミルがそうなってくれたらどんなにいいか、と思いましたが、自分なんかが彼女の友だちにふさわしいのか、という思いもやっぱりありました。
「それで、お返事は?」『おへんじは?』
エミルとシロンは、期待をこめたまなざしでユーリを見つめます。
そばではクリスが服をつかんで、なにかをうったえるような目をしています。きっと、クリスもシロンたちといっしょに行きたいのでしょう。
ユーリはとてもなやみましたが、彼女に迷惑をかけるかもしれない、というもうしわけなさより、料理目当てという理由はともかく、自分のことを必要としてくれている彼女の好意にこたえたい、という思いのほうがわずかにまさりました。けれどそれ以上にもっと大きな理由があることに、いまの彼は気づいていません。
そしてエミルたちの熱意に負けたように、ふう、とひとつ息を吐いて、ほほえみながら返事をしました。
「……わかった。ぼくでよければ、きみたちといっしょに行くよ」
「やった! これからよろしくね、ユーリ! クリス!」
エミルはうれしそうにぴょんと跳ねて、笑顔でユーリに右手をさしだしました。
ユーリはまた少しドキッとしますが、おなじく笑顔を浮かべて、エミルと握手を交わしました。
「こちらこそよろしく、エミル、シロン」
『よろしく、クリスー!』『クー!』
シロンとクリス、二体のドラゴンもおたがいの親愛を交わすように、ほっぺをすりあわせました。もうすっかりなかよしみたいです。
こうして、早々に旅の仲間がくわわって、エミルの旅の一日目は最高のスタートで幕を閉じました。