#02
エルズバーグ村から首都ターラまでは、徒歩で三週間の旅だ。陛下は馬車に乗っているけど、騎士団のほとんどは徒歩で、しかもあたしというお荷物付き。まともに行けば一ヶ月以上かかるだろう。
もちろん、そんなに時間をかけて旅をするわけじゃない。そこは王様。あたしみたいな田舎者には縁の無いような乗り物を使う。
それは――鉄道と呼ばれる乗り物。
ウワサには聞いたことがあったんだけど、見るのも乗るのも、もちろんあたし、初めて。
鉄道とは、世界に二つとないであろう、ブレンダ自慢の乗り物だ。馬車よりももっと大きな乗り物なのに、馬車よりもさらに速く走るのだ。しかし、それを引っ張るのは、馬でも、もちろん人でも無い。話を聞いてもあたしには全く意味が判らなかったのだけど、お湯を沸かせば勝手に走るというのだ。さらに驚いたことに、その技術に、魔法は一切使っていないという。
鉄道は、馬車のように自由に道を走れるのではなく、「線路」と呼ばれる金属と木を組み合わせた、鉄道専用の道を走る。この「線路」が一本、ブレンダの国のほぼ真ん中を縦断しているらしい。「線路」の途中には「駅」と呼ばれる、船で言う港のような、乗り降りするための場所がある。エルズバーグ村から最も近い「駅」まで、歩いて五日。そこから鉄道に乗れば、首都ターラまでは三日。なんと、合計八日で首都に着くと言うから驚きだ。
「今は線路が国の真ん中に一本しかありませんが、いずれ国中を、線路が覆い尽くすでしょう。そうなれば、旅は今よりはるかに楽になります」
ミロンが説明してくれた。国のどこに行くにも一週間もかからない。それは夢のような話だけど、そう遠い未来の話ではないのだそうだ。
「鉄道に乗れば、後は何もしなくてもターラに着きます。退屈なものですよ」
ミロンはそう言ったけど、とんでもなかった。
もはや家と言ってもいいような大きな箱が走るだけでも衝撃なのに、揺れは馬車よりも少なく、それでいて速い。
さらに驚いたのは、線路の存在。
国を縦断していると言うのだから、とてつもなく長いものだというのは判るんだけど、判っていても実際に目にすると、本当に驚きだ。なにせ、進んでも進んでも、線路は途切れず、どこまでも続いているのだから。しかも、途中は平原ばかりではない。木々の生い茂る森、大きな川、高い山だってある。それでも、線路は途切れることはない。森はまあ、木を斬り倒せばいいからそう驚きはしなかったんだけど、川の上を走った時は、本当に驚いた。エルズバーグ村の近くには川もあったから、もちろん橋くらい、あたしでも知ってる。でも村の橋は、川幅の細くなった所に板を渡しただけの簡素なもの。歩いて三十歩もかからない小さなものだ。鉄道とは、あたしにとっては家が走っているようなもの。つまり、家が通れるほど大きな橋なのだ。そんなにも大きな橋があるなんて、今まで想像もしなかった。
でも、山を通ったときの驚きは、それよりもはるかに大きい。
初めは、急に夜になったのかと思った。突然、真っ暗になったのだ。そして、すぐにまた明るくなった。ちょうど、夜、ろうそくの明かりを消して、また火を灯したような感じ。
ミロンに説明されて、本当に驚いた。
「トンネル」と言うらしい。なんと、山に穴を空けて、そこを線路が通っているというのだ!
山に、穴を空けるのよ!?
もう、あたしなんかには考えもつかないような話が山盛りだ。しかもそれを、ミロンも他のみんなも、当たり前のように話す。
信じられない。
今までのあたしは、世の中のことをあまりにも知らなさすぎた。あの小さな村が世界のすべてではなかったんだ。当たり前のことだけど、村を出て、あたしはようやく気付いた。
そんなわけで。
騎士団のみんなが鉄道の旅に退屈してる中、あたしは一人、外の景色を眺めながら、川を越えたり、トンネルに入ったりするたびに大騒ぎし、みんなにかなり呆れられた。特にあの鬼女があたしを見る目は、雪のように白く冷たかったけど、そんなこと、あたしは気にしない。
そして。
あっという間に三日が経ち、あたしたちはブレンダ首都・ターラに到着した。幸い、林の中で襲われて以降、大きなトラブルも無く、平和なものだった。
初めて見る大都会の光景に、あたし、ぽかーんと口を開けて、その場に立ち尽くしてしまった。鉄道だけでも十分驚いたけど、衝撃はまだまだ終わらない。
まず、人の多いこと。
旅の途中、鉄道は何度も駅に停まった。どの駅も人はかなりたくさんいたけれど、首都ターラの駅は、もう別世界。駅からまっすぐ石畳の大きな通りが続いていて、行きかう人、人、人……。もう、見渡す限り人だらけ。人の流れが川の水のよう。エルズバーグ村ではお祭りの日でもこんなに人が集まることはない。
その大通りを挟むように立ち並ぶ家々もまた、すごい。
エルズバーグ村の家はほとんど木造で、平屋が当たり前。二階建てなんて、村長クラスの人しか建てられない。それに対しこの街の家は、村では見たことのない石造りの家がたくさん。それも、二階建てが当たり前。中には三階、四階、それ以上の高い建物だって、たくさん建っている。どんなお金持ちの人々が暮らしているのかと思ったら、首都ではごく一般的な層の人たちの家だと、ミロンが説明してくれた。なんかもう、あたしのこれまでの生活はなんだったのだろう、と、時間をかけて考えてみたくなった。
通りを行きかう人は多く、歩くのには苦労しそうだけど、そこは騎士団の一隊。しかも、王様の乗る馬車がある。人々はこぞって道を開け、中には道端で跪いたり、手を合せて拝む人までいて、なんだか妙に緊張するというか、居心地が悪いというか……あたしみたいな田舎者がこの一隊の中にいるなんて、ひどく場違いな気がする。そっと抜け出してしまいたい。
「……大丈夫ですよ。エマ様は陛下のご側室なのです。非常に位の高い方なのですから」
あたしの気持ちを察してか、ミロンがそう言ってくれた。まあ、それは確かにそうなのだろうけど、どうもまだ、自覚がないんだよね。
なんて緊張も、大通りを進んで行くうちに、徐々に消えていく。
なんせ、初めて見る大都会。緊張なんて、好奇心があっという間に駆逐してしまう。
ターラ駅の正面は商業区画だった。これ、あたしにとって、とにかく大きなショックだった。
エルズバーグ村にはお店なんてものは無かった。みんな森で狩りをしたり、木の実や野草を採ったり、畑で野菜を作ったり、川で魚を獲ったり、と、自給自足の生活が普通。時々行商人がやってくるので、そのとき必要なものを買ったり売ったりするくらいなのよね。
だから、お店というもの自体、話でしか聞いたことないのに、それが、大通りの両脇、全部埋め尽くしてるのよ? で、いろんなものを売ってる。野菜に果物、お肉お魚からお菓子まで。食べ物だけじゃなく、綺麗な服に靴、ペンダントや指輪、それから武器に鎧……もう、村では見たことのないようなものをたくさん売ってるの! 抜け出して一軒一軒見て回りたかったけど、まずはお城に向かわないといけないみたいで、さすがに許してもらえそうにない。なのでしょうがなく、あたしは遠目にお店の軒下に並ぶ商品を見るだけで我慢。それだけでも十分心が踊った。
商業区画を抜けると、そこは大きな広場だった。駅前と商業区画も人は多かったけれど、この広場はさらに大勢の人でごった返している。普通に歩くと人を避けるのに大変そうだけど、やはりここでも人々は道を譲ってくれる。自然と人の波は二つに分かれ、道ができている。
広場の中央には大きな石像が設置されていて、それがあたしの目を引いた。とても奇妙な像だった。ぱっと見、人の形をしているんだけど、よく見るとその人、右半身と左半身が、別々の姿をしているのだ。
右半身は、美しい女の人だった。腰まで延びた長い髪、優しさを感じる目、高い鼻、薄い唇、そして、世界中の女性が夢見るような、均整のとれた身体。優雅に掲げられた手には、人を癒すであろう杖を持っている。優しさをたたえたその像は、繊細な心を持った彫刻家が彫った作品に見えた。
対して、左半身は恐ろしい悪魔のような姿だった。短い髪の間から長い角が突き出し、瞳は石の冷たさをそのまま宿して、口からは鋭い牙がのぞいている。引き締まった身体と、手に持つ巨大な剣。恐ろしくも力強さをたたえたその像は、荒々しい心を持った彫刻家が彫った作品に見えた。
優しさと力強さ。相反する二つの身体が合わさったその像は、奇妙ではあるけど、しかし、あたしを引きつける不思議な魅力を持っている。
「ねえミロン、あの像は?」訊いてみた。
「あれは、ブレンダニアです」
「ブレンダニア――」
不思議な響きを持つその名を、かみしめるように口にした。
「古いブレンダの言葉で『ブレンダを護る者』、という意味です。ブレンダの神話に登場する護り神で、右半身は女神、左半身は鬼神の姿をしていたとされています。女神の優しさで人を癒し、鬼神の強さで敵を打ち倒す、そう伝えられています」
女神と鬼神――相反する二つの身体を持つ護り神。
なぜだか、あたしの心をつかむ。
あたしは呆然とその場に立ち、その像を見ていた。芸術品なんかに興味は無い――と言うよりは、今まで全く縁が無かったこのあたしが、どうしてこんなに魅せられるのかは判らない。判らないけど、見入ってしまう。そんな魅力を持った石像なのだ。
何故だろう。
石像も、じっとあたしの方を見ている気がした。
そして。
「――ようこそ、ブレンダへ」
突然、石像に生命が宿り、口を開いた。
女神の顔が優しく微笑み、鬼神の顔が力強く頷く。
ブレンダニアが――ブレンダの護り神が、あたしを歓迎してくれている。
はっと、我に返る。
もちろんそれはあたしの気のせいで、石像は石像なんだから、口を開くはずも、微笑むはずも、頷くはずもない。
でもなぜか、そのときは、そんな気がしたのだ。
そしてあたしは気付く。当たり前のことなんだけど、ようやくあたしは、気付いた。
あたしは、魔導都市ブレンダにやってきたのだ――。
広場を抜け、さらに歩くと、大通りはやがて小高い丘へ続く道となり、人ごみは目に見えて少なくなっていった。その先の丘の上に、ひときわ大きな建物が見える。建物の周りはすべて高い壁に阻まれていて、その建物へと続く道はこの一本だった。近づいて、その大きさに驚いてしまう。あたしの背丈の四、五倍はある石造りの壁が、広い建物をぐるっと一周、囲んでる。あたしの故郷のエルズバーグ村には、建物を囲む壁なんてものは存在せず、ところどころに木製の柵があるだけだった。こういう壁って、外からの侵入や攻撃に備えるために作られたもので、平和なエルズバーグには必要なかったんだと思う。初めて見る石造りの壁は圧巻で、見上げ続けて首が痛くなってしまうほどだった。壁の上には等間隔で人が並ぶ。銀の鎧に身を包んだ騎士だ。
国王ベルンハルト・フリクセンの住むお城、ブレンダ城。それは、居住施設と言うよりは、要塞と言った方が良いような、そんな印象を受ける。
まあ、お城というものは、元来そういうものなのかもしれない。
お城の門は堅く閉ざされていた。木製の扉の前に、鉄格子の扉まで付いていて、両方とも大きな閂がされている。両脇には長い槍を持った騎士。完全に拒まれてる感じ。
でも、先頭を歩く鬼女が近付くと、門の両脇に立ってた門番の人、慌てて閂を外し、扉を開け始めた。鬼女が前に来たときには門は完全に開放。門番の人は背筋をビシっと伸ばして最敬礼。鬼女は軽く敬礼を返し、門をくぐる。その後に残りの騎士団が続き、アルバロ様と陛下の乗る馬車、その後に、あたしとミロンとウィンが続く。
あーあ。とうとう着いちゃった。お城。
長い旅のおかげで、旅の初めのころに感じてた居心地の悪さも、ようやく薄らいできたころだったのに(まあ、それでも旅のメンバーで気安く話せる人はミロンしかいなかったんだけども)、また新たな環境に慣れる努力をしなきゃいけないのかな。別にあたし、人見知りする性格ってわけではないけれど、この場合、そういう問題でも無いのよね。なんて言うんだろ……住む世界が違う人たちだから、習慣とか、言葉遣いとか、まるで違うわけよ。別にこんなことを気にする必要はないって、自分でも判ってるんだけど、つまりあたし、気後れしちゃってるんだと思う。
あーあ、村に帰りたいなぁ……。
…………。
ゴメン。今の、無し。
あたしは自分の意思でここに来た。後悔なんてしていない。
絶対に、後悔なんてしない。するもんか。
…………。
よーし。
あたし、確かに田舎者だけど、一応、陛下の側室。よくわかんないけど、このお城の中じゃ、結構高い身分のはずだ。だからと言ってみんなを見下したりはしないけれど、気後れする必要なんてないぞ! うん。がんばろっと。
城門を抜けた先は広い広場で、木製の大きな建物がいくつか建っていた。騎士団の宿舎だと、ミロンが説明してくれた。
広場の奥には階段があり、それを上るとまた門がある。ブレンダ城は丘の地形をうまく利用した要塞で、お城にたどりつくにはいくつもの階段をあがり、門をくぐる必要があるらしい。
三つほど門をくぐったところで、ひときわ広い広場に出た。真ん中に噴水があり、その周りに、色とりどりの花が咲いた花壇が広がっている。よく手入れが行き届いているようで、雑草一つ生えていない。広場の周りには大きな木が何本も植えられている。蝶やミツバチが花の間を飛び交い、小鳥が木々の枝でさえずる。まるで楽園のような光景だ。
もっとも、広場の奥には、両脇にひときわ高い塔の建った石造りの武骨な建物があり、楽園には不釣り合いな雰囲気だった。塔の上には騎士の人が立ち、城と街を見下ろしている。丘の頂上に立つこの塔は、首都ターラで最も高い場所だろう。上からは城下が一望できるに違いない。気持ちいいだろうな、なんて、のんきなことを考えてしまう。
「あれが、陛下や王妃様、各大臣がお住まいの、居館です」
ミロンが説明してくれた。
「今日からあそこに住むの?」
「そうなります」
「ミロンたちは?」
「僕は下の兵舎に寝泊まりしています」
「じゃ、あんまり会えない?」
「はい。居館の警備は、ウィン様たち近衛騎士団が行います。他の騎士団は、街や城門の警備が主で、このあたりまで来ることはほとんどありません。それに、僕たち第八隊は、対クローサーの任務を与えられていますので、街にいないことも多いと思います」
「そっか、残念だな」
「僕なんかにそんな風に言ってくれるなんて。うれしいです。ありがとうございます」
ミロンはそう言って、右拳を左胸に当て、頭を下げた。
「陛下、着きました」
馬車を操るアルバロ様がそう言い、ウィン様が馬車の扉を開けた。
陛下がゆっくりと馬車を降りた。その場にいた騎士が、みんな一斉に敬礼をする。よく見ると、塔の上の見張りの騎士まで敬礼してた。陛下はそんな騎士たちの姿を一瞥すると、御苦労、という感じで敬礼を返し、居館の方へ向かった。長い旅の間に右手と右足の傷はすっかり癒え、自分の足でしっかりと歩いている。
「エマ・ディアナス様ですね」
庭にいた女の人が声をかけてきた。うわあ、と、思わず見とれてしまう。それほどの美人だった。腰まで延びた鮮やかな黒髪。切れ長の目は、吸い込まれてしまいそうな輝きだ。すらりとした長身に白装束。右腕の黒い防具が目を引いた。籠手、というものだろう。身につけている防具はそれのみで、鎧は着ていない。でもその引き締まった身体から、ひと目で騎士だと判る。鬼女にも負けないくらい美人だけど、その雰囲気は対照的だった。鬼女の美しさには華がある(もちろん、あの性格は除いての話だよ)けど、この人の美しさには、どこか影がある。もちろんそれは悪い意味ではない。鬼女を「華麗」と言い表すならば、この人は、そう、「妖艶」だ。夜空に浮かぶ月のような美しさ。
「近衛騎士団第四隊の、シャドウ・アルマと申します。王妃様方の護衛を務めております」優雅にお辞儀をする。
「あ……どうも」
美しさに見とれてぼやけた返事をしてしまった。うーん。なんでこう、お城の人って美人が多いんだろうね。なんか、イヤになってくるよ。
「お話は伺っております。こちらへどうぞ」居館の方へ促される。
「では、エマ様、僕たちはこれで」ミロンが言った。
「うん。いろいろ話し相手になってくれて、ありがと、ミロン。お仕事、がんばってね」
「はい。ありがとうございます」
ミロンに手を振って、ウィンや他の騎士の人と、ついでに鬼女にも一応笑顔で挨拶をし、シャドウさんに連れられ、居館の中に入った。
贅の限りを尽くした絢爛豪華な住まい――村を出るときは、そんなお城を想像していたのだけど、実際は地味なもんだった。通路の脇に甲冑の置物が置いてあったり、壁にタペストリーがかかってたりはするけれど、申し訳程度という感じ。床も壁も無機質な石造りで、館内は独特の冷たさが漂っている。今は初夏だからいいものの、冬になるとさぞかし冷えるだろう。
「どうかされましたか?」きょろきょろあたりを見回すあたしに向かって、シャドウさんが言う。
「あ、その、意外と地……いえ、渋い作りなんですね」地味な作り、と言いかけて、なんとか言い直した。「お城って、もっときらびやかなものだと思ってました」
シャドウさん、ははっと笑う。「そうですね。城とは本来、敵の攻撃に備えるためのものですから。平和で豊かな世の中が続けばそうでもなくなるのでしょうが、今はまだ、大きな戦争が終わって間も無いですし、国の内外で混乱は続いていますから」
うーん、やっぱり、そうなんだろうね。
「しかしながら、王妃様方のお住まいの区画は、ここよりは華やかですよ」
「居住区が分けられているんですか?」
「はい。奥に別館がございます」
「ひょっとして……男子禁制?」
「今は違いますが、ご側室の人数が増えれば、いずれはそうなるかもしれませんね。王妃様方専用の館を建てようという話もあります」
「そうなんですか?」
「はい。しかし、話だけです。実際に建てることは無いでしょう。陛下が反対されておりますから」
「それは、なぜですか?」
「もともと陛下は、ご側室の制度にさほど関心が無いのです。『大戦が終わったとはいえ、まだまだ国は乱れている。そんなときに、女にうつつを抜かしているヒマはない』、と。まあ、こうはっきりと口にはしませんが、そう思っていらっしゃるはずです。とは言え、ご世継ぎの問題は国としては重要事項です。アルバロ様や諸大臣が、どうしても、と言われるので、仕方なしに側室の制度を認めたのでしょう」
そうなんだ。確かにあたし、これから側室になるっていうのに、道中陛下からほとんど声をかけられなかった。あたしに興味が無かったんだね、きっと。アルバロ様、陛下があたしのことを大変気に入った、なんて言ってたけど、あれ、方便だったのかな。今の話だと、アルバロ様は側室制度に積極的みたいだし。陛下の子供がたくさんほしいんだろうな。結構手当たり次第に女の人を集めているのかもしれない。
「――こちらです」
いくつか角を曲がったところに、派手な彫刻が施された豪華な扉があった。これまでの殺風景な廊下とは対照的な造りだ。シャドウさんが扉を開け、どうぞ、と、入るように促された。
かなり広い部屋だった。この部屋だけで、あたしの家四軒分はありそうだ。入口から奥に向かって、真ん中に真っ赤なじゅうたんが敷かれてあり、天井には豪華なシャンデリア。部屋の両脇には護衛の騎士。女の人が多いけど、男の人も何人かいる。部屋の奥は少し高くなっていて、その中央に金ピカの椅子があった。
「あの……ここは?」イヤな予感がして、恐る恐る訊いてみた。
「謁見の間です。間もなく王妃様がいらっしゃいますので、しばらくお待ちください」
……ああ、やっぱりね。お城の人って、どうしてこう、心の準備ができてないのに、突然偉い人に会わせようとするんだろ。
「……申し訳ありません。エマ様がご到着されたら、すぐにお連れするように、とのことでしたので」
はあ。まあいいや。村で王様に会ったときみたいにすれば、なんとかなるでしょ。変なことだけは口走らないようにしなきゃね。
しばらくして。
「王妃様のおなりです」
騎士の一人が言い、部屋の奥から現れた王妃様。宝石を散りばめた派手なドレス。ネックレス、イヤリング、ティアラ、右手の扇、身につけたアクセサリーのすべてに色とりどりの宝石があしらわれている。きらびやかな姿ではあるけど、正直、趣味が悪いな、と思った。
部屋にいた全員が、一斉に敬礼をする。あたしは床に片膝をつき、頭を下げた。王妃様、優雅なしぐさで椅子に座る。ブレンダ王ベルンハルト・フリクセン様正室・エリザベート様だ。
「そなたが陛下の新しい側室か」ゆっくりとした口調でそう言った。
「はい。エルズバーグ村から参りました、エマ・ディアナスと申します」とりあえず名乗る。
「陛下も酔狂じゃのう。このような田舎者の娘をお城に招くなど……何を考えておるのやら」
王妃様はつまらなそうにそう言った。なんか、トゲのある言葉だな。ちょっとムッとしたけど、我慢我慢。
「……なんじゃ、その貧相な格好は? そなた、王妃である私に会うというのに、そのような汚らしい恰好で、礼儀というものを心得ておらぬのか?」
……そんなこと言われても困るんだけどな。急に呼びつけたのは、そっちじゃないか。
なんて言い返せるわけもなく。あたしはただ、申し訳ありません、と、頭を下げた。
「まあ良い。陛下に恥をかかせぬよう、せいぜい気をつけるのじゃな」
……ヤな感じの人だな。さっさと終わらせた方が良さそうだ。あたし、もう一度頭を下げ。
「お城のことなど、知らないことも多いかと思いますが、なにとぞご指導、よろしくお願いいたします」
当たり障りの無さそうなことを言っておいた。これでご挨拶は終わり。
と、思ったんだけど。
「時にそなた、医者なのだそうじゃな? 聞けば、陛下のお怪我を治療されたとか」
「はい? まあ、そうです」
突然の質問に、少し言葉が乱れた。気をつけないと。
「さすれば、薬の知識はあるのか?」
……何が言いたいんだろ? 質問の意図が見えないけれど、とりあえず正直に答えよう。
「薬草の知識なら、多少は。もっとも、この国のお医者様と比べれば、つまらない知識ですけれど」
「ふむ……そうか」
王妃様、扇を閉じ、ぱん、と、手にうつ。そして、何やら嬉しそうな目。なんだろう、あの目。見ていてイヤな予感がする。何と言うか、ネズミを見つけたネコのような目だ。
「最近この国は物騒じゃ。クローサーとかいう者どもが、陛下の命を狙っておるとか。そなた、まさか陛下の暗殺を企てて、この城に来たのではあるまいな?」
……何言うのよ、この人?
冗談じゃない。あたしはやむにやまれぬ事情があって、このお城に来たんだ。それも、アルバロ様に誘われたから。暗殺なんて、ばかばかしい。
と、言うわけにもいかず、とりあえずあたしは答える。「いえ、そのようなことはありません」
「本当か? では、服を脱いでみよ」
…………。
言ってる意味が判らず、あたし、呆然と王妃様を見る。
「そなたが毒薬などを持っていないか調べるのじゃ。さあ、今すぐ服を脱げ」
王妃様は、さも楽しそうに言った。
と言われても……この部屋には男の人もいるんだけどな。冗談で言ってるんだよね? どうしていいか判らず、あたし、曖昧に笑う。
「何を笑っておる。脱げぬと言うのか? やはり陛下の暗殺を企てておるのか?」
困った。どうやら本気で言ってるみたい。でも、こんなところで素っ裸なんて、冗談じゃないよ。あたし、助けを求めるようにシャドウさんの方を見た。シャドウさんは一瞬困ったような顔をし、
「王妃様、エマ様は……」
と、何か言いかけてくれたけど。
「シャドウ。護衛ごときが口をはさむことではない」
王妃様に言われ、申し訳ありません、と、頭を下げた。その姿を見て、王妃様は満足げに微笑む。
「さあ、はよう脱ぐがよい」
王妃様、くすくすと笑いながらあたしに迫る。完全にあたしをもてあそんでる感じだ。
判っている。王妃様は、あたしが陛下の暗殺を企んでいると、本気で思っているわけじゃない。ただ、いやがらせをしているのだろう。大勢の人の前で裸にして、あたしを笑いものにしようというのだ。
どうしよう? 部屋を見回すけど、みんなあたしから目をそらす。誰も助けてくれそうにない。それも仕方ない。王妃様に意見できるような立場ではないのだろう。現にシャドウさんの言葉も一蹴されてしまった。王妃様に意見できるのは王様くらいのものだろうけど、まさか今、都合よく王様がこの部屋に来てくれるなんてことも期待できないだろうし……。
「脱げ」
王妃様の声が低くなった。笑顔も消えている。脱がないと、本当にあたしを暗殺犯に仕立て上げかねない。そう思った。
――――。
あたしは、服に手をかけた。