第八十話 三送会とホワイトデー
三年生を送る会(三送会)の当日。この日の日付は三月十四日。世間ではホワイトデーと呼ばれている日だった。学校が始まる前、まだ朝の早い時間に外に出た信介は、神社の境内で掃き掃除をしている少女を見つけた。彼女は信介には気づいていないようなので、信介は近づいていって声を掛けた。
「よ、聖子さん、おはようさん。相変わらず、毎朝掃き掃除やってんのかよ。お前もよくやるなあ~」
「おはよう、水沢くん。邪魔しに来たんなら、帰ってくださる?」
聖子からの素っ気ない返しを受けて、信介は反省する。いかんいかん。つい、またからかうような絡み方をしてしまった。いつもこうだから、聖子にも冷たくあしらわれてしまうのではないか。信介は気を取り直して、もう一度聖子に話しかけた。
「あーいや、邪魔しに来たわけじゃないんだぞ。ただ、これを渡そうと思ってよ。ほら、今日、ホワイトデーだろ。まあ、家に置いてあっただけの飴玉だけど……一応、お返し的な」
そう言いながら、信介は鞄からお菓子の入った袋を取り出した。聖子はしばらくポカンとしていたが、信介から手に袋を押し付けられると、ハッとしたようだった。信介の気のせいでなければ、心なしか、彼女の表情も和らいでいる気がする。というか真っ赤ではないか、もしかして照れてる——?
「ふーん、ご丁寧にありがとう。意外と義理堅いのね」
—— 照れているように見える気がしたが、気のせいだったようだ。聖子には鼻で笑われてしまっただけだった。顔が赤く見えるのも、照れている訳ではなく、この冬の朝の寒さのせいなのだろう。くそ、可愛くねぇなあ。やっぱ、ホワイトデーだのなんだのって、柄じゃないことするもんじゃない。
少しすねた気持ちになった信介は、「じゃあ渡したからな」とだけ言って、すぐにでも家に戻ろうとする。すると、背中から「ちょ、ちょっと待ちなさい」とか細い声が聞こえた。普段は堂々としている聖子のイメージとはかけ離れた声の様子に、内心驚きつつも、信介は聖子の方に顔の向きを戻した。
「えっと……今日バンドやるって聞いたわ。その、頑張ってね」
聖子の顔は先ほどまで以上に真っ赤になっていた。これは、冬の寒さだけが原因ではないだろう。これまで長い付き合いだけど、まさか、聖子から応援してもらえる日が来るとはな……。そろそろ、少しは仲良くしてもいいと思ってくれたのかもな。信介は嬉しく思いながら、「おう!」と返事をした。そして、言葉を付け加える。照れくさいが、言っておきたかったことがあるのだ。
「あのさ、せっかく幼馴染で、家族ぐるみの付き合いなんだしよ。中学卒業して高校別になってからも、たまにはさ。なんだ、その、構ってくれよな」
「か、構う……いい、わよ!」
気恥ずかしいながらも頑張って頼んだことが伝わったのか、聖子からも、彼女にしては優しい返事が素直に返ってきた。信介はニッと笑って「そっか、よろしくな」と言ってから、今度こそ家を目指して歩き出したのだった。そして、彼のその顔は、彼自身も無意識ではあったが、頬が赤色に染まっていたのだった。彼の赤い頬の原因も、冬の早朝の寒さの身ではないだろうと思われる。
聖子は片手に箒を、片手に信介からもらった飴の入った袋を持ちながら、信介を見送った。さっきは、ついポカンとしてしまったり、声が小さくなってしまったりした。いつも清く正しくをモットーに、堂々と振舞うようにしているのに。
でも、あれは信介が悪いのだ。まさかホワイトデーにキャンディーを返してくるなんて。まあ、そういう細かいことは気にしなそうな彼は、ホワイトデーのキャンディーが「本命の相手への好意」を意味するとは知らなかったのだろう。まあ、それでもいい。そういう大雑把な人だから、聖子自身の素直じゃない性格を受け入れてくれているのだから。そのうえ……そのうえ、高校以降も面倒がらずに仲良くしようとしてくれているのだ。
聖子は、信介の姿が完全に見えなくなってから、袋から一粒コロンとした飴玉を取り出して、それはそれは幸せそうにそれを口に入れたのだった。
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三送会が始まると、早速、後輩達による歌やダンスなどの出し物が次々と披露されていった。香奈は先輩としてそれほど人望のある方ではなかったが、部活や委員会などで関わりを持っていた1、2年生たちを見つけると、やはり嬉しくなった。
ちなみに弟の陽太は、以前に体育祭に見かけた時に会った友達二人と一緒に、クラスで、最近流行のダンスグループの曲に合わせてダンスをしていた。親しみやすくて楽しそうな振付の印象が強い曲だと思っていたが、全体を通して見ているとかなり難しそうだ。よくあんなの踊れるよな、私の弟の癖に。運動が大の苦手の香奈は、私の運動神経は陽太にほとんど持って行かれちゃったんじゃないか、と苦笑したのだった。
後輩たちの出し物が終わると、教師陣による出し物が行われた。弥生中学校の三送会では、毎年、先生たちもなかなか体を張って出し物に臨んでくれるのである。今年はコスプレをして、最近の人気曲の替え歌メドレーを歌ってくれていた。感動的なラブソングが、おもしろおかしさいっぱいの卒業生への応援歌になってしまっていた時には、会場中が笑いに包まれたのだった。
その後は、三送会委員会によって作られた、思い出スライドショーが映された。香奈たちの学年が中学校に入学してから今までに撮られてきた写真や動画の記録の数々が、しんみりとさせられる音楽にのせて、どんどん流されていく。数年前のものも、ついこの前のものも、どれもなぜだか遠い昔のことのように感じられ、三年生たちは懐かしさにワーキャーと声をあげる。その一方で、この思い出いっぱいの場所や仲間たちとも、もうすぐお別れなんだなという実感がじわじわとわいてきたのだった。
ついに、三送会の出し物のトリの時間がやって来た。三年生の代表の数人による、二曲のバンド演奏である。香奈にとってはもはやお馴染みの、碧人・浩平・庄司・信介・宗吾の五人の少年がパッとステージ上に登場した。全校生徒の前に出ていると言うのに、ほとんど緊張を感じない彼らには、改めて驚かされるものである。
彼らの演奏が始まると、ワーッと全校生徒も教師たちも盛り上がりを見せた。一曲目には、庄司がノリの良い洋楽を、もの凄くかっこよく歌っていた。さすが、帰国子女かつ野球部仕込みの元気少年なだけあって、ネイティブな発音にしっかり声量がのっていて、聞いているとつい身体が曲に合わせて動いてしまう。観客たちは、曲のリズムに合わせて、手拍子を送ったので、皆で盛り上がった感がすごかった。
二曲目には、浩平がマイクを持った。浩平ファンの女子たちからの「五十嵐会長~!!」という黄色い声援に応えてから、彼は卒業ソングをしんみりと歌い上げた。今回初めて知ったが、浩平はすごく歌が上手いようだ。三送会での卒業ソングという状況も相まってだろうが、体育館の中にいる全員が、浩平の歌声にうっとりと聞きほれたのだった。香奈は、歌も上手いなんて、五十嵐くんには苦手なことがないのだろうか……、と思ったのだった。
そして、これは香奈の個人的な感想だが、碧人がギターを弾いている姿が予想以上にかっこよかった。ギターは初めて弾くと言っていたため、すごく練習を重ねたのだろう。練習を頑張っているのは知っていたが、ここまで弾けるなんて思ってもみなかった。私の彼氏がえらくてかっこよくて、すごい。
そう思っていたところ、二曲の演奏が終わってから、会場中から盛大な拍手が巻き起こった。ステージ上の碧人が皆に見られていることを意識した香奈は、碧人が急に遠くにいるように感じられ、急にほんの少しだけ寂しくなった。
碧人くん、ちょっとだけこっち向いてくれないかな。三年生はステージの近くの席に配置されているため、もしかしたら自分に気づいてくれるかもしれない。そう思って、碧人の顔を見つめていると、ふと彼と視線が合った。すると、香奈を見た碧人はステージ上から、少し照れたような表情ながらも大きく手を振ってくれた。香奈が小さく手を振り返すと、碧人は嬉しそうに目を細めたのだった。
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三送会の日の放課後、香奈と碧人は教室に残って話していた。ただし、いつもなら二人で話しているところだが、この日はバンドメンバーや、庄司の彼女の理沙、その親友の花も一緒に残って、にぎやかに話していた。香奈、理沙、花の女子三人が「皆、楽器上手かったね~」と言い合うと、男子たちは「お、マジ?ありがとー」と嬉しそうである。
ふと、花が香奈に問いかけた。
「香奈ちゃんは、バンドの曲聞いてる中で何が一番印象に残った?」
香奈はそれほど悩むことのなく、素直に答える。
「いろいろあるけど……でもやっぱり井出くんと五十嵐くんの歌かな。二人共上手でびっくりしちゃった」
庄司は「まじで?ありがとー」と返し、浩平も「お褒めにあずかり光栄です」と笑った。そして、花も香奈の答えに「だよね~」と同意し、理沙は「特に庄司ね!」と笑う。理沙に褒められた庄司はさらに嬉しそうだ。一方で、碧人は香奈に少し拗ねてみせた。
「ええ~香奈ちゃん。俺よりも井出と浩平のことを褒めるのかよ~」
「わわっ、ごめんね碧人くん。どうしても歌の印象が強くて」
「まあ、香奈ちゃんは正直なところあるからなあ、しゃーないか」
碧人は、そういうとこも好きだし、そこは惚れた方の負けだよなあ……と、思いつつ苦笑する。それでも、彼女に一番に思ってもらえなかったことに少し寂しさを感じていると、香奈が慌てたように「でも、でもね」と言った。
「ギターもかっこよかったよ!それに、曲を聞いてる中でっていう縛りがなければ……その、曲が終わってから、手を振ってくれた碧人くんからのファンサが一番キュンと来た」
また、そういう可愛いことを言ってくれるんだもんなあ。碧人は、少し恥ずかしく感じながらも、喜びを隠せなかった。信介と宗吾は、碧人をからかう。
「ほーお、お前はいつの間にそんなイチャイチャ行動をしてたんだー?んー?」
「よくあの状況で観客席の香奈ちゃんを見つけられたね、浦田くん。愛のなせるわざってやつかな」
碧人は「うっせ」と返しつつも、頬に浮かんだ笑みはなかなか消せないのだった。
その後、碧人は、香奈と二人で駐輪場に向かう。その間に、廊下の途中で立ち止まって、香奈の方を向いた。渡したいものとお願いしたいことがあるのだ。照れ臭さを隠せないため、芝居調子で「オホン」と咳ばらいをして話しかけることにする。
「ファンサでキュンとしてくれた香奈ちゃんを、もっとキュンとさせようと思います。ホワイトデーのお返し、受け取ってくださいな」
香奈はわあっと嬉しそうな声をあげた。バレンタインチョコを渡す時にさえ校則に気を遣うほど、真面目な彼女だが、こういう時に「さすがに校内でお菓子出しちダメだよ」という注意までして、場の雰囲気を損ねるようなことはしない。そういう所も好きだ。
「なんか、恋人って感じで嬉しい。ありがとう!」
碧人は香奈が喜んでお返しを受け取ってくれたことに安心しつつ、今日のもう一つの目標を達成しようと試みる。香奈にお願いしたいことを口に出すのである。
「あの、『恋人って感じ』つながりでさ。今日、手つないで、駐輪場まで行きませ、んか?」
碧人の声は徐々に小さくなっていったが、きちんと最後まで声に出せていた。碧人からの提案を聞いた香奈は、ポッと頬を赤くする。
「えっと……いいと、思います」
こうして、この日の放課後、その時間まで学校に残って三送会の打ち上げを行っていた生徒たちから、噂が流れた。公開告白で有名な浦田碧人と槇原香奈のカップルが、初めて手をつないで歩いているところが目撃されたのだとか。
次回の更新は11/7(金)です。
次回が最終話となりますが、最後までお付き合いいただけると、嬉しいです。




