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花とペン  作者: 井上マイ
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2.


ぼくら一族は五代にわたり、ミカさんに仕えてきた。

しかしぼくらの本職は、神職ではない。

タクミさんは高校教師。

カズサさんは文具メーカーで働くサラリーマン。

草四郎は、薬学専攻の大学一年生。

ぼくは完全無欠のフータローである。


あの神事から一週間後。

ぼくと草四郎は本家に呼び出された。

本家の開祖は薬問屋だ。

いまも業種を少し変え、商売を続けている。

その本家が営む、春香堂 (しゅんこうどう)は、香を扱う店だ。

仏壇用の線香はもちろん、、白檀の扇子や匂い袋などの小物まで扱っている。

ぼくらが仕事に使う香も、この店の特製品だ。

山手線の内側、老舗の立ち並ぶ一画に堂々と春香堂は店を構えていた。

裏口から、二階の店舗事務所へと入る。

「なんでぼくたちは、呼び出されたんだ?」

「心当たりはないですね」

 草四郎とふたり顔を見合わせ、ボソボソ話す。

「こちらにどうぞ」

事務員さんから案内されたのは、応接室だ。

 丁寧に、お茶まで出してくれた。

「ますますもって、穏やかじゃないな」

「ですね」

クッションの利いたソファに座り、落ち着かず待っていた。

しばらくして、孝三叔父がやってきた。

「わざわざ来てもらって、すまないな」

 叔父はこの春香堂の代表を務めている。

 年齢は40代前半。

 今日も和装姿だ。

 孝三叔父は、草四郎の従兄弟にあたる。

 だが血の繋がりはない。

 叔父はよその家から、アガミに養子に来た人だった。

「仕事を頼みたい。コウガミさんとこの仕事だ」

 

 ミカさんは、ぼくらアガミの者にしか見えない素性不明な神様だ。

 対してコウガミというのは、由緒正しく世間にも広く認められた大社 (たいしゃ)である。

 ぼくらアガミが世間の片隅で、ひっそり息をしていられるのも、コウガミのおかげだ。

 もちろんタダではない。

 ぼくらアガミは、労働力と上納金でコウガミの看板を借りている。

 コウガミはアガミの親会社のような存在だ。


「目を通してくれ」

 叔父がテーブルに置いたのは、薄い雑誌と、角2サイズの茶封筒だった。

 ぼくは雑誌、草四郎は茶封筒を選んで手に取る。


 それはいわゆる女性誌だった。

 表紙はケバケバしいフォントの扇情的な見出しで彩られている。

 芸能人のゴシップや、怪しげな美容法が書いてある大衆紙だ。

 三か月ほど前の号。

 付箋がひとつ、巻末近くに貼られていた。

 連載小説のページだ。

『新人弁護士・真田れい子の事件簿』

 軽い読み物だろう。

 けれど、中身をじっくり読む余裕などなかった。

 付箋の貼られたページを開く。

 すぐに問題の個所に目が釘付けになった。

 なぜ?どうして?

 あまりにも異質な、文言。

 それが登場人物のセリフに挟まれていた。

  主人公の女弁護士と対峙する、オカルトめいた占い師。

 その登場人物が吐きかけた呪いの言葉。

 2段組で2行。

 40文字のセリフ。

 それは、力を持つ本物の呪詛だった。

 

 ぼくは術士のはしくれだ。

 だがその経験から、気づいたのではない。

 ただ本能でそれを感じ、震えた。

「これは一体…?誰が、こんなことを」

 乾いた呟きが漏れた。

 「そちらに写っている男が企てた」

 叔父が草四郎の手元を指さす。

 草四郎はぼくに負けず劣らず、青ざめていた。

 

 茶封筒に入っていたのは、二枚の写真。

 写っていたのは、ひとりの男。

 男は死んでいた。

 息絶えてから、随分と時間が経っているようだ。

 一枚目の写真は、男の顔を接写したものだ。

 顔の右半分は激しく損なわれていた。

 頭蓋は、大きく割れていた。

 右目と鼻梁が消え失せ、その顔の反面はただ赤黒い面と化している。

 下あごが割れ、口蓋が覗いている。

 顔の左側も無傷ではない。

 はれ上がり、塞がった左目。

 鼻の穴から白く覗くのは蛆だ。

 お琴の表情は大きく歪んでいる。

 苦痛に身をよじり、大きく叫んでいるように見えた。

  

 2枚目の写真は、引いたアングルで全身を写している。

 男は背広姿だった。 

 白買ったはずのワイシャツは、血と土にまみれている。

 かなりの出血量だ。

 写真からでは、詳細は分からない。

 しかし、大きな傷が腹部にあることは間違いないだろう。

 それは、惨殺体だった。

 撮影されたのは冬だ。

 乾いた枯れ葉が、薄く死体に積もっている。

 風景のせいばかりではない。凍てつくような寒さを、その写真から覚えた。

 寒さを振り払いたくて、声を絞り出した。

「この男は、ですか?」

「名前は十日町条 (とうかまち じょう)。コウガミの人間だ」

 叔父が重苦しく、明かした。

「この男が、これを書いたのですか?」

「そうだ」

尋ねれば、簡潔に孝三叔父が応えた。

その禁呪は、コウガミから出たもの。

強力な呪詛だ。

十日町という男は、大社であるコウガミの中心にいた者だったはずだ。 

「しかし十日町の目論見は、達成されなかった」

 叔父は雑誌を広げ、問題の箇所を指でなぞる。

「この呪詛には抜けがある」

それは、完全な文言ではない。

叔父が言った。

小説が雑誌に掲載されるまでには、作者以外の人間の経なければならない。

担当編集者が、雑誌の編集長が、写植屋が、印刷工が、少しずつ元の文章に改変を加えた。

彼らは呪術などとは、関わりのない人たちだ。

まったくの無意識のうちに、それを行った。

たとえようのない、禍々しさをそこに感じ取ったかだろう。


「この男は、コウガミから報復を受けて死んだんですか?」

 草四郎が尋ねた。

 禁呪を世間に晒した十日町に、コウガミは死という制裁を与えたのか?

 草四郎の問いを、叔父は否定した。

「自死だ。山中でくびれていたところを、クマに引きずり下ろされて、むさぼり喰われた」

 計画が不首尾に終わった時点で、十日町条は己の運命を悟ったのだ。

 禁呪とは、災厄の切れ端。

 人ならぬものの言葉。

 不完全な呪いの言葉は、術者に跳ね返る。

 死は、まもなく訪れる災厄から逃れられる唯一の方法だった。

「この雑誌が世に出回ることもなかった。水際で止めたよ。この雑誌が読み出ることはなかった。コウガミは大社だ。どこにでも関係者はいる」

 そう叔父は説明した。

 出版は差し止められ、店頭に並ぶ前に回収裁断された。

 表向きの理由は、他に不適切な記事があったためということになった。

「だが巨力な呪いは、猛毒ガスと同じだ。わずかでも漏れてしまえば、取り返しのつかない」

 十日町は、深い恨みをコウガミに抱いていたと叔父は言った。

 呪術は不完全ゆえに、発動することはなかった。

 だが、その大社の面目を傷つけることは叶った。

「この騒動で、コウガミに連なる家がひとつ潰れた。当主はこの裏切り者と同じく、縊死を選んだそうだ」

 苦虫を嚙み潰したように、叔父は吐き捨てる。

 コウガミは巨人のような存在だ。

 十日町のの付けた傷は、浅い。

 十日町は犬死だ。

 それすらも、覚悟の上だったのだろうが。

「人の家の事情だ。犯人は狂人だ。狂人の考えなど読み解く必要はない」

 そして叔父は雑誌のページを閉じ、死体の写った写真を元通り封筒に戻す。

 ぼくと草四郎は、すっかりぬるくなってしまった茶を啜る。

 すべては終わった話だと、叔父は言う。

 異様な話だった。

 しかしコウガミのような大社には、多少の波風など茶飯事なのかもしれない。

 だがなぜぼくらアガミという外部に、恥部とも言うべき今回の件を知らせる必要がある?

「それで、ぼくらが呼びだされた理由は?」 

 ぼくは尋ねた。

 「予後観察だ。コウガミさんの考えることは、よく分からん。なぜ我々にそれを頼む?」

 ぶっきら棒に叔父は言った。

「コウガミの身内だけでは終わらなかった。十日町はあの文章を乗せるために、市井の人間を利用した」

 叔父の言葉に、首をかしげる。

「あの文章を書いたのは、十日町ひとりでじゃないんですか?」

 正直、あの呪言以外の部分を見る余裕などなかった。

「件の小説の大部分を書いたのは作家・五島万 (ごとう まん)だ。件の呪言は十日町がそこに差し込んだ」

 

「どう思いました、いまの話?」

「んー……」

 口中で飴玉を転がしなら、生返事をする。

 飴玉は帰りしなに持たされた、春光堂の商品だ。

 春香丸。飴玉はそう立派な名前を冠している。

 水あめにカリン、ショウガも少々。天然素材の爽やかな香り。風邪によるのどの痛みなどによく効く。

「受けるんですか?」

「そうだな」

 事情をきいてしまった以上、ぼくらに拒否権はない。

 五島万という作家を見守る。

 終わりの長く退屈な仕事になるだろう、と叔父は言った。

 手間賃は出る。

 ぼくには長く退屈な仕事をやるだけの、時間があった。


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