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花とペン  作者: 井上マイ
13/68

13.

 

 十日町のこと。

 ミカさんのこと。

 アリアはぼくらから聞いた話を、ニレイさんにもサキさんにも伝えなかった。

「それはわたしの領分じゃない。話すか話さないかは、セイさんが決めればいい」

 アリアはそう言った。

 その通りだった。 


 まず谷さんへ、報告をしなければならない。

 そして、彼からアリアに頼まれた雑誌のコピーをもらう。

 その受け渡しが、ここでの最後の仕事になるかもしれなかった。

 作家・五島万を、影ながら守るのが仕事だったはずだった。

 しかしコウガミの騒動も含めて、アリアにすべてを打ち明けた。

 谷さんは、その役目からぼくらを外すことになるだろう。


 谷さんを”こちらの仕事”で呼びだすためには、手順を踏む必要があった。 

 決められた電話番号にかけ、予め決められた言葉で伝言を残す。

 それで返事をくれるかは、谷さんの気分次第だ。

 今回は、すぐに連絡が返ってきた。

 あの人に全部を見透かされているような、そんな気がした。


 翌日、ぼくと草四郎は谷さんに呼び出された。

 場所は方城社近くの、小さなバーだった。

 ぼくらが案内されたのは、常連客専用の小部屋だった。

 抑えられた照明、控えめなボリュームで流れるピアノトリオ。

 騒々しさとは無縁の、落ち着いた空間だ。

 そこに異質な存在がいた。

 谷さんだ。

「セイくんとは昨日ぶり、草四郎くんは久しぶりだな」

 馴れ馴れしい挨拶だ。下の名で呼ばれるほど、この人とは親しくもない。 

 谷さんは、この前とは違うウサギの面を付けていた。今回は黒ウサギの面だ。

 額、目、鼻は隠れている。しかし口はみえる。顔の上半分を覆うタイプの面だ。

 彼の前に置かれた細身のグラスは、鮮やかな青のカクテルで満たされている。

 面のせいで、その表情が伺いにくい。

 その唇が奇妙に生々しくうつった。

「なにを飲む?俺のおごりだ。何でも頼んでくれ」

 グラスを持ち上げ、谷さんがいった。

 ぼくらは酒を断り、コーヒーを頼んだ。

「コーヒーです」

 注文の品を運んできたウエイターは、谷さんの異様な姿を見ても表情を動かさない。

 ここで話したことが外に漏れることはないと、谷さんは言った。

「それで?きょうは何の話しかな?」

 にこやかな口ぶりで、谷さんは尋ねた。


 ぼくらがことの顛末を説明している間、谷さんは終始上機嫌な態度を崩さなかった。

 彼が笑い声をあげるたびに、こちらは嫌な汗をかいた。

「けっさくだな。子ネズミが二匹。小娘に尾っぽを踏んづけられて、泣きながら逃げてきたのか」

 ミスをしたのはこちらの方だ。言い返すこともできない。 

「で、例の掲載誌のコピーが必要なんだっけ?来週までには用意しておく。社まで取りに来てくれ」

「冗談でしょう……?笑いごとで済む問題ですか」

 草四郎が椅子から立ち上がる。

 叱責をうけるつもりできたのに、拍子抜けもいいところだ。

「きみらの代わりは外にはいない。こんなことでめげるな。失敗したと思うなら、次は頑張れ」

 安い教師ドラマのようなセリフ。

 この男から発せられると、ただ不気味なだけだった。

「そうさ。たいしたことじゃない。きみらが何をしでかそうと、どうせ何も変わらないんだ。ぜんぶ予め語られたことだ」

 谷さんの視線は、ぼくの肩口を捉えている。

 そんなわけはない。

 彼にはミカさんはみえないはずだ。

「……それはどういう意味ですか?」

「言葉通りだよ。ぜんぶ、元から分かっていたことだ」

「十日町が事件を起こすことを、あなたは、いやコウガミは知っていた……そういうんですか?」

 唖然と呟いた草四郎に、谷さんは笑いかける。

「順番に話そうか」


 そしてはじめて谷さんの口から、十日町という男の背景を聞くことになった。

「もともと十日町は、Uの人間だった」

 Uはとある地方都市を拠点に活動する、新興宗教団体だ。

 Uの源流はPという寺にある。

 Pは今や郷土史に名を残すのみの、失われた宗派だった。

「外部の者は知らないだけだ。PはUの中で生き続けていた……十日町は、失われたその神に見入られた狂信者だった」

 コウガミとPには、数代前から続く因縁があった。

「コウガミは千年の昔から続く大社だ。維新と二度の大戦も乗り越え、力を増すばかり。いまや醜いほどに肥え太っている。コウガミがきた道は、敵味方の流した幾多の血で固められている」

 それが大社というものだろう、と谷さんは言った。

「Pからしたら大事だろうが、コウガミにとっては、踏みつぶしてきたアリの一匹だ」

 小さなものの名前など、いちいち覚えていない。

「だから警戒してないところを、ぐさりとさされた」

 だがその企みも終わった。

 十日町を失い、Pは今度こそついえた。

 しかし、なにも終わっていないと谷さんはいった。


「例の禁呪は、何のために編まれたものだ?」

「…………!」

ぼくらは絶句した。口に出すことを本能で恐れていた。

その呪言は、底知れぬ悪意と闇をたたえている。

それは禍々しい、人ならぬ何かを呼びだすための呪文だ。 

「怖がっちゃいけないよ。すでに場に出ているカードだ。ゲームに勝つためには、よく見ておかないと」

 幼子をあやすような口調で、谷さんは笑いかける。

「しかし、十日町条が晒した呪言は、不完全なものだったはず……」

 その得体の知れない化物を、呼び出すことは叶わなかった。そのまま十日町は死んだ。

 しかし谷さんは、その草四郎のよりどころを一蹴した。

「一点、つき刺すだけで十分だ。ほころびた穴は広がり続ける」

 それにと、谷さんは続けた。

「引き金をひくのは、十日町でも誰でも良かった。誰でもあり得たんだ。予め決められていたということはそういう事だ」

 振り返れば、十日町いやPも、もっと大きな意思によって動かされていたのかもしれない。そう谷さんは言った。

 もうその巨大な者の手は、こちら側に届こうとしている。

「止めることはできないんですか?」

 その災厄の出現を。

「できない。予め語られたことだと言っただろう」

「予言……まさか……」

「そう教えてくれたのは、君たちのカミサマだよ」

 そして谷さんはまたぼくの肩口に目をやった。

 彼にはミカさんが見えてない。

 でもそこにいることを確信している目だった。

 ぼくも草四郎も、咄嗟に言葉が返せなかった。

 ミカさんの予言の力のことまで、この人は知っているのか。

「アガミの誰が、それをあなたに伝えたんですか?」

 ミカさんの歌を聞き、読み解くことができるのはアガミの術師だけだ。

「さてね」

 谷さんは答えなかった。


 ミカさんは未来を見る力をもつ。

 しかしアガミが、ミカさんから伝え聞いたその言葉を、外部の人間に漏らすことは絶対ない。

 予言が成就するときまで、一族の中だけで抱えていく。

 予言は、人を超えた力だ。

 人ならざるものを利用しようとすれば、必ずそこにひずみが生まれる。

 そして争いが巻き起こる。

 避けることのできない悲劇。

 それを人が知ったところで何になる?


「俺はアガミのみなさんと親しいんだ。だから守り神サマの歌を教えて貰えた」

「…………」

 そんなはずはない。アガミ裏切るような真似をするものが、一族の中にいるとはおもえなかった。

「信じられないって顔をしているね。でも本当だよ。例えば、さきほどのアリアさんの話だ。なぜ彼女は、お宅のカミサマをみることができたんだ?」

 なぜアリアにミカさんが見えるのか。

 先ほど谷さんに説明した際、ぼくはもっともらしい理由をつけて、うまく誤魔化した。

 誤魔化せたつもりだった。

 谷さんはくつくつと笑い声をたてた。

「良かったなぁ。美人の嫁さんが来てくれることになって」

 認めるよりなかった。

 この人は、ミカさんが未来を見る力を持つことを知っている。


 目の前のコーヒーはすっかりぬるくなっていた。

 飲み干すと、口の中に錆臭い味が広がる。

 胃がきりきりと痛んだ。

「谷さんは、怖くないんですか?」

 ぼくは尋ねた。

 ぼくは恐ろしい。

 そのときがくることを待つことが。

 闇の中から生まれ出る、それと対峙することが。

「恐ろしいさ。だから君たちの守り神の力を借りたい」

 そのために俺は、きみたちを呼んだ。そう谷さんは言った。

「ミカさんの力を?どういうことですか?」

 聞き返した、草四郎の顔をまっすぐに見つめ谷さんは答えた。

「君たちのカミサマの予言の歌には、きっと続きがあるはずだ。それを聞き、解き明かしてくれ」

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