表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花とペン  作者: 井上マイ
16/68

16.

「なんか、すごい凄いのが届いたぞ」

 サキさんが目を丸くする。

 玄関先に積み上げられた段ボールは三箱。

 それはぜんぶ、ぼく宛に母が送ってきたものだ。

 中身は、米、日本酒、果物、菓子など盛りだくさんだ。

「倉庫泥棒の戦利品だな。こんなにどうしたんだ?」

「出所は、たぶんウチの弟です。あいつは、なにかと貰いものが多いたちで」

 母の店である”梅や”にも、本家にも、弟からのおすそ分けは積み上げられている。

「お酒は、飲む人がいませんからね。編集の方たちにでも持って行ってもらいましょう」

 ぼくの言葉に、なぜかサキさんは苦笑いする。

「ははは……こっちは、これまで遠慮してしてたんだけどな」

「えっ?遠慮はいりませんよ。ほら、これなんかどうです?」

 かりんとうの袋を取り出して、サキさんに見せる。

 サキさんは甘いものに目がないのだ。きょうのお茶請けはこれに決まりだ。

「遠慮してたってのは、君の弟くんについてだよ。触れられたくないんじゃないかと思ってた」

「知ってたんですか?ぼくの弟のこと」

「もちろん。有名人だ」 

 これまでホスピタルで、弟が話題にのぼったことはなかった。

 五島万の三人には多少浮世離れしたところがある。俗なことに興味がないだけと思っていた。

「自慢の弟ですよ」

「君はカラッとしてるな」

 サキさんは、ため息をつく。

 そこで、サキさんの心配の理由に気づいた。

 アリアは女優の娘だった。

 その母親の死の際、マスコミはあることないこと無遠慮に書き立てた。

 彼女は随分と悔しい思いをしたはずだ。

 アリアの経験を知っているから、サキさんはぼくにもそんな気遣いをしたのだろう。

「嫌と言ってもこの面です。すっとぼけるわけにもいかない」

『エイ君のお兄さん』と、呼ばれるのには慣れている。 

 それに幸いにも、さほど不快な目にはあったことはない。

「瓜二つだもんな」

 サキさんが笑う。

 しかし実は、並べてみるとちょっとは違う。

 弟のエイのほうが、大柄なぼくよりもさらに一回り大きい。

 がっちりとした運動選手の体をしている。


「焼き鳥を、たくさん仕込んだわよ。先生に持って行ってちょうだい」

 荷物が届いたと思ったら、今度は呼びだしだ。

 仕事の合間の時間に、今日はひとりで母の店である"梅や"までやってきた。

 店の専用駐車場に、車が止まっていた。

 小さな飯屋には不似合いの、高級車だ。


 エイはカウンター席に座り、どんぶり飯を掻っ込んでいた。

「よう、セイくん。今日のメニューは大当たりだぜ」

 きょうの日替わりは生姜焼き。

 副菜の小鉢は、ポテトサラダとほうれん草の白和え。

 いずれも彼の好物だ。

 定食に添えられた飲み物は、熱い番茶だ。

 きょうは車で来ているので当然だが、エイは普段も酒を飲まない。

 ぼくと変わらぬウワバミだが、外では下戸で通していた。

「酒飲んで球が速くなるなら、いくらでも飲むさ」

 だそうだ。

「ぼくにも日替わりをひとつ、お願い」

 母親に声をかけ、エイの隣の席に陣取った。

 カットシャツに薄手のセーター、色の褪せたジーンズ。

 見てくれは、そこいらの学生と変わらない。

 違うのは、左腕に巻かれた高級時計くらいなものだ。


 通り名は、『エースの英 (エイ)』。

 ぼくの年子の弟、渋沢英 (しぶさわ えい)は、プロ野球選手だ。

 在京の人気球団で、エースピッチャーを務めている。

 高卒でプロ入り三年目。

 新人賞、ベストナイン、リーグ最多勝、沢村賞……全部取っている。

 昨シーズンは、完全試合も達成した。

 左の速球派。

 今年の推定年棒は、6000万強。

 近い将来、一億の大台に乗るだろう。

 文句なしのスーパースターだ。

 球団の顔として、清涼飲料のテレビCMにも出ている。

 野球を見ない人でさえ、エイのことを知っている。 

 そんな弟とぼくは非常に似ている。

 ぼくが弟の所属球団のキャップをかぶり、「エースのエイです」というだけで笑いが取れる。

 らくちん簡単な宴会芸である。

 投球モーションの物まねだって完璧。

 なんせ本人直伝だ。


「渋沢英です。エースのエイと覚えてください」

 三年前の入団会見で、エイはそう大見得を切った。

 もちろんエイが入るチームには、先輩エースがいた。

 喧嘩上等だ。

 ピッチングも強気で迷いはない。

 そして結果も出す。

 マウンド上での鼻っ柱の強さは、甲子園で活躍した高校時代から有名だった。


 しかし生意気なのは、野球に絡んだことだけだ。

 よく働く二等兵の顔。

 だれかが、エイをさしてそう言った。

 ふだんの性格はのんびりとしている。

 チームの先輩からも、指導陣からもなんだかんだと可愛がられている。

 フランス料理よりも、ご飯大盛りの定食の方がよく似合う。

 若い女の子よりも、お年寄りにモテる。

 そっくりさんであるぼくよりも、少し素直に出来ている弟だ。  


 飯を食いながら、ぼつぼつと話す。

「九州にいるんじゃなかったか?」

「キャンプは明日からだよ。出発前に、お袋さんの顔を見ておこうと思ってね」


 この店の裏には、ぼくらの実家がある。

 そこで、ぼく、エイ、母の三人で暮らしていた。

 ぼくは高校進学と同時に、アガミの本家に移った。

 エイはその一年後、野球の名門校に越境入学。そして寮生活を始めた。

 別々に暮らすようになってだいぶ経つ。

 兄弟顔を合わせるのも、数か月ぶりだ。

 それでも久しぶりという気がしないのは、ミカさんの存在があるからだ。

 エイもミカさんを連れている。

 ぼくも、エイも、草四郎も、先輩たちも、ミカさんで繋がっている。

 自分の目や耳の他にひとつ、ぼくらは共用の器官をもっている。

 うまく言葉に出来ないが、そんな感覚だ。


 ミカさんは、変幻自在に姿を変える。

 ぼくは鳥。草四郎は仔馬。

 それぞれのかたわらに現れるとき、ミカさんはその術士独自の姿になる。

 エイの連れている、ミカさんは五歳くらいの女の子の姿をしている。

 ちりめんの着物に兵児帯をしめて、頭はおさげに結っている。

 頬がぷくっとしていて、とてもかわいい。

 ぼくにはミカさんの言葉は聞くことはできないのだが、エイに言わせると彼女はかなりおしゃべりらしい。

 いまも童女のミカさんは、椅子に座るエイの膝に手をかけて、ピョンピョンと跳ねている。

 エイに抱っこをねだっているのだ。

 エイは、靴紐を結ぶふりをして、ごく自然にミカさんをすくい上げた。そして自分の膝にのせてやる。ニッコリとミカさんが笑った。


 投球の合間、エイはマウンド上であらぬ方向をジッと見ていることがある。

 目線を変えることで、集中力を高めているのではない。

 野球そっちのけで、ひとり土遊びをしているミカさんをみているのだ。

 ミカさんは他人の目にも、そしてもちろんテレビ中継にも映らない。


「新しい仕事はどう?」

 エイにそう聞かれた。

 ぼくが小説家の家に住み込んでいることを、母から聞いたのだろう。

「やっと慣れてきたところかな」

 頬張ったコロッケと飯を、みそ汁で流し込んでから一言答える。

 ぼくらは男兄弟だ。

 そうペチャクチャ話さない。

 近況報告も、いつもならこの程度で終わりだ。

 だが、エイはこの話題から離れなかった。

「五島先生って、どんな人?」

「五島先生は……うーん、変わった人だ」

 嘘は言っていない。

 三人とも、掛け値なしの変わり者だ。

 五島先生。 

 事情を知らないエイはもちろん、五島万というひとり小説家を頭に描いているんだろう。

「セイくんがお世話になっていると聞いてさ。何冊か買って読ませてもらった」

 ぜんぶ面白かった、とエイは言った。

 エイの趣味は読書だ。

 職業柄、長距離の移動が多い。常に文庫本などを携帯しているらしい。

 ぼくの偏見だが、本好きのスポーツマンは少数派だと思う。野球選手が活字に触れるといえば、スポーツ新聞をめくる程度のものだろう。

 エイは少々変わりもんだ。

「セイくんが羨ましい。小説の仕事、憧れるよ」

 エイがそう漏らす。

「なにを言ってんだ。スーパースターが」


 そんなぼくら兄弟の会話は、カウンターの中の母に届いているはずだ。

 そして内心苦笑しているだろう。

 そう、母は五島万がチームで活動する作家であることを知っている。

 そのうちのひとりが、元俳優の仁礼友太であることもだ。

 ニレイさんは先日、この店に寄っていった。

「ご母堂が、店をやってるって?なんで言わないんだ」

「えっ本当に来るんですか……小さくて地味な店ですよ」

 一応抵抗したのだが、押し切られる形で案内することになった。

「息子さんには、お世話になっております」

 そうニレイさんは真摯に挨拶をして、求められるままに色紙にサインし、母と一緒に写真を撮り、ポテトサラダと揚げ出し豆腐をつまみに、ウーロン茶を二杯飲んで、なぜか焼酎のボトルも入れて、上機嫌で帰っていった。

「テレビで見るより、ずっと素敵ね」

 顔のケガなどなんのその、店のおばさん全員の心を鷲掴みにしていった。


「草ちゃんは元気?」

 エイは草四郎のことを、草ちゃんと呼ぶ。

 ぼくも仕事で組むまでは、そう呼んでいた。

 スポーツマンのエイと、理系学生の草四郎。

 不思議と気が合うようだ。

「ここだけの話だ。最近、気になる女の子ができたみたいだ」

 とっておきのゴシップを提供してやる。気になる女の子とは、もちろんアリアのことだ。

「ハハ、本当かい?あの堅物の草ちゃんがねえ」

「珍しく浮かれた様子だ」

 冗談めかして、われらが年下の叔父上殿の近況報告を済ます。 


「もう一つの仕事はどう?」

 エイが尋ねる。その声が心持ち低い。

 これがいちばん聞きたかったことだろう。

 ぼくらはミカさんで繋がっている。

 エイにも何かしらは伝わってしまうのだ。

「何もないよ。悪い癖だぜ。こっちのことに、首をツッコむんじゃない」

 エイにもミカさんがついている。

 でもエイは術士ではない。

 花の名前も持っていない。

 子供の頃から野球漬けの生活で、術士としての修行を積む暇もなかった。

 それに、人知れず動くのがこの仕事の鉄則だ。

 有名人のエイに、術士は向いていない。

 それでもエイには、術師に憧れがあるらしい。無いものねだりだ。

「そっちはどうなんだよ?」

 同じ質問を返してみたが、エイにサラッとかわされた。

「俺のことは、新聞で読んでくれ。そこに全部書いてある」

 エース様はのたまわった。

「やっぱり、お前さんは生意気だよ」

 ぼくの言葉に、エイは笑う。

「生意気ついでに、セイくんにアドバイスだ」

 えへんと咳ばらいをして、エイは言葉を続けた。

「相手に点をとられなければ、野球は負けることはない。それが絶対のルールだ。試合を作るのは、先発ピッチャーこの俺だ」

 そうエイは、私見を述べた。

「その野球談議がなんで、ぼくへのアドバイスになるんだよ?」

「俺は自分の仕事を、ちゃんと理解している。だから結果が出せる」

 退屈したんだろう。もぞもぞと落ち着きのないミカさんの背を、エイはポンポンと撫でていた。

「セイくんはどうだ?」

「分かっているつもりだよ」

 五島万を守ること。

 それが、ぼくと草四郎の役目だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ