第6話 エミルの旅立ち
ここは、ソルン村。
アストライト王国南東のはしっこにぽつんとある、まわりを山と森にかこまれた、ぽかぽか陽気でのどかな村です。
そのはずれにこれまたぽつんとある小さな家で、エミルは両親と暮らしていました。
「どう、シロン? 似合ってる?」
エミルは自分の部屋で、新しい服をパートナーのシロンに見せびらかしていました。
濃いオレンジのボブカットヘアの上にかぶった紺色のベレー帽と、フードつきのローブ、オレンジのベスト、白いシャツとミニスカートにソックス、ブラウンのブーツ、それから帽子と胸元には、エミルの目の色と同じ青いリボンがあしらわれています。
これらはきょうという日のために、エミルのお母さんが用意してくれた服です。軽くて動きやすいだけじゃなく、見た目よりずっとじょうぶな素材で作られています。
『うん! すっごくにあってる!』
シロンはこの4年間で、なんとヒトの言葉を話せるようになっていました。ただし、体ははじめて会ったときから、あんまり大きくなってないみたいですけれど。
さて、きょうはずっと待ちわびていた、エミルが12歳になってむかえる春のはじまりの日。ウィザードを名乗ることが認められ、ひとり立ちが許される日なのです。
エミルは、学習机の上に置かれた新聞をちらりと見ました。これはきのうの新聞で、一面にはこう書かれています。
”エイル・スターリング(16)、史上最年少でマスターウィザードに認定へ”
"昨年のクラウス・グレイシスの最年少記録、早くもぬりかえられる……"
記事の写真には、左右に跳ねたやまぶき色の長い髪と、ペールオレンジのフードつきマントをなびかせたエミルのお姉さん、エイルのりっぱな姿が写っていました。
マスターウィザードというのは、ウィザードの称号のなかで最上級のものです。つまり、エイルはこの国でいちばんすごいウィザードの一人になったということです。
エイルは4年前、永久追放というかたちで村を旅立ったあと、期待されたそのウィザードの才能をいかんなく発揮し、各地で大活躍をくりひろげ、いまや王国で知らないものはいないほどの有名人になっていました。
エミルはそれがうれしくて、誇らしくて、またそれをはげみにして、ふたたびお姉さんとならび立てるその日を夢見て、この4年間がんばりました。
本をたくさん読みあさり、シロンとともに訓練にあけくれ、お姉さんのように村の仕事を手伝いながら、きょうという日のために入念な準備をしてきたのです。
「――待っててね、お姉ちゃん。すぐに追いついてみせるから」
そう、すべては旅立ちの前日に交わした、お姉さんとの約束を果たすために。
エミルはシロンを肩に乗せ、長くすごした自分の部屋に別れを告げて、ドアを開け外に出ました。
☆ ☆ ☆
村の門の前では、村人のほとんど全員がエミルの見送りに来てくれていました。ヒトだけじゃなく、動物に植物、獣人や妖精など、村で暮らすワンダーたちもたくさんいます。今回はエイルのときとちがって追放ではなく、ちゃんとした旅立ちなので、堂々と送り出すことができるのです。
「がんばれよ、エミル!」「体に気をつけるんだよ」
「シロンちゃんも元気でね」「またワルモノに狙われないようにな」
『ワンワン!』『ニャーニャー!』『ヒヒ~ン!』『クックドゥー!』『いってらっしゃーい!』
村人やワンダーたちからのあたたかい声援に、エミルとシロンはありがとうと手を振ってこたえました。
「エイルが旅だ……追放されてもう4年か、早いもんだなあ」
「マスターになったエイルと姉妹そろって、エミルも大物になるかもしれねえな」
「そしたらこの村も、英雄姉妹の生まれた村ってことで、今度こそ有名になっちゃうかも!」
なんて、好きなことを言う人たちもいます。エイルはたしかに、いまや連日新聞をにぎわすほどの有名人ですが、彼女はあろうことかこの村の名前を忘れてしまっているので、世間では出身地はナゾのまま。結果、ソルン村はいまだに外からのお客さんがほとんど来ない、辺境のイナカ村のままなのです。
その点、妹のエミルはしっかりしているので、彼女も有名になれば今度こそソルン村も聖地としてにぎわう、なんてことを一部のよくばりな村人たちは考えているのです。
ですがエミルにとっては、どうでもいいことでした。だってエミルの頭のなかは、大好きなお姉さんのことでいっぱいだったのですから。それに村に愛着はありますが、おカネもうけにはこれっぽっちも興味がないのです。
「いってらっしゃい、エミル。ムリだけはしないようにね。あなたはエイルほど体力オバケじゃないんだから」
エミルのお母さんです。茶色い髪と目をしています。
「いってきます、お母さん。この服、用意してくれてありがとう」
エミルは服を自慢するように、その場でくるりと一回転しました。
「シロンも気をつけて。エミルのこと、おねがいね」
『うん! おかあさん! まかせといて!』
シロンはどーんと胸を張って、元気よくお返事しました。
「エイルに会えたら、僕らは元気でやってると言っといてくれ」
こちらはエミルのお父さん。やっぱり茶色い髪と目をしています。ふたりは、娘たちとは髪と目の色がちがうものの、れっきとした実の両親です。
「うん、お父さん。お姉ちゃんに会えたら、きっと伝えるよ」
"永久追放"ということになっているので、エイルは村を旅立ってから4年間、一度も村に帰ってきていませんし、手紙の一枚もよこしたことはありません。さいわい、新聞記事で活躍を目にする機会が多いので、エイルがいまも元気でやっている、ということはわかるのですが。
村のだれもがエイルのことを、べつに帰ってきてもいいと思ってはいますが、神も仏もいるこの世界、決まりをやぶればどんな天罰がくだるかわからないのです。それはふしぎな声の聞こえるエミルも、ひしひしと感じていました。お供えものを忘れたり、ご神体がぞんざいにあつかわれたりした日には、決まって機嫌の悪いような声が聞こえて、お天気も悪くなるからです。神さまは見えなくとも、たしかに村のことを見ているのです。
「みなの衆、道をあけてくれ。すまんすまん、ちょっと寝坊してしもうた」
そこに人波をかきわけて、丸い頭をぴかーと光らせ、ふさふさの白いひげをたくわえたおじいさんが現れました。彼は、このソルン村の村長さんです。
「あいかわらず寝ぼすけですね、村長さん」『ねぼすけー!』
エミルはあきれぎみに笑いました。シロンもぷんぷんです。
「すまんなエミルにシロン。それでも、出発せずにちゃんと待ってくれたのじゃな。では、これを受けとりなさい。一人前に、ウィザードになった祝いじゃ」
村長さんが言うと、となりにいた補佐役のおじさんが、両手でかかえている大きな白いたまごをエミルに手わたしてきました。
「これ……ワンダーのたまご?」『おっきい! めだまやき、なんこつくれるかな?』
どんなに大きくても一個しか作れないと思いますけど。
「食うでない! ……おほん。そのたまごは、ソルン様の加護が宿っておるふしぎなたまごじゃ。どんなワンダーが生まれるかはわからんが、きっと、おまえの役に立つはずじゃ。本来ならエイルにわたすつもりだったんじゃが、あの子はあくまで追放者、これを持つには不適格じゃからな」
ソルン様というのは、このソルン村の名前の由来にもなっている、このあたり一帯の守り神さまのお名前です。言い伝えでは、太陽の精霊とも呼ばれているそうです。だから機嫌が悪くなると、お天気も悪くなるのです。
例の聖獣【サンライトウルフ】も、ソルン様の使いのケモノでした。その命を奪ってしまったエイルが不適格というのには、不本意ですがエミルも納得するしかありませんでした。
「でもこれ、持ち歩くにはちょっと大きいですよ。カバンの中にも入りそうにないし」
『そうだねー、おもたそうだし、シロンもはこぶのはムリ!』
エミルとシロンはこまった顔をしました。ワンダーのたまごがもらえるのはたしかにありがたいですけれど、孵化するまでは文字どおりただのお荷物でしかありません。持ち歩いているとき野生のワンダーに襲われでもしたら大変です。お父さんからもらった旅行カバンもなかなかの大きさですが、すでに荷物がいっぱいで、さすがにたまごは入りきらないですし。
「"指輪"を使うがいい。たまごであっても、ワンダーはワンダーじゃからな」
村長さんのアドバイスを受けて、エミルはローブのポケットから、透明な宝石がついた指輪を取り出しました。これは"コネクタリング"という、ウィザード用のアイテムです。エミルの右手中指にも、一個はまっています。
エミルが指輪をたまごに近づけると、そこにはまった透明な宝石に、たまごが光の粒となって吸いこまれていきました。そして、宝石がたまごと同じまっしろな色に染まりました。
コネクタリングは、このようにパートナーとなったワンダーを収納し、持ち運ぶための指輪なのです。収納すると宝石はパートナーに応じた色に染まります。もちろん、呼び出しも自在です。
なので、たくさんのワンダーや、大きなワンダーをパートナーにしても、街中で他人の迷惑にはなりませんし、せまい場所にだって平気で入れます。まさに、ウィザードの必需品です。
指輪の機能は世界の常識ですが、エミルはたまごまで持ち歩けるとは知らなかったので、「へー」と感心して、指輪をしげしげと見つめました。そして、自分の右手人さし指にはめました。
「村長として、エイルのあとを追いたいというおまえの気持ちは尊重しよう。だが、おまえ自身の道を見つけ、夢を追うことも、ゆめゆめ忘れぬようにせいよ」
「……はい」
村長さん自身は、いいことを言っているつもりなのでしょうが、エミルは、なんとなくまともに受けとる気になれませんでした。
『なんだか、さむーい!』
寒さに弱いドラゴンのシロンは、こういうのに敏感でした。
「……それからひとこと、エイルに「よくやった、おめでとう」と伝えておくれ」
「……はい!」
追放処分を下したものの、村長さんなりにエイルのことを気にかけていたようです。
☆ ☆ ☆
「それじゃあ村のみんな! いってきます!」『ピー!』
エミルとシロンは、盛大に見送ってくれた村人たちに手を振って、ソルン村を旅立ちました。めざすは、大好きなエイルお姉ちゃんのいる場所です。
けれど、彼女がいまどこにいるかはわかりません。なにしろ、待っててあげる、と言われても、どこで待っていてくれるかは、とくに決めていないのですから。それに待っていると言った以上、エイルのほうからエミルに会いにきてくれることもないでしょう。エイルは妹思いのお姉さんですが、エミルが転んでも助け起こすことはせず、自力で立ち上がるのを信じて待っていてくれるようなお姉さんなのです。
お姉さんは小さいころのように、いえ、それ以上に、きっと毎日あっちこっち飛びまわっていることでしょうし、ひとところに長くとどまるようなひとじゃない、とエミルは知っています。もしかしたら、意外とすぐに会えるかもしれませんし、何年もつかまらないかもしれません。ですが、エミルはお姉さんに会うまでは、どんな苦労もおしまない覚悟です。一度結んだ約束はぜったいに守るエイルの妹である以上、エミルもそんな人間でなければならないと思っているのです。
なのでひとまずは、風の向くまま気の向くまま、あてもなく旅をするのも悪くないと思いました。旅の中で、村長さんの言うように、自分自身のやりたいことも見つかるかもしれませんし。エミルだって、自分の将来の夢について考えていないわけではないのです。
「いこう! シロン! お姉ちゃんに会いに! 冒険の旅へ!」
『おー!』
こうして、エミルとシロンの大冒険がはじまったのです。