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花とペン  作者: 井上マイ
18/68

18.

 ホスピタルにきてひと月がすぎた。

 日々の仕事にも慣れた。

 しかし変わらず、苦手なこともある。

「これとそれ、どっちがいい?」

 ぼくの苦手なこと。

 それは作品の意見を求められることだ。

 壁に向かって独り言いうよりは、若干マシだから。

 相手だって、軽い気持ちで尋ねたにすぎない。

 ぼくはただの手伝いだ。

 ぼくがなにを言ったところで、作品の根幹が揺らぐことはない。

「わかりません」

 でもいつも、それしか答えられない。

 五島万の三人に、口先で適当なことを言いたくはない。

「遠慮するなよ。怒らないから、何でもいい。言ってみてよ」

 そんなことを言われると、ますます分からなくなってしまう。

「……どちらも、とても面白いと思います」

 嘘を付いているわけではない。

 でもそんなぼくの言葉は、気持ちとは裏腹に白々しく響く。

「セイくんは、つれないなー」

 ニレイさんは、すぐに諦めた。

 アリアはそんなとき、ギロッとぼくをにらんだ。

「わかった。次はもっとすごいのを書くから」

「いつだって、アリアさんの作品はすごいですよ」

「全然、心がこもってない」

 ぼくの言葉は、アリアに切って捨てられる。

 嘘じゃないのに。

 サキさんが、いちばん面倒だった。

「セイくん、俺たちに噛みつくくらいの気概がないと、いい物書きにはなれないぜ」

「だから、ぼくは作家になる気はないんですってば!」

「まず一本書いてみるといい。どれだけ、いいものかが分かる」

「ぼくには物を書く才能なんてありませんよ」

 そう言っても、サキさんは逃がしてくれない。

「駄作でも傑作でもいいんだ。とにかく書くんだ。世界にまたひとつ、新しい物語が生まれる……それ自体が価値なんだ。小説ってのはな、奇跡なんだよ」


 形のないものを、想像してはならない。

 影を名付けてはならない。

 心を奪われてはならない。

 それが、アガミの術者の鉄則だ。

 小説もまた形のないものだ。

 ぼくは小説との付き合い方が分からなかった。


 五島万は売れっ子作家だ。

 小説以外の注文もひっきりなしだ。

 五島万は、エッセイの連載をふたつ持っていた。

 エッセイ、散文、随筆。

 作者がその日常で見たこと、感じたこと、それがそのまま作品になる。

 エッセイを読むことで読者は、作家をより身近に感じることができる。

「随筆ってのは、まぁ埋め草だよ」

 サキさんは言った。

 文芸誌といっても、小説ばかり並べるわけにはいかない。誌面が息苦しくなる。

 だから間にエッセイが挟まれる。

 小説が一本も載らないような雑誌からも、けっこう引き手がある。

 隙間に軽い読み物が欲しい。そういう需要に応えているわけだ。


 だがエッセイを書くといっても、三人の実際を書くわけにはいかない。

「短編を書くのと変わりない」

 アリアは、エッセイの仕事をそう考えていた。

「どんな作家のエッセイも、誇張とでたらめで出来ている」

 作家ってのは嘘つきなんだ、と極端な意見をサキさんは述べる。

「でも嘘をつくなら、読ませる嘘を付かないとな」

 ニレイさんが言った。


 週に一回、半日かけて。

 五島万の三人は、エッセイのために共同作業をする。

 作業場所は、玄関から入ってすぐの待合室だ。

 ぼくはポットにたっぷりお湯を沸かす。

 コーヒーと紅茶、緑茶を用意する。

 お茶うけを、テーブルに並べる。

 甘いものを好まないアリアのために、漬物も出しておく。

 ローテーブルに車座になり、膝をつきあわせて、打ち合わせ兼お茶会だ。

 小説は三人バラバラに、別々の部屋で黙々と綴られている。

 エッセイは特別だ。

 三人一緒に作業する。


 お茶をガブガブ飲みながら、ああだこうだと三人は言い合う。

 時折笑い声も混じる。

 はたで見ていると、雑談をしているようにしか思えない。

「楽しい楽しい、井戸端会議だ」

 ニレイさんが醤油せんべいをパリパリかじりながら、歌うようにいう。

 しかしこれは、真剣勝負の場だ。

 見えない火花を散らせながら、三人は作品を編んでいく。


 サキさんは書記役もかねている。

 アイデアを、箇条書きでサラサラサラと書き留めていく。

 アイデアは湯水のように湧き出てくる。 

 それぞれから湧き出た、小さな願望やほんのたわごとを、五島万という器に落とし込む。

 そして人が読むに足りる作品にしてしまう。

「ポテトサラダのうまい飲み屋があってな。ここは昔美人の三人組が、切り盛りしている小さな店で……」

 これはニレイさんが、ぼくの母親の店”梅や”に寄った時の話だ。

 作り事が八割、事実が二割。

 H城社のTさんという編集者も、五島万のエッセイのレギュラーだ。

 さて五島万は最近、秘書を雇った。

 オスのゴリラである。サーカス団から安く買い入れた。

「ゴリラというには、薄い顔だけどな」

 サキさんがニヤリと笑う。

 まったく、誰のことを言ってるんだろう?

 能天気で、無骨者の、あまり情緒というものを理解しないゴリラである。

 ゴリラ秘書はたまに、珍妙な飯をあつらえる。

 ゴリラ秘書は派手な柄のシャツを着ている……ぼくのセンスではない。ホスピタルの忘れ物を借用しただけだ。

 ゴリラ秘書は掃除機をかけながら、下手な鼻歌を歌う。

 こちらがとんと知らない間に、よく見てるものだ。ため息が出てくる。

「たまにウンコを投げるの。ゴリラだから」

 アリアが言ったこの言葉に、ドキリとした。

 彼女と顔を合わせる前のことだ。

 立ち入り禁止の裏庭に出るための、やむを得ず取った奇行だった。

 アリアにはバレていたらしい。

「草四郎くんは、小説の方に出したいな」

 サキさんの言葉に、ニレイさんも乗ってくる。

「白皙の美青年といえば…吸血鬼なんてどうだろう?」

 女にウブな吸血鬼。奇抜な設定だ。

「もしくはベタに探偵とか。草四郎くんは和装が似合いそうだ。横笛は小道具でそのまま使いたいね……彼が不吉なメロディーを奏でる度に、人が死ぬ」

「なんで探偵のせいで、人死が出るんだか」

 呆れたようにアリアが言った。

「いっその事、吸血鬼で探偵ってことにしようか」 

 ニレイさんが笑う。

 こんな荒唐無稽なアイデアでも、書くとなったら書き上げるのが、この三人だ。

 草四郎は本人のあずかり知らぬところで、娯楽小説の主人公になろうとしている。

 ゴリラにされるのと、どちらがマシだろう。


 途中脱線もありつつ、定刻通りに、

「じゃ今回は五島先生に、ゴルフについて書いてもらうか」

 ニレイさんが、区切りの一言をのべる。

 話の核が決まってしまえば、あとは速い。

 一気呵成で書き上げてしまう。


「五島万先生は、いったいどんな人なんですか?」

 ふとアリアに、そんなことを尋ねてみた。 

 エッセイ二本分。

 原稿用紙きっかり三十枚。

 夕食を挟んで、日付が変わるころには、ぼくの清書作業も完了した。

 アリアは風呂上がり。あとは練習室に帰って眠るだけだ。

 ドライヤーのかけかたがいつも甘い。

 長い髪はところどころ、しっとりと濡れている。

「五島万がどんなかって?それ、どういう意味?」

 アリアが小首をかしげる。

 質問の意図は、うまく伝わらなかったようだ。

「本当に五島万がいるとして。年はいくつなんだろう?とか。どんな顔をしているのかな?とか、いろいろ気になってきまして……」

「ハゲ、チビ。冴えない中年男」

 明らかに、いま思いついたことだろう。

 無造作にアリアはいった。

「あんまりですね」

 苦笑するしかない。

「カッコよくない方がいいのよ。読者の反感を買わないように」

 アリアは訳知り顔にいう。

「性格はもっとひどいの」

 と、アリアは続けた。

 五島万は、お酒と女にだらしなく、不器用で人見知り。

 コンプレックスのかたまりで、世の中をひねて見ている。

 そのくせ気分屋で、おっちょこちょいのミーハーだ。

「欠点だらけなんですね、彼は」 

「うん、ダメな人」 

 しかしアリアの言葉を聞いているうちに気づいた。

 五島万の欠点は、生みの親である三人から出たものだ。

「ぼくは彼のことが、好きですよ」

 きっと、五島万はいいやつだ。

「ふふふ」

 ぼくの言葉をきくと、アリアは嬉しそうに笑った。

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