第74話 ノラ犬とオオカミ その4 光と闇のせめぎ合う先で
『では、腹もふくれたし、決闘のつづきといきたいところだが……モー一度そいつと戦うっていうのか』
ウシさんは、対峙するエミルとグレイを見下ろしながら言いました。
決闘再開というかたちであれば、次の相手はシロンのはずです。本来一度負けたグレイは回復したとはいえ、もう戦う権利はありません。それでもエミルは戦わせるというのです。
シロン当人はというと、エミルとグレイの気持ちを尊重して、こころよく引き下がり、クリスといっしょにユーリに抱かれ、応援にまわっていました。
「うん。グレイは一度負けてるから、決闘のルールとしてはフェアじゃないよね。でもわたしは、どうしてもグレイにリベンジさせてあげたい。だから今度グレイが負けたら、その時点でわたしの負けってことにしていいよ。ついでに罰則も追加して、わたしが負けたらファーブリアに行くこと自体あきらめる、っていうことで、おねがいできませんか?」
エミルは頭を下げて、ウシさんに頼みこみました。
ファーブリア行きをあきらめる、と聞いてユーリは一瞬ぎょっとしますが、すぐに平静に戻りました。それだけ、エミルのことを信頼しているのです。彼女ならきっと、ぜんぶなんとかしてくれると。
『モー、それもお前さんの覚悟ってやつか。いいだろう、ならモー、グレイの再戦を認めてやろう』
「ありがとう。いくよ、グレイ。今度はあなたを負けさせない……ううん、わたしたちふたりで勝とう!」『ガル……』
エミルとグレイは、キッとウシさんの巨体を見すえます。
『見せてもらうぜ。お前さんの言う、信頼と絆ってやつを』
そして、戦いがはじまりました。
「《野性開放》!」『アオーン!』
開幕と同時にエミルはいきおいよく杖を振り、グレイの体がオーラにつつまれ、凶暴化によりパワーアップしました。
『なにするか期待してみれば、モー、またそれか!』
ウシさんはさっさと勝負をつけてやろうと、すばやい右のこぶしをくりだしました。
グレイはこぶしをかわし、ふたたび伸びきった腕の上に跳び乗ります。これは、一戦目と同じ動きです。
『同じ手がモー通用するか! というか、最初も通用しなかっただろうが!』
そうは言っても、野性化したグレイの攻撃力は脅威です。ウシさんは今度は首をかませまいと、空いた左手でグレイをはらおうとしてきました。
『ガルッ!』
その瞬間、グレイは右腕から跳び下り、ウシさんのふところに入ることに成功しました。
そしてそのまま、腰ミノに守られた、ウシさんの大事な部分めがけてキバをつきたてます。
ガブリ!
『もぎゃあああああ!!!!!』
すさまじい大音量の悲鳴が、草原じゅうに響きわたり、あたりで草をむさぼっていたウシたちがいっせいにびくっとしたり、逃げ出したりしました。
間近で見ていたユーリはゾッと血の気が引いて、股間のあたりがキュッとちぢみあがるのを感じました。
「うわあ……」
エミルにはウシさんの痛みは想像がつきませんが、その悶絶ぶりにおどろきと感心と恐怖がまざったような声をあげました。ようするに、ちょっと引いているのです。
びっくりはしたものの、エミルは手ごたえを感じていました。グレイの闘争本能が、さっきよりもとぎすまされていることに。
だって、一戦目にもやったウシさんの腕に乗るという動きは、もともとはエミルの指揮による戦法で、それを本能のまま動く《野性開放》した状態でおこなったということは、グレイもエミルの考えた戦法が有効だと体がおぼえていたからです。ふたりのあいだには、たしかに信頼がきずかれているのです。
『ちょ……おま……それは反則……』
ウシさんはうずくまってもだえながら、汗びっしょりの息も絶え絶えといったようすで言いました。
けれども野性化したグレイはまったく聞く耳を持たず、動けないウシさんに連続で攻撃をしかけています。反則行為のあとの容赦ない追いうち、これではまるで悪役レスラーのようです。
『モー……これ以上……調子に乗るなあああ!』
ウシさんは怒号とともにバッと立ち上がって、グレイはおどろいたようにすぐさま跳びのきました。
そのショックのせいか《野性開放》の状態も解けて、もとのオオカミのすがたへ戻りました。
『なにか変わったのかと思ったら、まさかの禁止行為とは、やってくれる! ならばモー、俺もひさびさに、いま一度野生に戻ろう!』
ウシさんはグッとチカラをこめると、その全身から荒々しいオーラがふきだし、両目が赤く光りだしました。これはグレイと同じ、《野性開放》の魔法です。
『ブモオオオッ!』
ウシさんはウシのようなおたけびをあげて、グレイにショルダータックルをかましてきました。野性とは?
そのスピード、迫力ともにさっきよりはるかに増していて、まるで大地全体がゆれているかのよう。ユーリたちはもとより、エミルとグレイも一瞬たじろぎました。
「グレイ!」『ガルッ!』
でもエミルはすぐに切りかえて、杖を振ってグレイを指揮、タックルをかわさせます。
「うわっ!」
ですが、突進の余波を受けたエミルは吹き飛ばされてしまいました。これは野生の戦い、決闘とちがいウィザードへの直接攻撃は禁じられてなどいないのです。もちろん、相手の大事な部分を攻撃することもですが。
「エミル!」『クー!』
ユーリとクリスは心配で声をあげますが、エミルは「だいじょうぶ!」とすぐに立ち上がりました。さすが、冒険慣れトラブル慣れしています。
『ブモオオ!』
すると野性化したウシさんは、まずは狩りやすいエモノから狩ろうと思ったのか、エミルに標的を変え、向かっていきました。エミルは、よけようとしますが……
『ガルッ!』
見かねたグレイはそうはさせないと、背中を向けたウシさんに襲いかかりました。その体にツメとキバをつきたて、エミルのほうへ行かせまいと必死に食らいつきます。
「グレイ……」
エミルは思わず、感激したようにほうけていました。
『ブモオオオッ!』
ウシさんは「うっとうしい!」と言わんばかりに、背中に食いついたグレイをふりはらおうとしますが、どんなに動き回っても離れるようすはありません。
そのとき、グレイの心のなかに、声が聞こえてきました。
(なに必死になってんだよ。チカラじゃかないうわけないんだから、さっさと離しちまえ。あんなニンゲン、どうなろうと知ったこっちゃないじゃないか。アイツは俺の脇腹を二度もぶったムカつくニンゲンなんだぜ? そんなヤツのために、これ以上ムダに痛い目見ることないだろ?)
それは、グレイの中に残っている、ノラ犬の心の声でした。自分が生きることが最優先のノラ犬にとって、エミルにうらみを持つノラ犬時代の自分にとって、ここは彼女を見すてるべきだというのです。エミルが動けなくなった時点でも、決闘は決着しますから。
(だが、俺は、アイツを……!)
そんなノラ犬部分の心の声を、グレイのいまのすがた、オオカミの心が拒絶します。ノラ犬部分に引っぱられて態度を素直に出せないけれど、自分のおこないを許し、新しい居場所を与えてくれたエミルのことを内心では主と認め、彼女を助けたいとねがう忠義の心です。
いっぽうでエミルは、グレイのふたつの心のせめぎ合いを、ルミエールの杖を通じて感じ取っていました。この杖はちょっと気を抜けばマナを必要以上に吸い取る、きかん坊ならぬ棒ですが、そのぶんパートナーと心をつなげるチカラにも長けているようです。
そして、エミルはどうにかしようと、グレイの心に呼びかけました。
(グレイ、だいじょうぶだよ。さっきわたしが話したことを思い出して)
それは、お昼ごはんのときにエミルがひそひそと話してくれたことです。
――心がふたつあるんだったらさ、体もふたつになっちゃえばいいんだよ。
グレイもはじめは、なにを言ってるんだと思いました。でも、気がついたのです。それを可能とする魔法を、自分は使うことができるということに。
「《シャドウレイド》!」
エミルは杖を振り、その魔法をとなえました。
そう、これはまだグレイがヴァイトのパートナーだったときに使っていた魔法、実体のある自分の分身を作り出す魔法です。
ウシさんの体にかみついているグレイの体から、黒いオーラがにじみ出てきて、地面にびゅっとこぼれ落ちると、それは粘土細工のようにぐにゃぐにゃと、みるみるうちにグレイの分身へと形を変えました。
ただしその色は【ブラッドルフ】のときのように、まっくろです。対照的に、グレイの本体は色が落ちたようにまっしろになっていました。この変化に、ユーリとクリス、シロンはびっくり仰天です。
「やった……! うまくいった!」
エミルは笑顔で、ぎゅっとこぶしをにぎりしめました。




