第4話 姉妹の試練 その3 とむらいの炎
「ころ……す?」
(そうだ。それ以外に方法はない)
エミルはかたまってしまいました。ウッディアや森のワンダーたちの命を奪った、聖獣のことは許せません。だからなんとしてもやっつけてやる、という思いでここまで来ました。でも、聖獣本人の意思じゃなかったというのなら、そんな相手の命を奪うことなんてできない、という気持ちになってしまったのです。
それにエミルは、頭ではわかっていても心のなかでは、生きものを殺すという重い行為をおこなう勇気が持てずにいました。まだ幼いからということもありますが、直感と本能で生きているエイルとは、心のつくりがちがうのでした。
エミルは、殺す以外にほかに聖獣を止める方法はないか、必死に考えました。ですが、思いつきませんでした。エミルは村でも評判のおりこうさんですが、まだ8歳の子ども、知識と経験がとても足りないのです。
(頼む……このままでは、私はもっと多くの命を奪ってしまう……! そなたたちしかいないのだ……!)
聖獣の悲痛な声を聞いて、もんもんとしていたエミルはハッとしました。
(そうだ、ここで聖獣を止めなくちゃ、ワンダーたちが、村のみんなが、お姉ちゃんが……!)
聖獣をこのままほうっておけばどうなるのか、エミルにももちろんわかっていました。これ以上、だれかの命が奪われるのは耐えられない。その気持ちはエミルも同じです。なにより、大好きなお姉ちゃんを失うのはもっと耐えられません。だから、覚悟を決めました。
「……わかった。あなたの言うとおりにする。でも、どうすればいい?」
とは言っても、たのみの綱のエイルとシロは聖獣に押されぎみで、自分とシロンは戦いに割って入ることすらできません。正直殺してくれと言われても、自分たちになにができるのかと疑問に思っていたのですが、
(私が最後のチカラを振りしぼれば、一瞬だけ暴走にあらがい、動きを止めることができる。合図を出したら、そなたの姉にそのスキをつくよう、伝えてほしい)
「……わかった」
聖獣のさずけてくれた策を聞くと、エミルは強くうなずきました。できるできないは関係ない、やるしかない、このピンチをどうにかできるのは自分しかいないと、おりこうさんのエミルはすぐに理解したのです。
「はぁ……くそっ、やっぱ強いな、こいつ……!」『ガルゥ……』
いっぽうエイルとシロは、そのあいだにも聖獣との戦いをつづけていました。ふたりともボロボロで、息もあがっています。離れて見ていたエミルも感じていたことですが、これほどの苦戦はいままで経験がありません。
『グルオオオ!』
対して聖獣は、シロの猛攻でダメージこそたまっていますが、まだまだ余裕といったところ。体が大きいぶん、体力も多いのです。戦いがこれ以上長引けば、エイルたちの敗北は火を見るよりあきらかでした。
せめてわずかでもスキがあれば、とっておきの一撃をおみまいしてやれるのに、聖獣はさすがにそんなスキを作ってくれません。それに、キズだらけのうえ激闘で疲れきっているいまの状態では、相手に致命傷を与えるだけの威力が出せるかもわかりません。
そのときでした。
「お姉ちゃん! いまだーーーっ!」
隠れていたエミルの必死な叫び声が耳に響きました。
『グ……オ……!』
さらに次の瞬間、聖獣が突然苦しみはじめ、動きを止めました。
エイルとシロは、急にどうしたんだとハッとしますが、一瞬で頭を切りかえました。なんだっていい、いまが最大のチャンス。最愛の妹の声援で元気百倍。エイルは血だらけの右手にぎゅっとにぎった剣を、聖獣に向けて突き出しました。
「《フェンリルストライク》!」
すると、シロの全身がすさまじいオーラにつつまれて、巨大な光のオオカミにすがたを変えました。その大きさは、もとのシロの三倍ほどある聖獣と同じくらい、いえ、それ以上はあります。
『ワオーン!』
巨大化したシロはそのまま、動きの止まった聖獣に跳びかかりました。その光のツメとキバは相手の無防備な急所を正確にとらえ、聖獣は野太い悲鳴とともに、ズズーンとその場にくずれ落ちました。あと一瞬遅かったら、聖獣はふたたび動き出し、こうもきれいに決まらなかったでしょう。
「ふー、よくやったぞ、シロ」『ワン!』
攻撃を終えたシロはエイルのもとへ戻ると、そのすがたももとに戻りました。
「やった……!」『ピー!』
木の裏から飛びだしていたエミルも、戦いが決着したと確信して、シロンといっしょにお姉さんたちのもとへ駆け寄りました。
「ありがとね、エミル。助かったよ」『ワン!』
エイルは笑って、白いベレー帽の上から妹の頭をわしゃっとなでました。シロもお礼を言ってくれているようです。
「ううん、わたしはなにもしてないよ。それより、聖獣は……」
エミルは大好きなお姉さんにほめられて正直いい気分でしたが、すぐに気持ちを切り替えて、倒れた聖獣に目を向けました。
さっきのシロの攻撃が致命傷となって、聖獣はもう起き上がることもできないようでした。息も絶え絶えで、まもなくその命はつきるということが、姉妹にもわかりました。
エミルは悲しそうな顔を浮かべ、戦いに勝ったエイルもまったくすっきりしないという顔を浮かべていました。
そのとき、エミルの耳にまた声が響いてきました。
(すまない……太陽の子らよ……感謝する……)
それが、聖獣の最期の声でした。やがてそのまぶたは重く閉じられ、ひとつの大いなる命が終わりをむかえました。
「こうするしか……なかったのかな……」
エミルは涙をこぼしながらつぶやきました。そんな妹をなぐさめるように、エイルはそっとエミルの肩を抱きました。
「これでよかったに決まってるじゃん。エミルが気にすることなんてないよ」
エイルはやさしく、かつ悪びれないようすで言いました。聖獣の声が聞けたのはエミルだけだったので、エイルは聖獣の暴走が自分の意思でないことなんて知りません。いえ、直感だけで生きているエイルにとっては、知ってても知ったことじゃなかったかもしれません。
「……ううん、ちがうよお姉ちゃん。あの聖獣は、やりたくてあんなことしたわけじゃないよ」
「どういうこと?」
「わかんない。ただ、聖獣は自分を止めてほしがってた。だから最後に一瞬、動きを止めたんだよ。お姉ちゃんに、とどめをさしてもらうために」
「……」
ふだんなにも考えてないエイルが、めずらしく考えているような神妙な顔になりました。自分よりずっとかしこい、かわいい妹に言われては、さすがになにか思うところがあるのでしょう。
「聖獣も、森のワンダーたちも、だれも死ぬ必要なんてなかった、死んでいいわけなかったんだよ……」
そう言ってエミルは、泣きだしました。多くの命が消えたことが悲しくて、失う必要のない命を救えなかったことがくやしくて、たくさん、たくさん、泣きました。
エイルはただ、妹をその胸に抱きしめてあげることしかできませんでした。エミルをなぐさめるだけの言葉をつむぎだす口を持ちあわせていないからです。
『ピー……』
シロンは泣きじゃくるパートナーを、シロといっしょに悲しげな顔で見つめていました。自分がエミルのためになにかできることはないかと、考えているようでした。
『ピー!』
すると、ふとなにかを思いついたようにあかるい声をあげ、エミルのほっぺに飛びついて、その涙をペロリとなめとりました。
「シロン……?」
エミルはまぶたを開いてきょとんとすると、
(聖獣や、死んでいったワンダーたちのために、できることがあるの。チカラをかして、エミル!)
そんな声が、耳に響いてきました。4年前、あの夜の森で聞いたものとおなじ、シロンの声です。
あれ以来聞こえなかったシロンの声が、なぜまた聞こえたのかなんてことは、いまのエミルにはどうだっていいことでした。
消えていった命のためにできることがあるのなら、なんだってやってやると、エミルはごしごしと涙をふいて、ふところからじょうぶそうな木の枝を取り出しました。子どもが魔法使いごっこに使うのと同じようなものです。
『ピー! ピー!』
小さな翼をパタパタさせて宙に浮くシロンにうながされるまま、エミルは聖獣のなきがらのそばまで歩み寄りました。エイルはそんな妹を止めようとすることなく、ただ見守っていました。
(いっしょに、祈って!)
「……うん!」
シロンとエミルは目をつぶって、死んでいったワンダーたちを想って祈りをささげました。
すると、エミルの心のなかに言葉が浮かんできました。そして目を開き、木の枝をなきがらに向けてその言葉を……魔法を唱えました。
「《プリファイア》」『ピー!』
すると、シロンの口から虹色に光り輝く炎が放たれ、聖獣のなきがらをやわらかくつつみこみました。ふつうなら燃えて灰になるところですが、かわりになきがらはすこしずつ光の粒となって、天へとのぼっていきます。まるでけがれてしまった魂を洗い、浄化するかのように……
「すご……」『クゥーン……』
このふしぎな光景にさすがのエイルとシロもぽかんとして、感嘆の声をもらしました。
「どうか、やすらかに……」『ピー……』
エミルとシロンが最後にそう結ぶと、なきがらのすべては天へ還り、あとにはなにも残っていませんでした。血のあともきれいに消え去っており、まるで最初から戦いなんて起こらなかったみたいです。
「ふう……」『ピー……』
エミルとシロンは疲れから、息をひとつ吐きました。魔法を使うために生命のエネルギー……"マナ"をたくさん使ったためです。実際に魔法を使ったのはシロンですが、心がつながっているエミルもわずかにマナを消費するのです。
「おつかれ、エミル。私にもわかったよ。あいつが気持ちよく天国にいけたってこと」
エイルはそんな妹の体をささえて言いました。エイルも直感で、聖獣の体と魂がきれいに浄化されたのだということが理解できたようです。
「やっぱ、思ったとおりだ。エミルのウィザードの才能は、私よりずっとすごいってね」
4年前、エミルにお姉さんがかけてくれた言葉でした。そのときはいまひとつ自分では信じられませんでしたが、いまなら少しだけ信じられると、エミルは思えるようになりました。自分とシロンのチカラでだれかを救うことができたというのなら、こんなにうれしいことはありません。
「……お姉ちゃん」
「なあに?」
「……ほかの子たちも、空におくってあげたい。手伝ってくれる?」
「もちろん!」『ワン!』『ピー!』
こうして姉妹とパートナーたちは、聖獣の暴走で命を失った森のワンダーたちのなきがらを浄化してまわりました。すべてが終わったころには、おひさまはしずみ、すっかり夜になっていました。
エミルとシロンはマナを限界まで使い果たし、エイルにおんぶされて家に帰ると、晩ごはんも食べずにそのまま深い眠りへつきました。
☆ ☆ ☆
翌朝のこと。
森が荒れていることに気づいた大人たちによって、きのうの聖獣の暴走の一件が村の人たちにあきらかになり、姉妹は村長さんの家に呼び出され、事情を聞かれました。あまり頭のまわらないエイルにかわって、エミルはすべて正直に話しました。
そして村長さんは、姉妹にとって衝撃的な決断をくだしたのです。
「エイル、おぬしをこの村から永久追放する」
エミルは、頭がまっしろになりました。