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花とペン  作者: 井上マイ
1/68

1.

「昭和43年生まれの21歳……若いねえ。そんな年の子が、社会に出てきたか」

 俺も年を取るはずだと、彼は笑った。

 そういう彼だって、30には手が届いていないはずだ。

 面接官の名は、谷周平 (たに しゅうへい)。

 ぼくも彼も、お互い初対面のふりをしている。 

 申し合わせ済みの茶番だ。

 ぼくを呼んだのは、他でもない彼だ。

 ぼくが採用されることは、決まっていた。


「高卒か……で、以後の経歴は空白と。どうやって食ってきた?」

「家業を手伝いながら、ブラブラと」

「フータローか、気楽なもんだね」

「身長いくつ?」

「185です」

「デカいなー。自衛隊に入ればよかったのに」


 渋沢 征 (しぶさわ せい)。

 東京都出身の22歳。

 普通自動車第1種免許取得。

 賞罰なし。

 履歴書に書いたこと以上に、彼はぼくのことを知っている。


 谷さんの職業が、編集者であることは聞いていた。

 しかし表向きの仕事をしている彼を見るのは、初めてだ。

 出版業界人と言えば、もっと砕けたイメージがあった。

 しかし結び目も、きちりとネクタイを絞めた背広姿だ。

 口調だけが馴れ馴れしかった。


 ここは大手出版社、方城社の編集部の会議室。

 面接官は2人。

 谷さんの他にもうひとり。

 彼はこの面接がはじまってから、まだ一度も口をひらいていない。 

 ぼくは方城社の社員になりたくて、ここに来たわけではない。

 ぼくを雇うのは、ひっきりなしにタバコをふかしているこの無口な男だ。

 机上のクリスタルの灰皿は、吸い殻で溢れそうだ。

 彼のシャツは薄汚れ、そで口にはコーヒーのしみがあった。

 垢じみた光沢のない皮膚と、無精ひげ。どんよりとした眠たげな目。

 徹夜2日目あたり。そう推測される。

 やや面長な顔立ちが、実際以上に彼を痩せて見せている。

 年齢は29歳。そう聞いていた。

 彼の名前は、佐紀 了次(さき りょうじ)。

 職業は小説家だ。


 面接ももう終わるころ。

 谷さんから再三うながされて、ようやく彼は口を開いた。

「シブサワ君、小説は好きか?」

 求職者である、ぼくへの質問はただひとつ。

 この質問だけだった。


                   XXXXXXX



 時は、その面接から数週間前にさかのぼる。


 人の想像力は案外、狭い。

 だから、ぼくらの敵、”マ”の形はいつも似通った形をしている。

 幽霊、妖怪、宇宙人……

 テレビ、漫画、小説といった創作の世界で生み出された怪物たち。

 もしくは、犬や蛇、虫や熊……

 人を害する獣たち。

 敵はそれらを粗悪に真似る。

 本来敵は影から生まれ、本来は形を持たない。

 人の心のひずみと、因果の力が交差する場所で異形は姿を現す。

 それを刈るのがぼくらの役目だ。


「明日は八時にここを出ます。現地の写真はこれです。見ておいてください」

 草四郎は自作のメモを、生真面目に睨んでいる。

 ぼくらは向かい合わせで正座していた。

 草四郎は、ぼくの祖父の末っ子だ。

 ぼくより四つ年下、十八歳の叔父上だ。

「あいあい。いつも通やればいいんだろう?」

「真面目にやってください」

 おざなりの返事を返すと、草四郎ににらまれた。

 彼はぼくを年長者だと思っていない節がある。

 さらりとした短髪。切れ長の目。

 涼やか。

 そんな形容詞を冠するにふさわしい美青年だ。

 土付きのジャガイモに似ている。

 そんなこのぼくと、血がつながっているとは思えない。

「今度の"マ"は、どのくらいのサイズかな?」

 答えを期待せずに、草四郎に問いかける。

「さてね、あれは水ものですから。予想なんて無駄ですよ」

 予想した通りの答えが、返ってきた。


 ぼくたちは、異形に名前を与えたりはしない。

 単に"マ"と呼んでいる。

 魔性の魔。

 すき間の魔。

 "マ"はそんな意味合いだ。

 影から、生まれた彼らは移ろいやすい。

 ぼくらが名を与え、形を定めてしまってはならない。

 思い込みに足を掬われることになる。


 次に草四郎は畳に二枚の地図を広げた。

 ひとつの地図は市販品。

 市内全域を収める、倍率の低いものだ。 

 もうひとつの地図は手書きのものだ。

 細かく書き込みがされている。

 現場の下調べを行った、先輩が作成したものだ。

 ぼくはその一点を指差した。

「この川が問題だな」

「そうなりますね」

 ぼくの言葉に、草四郎も頷く。

 川は”マ”の通り道だ。

 逃げ込まれてしまえば、面倒なことになる。

「抜かせません。それに万が一のことがあったとしても、水仙とつゆ草が付いてくれます」

 水仙につゆ草。

 草四郎は、園芸の話を始めたわけではない。

 これは、術師の先輩ふたりに付けられた花の名前だ。

「先輩方を煩わせたくはないがな」

 ぼくらは、一族の術師の末席。駆け出しの半人前だ。

「そうならないためにも、しっかりおさらいしておきましょう」

 生真面目に草四郎は言った。

「”ミカさん”の気分次第だろ。ぼくらが気負っても仕方ない」

 あくび交じりにそう言い返す。

 ぼくらが習いおぼえている歌は、ただ2曲。

 おさらいをするまでもない。


 ミカさんとは、ぼくらアガミ一族の守り神だ。

 ミカさんも人ならざるものだ。

 だから決まった形をもたない。

 ぼくのミカさんは、いまぼくの頭の上にいた。

 ぼくに寄り添うとき、ミカさんはいつも鳥の姿をしている。

 赤く艶やかな羽。

 目の周りは瑠璃石をすり潰したような青で彩られている。

 図鑑には載っていない鳥の姿だ。

 ミカさんは、ぼくらアガミ一族とそれに連なるものにしか見えない神様だ。

 ミカさんに頭を止まり木がわりにされても、まるで重みを感じない。

 ミカさんは歌うことが好きだ。

「ーーー」

 空気の震えを感じる。

 いまもミカさんは歌っている。

 だがぼくは、その声をきくことができない。



 高祖父は、薬問屋を営んでいたらしい。

 屋号をアガミという。

 その流れなんだろうか、ぼくらひとりひとりには、薬や香に使う花の名前が与えられている。

 ぼくは、木の花と呼ばれている。梅のことだ。

 草四郎は菖蒲。

 術士という家業は、人の前であけっぴろげに話せるものじゃない。

 花の名前は、当世風にいうとコードネームというものだった。

 花の名前は代々の術師に受け継がれる。

 木の花は、死んだぼくの父が使っていた。

 15の年に、ぼくが受け継いだ。

「先代の木の花は名花だが、いまの木の花は梅仁丹だ」

 とは、口の悪い先輩方の見識である。 


 肉と魚を抜いた食事をとり、念入りに湯あみする。

 前日に身を清める真似をしても、普段の生活の生臭さが消えるわけじゃない。

 ミカさんは、そもそもそんなことを気にしない。

 完全に気分の問題だ。


 仕事の前日は、いつも本家に泊る。

 伯母さんの作った飯を食い、草四郎と同じ部屋で眠る。

 出発は、日の出前だ。  

 東京の本家から、高速を使って数時間。

 今回の現場は隣県にあった。

 仕事で使う荷物は意外とかさばる。

 どうしても車を使っての移動になる。

 草四郎は免許をもっていない。運転はぼくの役目だ。


 現場で先輩2人と合流した。

「おはようございます」

 草四郎と並んで、頭を下げる。

「急いで支度してこい。予想より動きが速い」

 水仙のカズサさんが言った。

「肩の力を抜いていけよ。リラックスだ」

 つゆ草のタクミさんが言った。

 ふたりは共に32歳。一卵性双生児だ。

 ふたごの兄弟は宮司の衣装をみにつけていた。

 黒い烏帽子に、紺ががかった鼠色の袴。

 袴の色くらい変えればいいのに。どこからどこまでもお揃いでとおしている。

 彼らもアガミ一族だ。

 血の繋がりでいえば、ぼくらとは遠い。

 しかし幼いころから面倒を見てもらってきた。幼馴染の兄貴分だ。

 ふたごの兄弟は、よく似ている。

 だが、ちゃんとふたりの見分けはつく。

 彼らもまた、ミカさんを連れているからだ。

 ミカさんは、それぞれの術師のそばに異なる形で現れる。

 彼らの姿を見とめるやいなや、ミカさんはふたりに向かっていった。

 鮮やかなその羽をしまい、みるみるうちに姿をかえる。

 カズサさんのミカさんは、イタチの姿をしている。

 ふつうのイタチと違うところは、その銀色の毛並みと宝石のような赤い目だ。

 いたちのミカさんは、むずむずと体をカズサさんに擦り付ける。

 踊りをおねだりしているのだ。

 カズサさんはくすぐったそうに、わらった。

「ダメですよ。きょうの主役はこいつらです。ミカさんはふたりに付いていてください」

 カズサさんたちふたりは、ぼくらのお目付け役としてここに来ていた。


 きょうの現場は、郊外の一軒家だ。

 そう築年数は経ていないはずなのに、荒涼とした空気が漂っている。

 広くとられた前庭も、いまは雑草だらけだ。

 いまは誰も、この家に暮らしていないそうだ。


 母屋を借りて、装束に着替えた。

 壁のしみ、空の本棚、雨ざらしのまま捨て置かれた自転車。

 生活の名残りを見て、切なさをおぼえる。

 死や病、それを彩る負の感情を"マ"は好む。

 人の影の部分に、吸い寄せられるように彼らは湧き出る。


 しめ縄で、二畳ほどのスペースを四角く囲う。

 車に積んできた折り畳みのテーブルをならべ、その上に酒と菓子を置くための供物台を設置する。

 設営準備はそれで終わりだ。

 家を新築するときに執り行う、地鎮祭。

 そう見えないこともない。

 おかしな点を挙げるなら、この土地の持ち主がこの場にいないことと、いまが早朝であるということだ。


 次は着がえだ。

 衣裳ケースから装束を取り出せば、香の甘い香りが漂う。

 むせるほどに強い香りだ。

 身をすくませながら、袖を通す。

 これから対峙する"マ"は、なぜか強い香りを嫌う。

 舞のための衣装といっても、華美なものではない。

 ぼくらが身にまとうのは、野袴という簡素な着物だ。

 分かりやすくいえば、黄門さまの衣装からチョッキを抜いた着物。

 基調は白色。

 両胸の部分には、ひし形を二つ重ねた模様を紺で染めている。

 動きやすく、洋服を着ているのとそう変わりはない。

 最後に大判の紺色の布を巻き、口元を隠す。

 ここに頭巾のひとつでもあれば、忍者にみえないこともない。

「終わりましたか?」

 草四郎もぼくと揃いの装束だ。

 彼の着物は紺。胸の模様が白。

 僕とは色味が逆転する。

 ぼくの役目は踊り。

 草四郎は笛を吹く。

 これから行うのはミカさんに捧げる舞だ。


 地下足袋の足に、ひんやりと早朝の地面を感じる。

「まだいないか」

 なんとはなしに呟いた。

 頭の上をみても、ミカさんの姿はない。

「重役出勤はいつものことでしょう。曲が聞こえてしばらくたたないと、ミカさんは来ない」

 苦笑して草四郎が答える。

 ぼくも草四郎も涼しい顔を保とうと努めていた。

 だが、じっとりと全身に嫌な汗をかいていた。


「そろそろ時間か」

「ですね」

 庭の片隅には、影の溜まりがあった。

 いまは実体がなく掴みようのない影だ。

 ふと夜道で感じる背後からの気配。

 ふとした瞬間に湧きあがる悪寒。

 虫の知らせ……

 99%の影は、やがてかき消える。

 1%が、人に害をなす”マ”へと変わる。

 この土地には、多少の因果があるらしい。

 その因果が人の悪意と重なった。

 それが"マ"を生み出した。

 いま影は揺らぎ、膨らんでいた。

 いまにも弾けそうなくらいに。


 守り神の力をかりて、この澱みを解きほぐし、この場所をあるべき姿に戻す。

 それがぼくら一族の勤めだった。

 そしてぼくらは術師として、影に形を与える。

 形をもったものは、打ち砕くことができる。


 塩、そして身にまとうのと同じ香を、足元に少量撒く。

 これはおまじないのようなものだ。

 草四郎が、手にした布袋の中から篠笛を取り出す。

 ぼくは舞用の扇をかまえた。

 踊るぼくは舞手。

 笛を吹く草四郎は奏者。

 ぼくは、ふたりでひとりだ。

 そして影に形を与えるのは、ミカさんだ。

 ぼくらは笛を吹き、舞を舞う。


 タクミさんが朗々と祝詞を読む。

 一定の間をおいて、カズサさんが手提げの鐘を打つ。

 ふたりは作法にのっとり、儀式を進めている。

 ふたりともきちんと神職の資格を得ている。

 まったく堂に入ったものだった。

 けれどふたりの行為は、礼節としての意味しかもたない。

 これから向かい合う"マ"に対しては、何の効果もない。


 その二人から、ぼくと草四郎は距離を取る。

 まずは一声。

 草四郎の笛が高く、のびやかな音を発する。

 この快晴の空を切り裂く様に。


 祭礼の舞というには、あまりにも荒々しい。

 阿上の舞を、 火の粉を散らし回り続ける仕掛け花火だ。

 これは戦いの踊りだ。

 手首を返し、足を広げ、つま先を立て、前傾姿勢をとった。

 そして、ぼくは跳躍する。

 息ああがる。

 熱い血が体を巡る。

 だが意識は冴えわたっている。


 双子のあげる祝詞の声も、風の音も、ぼくの耳からは遮断される。

 草四郎の奏でる笛の音の他は、遠くなる。

 体のすべてを使って、ぼくは跳躍し回転する。 

 踊り、笛の音、香の匂い。

 すべてを使って、ぼくらは訴えかける。


 目の前の影が"マ"へと変わり始める。

 激しくうねり、形を得ようとしていた。

 そして音もなく、影が手を伸ばす。

 一閃。

 鋭い針のような、それがぼくの頬を掠める。

 この体を穿たれたところで、血は出ない。

 だが体が影に侵されれば、必ず障りが出る。

 ともすれば、せり上がってくる恐怖を必死に抑えつける。

 影がまた大きく揺らぐ。

 影が弾けた。

 影が、つぶてとなって襲い来る。

 踊りの足を乱してはならない。

 だが、未熟なぼくに余裕はなかった。

 つぶてが飛んだ先には、草四郎がいる。

「草四郎!!」

 ぼくが手にする扇は、武器ではない。

 これで影を打ち砕くことはできない。

 だがぼくは、夢中でつぶてを落とそうと扇を投げつけた。

 扇にも、たっぷり香をまとわせてある。

 影のつぶてが砕け、散っていく。

 だが間を置かず、削り取ったはずの影は再生する。

 再生した影は、質量を増す。

 それはもはや、か細い手ではない。

 ぼくら二人を飲み込むほどの、大きな闇だ。

 時刻は、もう午前7時を回り日は高く上がっているはずなのに、この場にだけ夜が訪れたようだ。


 草四郎の笛はやまない。

 腹に力を籠め、ぼくはもう一度跳躍する。

 その時だ。

 頭上に気配を感じた。

 視線を上げれば、ミカさんがいた。

 赤い翼の鳥の姿。

 その羽を大きく広げる。

「---!」

 ぼくには聞こえないその声で、ミカさんは歌い始めた。

 その声は、風となる。


 ミカさんは、いらだっていた。

 姿を現す前からミカさんは、草四郎の笛に合わせて歌い、踊るぼくを上機嫌で見物していた。

 だが、それを邪魔する奴らがいる。

 目の前で蠢く、その影だ。

 そしてまたミカさんが羽ばたく。

 うるさい虫を追い払うように。

 ミカさんは神様だ。

 矮小な影などを恐れるわけもない。

 ミカさんのその歌は、闇を割った。

 ふたたび青い空が覗いた。

 そして闇は、影へと戻る。

 そして収縮した影は、それは輪郭を取る。

 四肢を持つ、獣がそこに出現した。

 うるるるる……

 低いうなり声。

 鋭い牙をむき出し、激しく威嚇する。

 それは2匹の黒犬だった。

 見開かれた目は、狂気に光る。

 この犬2匹は、世にあるものではない。

 その赤い目が、それをぼくらに教える。


 ミカさんは、人ならぬ存在に形を与える。

 影の瘴気と、人の想像力と結び付け、像を結ぶ。

 今回使われたのはぼくらの想像力。

 予定どおり、犬の形にはめ込んだ。

 ミカさんの力を受けても、その輪郭はいまだ柔らかい。

 咆哮するたび、黒い水面のように揺れる。

   黒い靄の中から、ヌラヌラとした赤く長い舌がのぞく。

 この”マ”は、恐ろしい化け物ではない。

 ありふれた動物だ。

 そう枠に当てはめる。


 草四郎が奏でる曲をかえた。 

 ミカさんの歌は聞こえない。

 だがぼくは耳を澄ませすぎる。

 その息吹に自分の身体を重ねる。


 ”セイさん”

 草四郎が目で合図した。

 笛は旋律を紡ぎ続ける。

 ヒュッ。

 草四郎が右足で跳ね上げたのは、先ほどぼくが投げつけた扇だ。

 跳ね上げたそれを片手で掴むと、ぼくに投げてよこした。

 笛の音を、寸時も切らさぬ早業だ。

 踊りながら、ぼくは必死で手を伸ばしキャッチした。

 そしてミカさんが、もう一度はばたいた。

 広げた扇に、赤い羽が一枚舞落ちた。

 赤い羽根は、炎に変わる。

 そしてベールとなって扇を包む。

 ミカさんの力で作られた炎は、特別だ。

 その力を扇をまとった扇や、ぼくの手を焦がすことはない。

 ただ、人ならぬものを焼く炎だ。


 普通の火であれば、この黒犬たちは恐れなかっただろう。

 だが2匹は炎を宿した扇を見て、打たれたように後ずさる。

 怯んだ獣に向けて、ぼくは扇を向ける。

 そして一振り。

 特別な炎をまとった風は、また変化した。

 今度は、何枚もの赤い羽根へと変わる。

 草四郎の紡ぐ旋律が、風を巻き上げる。

 炎はさらに威力を増す。

 羽は炎の刃となって、黒犬の背を大きくえぐった。

 ーー!!

 鳥の羽が刺さった傷口から、もろもろと黒い影がはがれおちる。

 面白いほど簡単に、皮膚がめくれた。

 生身の肉が露出する。赤黒く浮いた血管が脈打っていた。

 黒犬が咆哮する。

 だがその体から吹き出したのは、赤い血ではない。

 瘴気だ。


 穢れを凝らせて作られた、かりそめの肉体。砕け散るとき、強い腐敗臭いをまき散らす。

 だがそれも一瞬だ。

 肢体の全てはほどけ、黒犬は実体を失う。

 わずかに残った闇の粒子も、朝の光に溶けていった。


 そしてもう一匹。

 仲間の消滅は、黒犬を止めはしなかった。

 むしろいきり立つ。

 炎を恐れ、ぼくを避けた。

 その一匹は無防備に笛を吹く、草四郎の喉元へと飛びかかろうとする。

 ぼくより数段、ミカさんが早い。

「---!!」

 ミカさんは鳴いた。

 ぼくの手にあった扇が、赤い鳥に変わる。

 まるで、ミカさんの分身のように。

 弾丸のように、一直線に。

 赤い鳥は黒い犬に向かって、飛び出す。

 ミカさんの体は、影にとって触れることさえままならぬ太陽のようなものだ。

 そのにあてられただけで、肉が爆ぜた。

 燃え上がる間すら与えられず、即座に黒犬は四散する。

 後には一片の影も残らない。

 ミカさんの炎も消えた。

 ただの扇に戻ったそれを、ぼくは地面から拾い上げた。


  標的であった”マ"は、掻き消えた。

 ミカさんの力によって、この土地は清められた。

 しかしだ。

 ぼくの踊りは終わらない。

 草四郎は笛を奏で続ける。

 むしろここからが長い。

 ーー。---。

 邪魔ものがいなくなっても、ミカさんは、ぼくの肩の上で歌っている。

 上機嫌だ。

 ミカさんが満足いくまで、神楽は続く。




 誰かきた。

 ぼくと草四郎は、ほぼ同時に気配に気づいた。

 その男は、堂々と正面の門を通ってきた。

 荒れ放題の庭を横切り、建物を背にし、ぼくらから少し離れた場所にたたずむ。

 視線は、真正面にこちらに向けていた。

 この家は廃屋だが、私有地だ。

 入り口には、部外者の立ち入りを禁ずるロープがかけてある。

 その男は、ふらりと迷い込んできた一般人ではない。


 男は顔を面で隠していた。

 ウサギの面だ。

 夜店で売られているような、どぎついピンクのセルロイド。

 子供用に作られたお面なのだろう。

 ひどく窮屈そうだった。輪郭がはみ出している。

 グレーの背広に、手提げのカバン。

 お面以外は、ごくふつうの勤め人の成りをしている。

 そのちぐはぐさが、不気味に感じられた。

「…………」

 彼はぼくらに声をかけることはない。

 ただ静かに、舞をするぼくらを眺めていた。


 後片付けをして、衣装を脱ぎ、空き家を後にする。

 東京に戻るころには昼すぎだ。

 駅前の蕎麦屋に四人で入った。


「山の字よ、今回はなかなかの骨折りだったな」

 タクミさんが、草四郎に向けて言った。

「……」

 ぼくの正面に座るカズサさんも、苦笑を浮かべている。

 ひやひやさせられたよ、とその目は雄弁に語る。

 草四郎はその笛に、ミカさんの歌を乗せる。

 本来ならば、ぼくも舞いでミカさんの歌を表さなければならない。

 けれど、ぼくの耳は役立たずだ。

 ミカさんの声は聞こえない。

 だから草四郎と呼吸がずれる。

 ふたりの力を合わせることができれば、もっと楽に戦えるはずだった。

 ぼくはお荷物だ。


「で、あれは誰なんですか?」

 大盛りのカツ丼をもりもりとほおばりつつ、草四郎が双子に尋ねる。

 あのウサギ男のことだ。

 カズサさんたちは、ぼくらの傍らにいた。

 ふたりはウサギ男の立ち入りを知っていて、それでも止めなかったのだ。

「ただの見学者だ」

「気にするな」

 双子が交互に答える。二人はそろって辛味蕎麦を啜っている。

「見学?あれは部外者なんかに、見せていいもんじゃないでしょうが」

 じろっと見てやった。

「まぁな、いろいろ事情があるんだよ」 

 が、双子は涼しい顔で受け流す。

 ぼくも深く追及できない。

 アガミの術士は年功序列。年長者のいうことは絶対だ。


 ミカさんはまだ奥に引っ込まず、この場にいる。

 蕎麦を食い終え、楊枝を使うタクミの手の甲にちょんと乗っかっていた。

 タクミさんのミカさんは、銀色の蝶だ。

 術師の数だけ、ミカさんは形を持つ。


 蕎麦屋の客入りは8割といったところだろうか。

 ぼくらの隣の席にも、サラリーマンの4人ずれが座っている。

 だがミカさんを見て、騒ぐものは誰もいない。

 普通の人間は、ミカさんの姿を見ることができない。

 そしてミカさんの力で、形を得た”マ”のことも認識することができない。

 そして人は気づかぬうちに、"マ"に捕らわれ、侵されていく。 


 ウサギ男は何者なんだろう。

 彼はぼくらが舞うその背後に、なにをみていたのだろうか。

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