第七十話 小テスト
音楽会から数週間が経った。ここ最近は、音楽会でのクラス間での勝ち負けの喜びや悔しさはだいぶ薄れ、代わりに個人間での競争意識が働くようになっていた。「全然勉強してないんだよね~」と言いつつ、家ではものすごく勉強している者。「俺全然勉強できてないから、お前もやるなよ~」と邪魔をして、友人の学力を自分のレベルにまで下げようと画策する者。などなど。本番が始まる前から、生徒たちは互いに牽制し合っている。つまり、二学期の期末テストがいよいよ近づいてきたのである。
こんな時期にはテスト前の小テストが行われる教科も多い。香奈たちのいる3年3組でも、先日にいくつかの教科で小テストが実施されていた。
3限のチャイムが鳴り、野球部顧問かつ数学担当の荒川先生が教室に入ってきた。挨拶を済ませると、先生はぶ厚い紙の束を取り出して、
「授業に入る前に、こないだの小テストの返却するぞー」
と言った。一人ずつ教卓の前に呼び出して小テストを機械的に手渡していた荒川先生だったが、「浦田ぁ」と背が高く筋肉質な少年の名前を呼んだ際には先生の態度が変わった。碧人が小テストを受け取ろうとしたところ、先生がテスト用紙をなかなか手放さなかったのだ。そして、教師と生徒が一枚の小テスト用紙の両端をつかんでやぶれない程度の絶妙な力で引っ張り合っているという、おかしな状況が発生した。二人は手の指の力は入れたまま、互いの顔をにっこりと見つめ合った。
「あの~荒川先生?どうしてテストを返してくれないんですか?」
「いや、返すぞ、返すけどな。このテスト結果、何かの間違いじゃないのか?なんで浦田が70点とれてるんだよ。いつも良くて30点とかだろ。……まさか、カンニングした?」
「してねぇわ!?じゃなくて、してないです!!先生ひどいっすよ。俺、ちゃんと勉強したんですから」
荒川先生は、テスト勉強をしたのだと訴える教え子を信じ切ることができなかったらしい。碧人の顔を「本当かー?」と疑わしそうに見つめる。荒川先生がこれほど碧人を疑っているのは、これまでほとんど勉強してこなかったという彼の過去を知っているからこそであり、ある意味碧人の自業自得であると言える。とは言え、このままカンニング犯だと疑われる訳にはいかない。碧人は照れたように後ろにチラッと目をやる。
「勉強を教えてもらって、頑張ったんですよ」
彼の視線の先には眼鏡をした小柄な少女が一人。碧人が誰に視線を向けたのかに気づいた荒木先生は一瞬で納得し、
「ああ、なるほど。槇原か!」
と声をあげた。そして、パッと指の力を抜いてテスト用紙を碧人に渡しつつ、笑いながら「疑って悪かったな、浦田」と碧人の肩をポンと叩いたのだった。
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放課後になると、庄司と信介が碧人のもとに寄ってきた。
「碧人くん、勉強頑張ってるんだね!数学も英語も小テストめっちゃすごいじゃん!」
「むしろ勉強しすぎだっての。碧人が勉強したら、平均点が上がっちまうだろ~」
数学の後、5限の英語でも小テストが返され、碧人は80点という、以前の彼ならばあり得ないと言っても過言ではない高得点を獲得していたのである。碧人はニカッと笑い、勉強が苦手な友人二人の顔を見て、
「ふはは、すげぇだろ、羨ましいだろ~。ま、なんたって先生がいいからな」
と言った。そして後ろに目をやる。そこには、机に向かって勉強道具を準備している香奈と浩平の姿があった。ここのところ、毎日のように、この二人には放課後に勉強を見てもらっているのである。碧人から称賛を受けた二人は顔を上げた。
「浦田くんが頑張った成果だよ。数学も英語もすごいもん!」
「たしかに、思ってた以上に、碧人は頑張ってるな。この調子でいけば、期末もいい感じになるんじゃないか」
そう褒めてくれた優等生たちに照れながらお礼を言いつつ、碧人は「今日も期末に向けた勉強の対策、お願いします!」と二人に頭を下げるのだった。
その日、碧人は家に帰り、夜になると、大きなため息をついた。香奈や浩平のおかげでだいぶ勉強もわかるようになってきたし、皆すごいと褒めてくれているが、だが、まだまだ十分ではないような気がして不安になってしまうのだ。
香奈と同じ高校に行きたい。どうしても行きたい。担任の田中先生によると、そのためには、今回の期末は全教科60点をとらなければならないそうだ。中学の定期テストのほとんどで90点台をとって来たという香奈は、80点以下をとったことがないらしい。そんな彼女なら、全教科60点なんて余裕でクリアしてしまうだろうが、これは碧人にとっては、かなり厳しい条件なのである。
だからこそ、まだまだ油断できない。期待してこれだけ応援してくれている香奈のためにも、今回だけはどうしても頑張りきらなきゃ、男が廃るというものだろう。そう思いつつ、碧人は睡眠時間を削って、夜遅くまで机に向かって一人勉強し続けるのであった。
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期末テスト初日の前日の放課後の教室。さすがにテスト直近というだけあって、複数の生徒が残って勉強をしている。碧人はこの日も、香奈と浩平と共に勉強に励んでいたが、12月に入って日が暮れるのも一段と速くなったようだ。
勉強に集中していると、あっという間に外が薄暗くなり、そろそろ帰った方が良いだろうという雰囲気になる。真っ暗な道を香奈に帰らせるわけにはいかないからだ。家が同じ方向ではないからという理由で、香奈は碧人に家まで送られることを良しとしてくれない。碧人と浩平が「じゃあ、帰ろうか」と席を立ったところで、香奈が珍しく少し強めの口調で呼びかけた。
「浦田くん、ちょっと待って」
碧人は少し驚きつつ、「何、香奈ちゃん?」と香奈の顔を見る。すると、背の低い香奈が、ちょいちょいと手でかがんでくれと合図をしてきたため、碧人はそれに従った。かがめと言われた理由がわからない碧人が不思議に思っていると、香奈が碧人の顔をじーっと覗き込んだ。普段は、背の高さに差がある彼女とこれほど顔を近づける機会がないため、碧人は思わず顔を赤くする。浩平も何事かと後ろで様子を見ているようだ。碧人はさすがに照れくさくなり、目の前の香奈の顔から眼をそらしつつ、香奈に問いかけた。
「え、えっ~と、香奈ちゃん?何してんの?」
しかし香奈は碧人の問いかけには答えずに「やっぱり」と口にした。少年たちが、何が「やっぱり」なのだろうと思っていると、香奈が言葉を続けた。
「浦田くん、目の下に隈ができてる。最近、夜更かししてるんでしょ?よくないんじゃない?」
図星である。実際にここのところ少し頭がボーっとしがちになっている。碧人がギクッとして「えっと、それはその、勉強をしてまして」と目を泳がせながら告白した。夜更かしは良くないという自覚はあるのである。「槇原さん、よく気づいたなあ」と驚く浩平に、「えへへ」と返してから、香奈は碧人の目を見つめてビシッと言った。
「睡眠不足でテスト中に力を発揮できなかったら困るでしょ。今日は夜更かししないで、早く寝ること。わかった?」
「えっ~と、あはは……」
「浦田くん!……心配だから、寝た方がいい時間になったら電話するからね。そしたら寝ないとダメだからね!」
こうして、この日の夜、碧人はかわいい彼女からの「おやすみコール」を受け取り、夜更かししないで布団に入ることになったのだった。
次回の更新は8/29(金)です。




