第3話 姉妹の試練 その2 聖獣の暴走
『グルルルル……』
姉妹が向かった先にいたのは、ゆらめくリング状の炎をまとった、神々しい雰囲気の白いオオカミでした。その大きさは、姉妹がいま乗っているオオカミの三倍くらいはあります。
そのうなり声の調子と、口のまわりや両前足が血に染まっていることから、このオオカミこそがさっきの遠吠えの主であり、森を荒らし、【ウッディア】たち野生のワンダーをみな殺しにした元凶にちがいないと姉妹は確信しました。
「あれは……聖獣【サンライトウルフ】……」
エミルはその威容におびえた表情で、その名前を口にしました。
"聖獣"の名のとおり、【サンライトウルフ】は姉妹の住む村では神聖なケモノとしてあがめられていて、村の平和を守ってくれているありがたい存在……とされているはずなのですが。
『グルアアッ!』
聖獣は、姉妹を見るやいなや襲いかかってきました。その狂気をはらんだ目は、神聖さも村の平和を守る気もこれっぽっちも感じられない、ただエモノを前にした野生のケモノそのものです。
エミルは思わず「きゃあっ!」と目をつぶって、前に座るお姉さんの体にしがみつきました。シロンも『ピーッ!』と鳴いて、エミルの服をぎゅっとつかみました。
『ワンッ!』
姉妹を乗せているシロは、ひるまず軽やかに、聖獣の攻撃をさっとかわしました。
聖獣はエモノをしとめたつもりが、よけられたことにイラッとしたようすで、『グルル……』とうなってシロをにらみつけてきました。
シロもそれに負けじと『ガルルル……』とにらみ返しました。エイルは自分の体にしがみついたままの妹といっしょに、その背中から跳び下りました。
「エミル、どっかに隠れてろ。ぜったい手ぇ出すなよ」
エイルはけわしい顔と声でそう言うと、マントをひるがえし、腰に下げていた剣を鞘から引き抜きました。そしてシロのうしろに立ち、ともに聖獣と対峙しました。
エミルはお姉ちゃんを止めたい、もしくはいっしょに戦いたいと思いましたが、お姉さんがふだん自分に対して、ぜったいに使わないような荒っぽい口調で言うものなので、その迫力でただうなずくしかできませんでした。
言われた通り、肩に乗ったシロンといっしょに、戦いに巻きこまれないよう、この場から離れようと駆けだした瞬間、
『グルオオオンッ!』
聖獣はエモノを逃がすまいと、背中を向けたエミルに襲いかかろうとしました。
「《風刃》!」『ガオーン!』
エイルがそうはさせないと、右手で剣をひと振りするのと同時に、シロも聖獣に向けて右前足のツメを振り下ろしました。その風圧で生まれた大きな空気の刃が、妹にせまろうとする聖獣の巨体をふっとばしました。
『グルゥ……』
聖獣はすぐさま体勢を立てなおし着地すると、エイルとシロを完全に標的と見さだめました。ふっとばせはしたものの、空気の刃自体によるダメージはそれほどでもないようでした。
「私のかわいい妹たちに、手ぇ出そうとすんなよ」『ワンッ!』
エイルはキッと真剣な顔で剣をつきつけ、シロも同調するように吠えました。シロにとっても、エミルとシロンは大切な家族なのですから。
たがいに数秒ほどにらみあったあと、戦いははじまりました。
二体のオオカミの、ツメとツメ、キバとキバの応酬。相手のほうがはるかに大きく、力も強いというのにもかかわらず、シロは聖獣と互角にわたりあっていました。その理由は、シロの攻撃に合わせて、うしろで剣を振っているエイルという"ウィザード"の存在にあります。
いくらエイルが人間離れした体力を持っているからといって、人間という生きものの能力では、さすがにほんとうの意味で人間離れしたチカラを持つワンダーにはかないません。だからウィザードは、かわりにパートナーのワンダーに戦ってもらうのです。
けれど、ウィザードはただうしろでパートナーを見守っているわけではありません。人間はワンダーのようにふしぎなチカラ……"魔法"を使うことはできませんが、そのかわりパートナーと心をあわせることで、より強力な魔法を発揮させることができるのです。
エイルの剣は護身用という意味もありますが、パートナーの動きや魔法の発動に合わせて振ることで、いっしょに戦っているという一体感を高め、心のつながりを強めるためのアイテムなのです。
これこそが、魔法生物と魔法使いのありかたなのです。
「お姉ちゃん……」『ピー……』
エミルとシロンは戦場からだいぶ離れた木の裏側から、エイルたちの激闘をかたずを飲んで見守っていました。
一時はいっしょに戦おうと思っていましたがとんでもない。風は吹き荒れ、大地は震え、木々は悲鳴をあげるように葉を散らすばかり。とても自分たちが入りこめるすきまなんてありません。ここに来る前に言われた通り、村に帰ったほうがいいのかもしれませんが、お姉さんをほうって、自分ひとりが逃げるなんてできませんでした。
戦いはそのあとも何分かつづき、最初は互角だと思われていましたが、やっぱり種族の格のちがいは大きいのか、じょじょにシロのほうが押されていっていました。
エイルも、シロのうしろで指揮をとり、直接戦いにはくわわっているわけではないものの、攻撃の余波で服やマントはあちこちやぶけて、顔や全身にいくつもキズができていました。
エミルも、お姉さんたちがあんなに苦戦しているところを見るのははじめてです。心のなかではお姉さんの勝利を信じていても、どんどん不安がつのっていきました。
(このままじゃ、お姉ちゃんとシロが……!)
そうは思っても、エミルにはどうすることもできませんでした。
助けに行きたくても、戦いがすさまじすぎて体がすくんでしまい、動いてくれません。なにより、「ぜったいに手を出すな」というお姉さんの言いつけをやぶることになります。大好きなお姉さんの覚悟を踏みにじることは、エミルにとっていちばんやりたくないことでした。
『ピー……』
シロンも、不安げな顔でエミルを見つめます。シロンもきっと、おなじ気持ちなのでしょう。
ふたりがもんもんとしていた、そのとき、
(太陽の子よ……)
エミルの耳に、そんな低くておごそかな声が響いてきました。
「だ……だれ!?」
エミルは両耳をおさえて、きょろきょろと声の主を探しますが、それらしきものは見当たりません。それともシロンのときみたいに、どこか遠くから語りかけてきているのでしょうか。
『ピー?』
そんなエミルを、シロンはふしぎそうな顔で見つめました。この反応からして、シロンには声が聞こえなかったみたいです。となるとやっぱり、いつものエミルにしか聞こえない、ふしぎな声のたぐいのようです。
(頼む……私を……止めてくれ……!)
「止めてって……あ!」
エミルはハッと気づいて、ふたたび戦場に目を向けました。
「もしかして、あなた……聖獣なの?」
(そう呼ばれるのはこそばゆいが……そうだ)
声の主は顔は見えませんが、ちょっぴり照れぎみに肯定しました。どうやらほんとうに、いまお姉さんと戦っている聖獣が、エミルに語りかけてきているようです。
そう確信したエミルの胸には、怒りと悲しみがこみあげてきました。
「なんで……どうして、あんなひどいことを!」
エミルは、頭のなかに荒らされた森の光景が、最期を看取ったウッディアのことが浮かんで、目をうるませながら感情のままに叫びました。声の聞こえないシロンは肩の上で、どうしたの、という感じでびっくりしています。
(……言いわけにしかならぬが、これは私の本意ではない。彼らには、本当にすまないことをしてしまった……)
聖獣は、重苦しい声でこたえました。神聖なケモノの言葉だからでしょうか、真実を言っていることが、本気で悲しんでいることが深く心に伝わってきました。エミルは目をこすって、たかぶった気持ちを落ちつかせました。
(だからこそ、そなたたちには、これ以上私がみなをキズつける前に、私を止めてほしいのだ)
「止めるって……どうやって?」
(私を……殺してくれ)
「え……」
エミルは、目を見開きました。