表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花とペン  作者: 井上マイ
17/68

17.

 やきとり、コロッケ、かぼちゃの煮物。

 うめ屋から、総菜を何種類か持ち帰った。

 ぼくとアリアの夕飯のおかずだ。

 不在がちのニレイさんと、昼夜逆転生活のサキさん。

 自然と夕食は、ぼくとアリアでとることが多くなる。

 最近はアリアも、母屋まで出てきてくれるようになった。

 アリアはおかずの中で、やはり焼き鳥が気に入ったらしい。

 見る間にアリアの皿の上に、食べ終えた串がずらり並んだ。

「いつもの、ガード下の店よりおいしい」

 絶賛といってもいい言葉だ。

「良かった。おふくろが喜びます」

 弟のエイも独身男子だ。

 アリアの未来の花婿候補だ。

 エイには、アリアのことを言いそびれた。

 アリアを意識してしまっている草四郎に、義理立てしたわけではない。

 弟に五島万に関するあれこれを、話すわけにもいかないからだ。

「母の店で、弟にばったり会ったんですよ」

「野球選手の弟さん?」

 アリアは、エイのことをちゃんと知っていた。

「ええ、ぼくとそっくりの」

「ふぅん」

 一区切り焼き鳥を食べ終えたアリアは、白いご飯に移る。

 エイに対して、特別な関心はないらしい。

「兄をよろしくお願いいたします……と、五島先生あての伝言をあずかってきました」

「弟じゃなくて、お兄さんみたいだね」

 そう言って微笑む、アリアのほっぺたに焼き鳥のたれがついていた。

「アリアさん、ほっぺにお弁当がついてますよ」

「ん」

「ああああ!ティッシュを使ってください!」

 自分の袖で口を拭おうとしたアリアを慌てて止めた。

 未来の花嫁姿など、いまはまったく思い浮かばない。

 そんな15歳の少女こそが、五島先生であることをエイは夢にも知らない。

 弟のエイの趣味は読書。

 五島万の著書も、読了済みだ。

 そう伝えると、アリアは驚いた。

「それを聞いたらサキくんは喜ぶよ。よし、次回作は野球小説だ!とかきっと言い出す」

「ははは、ありえますね」

 サキさんは小説とその読者を愛している。

「ひとつ聞きたいんだけど」

 アリアは急に声を潜める。

「なんです?」 

「弟さんも、セイさんと同じ力が使えるの?」

「素養はあるんですが、あいつは野球で手一杯です。ぼくたちの様な活動はしていません」

「そっか」

 少し驚いた。

 アリアが自分から、ミカさんのことを話題にするなんて。

「ごちそうさまでした」

 食べ終えると、アリアはすぐに立ち上がった。

 そして食器を流しにさげる。

「もう少しで、今回分が終わるから。二時間後には、そちらに回す」

 練習室に戻って、食休みも入れずにまた一仕事だ。

「お茶を淹れて、待ってます」

 アリアは甘いものが嫌いだ。デザートには、煎餅を出すことにしよう。

「かたじけない」

 アリアは勝手口から、サンダルをつっかけて出ていった。


 小説のアリアの将来の夢は、看護婦さんだ。

「看護婦?なんでまた?」

 尋ねてみると、熱のこもってない調子でアリアは答えた。

「手に職を付ければ、食いっぱぐれることはないから」

「アリアさんは、すでにプロの小説家じゃないですか」

「一生、小説家でいるのはとても難しいんだよ」

 そう分別臭いことをいう。

 それはそうかもしれないが。


『高校に通いながら、女優になるためのレッスンを受ける』

 アリアは田舎の祖父母に、そう宣言して東京に居残った。

 しかしそれは真っ赤な嘘だ。

 アリアは掛け値なしの美少女だ。

 知名度のある女優の娘で、ニレイさんというコネクションもある。

「わたしには無理」

 でも芸能界への意欲はゼロだ。

「女優は、神様に選ばれた人間にしかなれないの」

 それに、とアリアはもうひとつ理由を述べた。

「わたしはお母さんに似ていないから」

 アリアの母は、柔らかい物腰の可憐な印象の女優だった。中年になっても娘らしい瑞々しさを失わなかった。

 凛々しい面立ちのアリアとは、たしかにタイプが違う。

 アリアは人からいくら誉められようと、母と似ていない自分の顔が嫌いだった。


 アリアが母親を亡くしてから、まだ一年足らずだ。

 目に入るだけで辛いからと、アルバムや遺品はこの家に持ってこなかった。

 けれどなにが、感情を揺さぶる引き金になるかは、彼女自身にもわからない。

 テレビから流れてきた映像。小説に登場した、なにげないワンフレーズ。それがふいうちになることもある。

 とつぜん目を真っ赤にして、声を詰まらせるアリアをぼくも数度目にしていた。


 アリアがイメージする、女優とは真逆の職業。それが看護婦なんだろう。

 アリアは、とても世間が狭い。

 女優、ナース、店員さん、学校の先生。

 働く女性と職業といえば、この四種類しか思い浮かばない。

 学校は大嫌い。

 まず教師という選択肢が消える。

 接客業は、引っ込み思案の自分にはできそうにない。

 女優は無理。

 で、残るはナースしかない。

「ハッキリ言って、アリアさんには向いてないと思います」 

「セイさんまで。そんなの分からないじゃん!」

 素直な意見を述べると、アリアはむくれた。

 セイさんまで、とアリアは言った。ということは、ニレイさんもサキさんも同意見ということだ。


「まぁ夢を見るのは自由だ」

 サキさんがしたり顔なのは、アリアの目論みが挫折に終わると踏んでいるからだ。

「だが看護婦になるなら、高卒資格はとっておいたほうがいいらしいぞ。中卒でなれんこともないが、かえって難しいんだとさ」

「べんきょう……」

 その単語を聞いて、アリアの顔がさっと曇る。

「アリアくん、おまえさんの得意科目はなんだっけ?」

 サキさんが続けて、意地悪く問いかける。

「算数」

 うつむいてアリアが答える。

 数学じゃなく算数。

 

 アリアは中学に入ってすぐ、落ちこぼれた。

 京都の撮影所で長期の仕事の入った母親の都合で、転居したのがつまづきの発端だ。

 土地と学校に馴染めず、ろくに登校もしなかった。

 たまりかねた母親は、寄付金をたんと積んでアリアを私立中学に編入させた。

 そこは裕福な家庭に生まれた問題児たちの、駆け込み寺のような学校だ。新興宗教教団が、経営している全寮制の学校だった。

「授業に出なくても、いちにち一回、お経?を唱えたら、出席扱いにしてくれた」

 アリアは中学校生活のほとんどを、寮のベッドの上で過ごした。

 友達のひとりも作らず、本を読み、惰眠をむさぼり、孤独に過ごしていたわけだ。

「あれだけ毎日も唱えたお経も、今はもう忘れちゃった」


「変身のクソ虫のような青春だ」

  嘆かわしい。とサキさんがいう。

  練習室に閉じこもりっぱなしの現在も、あまり状況は変わっていない。

「で、見かねた俺が、勉強をおしえてやろうとしたわけだが……」

 サキさんは一流大学の出だ。教員免許も持っている。

「学生時代は、家庭教師のバイトもしてたんだぜ。結構評判も良かった」

 しかしアリア相手の、個人教授は大失敗に終わった。

 授業開始30分で、取っ組み合いの大喧嘩だ。

「五島万、解散の危機だ」

 ははは、とサキさんは笑った。

 アリアは頑固なところがある。そしてサキさんは、アリア限定で大人げない。


 アリアに、勉強する気がないわけではない。

 谷さんあたりが頼まれて、持ってきたものなんだろう。アリアの暮らす練習室には、何冊もの参考書やら問題集やらが積んである。

「学歴なんて小説家やるには関係ない。だが知識と教養はいくらあってもいい……学校の勉強なんて無駄かもしれん。だが無駄を知ることもまた教養である」

  サキさんはそう、周りくどく言った。

 アリアの助けになってやりたいという兄心だ。


 勉強しなきゃ。

 でも、どこから手を着けていいかわからない!

 アリアはいまそんな状態だ。

「セイ君、手の空いた時間にアリアくんの勉強見てやってくれ。特別手当を付けるからさ」

 サキさんからのその申し出に、ぼくは首を横に振る。

「ぼくに勤まると思いますか?」

  学校の勉強?

  高校卒業と同時に忘却の彼方だ。更に元々の出来が悪い。

「他に頼める人がいないんだよ」

  サキさんも人選に頭が痛いらしい。

 アリアは重度の引っ込み思案だ。

 学習塾に通い、他の生徒たちと机を並べるというのは、ハードルが高い。

「家庭教師を雇うのは、どうでしょう?」

 思いついた。この役目にうってつけの男が、ひとりいる。

「・・・・・・知らない人と会うのは、疲れる」

 アリアはなおも渋った。

「大丈夫、アリアさんも面識のある人間です。人物はぼくが保証しますよ」


 ぼくの知り合い。しかも勉強ができる。

 アリアの家庭教師に就任したのは、草四郎だ。

 甥のぼくとは出来が違う。草四郎は理大に通う秀才だ。

「良かった。これで、ぼくも堂々とあの家に出入りできます」

  草四郎は、一も二もなく承知した。

「引き受けたからには、家庭教師の仕事をちゃんとやれよ」

  推薦した手前、草四郎に釘をさしておく。

「セイさんに、言われるまでもありませんよ」


 週に二回、各二時間。

 あくまでも作家の仕事優先。それがアリアの希望だった。

 長らく遠ざかってきた勉強という行為に、慣れることから始める。学力アップは二の次だ。

 草四郎は、なかなかの熱血教師ぶりを発揮した。

「セイさん、見てください。カリキュラムを組んですが、どうでしょう?」

 短時間でいかに効率よく授業を進めるか。

 草四郎は学習計画書を、ノートにびっしりと書き込んできた。

「うん、いいんじゃないか…」

 クソ真面目にもほどがある。

 生徒であるアリアと温度差があるんじゃないか。その点が心配だ。

「ぼくがいないときは、セイさんがアリアさんの勉強を見てあげてくださいね」

「……はい」

 渋々とうなずいた。

 ぼくも復習しておかなくては。


 草四郎がこの家に訪れるようになって、アリアの格好は少しまともになった。

「山猿が淑女に変わった」

 サキさんは述べる。しかし、それは大袈裟だ。

 アリアはおしゃれに目覚めたわけではない。

 パンツが見えるような格好で、うろつくことがなくなった。

 ブラジャーを着けるようになった。

 その程度の進歩である。

  草四郎がアリアの肌を見て狼狽えるたびに、授業が止まっていては話しにならないからだ。

「いくら言っても治らなかったんだが、こんなにあっさり改善するとは…草四郎くんに感謝だなぁ」

 ニレイさんまでもが、そういって笑う。

 北風と太陽みたいな話だ。


「Can I borrow you pen?」

「この場合、youは所有格に変化するんですよ」

 草四郎の指摘をうけて、アリアはうなる。

「ううん、えっと、えっと」

 英文に悪戦苦闘。

 とてもベストセラー作家とは見えない。

 勉強が苦手な、十代の女の子だ。


 アリアの暮らす練習室には、小さな机がひとつしかない。

 家庭教師は、必然的に母屋でやることになった。

 ぼくが清書作業をしている、キッチンが会場だ。

 ふたりが英語のテキストとにらめっこする傍らで、ぼくはパタパタとワープロを叩く。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ