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花とペン  作者: 井上マイ
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6.

 ホスピタルには電話が一台しか置いてない。

 設置場所は、玄関入ってすぐの待合室だ。

 サキさんとニレイさんの部屋は奥の間だ。

 ベルの音が届くわけもない。

 もともとふたりには、受話器を取り上げようという意欲が薄い。 

 留守番電話もついてなかった。

 五島万に連絡を取ろうと思ったら、FAXを送ってそれが読まれるまで待つしかない。

 だが、ぼくが来てから事情が変わった。

 ぼくが清書作業をするキッチンは待合室と繋がっている・

 とうぜん、電話をとるのはぼくの役目になった。


 朝九時。電話のベルが鳴った。

 出版系の人間の朝は遅い。

「おはようございます」

「……なんの用だ?

「今から、そちらに伺います」

「来るな。僕ひとりで間に合っている」

 案の定、かけてきたのは草四郎だ。 

「来るなと言われても。もう最寄り駅まで来てますので」

 通りで向こうの背後が騒がしい。公衆電話からかけてきているのだ。

「あと十分ほどで、そちらに着きますから」

「おい、ちょっと待て……」

 ガシャン。

 ぼくの言葉を待たずに、草四郎は電話を切った。


 八分後。

 宣言通り、草四郎がやってきた。

 大きな旅行カバンをふたつ。

 そして菓子折りの入った紙袋。

 細身のくせに、こいつは案外頑健だ。

 これだけぶら下げて、息などひとつも切らしていない。

「こちらはセイさんの着替え。当座の分だけ持ってきました。あとは宅配で送ります」

 ふたつのカバンの中には僕の衣類。そして日用品が詰め込まれている。

「そりゃどうも」

 お前は、ぼくのお母さんか?

 過保護な叔父貴である。

「先生方に、ご挨拶をしたいのですが……」

 草四郎の持ってきた菓子は、春光堂のそばにある老舗のモナカだ。

 叔母あたりが、奮発してくれたんだろう。

 草四郎には、ニレイさんとサキさんのことを話してある。

 ふたりがひとつのペンネームを使う作家だと、簡単に説明してあった。

「お二人とも、まだ眠っている。まったく非常識な」

 カバンと菓子を受け取って、玄関先でシッシッと追い返す。

 こいつに出してやる茶などない。

「……今日のところは帰ります。ぼくも午後の授業に、出なければならないので」

「大人しく真面目に学生やってろ。こっちは今のところ何もない。心配すんな」

 キッと睨まれた。

 ふだんのぼくの行いのせいだろう。まったく信用されてない。

「近いうちに、また来ますから」

 草四郎は肩をいからせて帰っていった。


「ホスピタルで暮らすにあたって、守るべき掟を告げる!!」

 突然、サキさんの演説がはじまった。

「は、はい……」

 ぼくはワープロを叩くてをとめ、姿勢を正す。

「セイくん、メモの用意を」

「わかりました」


 ひとつ、許可なくホスピタルに他人(ことに女人)を引き入れぬこと。

 ひとつ、裏庭は立ち入り禁止。

 ひとつ、浴室および脱衣所、脱衣所に設置された洗濯機の使用は、午前八時から午後九時の間に限る。


「鉄の掟だ。破ったら、一発アウトで退場していただく」

 おごそかにサキさんが言った。

 なんとなく理由は察しているが、とぼけたふりをして聞いてみた。

「ひとつ目のルールはまだ分かります。でも二番目三番目は、どういう理由ですか?」

 裏庭への立ち入り制限。

 そして水回りの使用時間。

「裏庭については……入ると危ないからだ」

「なぜですか?」

 幽霊の出る井戸でもあるのか?

「うるさい。とにかく立ち入り禁止だ」

 すこぶる歯切れの悪い返事が返ってくる。

「風呂と洗濯機は?」

「……さあ、仕事仕事」

 サキさんは立ち上がると、自室に戻ってしまった。


 五島万のふたりは金銭に関してはかっちりしている。

 細かい出費でも、領収書は必ず貰うよう重ねて言われた。

 食費などの必要な金もまとめて預けられることなく、つど渡しだ。

「ニレイのおっちゃんは、いちど痛い目見ているからなー」

 しかしその詳細には触れず、サキさんはニヤリと笑った。

 住み込みの仕事ということで、拘束時間は長い。

 だが住居費はタダだし、ぼくの食費も出してくれる。

 試用期間のときと変わらず、土曜は半ドン、日曜は休みだ。

 悪くない労働環境だった。 

 そしてニレイさんは、どこにいったのか。ホスピタルに帰ってこない日も多い。

 サキさんは、ほぼ一日中自分の部屋に引きこもり書き続けている。

 ふたりともまったく手がかからない。

 

 結構な頻度で、サキさんはぼくの作った不格好な食事を所望した。

 ふたつの皿にわけて、盆にのせ、ホスピタルの奥へと持っていく。

 二人前の食事を、彼ひとりで平らげているわけがない。

 もう僕に対して隠すのも、面倒になったのだろう。

 この家には、もうひとり人がいる。

 その誰かの姿を、ぼくはまだ見ていない。

 ニレイさんの丸い字。

 サキさんのひょろひょろ字。

 そして金釘の文字を書く、もうひとりの五島万。

 この家のどこかで、その人はで息をひそめている。

 その場所の見当も、だいたいついているが。


「引っ越しの手伝いに来ました」

「うるさい。帰れ!」

 翌朝、草四郎がまたやってきた。

 近いうちに来るとは言っていたが、昨日のきょうとは思わなかった。 

 引っ越しの手伝い?

 屁理屈もいいところだ。

 きのう草四郎が持ってきたカバンふたつ分の荷物なんぞは、とうに片付け終わっている。


 間が悪いことに、ニレイさんとサキさんが揃っていた。

 サキさんは夜引いての仕事が終わって、これから寝に入るところだ。

 ニレイさんは朝帰りをしてきたばかりだ。

 サキさんは昨夜の続きでもう一杯、ニレイさんは酔い覚ましに、キッチンでぼくの淹れたコーヒーを飲んでいた。

 ふたりは昨日と同じ格好。

 吸い続けた煙草の煙で、燻しあがっている。

 この家に入ってからさっそく油断をしているぼくは、トレーナー姿だ。

 草四郎は相変わらず、白いワイシャツのボタンをかっちりと上まで止めている。

 ひとりだけ、朝の爽やかさを身にまとっていた。

「きのうは結構なお菓子をありがとう。上がっていけばいい。朝飯を食べていきなさい」

 主人のニレイさんにこう言われては、仕方ない。

「さっさと挨拶して、とっとと帰れよ」

 しぶしぶ草四郎を中に入れた。

「お初にお目にかかります。灘 草四郎 (なだ そうしろう)と申します。うちのセイが、大変お世話になっております」

 きっちりと、五島万のふたりの前で頭を下げる。

「ふふ、こちらこそ。セイくんには、お世話になっております」

 ニレイさんも、ほほえみながら頭を下げる。

「うちのセイときたか。セイくんの弟さんかい?」

 そういってサキさんは、ぼくらふたりの顔を見比べる。

 草四郎がぼくの血の繋がった叔父だと知ると、ふたりは口を揃えてこういった。

「似てないねえ」

「似てないな」

 知っている。

 水を滴らせたような美男子。

 かたや、おでんのジャガイモだ。

「草四郎君、いつでも遊びに来なさい」

「セイ君と並ぶと面白いから」

 ふたりは、そう勝手なことをいった。


「セイさん、ちょっと……」

 帰りしなの草四郎に袖を引かれた。

 仕方ないので、門まで見送りにでる。

 僕の耳に、草四郎は口を寄せ囁いた。

「さっき、ミカさんが歌が聞こえました」

「そうか……」

 ミカさんの声が聞こえないぼくは気づかなかった。

「で、なんて言ってたんだ?」

「わかりません。意味のある言葉はなにも聞き取れませんでした」

 草四郎は悔しそうだ。

「気にするなよ。ミカさんは、単に歌いたかっただけだろう」

 我が家の守り神は歌うことが大好きなのだ。

「だといいんですが……」

 草四郎の表情は晴れない。

 ミカさんの歌には、ごくまれに未来を映す言葉が含まれていることもある。

 しかし声を聞くことができても、それを意味を読み解くことは難しいらしい。


 ミカさんの歌が呼び水になったように、数時間後にそれは起こった。

 郵便局とスーパーマーケットへのおつかい。

 ぼくが留守にしてたのは、せいぜい一時間くらいだ。

 ホスピタルに戻り敷地に足を一歩踏み入れたとたん、強烈な違和感に襲われた。

 ひやりとした気配。それも複数。

 そして微かな匂い。

 何者かがここに侵入した。

 それが違和感の理由だ。

「ただいま帰りました」

 僕はキッチンに向かい、買ってきた夕飯の材料を冷蔵庫にしまう。

 そして、そっとふたりの様子を伺いにいった。

 サキさんは睡眠中。部屋のドアの前で耳を済ますと、寝息が聞こえた。

 ニレイさんは入浴中だった。

 ふたりは無事だ。ホッとする。

 そして、侵入者はもうここに残っていないだろう。

 焦る必要はない。


 建物は元病院だった。その特製上、前にも後ろにもひらけている。

 前庭を通って敷地内から一歩出れば、比較的大きな公道に出る。

 玄関の扉をしめてたところで、 スキだらけだ。

 その気になれば忍び込める箇所はいくらでもあった。

 そして今回現れたのは、ふつうのドロボウではない。

 ぼくが感じた、違和感と匂い。

 それは術士が残したものだ。


 いま草四郎の笛の助けは借りられない。

「どこにしまったんだっけ……」

 ぼくは春光堂特製の匂い袋を、荷物の中からひっぱりだした。

 手のひらサイズのきんちゃく袋。

 ミカさんが好む香りだ。

 匂い袋をジーンズの後ろポケットに、放り込む。

 そして前庭へ出た。

 ミカさんを呼ぶため、僕は舞う。

 異形と対峙するときとは違う、柔らかな踊りだ。

 「ミカさん、遊びましょ」

 わらべうたの節回しで、僕は呼びかける。


 ふわり。

 僕の右肩に、ミカさんが現れた。

 ミカさんはぼくが呼ぶのを待ちかねていたのかもしれない。

 思ったよりずっと早く、姿を見せてくれた。

 ”…………”

 ぼくには聞こえない声で、ミカさんはひとこと発した。

 ぼくは、いやアガミの誰でも、ミカさんを使うことはできない。

 ミカさんは好きなようにするだけだ。

 しかしミカさんは綺麗好きだ。

 侵入者の残していった痕跡を、放っては置けないはずだ。


 この家は広い。

 しかも、どこもかしこも乱雑だ。

 ぼくも掃除を試みてはいるが、まったく追いつかない。

 過去に出入りしていたニレイさんの芝居仲間たちは、様々なガラクタをのこしていった。

 ミカさんはホスピタルを縦横無尽に飛び回る。

 ぼくはその荷物になんども蹴つまづきながら、ミカさんを折った。

「ちょっ、ちょっと待ってくださいよ!」

 ミカさんが、僕のお願いを聞いてくれるわけもない。

 待合室から奥に入った、一番目の部屋。

「ここですか……?」

 ドアの前で、ミカさんは僕を待っていた。

 そこは音楽室と呼ばれている部屋だ。


 元々は薬品庫として使われていた部屋だ。

 しかし病院を買い取ったニレイさんの気まぐれによって、壁に防音が施された。

 内開きのドアを開ければ、部屋の真ん中にずんと置かれたグランドピアノ。

 しかしいまはホスピタルで、ピアノを弾く人などいない。

 ピアノの上にも床にも、本が積み重ねられている。

 ピアノの上の本を、払いのけた。

「よっこらせ」

 僕はピアノの蓋の上に、乗っかった。

 そして天井から吊るされた電灯の傘の上へと手を伸ばす。

「あった……」

 それは、黒いビニールの袋に入れられていた。

 口はガムテープで雑に止められている。

 このビニール袋こそが、侵入者が残していったのものだ。

「こんな奥まで入り込んでくるなんて……」

 ぼくは唇を噛みしめた。

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