3話
森を抜け、雪原を少しばかり歩いた先にある小高い丘の上に、王国軍の前線基地はあった。
木杭と鋼線で仕切られた敷地の中には大型のテントが整然と並び、その合間で兵士たちが装備の手入れや談笑に興じている。
旅の過程で王国軍に冒険者として認識されていた二人は、顔パスで基地への立ち入りと設備の使用を許可された。
敷地内に入ってすぐ、屈強な兵士たちの中にあって頭一つ飛び出た巨漢を見つけ、ラキは声をかける。
「グレンさん!」
名前を呼ばれ、赤い長髪を後ろでまとめた偉丈夫が振り返る。三十路過ぎには見えない端正な顔立ち――ラキとハーミットの姿を見つけるや、砕けた笑顔を向けた。
「よう! 久しぶりだな、お二人さん。来ると思ってたよ」
ラキとグレンは、拳をコツンと合わせて挨拶する。
「グレンさんこそ、絶対いると思ってましたよ。何をするにしても、いつも僕たちより一歩早いんですもん」
ラキとハーミットが害獣駆除に甘んじているのも、このグレンが先んじてモンスターを退治しているからだ。付け加えるなら、これまでに出現した七組全てのモンスターを倒している。現状、勇者候補最有力との呼び声高い冒険者。
「一度、ご一緒したいと思っていたんですよ。だから今回の偵察には間に合ってよかったです」
うれしそうに語るラキに、しかしグレンは苦笑を返す。言いにくそうに後頭部をかきながら、
「なんだお前、知らないのか。偵察ならもう終わったぞ」
「え・・・?」
予想外の事態にフリーズするラキ。隣のハーミットが代わって状況を尋ねる。
「魔王はどうなったんです?」
「いなかったんだと。城はアレインとの戦いで壊れたまま、誰かが立ち入った痕跡もなし。魔王どころか蟻一匹見かけなかったらしい。お偉いさん方は今、残るか帰るか話し合いの真っ最中だよ」
お手上げとばかりにグレンが肩をすくめる。
「じゃあ、魔王はいったいどこに・・・?」
ラキがおずおずと尋ねると、グレンは頭上に広がる曇天のような表情を浮かべた。
「一番可能性のあった城からしてもぬけの殻なんだ、見当もつかんな。お前たちもそうなんだろ? だからここに来た」
「ええ・・・。そもそもモンスターすら見かけませんからね。本当に活動しているのか、疑いたくなるほどです。なにか裏があるとしか思えません」
「同感だ。今は魔王軍のやつらが表立って行動していないから見かけ上は平穏だが、なにやらコソコソと魔石を集めているみたいだしな」
初めて耳にする情報に、魔法使いのハーミットが反応する。
「魔石って、あの魔石ですよね? 魔力が込められた、エネルギー結晶の。なんでそんなものを・・・?」
グレンはしかめっ面でかぶりを振る。
「さあな、どうせ碌でもないことだろうさ。とにかく今回は、不透明なことが多すぎる。まったく、こんな展開は予想外もいいところだ」
見通しの立たない状況に対する憤りか、厳めしい表情で魔王城の方を睨むグレン。それが一転、ふと笑みをこぼす。
「笑うところですか?」
思わずラキが尋ねる。
「いやなに、かつてのアレインもこうして、今のオレたちと同じようにここから魔界を望んだのかもしれないと思ったら、妙にこそばゆい気持ちになってな」
グレンは、勇者アレインの兄弟子であり、同じ戦場で剣を振るったこともあるというのだから、感慨もひとしおといったところなのだろう。
基地のある丘の下には川が流れており、それが人間界と魔界との境界線でもある。川の先には土と岩、そして雪だけの不毛な大地が広がり、中心には魔王城がそびえていた。
「さてと、ボチボチ行くとするかな」
グレンは口にし、魔界に足を向ける。
「行くって・・・、魔王がいないのに?」
「魔王城以外にも、魔界をくまなく探索してみるよ。隠れ家のひとつも見つかるかもしれんしな。今はどんな些細な情報でも欲しい。だろ?」
ニヤリと口角を持ち上げるグレンに、ラキも同じ表情で応える。
「ですね」
肩越しに手を振り、丘を下っていくグレン。その背中を、憧れと羨望の眼差しでラキは見送った。
「ラキってば、ほんとグレンさんのこと好きだよね」
ハーミットが呆れ気味にジト目を向けるも、当の本人はどこ吹く風だ。そればかりか自慢まで始める。
「王国剣士筆頭という立場を捨てて、私財まで投げうち、世のため人のために行動できるなんて尊敬するに決まってるじゃないか。剣の特訓に付き合ってくれたこともあるし、僕には兄のような人だもん」
「はいはい・・・、それは何回も聞いたわよ。このままじゃ勇者の称号はグレンさんのものね」
ラキとて勇者を目指しているのだ、不本意そうに唇を尖らせた。とはいえ、そんな展開もどこかで受け入れている自分がいる。グレンさんなら納得だ、と。
「それで、わたしたちはどうするの? て、訊かなくてもわかってるけどね」
「もちろん行くさ。僕たちだって負けてられないよ」
やる気がみなぎるハツラツとした顔で言い切るラキ。その襟首をむんずと捕まえたハーミットは、相棒を基地の奥に引きずっていく。
「ただし、シチュー食べてからね」