第六話 掃除をしよう
学年が3年に上がって初の席替えが行われてから2週間ほどが経ち、クラスの皆は新しい席に慣れて来ていた。香奈は今朝も読書をしつつ、朝のHRが始まるのを待っている。
「おはよう、槇原さん!」
「……おはよう」
香奈は先日自分から彼に挨拶をして以来、碧人から毎朝「おはよう」と挨拶をされるようになっていた。社会に生きる人間として挨拶は大切なものなので挨拶してくれるのを非難する気はもちろんないのだが、挨拶を交わした後に毎日のように「今日は何の本読んでるのー?」と尋ねてくるのには少し辟易していた。香奈のような地味な女子にとっては、碧人のようなキラキラ系男子と話すことは緊張や疲労をもたらすものなのだ。それでも香奈が「えっと、今日はこれだよ」と返しさえすれば、答えを聞いて満足するのか「そっか、おもしろそうだな」と言って、すぐに前後の席の友人たちと話し出すので、長話にならないだけましだろう。こういうキラキラ系の人気者はクラスの全員と親しくしていないと気が済まないのかもしれないと思って諦めていた。ただ、元気な騒がしい系グループに属している男子のひまつぶしにされている感じは否めないので、おとなしい系女子としてはやはり少し怖いなと思うのだった。
ちなみに、碧人の前後に座っている友人たち二人が、香奈と話している彼のことを毎朝なぜかニヤニヤと見つめているのだが、香奈にはそのニヤニヤの理由に全く見当がつかなかった。
この日の授業は平和に終わり、掃除の時間となった。ちなみに、わざわざ平和だったと述べたのは、今日は碧人に何も貸さなくて済んだからである。香奈は3日に一度くらいは、碧人に頼まれて教科書やら何やらを彼と二人で見る羽目になっていたのだ。二人で一つの教科書を見るとなると、体を互いに近づけざるを得ないのでかなり気まずくて居心地が悪いのだ。
この学校ではクラス内の班ごとに各掃除場所を割り振られ、2週間ごとにその掃除場所が変わっていく。そのルールに従って、今週からは香奈の班は3年3組の教室の掃除を担当することになっていた。クラス内の班は席の近い6人ほどで一つの班として形成されるので、香奈と同じ班の中には浦田碧人・五十嵐浩平・井出庄司の騒がしい系男子三人組と、浩平・庄司の隣の席の女子である西野花・小宮理沙の二人がいた。彼女たちは中学校に入って以来はクラスが違って話していなかったものの香奈と同小の子たちだったので、コミュ障の香奈でも多少話しやすくて気が楽だった。
「じゃあ、今日から教室が掃除場所だから、さっそく役割分担しようかー。二人がほうき、一人が黒板、あとの三人が雑巾かな。皆どれがいいー?」
手慣れた様子で掃除の役割分担決めを進めてくれたのは西野花。ロングヘアを後ろで一つにまとめており、すらっとした美人といった感じの少女だ。彼女は吹部の副部長を務めており、どちらかというとおっとりとしてはいるがしっかり者なのだ。
「私は黒板がいいな!やってもいい?」
遠慮することなくすぐに希望を述べたのは、花と仲の良い小宮理沙。女子テニス部に入っており、少し日焼けした肌が活発な印象を与えるかわいらしい感じの少女。見た目に違わず明るい性格の彼女の希望だと、皆が受け入れたくなる。
「了解。じゃあ、りっちゃんは黒板ね。皆はどうする?香奈ちゃんは何がいい?」
おとなしくていつもなかなか意見を言えない私に聞いてくれる花ちゃん優しいな、好き。そう考えつつも、引っ込み思案な香奈の頭には楽なほうきを自分でとろうという思考はなかった。
「えーと私は雑巾かな。花ちゃんは掃除が上手だからほうきをやってくれると嬉しいな」
「おっけー、そうするね。じゃあ碧人たちの中で誰がほうきにする?」
「いや、俺たちが三人で雑巾やるよ。槇原さんは西野と一緒にほうきをやってくれるか。槇原さんの方が俺たちよりもはるかに丁寧にほうきをやってくれるだろ?」
せっかく雑巾をやらなくていいチャンスなのに…わざわざ私にほうきを譲ってくれるの!
「わかった。ありがとう」
浩平と庄司も碧人に同意したこともあり、驚きつつも香奈は碧人からの提案を受け入れた。
ほうき組の掃き掃除と雑巾組の拭き掃除が終わって、机を運ぶ段になった。小柄な香奈にとってはこれが結構な重労働なのだ。とはいえ、やらないといつまで経っても終わらない。少しせっかちなところのある香奈は、どんどん運んでいった。しかし香奈が一生懸命机を運んでいる一方、ほかの班員たちはおしゃべりをしているのであまり作業が進んでいなかった。しかし香奈は自分が働いているのにどうして皆はやってくれないのかと腹を立てるタイプではない。まあ自分でやればいいかとそうした状況を受け入れてしまう性格だった。そのため、彼女は楽しそうに話しているクラスメイトたちを横目で見ながら、配膳台も自分一人で運んでしまおうと手を伸ばした。しかし給食時に使う配膳台は大きいうえに重いため、普段は二人で運ぶものだ。
やっぱりちょっと重いかも、でもまあ頑張ればいけるな。そう思って配膳台を運ぼうとしたその瞬間、香奈は声を掛けられた。
「槇原さん、それ俺が運ぶよ」
碧人だった。香奈は「え、でも」と一瞬言い淀んだが、
「ありがとう。お願いします」
せっかくの好意なのだからと思い直して、そう礼を言った。
「おう、任せろ」
香奈に頼まれた碧人はニカっと笑って、配膳台を運んでいく。そして「お前らー。手を動かせ、手をー」と言って、他の班員たちに掃除を進めるように促した。碧人のその一声で香奈ばかりに机を運ばせてしまっていたことに気づき、他の皆が香奈に謝罪を述べて掃除を再開した。そしてその後には、作業がスムーズに進んで、すぐに掃除を終わらせることができたのだった。
浦田くんは私に楽なほうきをやらせてくれたし、配膳台も運んでくれた。それに私が一人でやってる感じになってるのに気づいて、皆にそれとなく掃除をするように促してくれた。思ってたよりも怖くないかもしれないな、香奈は思ったのだった。