第80話 エスメラルダの伝説 その4 エメラルドのみちびき
「エミルちゃん! まだバトルは終わってないよ! 三戦目、最後までやるって約束でしょ!」
レイチェルは、消沈して立ちつくしているエミルに、大きな声で呼びかけました。
するとママが、レイチェルの口を指でそっとふさいで、やさしい声で言いました。
『しーっ、レイちゃん、いまはそっとしてあげましょう。あの子はいま、バトルの負けが決まってショックを受けているの。きっと、これがはじめての負けだったんでしょうね』
「あ……」
レイチェルはハッとしました。
レイチェルはまだ戦いに負けた経験がないのでわかりませんが、それはきっと、ずっときれいなまま大事にしていたお人形がふとしたことでキズついたり、がんばってならべたドミノをうっかり倒してしまったような、これまでの積み重ねがぜんぶ台無しになる気持ちと同じなんだ、ということはわかっていました。そのショックは、受けてしばらくはさめないということも。
「そう……だね。ごめん、ママ。あたし、無神経だった。あとでエミルちゃんにもあやまらなくちゃ」
『わかればよろしい。レイちゃんは、ほんとうにいい子ね』
ママはそう言って、レイチェルの頭をなでてあげました。
『エミル……』
いっぽうのエミルは、まだぼうぜんと立ちつくしていて、なにも見えないだけじゃなく、まわりの声も、シロンの声すらも聞こえなくなっていました。そんなとき、
「アイツいつまでああやってんだよ、はやく再開しろよ」「負けてやる気なくしちゃってんでしょ?」「でも三戦目までやるって約束なんだから、最後までやれよな」「こっちはめずらしいワンダーがいるから、わざわざ見に来てやってんだしさ」「もうすっかり暗くなっちまったじゃん、はよ」
ギャラリーのウィザードたちが、そんな勝手な不平不満をもらしはじめました。
ユーリとクリスと、エミルのそばにいたシロンはむっとした顔になって、ギャラリーを見回しました。
「だいたい、あのダークエルフも情けねーよな」「なんにもできてなかったしねー」「めずらしいイコール強いってわけじゃないんか」「見た目全振りって感じ」「ビビリすぎて最後ちびってたまであるぞコレ」「結局降参するんなら、わざわざ立ち上がんなっての」
さらに、ギャラリーの矛先は、敗北したシルヴィアにまで向けられました。
これにはさすがに、ふだんおとなしいユーリも、気はやさしくて力持ちのレイチェルもカチンときて、ギャラリーを一喝してやろうと、声を出しかけた瞬間、
『うるさーーーーーい!!!』
シロンが先に大声をあげたので、ふたりは逆に空気を飲みこんで、だまってしまいました。
少女のすがたをしていてもドラゴンの大音声に、ギャラリーもひっくりかえるほどびっくりしています。
『アンタたち、シルヴィアのことバカにしてるけどねえ、じゃあアンタたちはあのママの魔法くらって立ってられるの!? 自分じゃかなわない相手だってわかってても立ちあがれるの!? できっこないでしょ! シルヴィアは一生懸命がんばったよ! それがわからないバカはだまってろ! 下等生物どもが!』
シロンの怒号で、ギャラリーたちはしゅんと押しだまりました。最後のひとことはちょっと一線を超えてると思わなくもありませんでしたが、ユーリとクリスは胸がすっとすく思いでした。
「……シロン」
シロンがフーフーと息を荒げているていると、自分を呼ぶ声に反応して振り向きました。
「バカな部分は否定しないけど、さすがに下等生物は言いすぎだよ。ワンダーと人はなかよくしなきゃって、いつも言ってるでしょ?」
『エミル!』
シロンはぱあっと顔をあかるくしました。さっきまで消沈していたエミルが、もとのほほえみをとりもどしてくれたのですから。
『はじめて決闘で負けちゃって、ショックだったんでしょ?』
「まあね。でもシロンの怒鳴り声のおかげで、目がさめた。そうだよ、すべての戦いに勝つなんてできっこない。どんなにすごいウィザードだって、かならずどこかで負けてるんだ。お姉ちゃんだって、そうだった」
エミルは、ずっと前に見た新聞記事のことを思い出していました。王都でおこなわれた御前試合で、マスターウィザード相手に手も足も出ず敗北したという、エイルお姉ちゃん唯一にして最大の不振記事を。
そのときもエミルは、無敵だと信じていたお姉さんが負けたというショックで、まる一日食事ものどを通らないほどの悲しさとくやしさを感じていましたが、次の日の新聞にふたたびお姉さんの活躍記事がのったことで、元気をとりもどしたのです。
(お姉ちゃんは負けたことを引きずらなかった。だったらわたしだっていつまでも引きずってちゃダメだ!)……そう思って。
「やろう、シロン。レイチェルの言うとおり、まだわたしたちの戦いは……バトルは終わってない。わたしたちのチカラをおもいっきり、レイチェルにぶつけるんだ!」
『……オーライ!』
エミルはシロンと、笑顔でグータッチを交わしました。
そして、ふたりそろって、レイチェルに向き直ります。
「エミルちゃん! シルヴィアさん、負けちゃったけど、すごくキラキラしてたよ! 勇敢で、かっこよかった!」
レイチェルは大きな声で、シルヴィアへ最大級の賛辞を送りました。
「ありがとう。その気持ち、きっと彼女にも伝わってるよ」
エミルはシルヴィアが収納された指輪をそっとなでました。
「レイチェル、今回の決闘はわたしの負けだけど、まだシロンは負けてない。わたしの最愛の妹のチカラ、見せてあげる!」
エミルはぎゅっとこぶしをにぎりしめて宣言しました。シロンもそばで、むふーと鼻息をふきました。
「うん! 見せてよ! エミルちゃんとシロンの、最大級のキラキラ!」
レイチェルは満開の笑顔を咲かせて、大きく両腕をひろげました。エミルはそんな彼女がなんだかかわいらしくって、すこしはにかみました。この子をもっとよろこばせてあげたい、そんな気持ちがめばえはじめていたのです。
『う~ん、最愛の妹っていうのなら、できればママがお相手したいところなんだけど……』
ママはやわらかい口にぷにと指を当てて、なやましげに言いました。
「だーめ! 今回はママの出番はおしまい! シロンとのバトルは、またいつかの機会にね!」
『あらあら、それじゃあしょうがないわね。エミルちゃん、シロンちゃん、バイバイ』
ママはにこやかに手を振って、レイチェルの指輪に収納されていきました。その瞬間、レイチェルの髪も桜色からくすんだ金色にもどりました。
「エミルちゃん! エミルちゃんのパートナーが最愛の妹なら、こっちも双子の妹が相手だよ! おいで! キラキラ!」
レイチェルはこれまでで一番の元気で右手をかざし、最後のパートナーを呼び出しました。
『キューッ!』
かわいらしい鳴き声とともにあらわれたのは、大きな羽のようなたれ耳をした、これまたかわいらしいマスコット然とした子ウサギ型ワンダー、ゾンネの森でも見かけた【ハネウサギ】でした。ただし、体毛はそのとき見かけたブラウンとはまったくちがい、キンキラキンの金色です。
「あ……あれは幻の……【キンイロハネウサギ】……!」
これにはさすがのエミルも色めきたち、さっきまで罵詈雑言をならべていたギャラリーたちもいっせいに目をうばわれました。
【ハネウサギ】は古来よりマスコット的人気がとても高く、過去に乱獲され大幅に数を減らしたために、いまではめずらしいワンダーとしてあつかわれています。
なかでも通常のブラウンとことなる体毛の個体はさらに希少性が高く、とくに金色は最上級のもののひとつといわれており、エミルが言ったとおり、幻の存在なのです。
「そうだよ、名前はキラキラ! あたしが生まれたときから、ずーっといっしょにいてくれるんだ!」『キュー!』
【キンイロハネウサギ】のキラキラは、レイチェルのたくましい腕に乗っかって、彼女のやわらかいほっぺにすりよりました。なるほど、ふたりの仲のよさがうかがえます。
そしてキラキラは腕から跳び降り、かわいい顔でキッとシロンをにらみつけました。
「さーて! シロンが人型になってるなら、こっちもそれに合わせなきゃね! キラキラ! 《エボリューション》!」『キュー!』
レイチェルは腕をぐるぐる回し、またも高らかに右手をつきあげると、キラキラが金色の光につつまれていきました。
すると、その体はみるみる大きくなり、すがたも変えて、まるでレイチェルとうりふたつの少女に変身してしまいました。
ただしレイチェル本人より顔はさらにゆるそうで、頭からは、たれたウサギの耳が生えています。前からは見えませんが、おしりにはちゃんとまんまるなしっぽも。また、全体的にレイチェルより彩度の強い色合いになっています。
「双子の妹って、そういうことか……!」
エミルはにっと笑いながらたじろぎました。
《エボリューション》は進化という意味の言葉ですが、こちらはれっきとした魔法の名前で、人間のすがたに変身するための魔法です。シロンやアラシ、カイザーが変化するときの《進化》は「進化後のすがたになれ」という"命令"なので、魔法ではありません。
《進化》とはことなり、あくまで変身というあつかいなので、使用しているあいだはつねにマナを消耗し続けます。そこが"進化後のすがたでいると、マナの消耗が大きくなる"シロンとはちょっとちがうところです。
『私だって、ちょっと長いけど、エミルとおそろいの髪型だよっ!』
シロンは対抗心からか、私だってエミルとそっくりというアピールをしてきました。エミルは軽くほほえんであしらいました。そんなことしなくたって、シロンがエミルの妹であることは変わらないのです。
「じゃあ、いくよっ!」『よろしくね、シロン!』
変身したキラキラはやっぱり人の言葉を話せるようで、ウインクまでしてきました。
「こっちはいつでも!」『負けないよ、キラキラ!』
おたがいに見合って、見合って、最後の勝負がはじまりました。
「《ショックパンチ》!」
「《メガトンパンチ》!」
エミルとレイチェルの声が重なり、シロンとキラキラが同時に跳びだしました。
そしてふたりの右パンチがぶつかり合い、マナの火花が散り、まわりに衝撃波が走り、ギャラリーはやっぱり身をよじります。
『むぐぐぐ……』
『ううううっ……』
シロンとキラキラは、おたがい眉間にしわをよせ、歯をくいしばっていました。どうやら、チカラはまったくの互角のようです。
「うあっ!」
すると、同じようにこぶしをつきだしていたレイチェルが突然苦しそうな声をあげたので、エミルは一瞬疑問に思ったものの、このスキはのがせないと杖にチカラをこめました。
『たああっ!』
シロンのパンチが競り勝って、キラキラをうしろにふっとばし、しりもちをつかせました。
「あうっ!」
それと同時に、レイチェルまでしりもちをつきました。
「レイチェル! さっきからどうしたの!?」
さすがにこれはヘンだと思い、エミルはたずねました。思わずパートナーと同じリアクションを取ってしまうほど、気持ちが入りすぎているのでしょうか。
するとレイチェルはぴょんと立ち上がって、おしりの汚れをパンパンと払って言いました。
「あはは! ごめんね、心配かけちゃった? あたし、キラキラとママのダメージが伝わっちゃうんだよね!」
「えっ?」
疑問符を出しましたが、エミルはすぐに思い出しました。ウィザードとパートナーの心のつながりが強くなりすぎると、そういった痛みまでもが同調する現象が起きるということを。それだけ聞くとよくないことのように思えますが、逆に言えば、パートナーがより強いチカラを発揮できるということでもあります。
そう考えると、キラキラにあまり強い攻撃をくわえるのはためらわれますが、決闘だろうとウィザードがケガをする可能性なんていくらでもありますし、レイチェルだってすべて承知の上のことでしょう。そんな理由で手を抜くことは、彼女だってのぞまないはずだと、エミルはいつもどおりの戦いをすることにしました。
「《ドラゴンフレイム》!」『ぷうーっ!』
というわけで、さっそく容赦ない追い打ち。シロンはぷくっと息をふくらませて、口からすさまじい火炎を吐きました。少女のすがたになっても、問題なく使えるようです。ドラゴンから進化してこのすがたになったので、【ホワイトドラコ】のときに使えた魔法はぜんぶ使えるのです。
逆に、あくまで人化は変身というあつかいのキラキラは、ハネウサギ形態だったときに使えた魔法が人化しているときは使えない、なんてこともあります。これも進化と変身のちがいのひとつです。
「《スピンキック》!」『はああーっ!』
キラキラはあおむけの体勢のまま、逆立ちして両脚をひろげ、回転しました。それによって起きた旋風で、ドラゴンフレイムを吹き飛ばしてしまいました。さすがはウサギ、人化していてもものすごい脚力です。モデルになっているレイチェルの脚力かもしれませんけれど。
「やっぱり火も吐けるんだ! さっすがドラゴンだね!」
同じく逆立ち状態のレイチェルは、キラキラといっしょにぴょんと直立にもどって、シロンに賛辞をおくりました。
『それほどでもっ!』
シロンはにっと笑うと、ふたたび接近戦をしかけようとしました。
キラキラもそれを受けて立つと、ふたりはパンチとキックの応酬をはじめました。
エミルはそれに合わせて杖を振り、レイチェルはキラキラに同調してこぶしや蹴りをつきだします。はたから見たら、ちょっと変わった光景です。
「うっ! ぐっ!」
またも互角の戦いをくりひろげますが、キラキラと深くつながっているレイチェルが痛みにあえぐたび、そのスキをついてエミルの指揮でシロンがさらに打撃をくわえます。そこで完全に相手の動きが止まったところで、脇腹に回し蹴りをたたきこみ、キラキラと、同調しているレイチェルの体をふっとばしました。
「よっし!」
エミルはこぶしをにぎりしめ歓喜しました。ユーリとクリスも同様で、ギャラリーからもどっと歓声がわきあがります。
「ご……ごめん、キラキラ……こんなに重い攻撃、受けたのはじめてだから……」『う、ううん、気にしないで、レイ……悪いのは、ぜんぶあたしだもん……』
レイチェルとキラキラは苦しそうに倒れながらも、おたがいを気づかうような言葉をかけ合いました。
「シロン!」『わかってる!』
いまが最大のチャンスと見たエミルが杖を振り上げると、シロンは右手を空へかかげ、そこにすさまじいいきおいでマナが集まっていき、大きな光のかたまりを形成しました。
「『《ドラゴンブラスター》』!」
ふたりが声を合わせると、エミルとシロンは右手をつきだして、集められた光のかたまりは極大の光線となって、倒れたキラキラめがけて発射されました。
「キラキラ!」『レイ!』
ものすごい魔法が来ることを察知したレイチェルとキラキラはすばやく起き上がり、とっさに両手を前に出して、ドラゴンブラスターを受け止めました。
「ぐうううっ!」『うんんんっ!』
レイチェルとキラキラは苦しそうな顔でうなり声をあげ、極大光線を押し返そうと、強靭な足腰をふんばります。そのかいあって、手のひらで受けられた光線はスパークして飛び散っていき、なんとか耐えることができそうでした。
「まだまだあっ!」『はあーっ!』
エミルとシロンは光線を押し返されまいと、杖と右手により気合をこめます。
この衝突によるせめぎ合いは何十秒も続き、ユーリやギャラリーたちもいつ決着するんだ、とかたずを飲んで見守っていると、ふしぎなことが起こりました。
「な、なにあれ!」
ギャラリーの一人が湖のほうを指さすと、湖が月の光をうけてまぶしい光を放っていました。決闘が白熱して文字通り時間を忘れていましたが、すでにお月さまが輝く夜をむかえていたのです。
その光はただ湖面に月の光が反射しているというものではなく、まるで湖自体が光を放っているようなあかるさでした。さらにそれはシロンとキラキラのマナの衝突に反応するように、どんどん強まっていくようでした。
「ど、どうなってるの!?」『湖が……光ってる!?』
「わーお! とっても幻想的!」『ワーオ! ファンタスティック!』
対戦しているエミルたちもその異常に気がついた瞬間、光を放ち続けた湖はその名の通り、エメラルドのように輝きはじめました。
「きれい……」
エミルがそうつぶやいたが最後、エメラルドグリーンの光に全身がつつまれるのを感じました。
光が消え去り、湖面がもとどおり、ただの月を鏡のように映すだけになったあと、エミルとレイチェル、そしてユーリの三人が、そのパートナーたちもろとも、こつぜんと姿を消していました。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
80話目を突破し、「エスメラルダの伝説」は次のお話からが本番となります。
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