第31話 ゾンネの森 その4 ダークエルフ・プリンセス
ダークエルフの集落を出たエミルたちは、ゾンネの森の大樹へ向かっていました。
集落に案内される前と同じように、野生のワンダーたちがのびのびしている姿がちらほらと見えます。エミルはとくに、【ハネウサギ】がかわいいと思っていました。
そのようすはとても活気があり、さっきまでいたダークエルフの集落とはえらいちがいです。
「こうして見ると、ダークエルフが滅びかけてるなんて、ウソみたいだね」
ユーリは、どこかもの悲しそうな顔で言いました。
「そうだね。能力が高いぶん、衰えるのも早い、か……世界じゅうでエルフの数は減ってるって聞くし、このままじゃ、そのうちほんとうにエルフは絶滅しちゃうかもしれない……」
エミルも、ものうげな顔を浮かべて言いました。
『それもこれも、ぜーんぶニンゲンがわるい! ……あ、もちろん、エミルとおねえちゃんと、おとーさんおかーさんと、シスターさんと、ユーリと、ついでにライカはべつだからね!』
シロンはぷんすか怒って言いました。エルフ衰退の原因のすべては、彼らを隠れ棲むよう追いこんだ、強欲な人間たちだと思っているのです。自分も狙われた経験があるだけに、憎さ百倍です。
「はいはい、ありがとう」「ぼくもふくんでくれてるんだね、うれしいな」『クー!』
などと、ほほえましい(?)会話をくりひろげていると、
「きゃあああああ~~~!!!」
耳をつんざく、美しくもはかない女性の悲鳴が聞こえてきました。
まわりでのんびりしていたワンダーたちもびくっと反応して、クモの子を散らすようにほうぼうへ逃げていきました。
「いまのは……!」
『シロンにもわかるよ! エルフのおひめさまのひめい! ……さむっ!』
「言ってる場合じゃない! これはただごとじゃないよ、行こう!」
「うん!」『クー!』
エミルたちは全速力で悲鳴の聞こえた、大樹のもとへと急ぎました。
☆ ☆ ☆
「あ……あ……」
オレンジ色の光るカベ……結界の前で、ダークエルフの姫は弱々しくうめき、倒れていました。
きれいだった銀髪は乱れに乱れ、顔も全身もキズだらけの血まみれ、手足もあらぬ方向に曲がっています。服装はお屋敷にいたときとはちがうようですが、もとのデザインがわからないほどボロボロに破れていました。
「たす……けて……」
姫は、オレンジのひとみからひとすじの涙を流しながらつぶやきました。
争いのない平和な森に慣れきって、痛みを知らずに育った彼女にとっては、地獄のような苦しみを味わっているのでしょう。けれど、しだいにその感覚も失われていきました。体から力が、気が、すぅーっと抜けていく、あらがいようのない絶望的な感覚のみが、彼女の心を支配します。
「しに……たくない……」
それが、かろうじて最後にしぼりだした言葉でした。集落のエルフたちを救うために行動したことなんて、もはやどうでもよくなっていました。ただ、死にたくない、もっと生きていたいという命への執着だけが、彼女の心を満たしていたのです。
そして、まったくなにも感じなくなり、まぶたが重く閉じられようとしています。チカラの衰えた自分に結界をやぶるなんて、できるはずないとわかっていたのに、どうしてこんなバカなことをしてしまったんだろう。
こんなバカなことで、命を落とすことになってしまうなんて、なにもなしとげずに、死んでしまうなんて、という極限のむなしさと悲しさをいだいて、彼女が黄泉の世界へと旅立とうとした、その瞬間、
「ん……!?」
感覚を失ったはずの、そう、口のあたりに、あたたかくやわらかいものがふれたような気がしました。
そこからなにか、流れるようなものが口の中を通過し、のどもとを越えて、彼女の全身を走り抜けていきました。
すると、ふしぎなことが起こりました。彼女の失われていた気が、力が、感覚が、じょじょに戻っていったのです。
そればかりか、彼女を苦しめていた地獄のような痛みまで、すぅーっと消えて失せていったのです。きれいだった銀髪も、キズだらけだった顔と体も、曲がっていた手足も、身にまとっていた、白と黒を基調とした自分専用の戦装束すらも、みるみる元通りになっていきました。
「あなた、は……」
姫が軽くなったまぶたを開けると、目の前には、濃いオレンジのボブカットの上に、紺色のベレー帽をかぶった、青いひとみのかわいらしい人間の少女の顔がありました。
「よかった、気がついた! さっすがいちばんいいお薬!」
少女は、安心したほほえみを浮かべて言いました。
姫は、まだ頭がぼうっとしていますが、少女の顔を見て、声を聞いて理解しました。私は、この少女に命を救われたのだと。
そして、生きている希望とよろこびと、死をむかえる絶望と恐怖がどっとわきあがり、心のなかでごちゃまぜになって、決壊し、あふれだしました。
「う……うわああああん!!!」
姫は、自分よりはるかに小さな少女の胸にしがみついて、幼い子どものように泣きわめきました。
少女は、突然のことにびっくりしたものの、姫の体をやさしく抱き寄せて、泣きやむまでするがままにさせてくれました。
『ごめんなさい、みっともないところを見せてしまって……』
気持ちがおさまったダークエルフの姫は地面にぺたんと座り、泣きはらした顔でエミルにあやまりました。
「いえ、いいんです。集落のために命がけで行動するなんて、ごりっぱだと思います」
エミルはまったく気にしていないというふうで、にっこり笑って返しました。
『……りっぱなんてものじゃありません。結局、私はなにもできず、無駄死にするところだった……』
姫はうつむいて、また涙をこぼしそうになると、
『もう! いのちがたすかったんだからいいじゃない! つぎから気をつければいいんだよ!』
シロンがその高い鼻先にずいっと顔を近づけてきて、弱気をしかりました。
『は……はい』
シロンのいきおいに圧倒された姫はかわいらしく目を丸くして、きょとんとしました。
「この結界……思ったよりやっかいなものみたいだね」『クー……』
ユーリはクリスといっしょに、目の前のオレンジのカベをながめながら言いました。よく見ると、カベはまるで鏡のように、自分たちと森の姿を映し出しています。
『うん。受けたまほうを、ばいにしてかえすタイプのやつだ』
自称・結界にくわしいシロンが、神妙な顔つきで言いました。
『そうだったのですか……』
姫は自分の行動を思い返しました。自分の持てる最大の魔法で結界をやぶろうとして、それが倍返しされ、致命傷を負うハメになったというわけです。
「じゃあ、あとはわたしたちにまかせてください。ソールベリーは、かならず持って帰りますから。あ、そこの人たちのこと、よろしくおねがいしますね」
エミルは姫の肩に、やさしくぽんと手を置いて、立ち去ろうとしました。よく見ると近くには、姫を止めようとして返り討ちにあい、のびているダークエルフの三人組がいました。
『お、お待ちください!』
姫は、座ったままの体勢でエミルを呼び止めました。
『なぜ……なぜあなたたちは、私たちを救おうとしてくださるのですか?』
「なぜって……ほうっておけないから、ですけど」
エミルはなんてことないふうで、しれっと言ってのけました。
『また、そんな理由で……!』
「どういうことですか?」
『いままで、この件を引き受けてくれた方たちも、みな同じ理由を言っていました! ですが、だれひとりとして、生きて帰るものはいませんでした! あなたがたも、きっと無駄死にするだけです! 私にはもう、それが耐えられないのです! だから、どうか行かないでください! 身勝手な私たちのことなんて、ほうっておいてください!』
姫はまた涙をぽろぽろと流しながら、すがりつくように叫びました。
激情を吐きだした姫に、エミルはひざをついて、やさしく語りかけました。
「……わたしたちのこと、そこまで心配してくれてるんですね。だから、あんなムチャまでして、自分のチカラで実を取りに行こうとした」
姫は鼻をすすりながら、こくりとうなずきました。
「だったら、わたしたちといっしょに行きませんか?」
『え……?』
エミルの意外すぎる提案に、姫は目をぱちくりさせました。
「そうすれば、わたしたちの安全も見とどけられるし、ダークエルフの面目もたもてます。いいことづくめですよ」
『で、ですが、私たちワンダーは、この結界を通ることができないのですよ?』
「だから、いまこのときだけ、わたしのパートナーになってください」
『パートナー、に……?』
さらにエミルの意外すぎる提案に、姫は目をぱちくりさせました。
「ウィザードのパートナーになれば、"コネクタリング"に収納できます。そうしたら、わたしたちといっしょに、結界を通り抜けることができるでしょう?」
『そ、そんな裏技が……!』
姫はまったくその発想はなかったとばかりに、驚愕しました。
「グレイのときみたいに、とんでもないこと考えるね。エルフのお姫さまを仲間にしようだなんて……」
「それほどでも!」
ユーリは、ほんのすこしあきれたように感心してほほえみ、エミルはにいっと笑って返しました。
『でも、どうして、そこまでしようとするのですか……?』
「わたしも、お姫さまの気持ちがわかるんです。どうしようもない無力さとくやしさで、自分がイヤになる気持ちが。だから、そんな気持ちなんか消してあげたいって、思っちゃうんです」
そう語る少女の目には、口先だけではない強い想いを宿していることが、姫には感じられました。エルフのような高位のワンダーは、そういった生命の輝きを見るチカラに長けているのです。
姫は少女のまなざしに、これまで感じたことのない胸の高鳴りを感じました。目の前の命の恩人でもある少女に、チカラをつくしたいという気持ちがおさえられません。
『……わかりました。その提案、よろこんでお受けいたします。ソールベリーの実を手に入れるため、集落の民を救うため、あなたがたのおチカラを、いえ、私のチカラを、存分にお使いください』
姫はエミルにひざまずいて、うやうやしく一礼しました。エミルは正直気はずかしく思いましたが、高貴なお姫さまが、誇り高いエルフがここまでの誠意を見せるのには、そうとう覚悟がいることだろうと想いをくみとって、ただひとこと、
「おおせのままに! ではほんの少しのあいだ、よろしくおねがいしますね、プリンセス!」
そう言って、笑顔で右手を差しだしました。
『はい! えーと……』
「わたしはエミル。エミル・スターリング!」『シロンはシロンだよ! よろしくね!』
『よろしくおねがいいたします、エミル様、シロン』
姫はうっとりした表情でいとおしそうに、そっとエミルの手をとりました。
「さ、様って……」『なんで、シロンはよびすてなのー!?』
「あはは……」『クー!』
こうしてエミルたちは、集落の長の娘・【ダークエルフ・プリンセス】を一時的に仲間にくわえ、結界の中へと入っていくのでした。




