第30話 ゾンネの森 その3 楽園の落とし穴
『む、むむ……すまぬ、実は、この集落は滅亡の危機に……』
『それはさっきからきいてる! そのりゆうをきかせてっていってるの!』
シロンはくわっと、エルフの長にかみつきました。エミルも正直、さっさと話してほしいと思っていたので、こういうときのシロンのノンデリカシーは、助かります。
『う、うむ、しかし……なにから話したらいいものか……』
「それなら、まずはこの森がどういう場所なのか、教えてもらえませんか?」
スキあらばとばかりに、エミルはなやめる長にたずねました。
『そ、そうか。オホン。この"ゾンネの森"は、我らダークエルフをはじめとしたワンダーたちと、この地にあまねく精霊たちのチカラを借りて、作り上げた楽園だ』
「らくえん……」『たのしそう! ていうか、みんなたのしそうだった!』
エミルとシロンは、さっき森で出会った野生のワンダーたちを思い浮かべました。たしかにみんな、争うこともせず、のびのびとして楽しそうでした。
『我らは数百年の永き時より、この森で幸せに暮らしていた。しかし、ある時をさかいに、聖域に亀裂が生じることとなった』
「きれつ……?」『クー?』
『ウィザードの時代がはじまり、すべての人間がワンダーと契約を結べるようになったことだ』
「え? いいことじゃないですか」
エミルは首をかしげました。きのうも、そういう時代に生まれたことをユーリとよろこびあったばかりです。
『そなたら人間にとっては、そうだろう。だが我らのような、希少な種族にとってはそうではなかったのだ。だれもがワンダーをパートナーに持つのが当たり前になったために、ウィザードたちはよりめずらしい種をもとめようと、この森をふくめ、世界にあまたある楽園をこぞって荒らしはじめたのだ』
「……!」
エミルとユーリは、ハッとしました。エミルは村で暮らしていたころ、何度かシロンをワルモノに狙われたことがありましたし、ユーリは、故郷で同居人だったダストが悪党をやとってまで、クリスを奪おうとしていたことから、まったくひとごとに感じられなかったのです。そうそう、ウバオーガ団との一件もありました。
欲深い人間たちが、それを満たすためにどんなことでもするということを、ふたりはじゅうぶんに知っていたのです。だからこそ、長の言うことがとてもよく理解できたのです。
『我らは楽園を守るため、ひとつの決断をした。結界により外界とのつながりを断ち、人間が立ち入れないようにしたのだ』
「そうやって、"聖域"が生まれたんですね」
『そういうことだ。ここ以外のあまたの楽園でも、結界の性質はちがえど、同じ措置がとられたはずだ』
「でも、ぼくたちはこの森に入れましたけど……ねえ、クリス?」『クー!』
『完全に世界とのつながりを断つことは、我らの存在をゆるがすことにつながる。我らにけっして悪意を持たない、きわめて心の清らかな人間だけは通れるようにしてあるのだ』
『いきができるように、ちょびっとだけアナあけとくかんじだね』
わかりやすいたとえですが、身もフタもない言い方です。
「わたしたち、心が清らかだって!」
「う、うん」
にししと笑うエミルに肩をぽんとたたかれて、ユーリは照れくさく顔を赤くしました。
『だからライカは、もりにはいれなかったんだねー、おねえちゃんは、どうだったのかな?』
「ムリだと思う。お姉ちゃん、野性味が強いし。聖域とか楽園とかって、ガラじゃないし」
エミルはめずらしく、お姉さんをバッサリ切り捨てました。
『でもこれで、めでたしめでたしーってわけじゃないんでしょ? いま、めつぼーしかけてるんだし』
『うむ……外界との隔絶によって、楽園に平和が戻った。……しかし、平和になりすぎてしまったのだ』
「え、いいことじゃないですか」
今度はユーリが首をかしげました。ケンカが苦手な彼にとっては、争いごとのない平和な世界というのはすばらしいことのはずだからです。
『チカラというものは、振るう相手がいて、はじめて意味をもつもの。そして振るわねば、衰えていくもの。永年外敵がおとずれなかったことで、チカラを振るう機会を失い、我らダークエルフのチカラはじょじょに失われていったのだ。そしてチカラが衰えるにつれ、永遠と思われていた寿命も縮んでいき、はじめは百人以上いた同胞も、いまや28人を残すのみとなってしまった。さらにそのうち約半数は寝たきりで、もはや体を動かすこともままならぬ状態なのだ。おそらくはあと10年もしないうちに、我らは全滅するであろう……』
「そんな……」
だから外に人がほとんどいなかったのか、とエミルたちは息をのみました。平和な楽園の落とし穴、その衝撃的な事実に言葉を失ったのです。
10年というのは、エミルたち人間にとっては長い時間ですが、何千年も生きるだろうエルフたちにとっては、風前の灯火と言っていいほど短い時間なのだということは、想像にむずかしくありません。
そして、その人間にとっては長い時間、彼らエルフたちは死への恐怖で苦しみ続けることになるのです。そんなことは、エミルには耐えられませんでした。一分一秒でも早く、この苦しみから解放してあげたい、そう思いました。
「……でも、どうにかする方法はあるんですよね?」
エミルはのぞみを捨てないという顔で、長にたずねました。目の前で困っている人をほうっておけない、それがスターリング姉妹の本質なのです。
『ある。だがそのために、どうしてもそなたたち、人間のチカラが必要なのだ』
「どうすればいいんですか?」
『この集落のすぐ真北、森の中心部にある"ゾンネの大樹"に、"ソールベリー"なる果実が実っている。それは太陽の恵みによるマナがふんだんにつまっており、太陽を愛するわれらダークエルフにとって、なによりの栄養になるのだ』
『なにそれ、すっごくおいしそう!』
シロンはよだれをたらしかけますが、そういう場面じゃないのでなんとかこらえました。
「それがあれば、ダークエルフの失ったチカラが回復するってことですね?」
『おそらく完全にではないが、滅亡の危機は脱せるはずだ』
「でも、それがどうして、ぼくら人間のチカラが必要ってことになるんですか?」
『ソールベリーはこれ以上ないほど栄養満点で、奪い合いや争いのタネになることは必至。平和な楽園において、それはあってはならぬことだ。そのためだれも立ち入れぬよう、我々は大樹のまわりに結界を張っておいたのだが……』
『あーわかった! チカラがよわくなっちゃったから、じぶんたちでとけなくなったんでしょ!』
『むむ……恥ずかしながら、そういうことだ。だが、大樹の結界は外に張ったものとは逆に、人間だけはすり抜けられるようになっている。そこで、そなたたち人間の出番というわけだ』
「え、どうしてそんなふうに作ったんですか?」
ユーリは疑問に思いました。対象が人間なのはともかく、どうしてわざわざ結界を通れる存在を設定したのでしょうか。
『わざとそういうよわいところをつくっておけば、そのぶん結界をつよくできるもんね! シロンも結界つかえるから、わかっちゃうんだなぁ~!』『クー!』
シロンはぷかぷか浮かんで腕組みしながら、とくいげに言いました。クリスは『さすがねえさま!』とほめているにちがいありません。
ユーリも納得しました。クリスの《クリスタルシールド》も、《クリスタルシェル》の防御できる範囲と引きかえに強度を高めた魔法なので、それと似たようなものだと理解したのです。
『うむ、そのとおりだ。外に張った結界のおかげで、そもそもほとんどの人間は森に入れぬからな。だれにも破ることができない、いわば無敵の二重結界というわけだ』
その無敵の結界のせいで集落が滅亡しかかってるんじゃ、世話ないですけどね。エミルはそう思いましたが、口にはしないでおきました。
『そのムテキの結界のせいで、エルフがほろびかけてるんじゃん!』
シロンはやっぱりシロンでした。
『オホン! ……とにかく、そなたたちには我らに代わって、結界を通り抜け、ソールベリーを手に入れてもらいたいのだ。頼めるだろうか?』
「まかせてください。ただ木の実を取りに行くだけなら、楽勝ですよ」
エミルがぽんと胸をたたいて言うと、ユーリがハッとなにかに気づいて、口をはさみました。
「ちょ、ちょっと待ってください。さっきお姫さまは、"また"命運をあずける、って言ってました。もしかして、過去にぼくたち以外の人間が来て、その人たちにも木の実を取りにいかせたってことじゃないんですか?」
『うむ……まあ、そうだが……』
長はバツが悪そうにつぶやきました。
「なのに、この集落はいまだに滅びの危機にあります。つまりその人たちは、木の実を手に入れるのに失敗したってことじゃないんですか?」
『む……!』
ユーリに詰め寄られて、長は言葉につまりました。
「おお、ユーリ、さえてるね」
エミルはユーリの推察に感心しました。いままで学びの機会を与えられなかっただけで、きっと頭自体はいいんだなと思って、うれしくなりました。
『……そなたの言う通りだ。ここ数十年、幾人かの人間がこの森をおとずれ、彼らにも同じ頼みをした。しかし、だれ一人として戻ることはなかった……我らが通れぬ結界の中のできごと、理由を知ることもかなわぬままな……』
長はうつむきながら、重苦しい声で言いました。エミルたちは、ごくりと息をのみました。
とくにユーリはおそろしくなりました。当たってほしくなかったのに、"だれも生きて帰れなかった説"が正しかったのだとはっきりして、絶望したのです。
「エ、エミル、やっぱりやめたほうがいいよ。なにが起こったかわからず、だれも帰ってこなかったなんて、危険すぎるよ」
ユーリはエミルのほうを見て言いました。自分がこわいと思う気持ちももちろんありますが、なにより、エミルやクリス、パートナーたちを、そんなあからさまな危険にさらすわけにはいかないと思ったのです。
「心配してくれてありがとう、ユーリ。それでもわたし、このエルフさんたちのこと、見捨てられないんだ。もう目の前で、死ぬ必要のない命をだれにも奪わせないって、誓ったから」
「エミル……」
強い意志を秘めた熱いまなざしでそう語るエミルに、ユーリはこれ以上なにも言うことはできませんでした。ユーリは、エミルのそういうところが気に入って、ついていきたいと思ったのですから。
『そうそう。まえにきたひとたちが、きのぼりヘタだっただけかもしれないよ?』
シロンはなんとも軽い感じで答えました。
『ゾンネの大樹は、樹高300メートルはゆうに越す大木。たしかにありうる話ではあるが……』
『シロンはそらとべるからへーきへーき!』
『そ、そうか。ならば……よろしく頼む。白き竜の使い手であるそなたたちならば、切り抜けられるやもしれん。無事この大任を果たしてくれたならば、のぞむままのほうびを取らすと約束しよう』
長は深々と頭を下げて、懇願しました。
「わかりました」
『それともうひとつ。……すまぬが、姫のことも頼まれてはくれまいか。あの子はきっと不可能と知りながら、自力で結界をやぶろうとしているはずだ。一度言ったら、きかん娘だからな』
「そっちのほうも、まかせてください。では、行ってきます!」
☆ ☆ ☆
エミルたちは長のお屋敷を出て、集落の広場に出ました。
「さてと、善は急げってことで、さっそく大樹に行こうか。ユーリはどうする?」
「も、もちろん、ぼくも行くよ。正直、すごくこわいけど、危険な場所だっていうなら、なおさらエミルひとりを行かせられないよ!」『クー!』
クリスも、シロンねえさまのチカラになりたいようです。
「ふふっ、ありがとう。それじゃ、たよりにしてるね」
「う、うん!」
『クリスも、がんばろうね!』『クー!』
エミルたちはダークエルフの集落を救うため、ソールベリー獲得をめざして森の中心、ゾンネの大樹へと向かいました。




