表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花とペン  作者: 井上マイ
14/68

14.

 ぼくと草四郎は無言のまま、夜道を歩いた。

 先ほどの谷さんの言葉が、いつまでも頭の中で反響していた。

「これから、どうすればいいんでしょうか?」

 草四郎がつぶやいた。

ぼくに向けた言葉ではなかった。

 ミカさんに言ったのだ。

 いまミカさんは姿を隠している。

 だが、間違いなくぼくらの傍らにいるはずだ。

 ミカさんが、ぜんぶ教えてくれたらいいのに。

 ミカさんは、谷さんに何を告げたんだ?

 そして、予言には続きがあるという。

 その谷さんの推測が当たっているならば、ミカさんはこれから何を告げる?


「明日、春光堂を訪ねてみるか?」

 草四郎に尋ねる。

 春光堂には孝三叔父がいる。

 孝三叔父は、ぼくらと谷さんを繋げた人だ。

 何かを知っているはずだ。

「……やめておきましょう」

 しばしの躊躇いのあとで、草四郎は答えた。

 そうだ。きっと叔父はなにも答えてくれない。

 それは、ぼくらが知る必要のないことだからだ。

「コウガミが負っている因縁も、予言のことも、ぼくには分かりません……でもこれから何かが起こるとしたら、その時は五島万のそばにいたい」

「そうだな」

 草四郎の決意に、ぼくも短く答える。

 五島万を守る。

 それがぼくらに任せられた仕事だ。


 しかし、ぼくらの預かり知らぬところで、事態は急速に動き始めていた……


                XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX


 酒をやめて以来、ニレイさんの生活はがらりと変わった。

「体が酒を受けつけなくなった。薄い水割りを一杯も飲めば、世界が回る」

 本人は少し残念そうだ。しかし健康のためには、とても良いことしかなかった。

「昏い酒を飲んでいたな。毎日潰れるまで飲んで、気づけば朝だ」

 俳優業は順調だった。

 けれど私生活は荒廃しきっていた。

「鬱屈してた。がんじがらめだった。どんづまりにいた」

 人気俳優である彼の稼ぎで、たくさんの人間が飯を食っていた。

 自由に生きたい。

 だから役者になったはずなのに。

 まったくわけがわからなかった。

「事故に遭わず、芝居を続けていたら、酒が俺を殺していただろう。死ななかったとしても、取り返しのつかないしくじりをしていたはずだ。綱渡りの日々だった」

 ニレイさんは、しみじみと言った。

「いまじゃ肩の荷なんぞ、吹っ飛んだ。それどころかサキ君とアリア君におんぶにだっこ。面倒かけ通しだ。俺が寝てようが、若いふたりがちゃんとやってくれるんだから」

 その軽口の中に、本心が混じっている。

 ニレイさんにとって、五島万は大切な居場所だった。


 しかし禁酒を達成した今でも、ニレイさんは酒の誘いを断らない。

 それどころか、自分から人を誘ったりもする。

「みんなが楽しそうに飲んでいるのを見ているのが楽しいんだ」

 ニレイさんは酒の席で、ひたすらウーロン茶を飲んで、終始ニコニコしている。

「サキ君は下戸だからな。セイ君が来てくれて良かったよ」

 ニレイさんは、よくぼくを飲みに連れ出した。

 夜は暗い。

 影の時間だ。

 五島万を守る立場のぼくとしても、ニレイさんをひとりにしたくなかった。


 事故以来ニレイさんは、役者の飲み仲間とは疎遠になっていた。

 かといって、文壇バーとやらに分け入っていく気もないようだ。

「事故の拍子に、赤玉が出た」

 それは冗談とも本気とも付かないが、ニレイさんは女性が酌をする店も好まない。

 しかし他にこだわりはない。

 高級店でも路地裏の小さな店でも、ぶらりと飛び込んで行ってしまう。

 観劇、旅行、そして夜遊び。三日続けて家にいたことがない。

 ニレイさんはいつ机に向かって、原稿を書いているんだろう?

 そばにいる筈のぼくも、たまに不思議に思う。


 きょうもニレイさんは打ち合わせを兼ねて、編集者と夜の街へと繰り出していた。

 谷さんではない。別の会社の編集者だ。

 ぼくも付き添いとして、同席していた。

 その編集者とは、二件目の店で別れた。

 今日の三件目の河岸は、こじんまりとしたカラオケバーだった。

「セイくんも飲め飲め」

 酔ってもいないのに、絡んでくる。

 きょうもニレイさんは上機嫌だ。

 ぼくは酒が好きでも嫌いでもない。

 体が大きいせいだろうか。いくら飲んでもあまり酔わない。飲んでも飲まなくても同じことだった。

「無理です。車を置いて帰れません」

 勧められた酒を断り、瓶コーラを頼む。

 酒を飲まないふたりが、はしご酒だ。なにをやっているんだか。

 さて時計の針は、てっぺんを過ぎた。

 朝型のぼくは、そろそろおねむだ。

 ニレイさんを、送り届ける頃あいだ。

 ニレイさんは飲みに出ると、ウナギの寝床の仕事場に泊まることが多い。都内の盛り場からは、ホスピタルよりも近いからだ。

「セイ君、最後に一曲歌え」

 今度はマイクを押し付けられる。

「はいはい」

 ぼくは、裕次郎を選んで歌った。

「セイくんの歌は……なんというか……ビリビリくるな」

 ニレイさんが、ぼくの歌に対してそう感想を述べた。

 褒めてくれているわけではないみたいだ。

「じゃあそろそろ」

 ぼくは席を立ち、勘定をたのんだ。


「おやすみなさい。お昼ごろ、お迎えに上がります」

「うん、ありがとう。帰り道、気を付けてな」

 仕事部屋には、駐車場がない。

 建物の前の道で、ニレイさんとはお別れだ。

 車を出すのを少し待って、仕事部屋に明かりが点くのを見届ける。


 その時だった。

 前方から、通行人がひとりやってきた。

 さきほど、ここに来た時にチラリと目にとめていた。

 道の少し先にある電話ボックスを使っていた男だ。

 男は夜目にも分かる、派手な男だった。 

 金に染められた髪、派手な花柄のシャツに細身のズボン。

 にじみ出る荒んだ空気。

 まともな商売をしているようには見えなかった。


 男はこちらの車体にもたれかかる様に、身を寄せてきた。

 サイドドアのガラスが乱暴に叩かれた。

「何の用だ?」

 丁寧な口をきいてやる必要はなさそうだ。

 ぼくはハンドルを回し、ほんの少し窓をひらいた。

 男は窓をこじ開けようとするかのように、指を差し入れた。

「開けろ。出てこい」

 ガラスに顔を付け、男は怒鳴る。

 くすんだ肌の色。それは覚醒剤常用者によく見られるものだった。

「だから、なんの用だと聞いてるんだ」

 言い返したその時だ。

 車体が揺れた。

 大きく、何度も揺さぶられている。

 男には仲間がいる。それも複数人だ。

「くそっ!」

 言いなりになるのは腹立たしいが、ぼくは車外へと出た。

 ニレイさんの車体に傷が付いたら、どうしてくれるんだ。


 男は全部で三人だった。

 みんな似たり寄ったりの風貌をしている。

 ヤクザではない。ただのチンピラだ。

 たたずまいを見ればわかる。


 ひとりの男に肩口を抑えられた。

 そして腹に一発、拳を叩きこまれる。

「ーーー!」

 咄嗟に腹を折って、衝撃をいなした。それでも息が詰まった。

「来い。いっしょに来てもらおう」

 目の前にかざされた銀色の刃。

 男が取り出したのは、折り畳みナイフだ。

 華奢な刃だ。

 刺されても、致命傷にはなるまい。

 ただの脅しだ。

 男が肩を組んできた。

 やはり、こいつはポン中だ。ひどい口臭がした。

「車を置いていくわけには行かないんだが」

 呟けば、今度はむこうずねを蹴り上げられる。

「逃げられるなんて、思うなよ」

「逃げないさ」

 三対一。

 しかし彼らは暴力の素人だ。

 振り払えないこともない。

 しかしここは路上だ。人がいつ通りかかるとも限らない。

 騒ぎを起こすのは避けたかった。


 貧相な顔だ。

 目を血走らせ震えているのは、ナイフを突きつけられている、ぼくではない。

 こいつらの方だ。

「ハズレくじだな」

「なんだと!」

 ぼくの呟きに男は怒声を返す。

 まぎれもない、ハズレくじだ。

 こいつらから伸びた糸をいくら引いても、何に辿り着くとも思えない。

「逆らうんじゃねえ!ぶっ刺すぞ」

 工夫のない言葉。

「はいよ」

 背後に立つ男に小突かれて、歩み出そうとしたその時だ。


「おーい、セイくん。なにしてんの?」

 のんびりした声。

 ニレイさんだった。

「なんで、ここにいるんですか!?」 

 思わず大声を出してしまった。

 仕事場に入っていったはずじゃなかったのか。

「ーーー!」

 男たちも身をこわばらせる。

「車を出す音が聞こえなかったから、気になってね」

 本当にこの人は感覚が鋭い。

 しかしいまは最悪のタイミングだ。

「お取込み中かい?」

 ぼくに突きつけられたナイフは、ニレイさんの位置からは見えない。

 しかしこの状況は、ぼくが三人の男に絡まれているようにしか見えないだろう。

 だが、ニレイさんは逃げようとしなかった。

「いやぁ、いま偶然高校時代の同級生に会いまして……」

 ぼくの口から飛び出たのは、まったくのでたらめだ。

 ニレイさんは有名人だ。

 警察沙汰ともなれば、迷惑をかけることになる。

 この場はどうにか、やりすごしたい。

「こちらスズキ君、タナカ君、そしてサイトウ君です」

 三人のチンピラどもを適当に名づける。

 しかし三人からは敵意の籠った視線が返ってくるばかりだ。まったくぼくに合わせてくれようとしない。

 一人芝居だ。

「それじゃあ、ぼくらは積もる話もありますので……これで失礼します」

 強引に話をまとめたつもりだったが、邪魔をされる。

「なんだオッサン引っ込んでろ、こら」 

 チンピラが、ニレイさんに向かって吠えた。

 突然の闖入者に、驚いたのもつかの間。

 やってきたのは、細身で年かさのニレイさんだ。

 たちまち彼らは増長した。

「見てんじゃねえよ。かまされてえのか!」

 ぼくの背後を固めていた男が、ニレイさんの方へ一歩踏み出す。

 目の端でそれを捉えるなり、ぼくは跳ぶ。

 男の後ろ髪を掴んで、引き倒す。

 連続して、もう片方の拳をその首元に叩きこむ。

「なっ……!?」

 ぼくの脇腹はがら空きだ。

 しかしナイフの男は、即座に反応できない。

 棒立ちだ。

 遊んでいるその手に、手刀を打ち付ける。

 ナイフが落ちた。

 最後のひとりには触れる必要もない。

 右手をのこぶしを軽く握る。

 親指と人差し指を立てる。

 ピストルの形だ。

「パーン!」

 男の眼前に突きつけ、引き金を弾く真似をしてみせる。

「ーー!!」

 それはピストルではない。僕の手だ。

 けれど目の前の男は、おおきく上体をのけぞらせる。

 弾丸に、その顎を打ち抜かれたように。

 男は既に意識を失っていた。

 痙攣し、そのまま仰向けに倒れる。

「おっとっと……」

 コンクリートの地面に頭を打ち付け、死なれでもしては困る。

 僕は男を抱きとめ、地べたに寝かせた。


 静かだ。

 アスファルトを踏む、自分の靴音だけが大きく響く。

 数分前にこの場所で格闘をしたとは、思えない。

 男たちは完全に沈黙していた。

 ナイフを構えていた男は、ぼくに蹴られた手を押さえうずくまっていた。

 ニレイさんに手を出そうとした男も、白目を剥いて星空を見上げている。

「死んだか?」

 のんびりとニレイさんが尋ねる。

「全員生きてますよ」

 ただし、三人とも夢の中だ。

「セイくん、君の方は?ケガはないか?」

「大丈夫です……すいません。やつらともみ合った時に、車に傷を付けてしまったかもしれない」

「馬鹿。そんなことはどうでもいい」

「すいません」

 ぼくはまた頭を下げた。


 伸びている三人を物陰まで運ぶには、骨が折れた。

 近くの電話ボックスから連絡を取る。

 110番にかけたのではない。

 谷さんから緊急用にと聞いている、例の番号にだ。

 決められた合言葉といっしょに、近くの電柱に書いてあった住所も告げる。

 応えたのは留守番電話の、機械的な音声。

 けれど受話器の向こうには、ちゃんとメッセージを聞いていた人間がいたようだ。

 仕事部屋に、ニレイさんのカバンを取りに戻っているわずかな間のことだった。

 路上に戻ると、三人の男たちも道の向こうに止めてあった彼らのバンも、綺麗さっぱり消えていた。


「俺もホスピタルへ帰る。ひとり寝をする気分じゃなくなった」

 ニレイさんが言った。

「本当に、お騒がせしました」

 先日のアリアとの件といい、最近謝ってばかりだ。

 取り繕うこともできない。ボロボロだ。

「なんだか、いい匂いがするな」

 車に乗り込むなり、ニレイさんが言った。

「ウチの実家で扱っている、香の匂いです」 

 その香は特別製だった。

 ぼくはズボンのポケットに、それを仕込んでいた。

 男にナイフを押し当てられる直前、香を入れていたビニールの小袋を爪で破いた。

「しかし、君のアチョーは凄かった。踊るように優雅に一撃必中。京劇をみているようだった」

 ニレイさんはミカさんをみることが出来ない。

 ぼくが超人技で、男たちをぶちのめしたようにしか見えなかったのだろう。

 実際、彼らをのしたのはミカさんだ。

 香の臭いと、ぼくの跳躍が引き金となった。

 ぼくが彼らに放った打撃は、踊りの拍子取りに過ぎない。

 ミカさんの手綱など、僕がとれるわけもない。

 加減もできない。

 できれば、人相手にミカさんの力は使いたくない。


 ぼくを気遣うように、ニレイさんは問いかける。

「何か深刻なトラブルに巻き込まれているのか?」

「いいえ……彼らに見覚えはありません。たまたま絡まれただけだと思います」

 男たちは術士ではない。一般人だった。

 かれらはなぜ、ぼくに近づいて来たのか。

 心当たりはない。

 しかし、ぼくがここに来た理由、その一連の話と関わりのないことだとも、言い切れない。

 ぼくの知らないところで、混線が起こっている。そう感じた。

「でも、もう無茶はするな。君の手は、清書をしてくれる大切な手だ。商売道具だ。ケガなんてされたら困る」

「すいません・・・」

「なぜ俺に謝る?」

 そういってニレイさんは笑う。

 今回のぼくの行動には、おかしな点がいくらでもあった。

 先日アリアにそうしたように、追及されればニレイさんにもをすべてを話すつもりでいた。

 けれどニレイさんはそれ以上、何も尋ねなかった。


 カーラジオから、二時の時報が流れた。

 今夜は長い夜になった。

 そういえば、とニレイさんが言った。

「このまえアリアくんに聞いてみたんだ。セイくんと、仲良くやってるか?って。そしたら何て答えたと思う?」

 ニレイさんは、クスクス思い出し笑いをした。

「『上手くやってる。たぶんね』……アリア君はそう言った」

 たぶんと付けたのがアリアらしい。 

 そしてアリアは続けてこういった。

「『セイさんは変わり者だけど、いいひとだよ』……だってさ」

「変わり者ですか」

 思わずぼくも笑ってしまった。

 変人のアリアにだけは言われたくない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ