影響やお出かけ、フランスのうな丼
どこかへ出かけよう。ヒッチハイクでも自分の車でもいいから、自力でどこか遠くの景色を目にしてみたい。
それは最近みた古いロードムービーの影響をさっそく受けているのが明らかだった。別にそれが嫌だったというわけではない。自分のルーツを暴かれれば、誰だって多少の照れが出るものだろう。ときどき誰からの影響も受けていないと銘打って、自分たちは完全なオリジナルだと主張する人がいる。影響を嫌うやつほど、その影響を嫌う姿勢はいったい誰の影響だと聞けば、彼らはどんな赤面をみせるだろうか。
こんな小言から私の旅は始まった。私はヒッチハイクという柄ではないし、また免許も持っていないからとりあえず青春十八きっぷを買った。時間はかかるが、時間さえあればこれでほとんどどこへでも行けた。先ほどまでのロードムービーの話からは道路や車など消え、私はずっと線路のうえで揺られていたが、実際日本でロードムービーを撮るとなれば、こうして電車に乗って移動するのが一番自然な落ち着きなのかもしれない。
こういう単に原典を真似るのではなく、その舞台や場面に応じた変換を行うのはとても大切なことだ。そうでなくては、フランスのお話を日本人で撮るのに、俳優の顔をベタベタ白塗りして頭に金髪のカツラをかぶせるようなマヌケなセンスを認めることになる。フランスでいうガレットが日本でいう何に置き換えられるのか、逆に日本のうな丼がフランスでいう何に置き換えられるのかをちゃんと考えるべきなのだ。あなたが映画を撮るのなら。
あなたが映画を撮るのなら。最近のよくある映画や小説のタイトルと語呂が同じでいいね。こんな語呂ばかりだ。語呂がいいと売り上げに貢献するのだろう。語呂がいいことのダサさったらないはずなのだけどな。
それでも多少ダサい方が隙があって人に好かれやすくなるというのはとてもわかる。私も隙のない人や作品とずっと接しているのは息苦しいし、対象を自分にとってみても己の隙を隠し続けるのは辛いものがある。旅の恥はかき捨てとはいうが、この諺はどうも私向きではなかった。きっぷを通して行く町行く町、僕は町ごと人見知りして何も楽しくなかったよ。ああ早く帰りたい。