#01
村を出て三日が過ぎた。騎士団は厳重かつ慎重に周囲を警戒しつつ進んでいく。幸いこれまでの道中、襲撃を受ける等の異変はなく、平和なものだった。何もないことは良いことではあるけど、ただ歩き続けるのは退屈と言えば退屈で、でも、初夏の日差しを浴びつつ野を歩き続けるのは、それはそれで風流でもあり、見たことのない景色に心が踊ってくることもあるのだろう。
もっともあたしは、今のところこの旅に退屈していなければ、楽しんでもいなかった。道中思うのは、捨ててきた村とイサークのこと。心はその二つに支配され、他のことを考える余裕は無かった。
実を言うと、あたしはかなり後悔をしていた。
母親の病気が治らないと知り、取り乱すイサークを見て、彼を助けるために側室になることを決意した。そのこと自体は間違っていたとは思わないけど、イサークのことを考えるあまり、周囲のことにあまりにも目を向けていなかったことに、今さらながら気がついた。あたしは、優秀ではないとはいえ、一応、村ではただ一人の医者だった。それなのに、イサーク以外の人には挨拶もせず村を飛び出してきた。まあ、あたしの代わりにもっと優秀な人が都から来るのだけど、それまでの間、村には医者がいなくなる。村で急病人やケガ人が出ることはほとんど無かったけれど、絶対に無いとは言い切れない。そのことに気が回らなかったあたしは、本当にバカだと思う。魔術師のアルバロ様が言った通り、村を出る準備をしておくべきだったのだ。
そう思う反面、あの後も村にいたとしたら、やはりイサークと離れられなかったのではないか、とも思う。
冷静に考えれば、あたしがイサークと別れるなんてできない。でも、それではイサークを救うことはできないのだ。冷静に考えることができない状況だったからこそ、村を出ることができ、イサークを救うことができたとも言える。
結局。
どちらが正しかったか、なんて、考えても判らないのだ。今、あたしは、無責任に村を去ったことを後悔しているけど、あのまま村にとどまり続けたら、イサークを救うことができず、もっと後悔していたかもしれない。それはだれにも判らない。
ただ一つ言えることは。
考えてもしょうがないことは、考えないほうがいい、ってこと、かな。だって、もう村を出てきてしまった以上、それはどうしようもない。
黙って歩いてるとイヤなことあれこれ考えてしまうから、誰かと話して気を紛らわせようかな。誰か……まあ、この中であたしが気安く話しかけられる人は、ミロンしかいないんだけどね。
「ねえ、ミロン。お城のこと、教えてよ」あたしは列の少し後方を歩くミロンに声をかけた。
「どのようなことですか?」
「うーん。まあ、なんでも、かな。あたし、生まれてからずっと、あの小さな村で育ったから、お城のこととか、何も知らないんだよね。王様の名前だって、今回初めて知ったくらいなんだから」
「そ、そうなのですか?」ミロン、ちょっと呆れた顔になった。
まあ、お城の人からすれば意外かもしれないけど、それが普通なのよ、きっと。だって、エルズバーグ村は、首都ターラからはあまりにも離れすぎている。国を支配しているのが誰か、なんて、知りようがないし、はっきり言えば、知る必要もない。そんなこと、知らなくても生きていけるのだから。
……なんてことはこの場では口が裂けても言えないけどね。
まあ、今まではそれでもよかったんだけど、これからはそうもいかない。なんと言ってもあたし、王様の奥さんになるんだからね。知っておかなければいけないこと、たくさんあるんだろうな。少しでも聞いておかないと。
「あたしはこれから陛下の側室、つまり、正規じゃない奥さんになるんだよね? 正規の奥さん、正室って、どんなお方なの?」
「はい。正室は、エリザベート王妃です。もとは、ブレンダ第二の都市ヴァルナの市長の娘でした。ベルンハルト陛下とご結婚されたのは十二年前。しかし、残念ながら病気で子供を産めないお身体なのです」
「あ、それはアルバロ様から聞いた。だから、側室の制度ができたんだよね」
「そうです。現在陛下の側室は、エマ様以外に二名。セルマ・ビアス様と、レイラ・エスタリフ様です」
二人か。思ってたより少ないな。もっと、何十人もの女の人を、お城の一角に住まわせてる、なんて、勝手にイメージしてたんだけど。
「最も力があるのが、レイラ様です。二年前、陛下のお子様、マイルズ王子をお産みになりました。アルバロ様や城の大臣からの評判も、自然と高くなっていますから」
「陛下にはお子様がいらっしゃるの? だったら、これ以上側室なんていらないんじゃない?」
「うーん、どうでしょう? 私は一兵士ですからそのあたりのことはよく判りませんが、アルバロ様や大臣のお立場からすれば、陛下のお子様が一人というのは、不安なのかもしれませんね」
そういうものなのかな。まあ確かに、病気なりケガなりで突然死んでしまうことは十分考えられるわけだけど、だからと言って、そんなこと考えてもしょうがないような気もする。うーん、あたしみたいな庶民には、よく判らない考え方なんだろうな。
あたしは次に、ベルンハルト陛下について訊いてみることにした。
「陛下は、どんな方?」
「素晴らしい方ですよ」間髪いれずに、答えが返ってくる。「前王が早くにお亡くなりになり、若くして王の座に就かれたのですが、早くも、ブレンダ史に残る名君である、と評価する者もいるくらいです。知力、体力に優れ、行動力もあります。さきの大戦時にも、近隣の国々とうまく渡り合い、比較的無傷で乗り切りました。これはひとえに、ベルンハルト陛下の手腕によるものと思います」
目をキラキラ輝かせて語るミロンの姿を見ていると、お世辞や建前なんかじゃなく、本当に心の底からそう思っていることが判る。なるほどね。まあ、隣の国に派遣した騎士団の様子を見るために、わざわざこんな遠くまで来るくらいだ。行動力はありそうだし、騎士団からの人気も高いんだろうな。良かった、立派な王様で。
「ミロン! 何してるの!」
突然、空に突き刺さるような怒声。例の鬼女だ。列の前の方から叫んでる。
「隊列が乱れてる! 戻りなさい!」
「は……はい! 申し訳ありません!」
よくよく気をつけて見てみると、確かに、あたしが話しかける前と比べて、一メートルくらい開いているような気がした。ミロンは足早に、前を歩く騎士との間を詰めた。
「ごめんね、ミロン。なんか、あたしが話しかけちゃったから」
「いえ、ぼくが悪いんです。つい、お話に夢中になってしまいましたから」
これ以上話をしてまた鬼女に怒鳴られると悪いので、あたしはミロンから離れ、一人で歩くことにした。
……けど、あれくらいのことであんな怒鳴り声あげる? あの鬼女、神経質にもほどがあるよ。まったく。
しばらくして、一行は休憩をとることになった。騎士団は交代で見張りに立っている。ミロンは先に休憩をもらえたようなので、あたしはまた話しかけた。
「さっきはごめんね、ミロン。あたしのせいで怒られちゃって」
「いえ、エマ様のせいではありませんよ。ぼくが悪いんですから」ミロンは照れたように笑った。
「でもさあ、あの人、ちょっと厳しすぎるんじゃない? 村にいたときも、あたしに容赦なく剣を付きつけてきたし」
村での一件を思い出す。あたしはケガをした王様の治療をしたのに、信用できないとか何とかで剣を向けられ、毒を盛ったと疑いさえした。今思い出しても腹が立つ。
「確かに厳しい面もありますが、それは責任感の強さがゆえなのでしょう」ミロンが言った。「隊長は、まだ二十五歳。騎士団の中ではかなり若く、しかも女性の身でありながら、一隊を率いる立場にある。誰にでもできるというものではありませんから」
……確かに。二十五歳って、あたしと同い年だ。あたしに騎士団を率いるなんて、絶対ムリだろうな。
「隊長は、先の戦争で多くの戦果をあげ、第八隊の隊長に任命されました。ブレンダには女性の騎士も少なくないですが、隊を率いているのはリュース隊長だけです」
へえ、そうなんだ。騎士団のことなんて、あたしにはさっぱり判らないけど、女の身一つで隊長にまで上り詰めるなんて、大変なことなんだろうな。ミロンは今、「ブレンダには女性の騎士も少なくはない」と言ったけど、それはつまり「女騎士も増えてきてはいるが、まだまだ少ない」という意味に取れる。
「隊長は、かつてブレンダ一の名将と呼ばれた、ジルベルド将軍の一人娘なのです」
「その将軍、すごいの?」
「はい。一人で百人の敵を倒したとか、千人の部隊で一万人の部隊を打ち破ったなど、偉大な戦果は数えきれないほど存在します。その名は他国にも響き渡り、名を聞いただけで投降する敵兵も多かったとか」
ミロンはうっとりとした目で空を見上げて言った。自分もいつかそんな将軍になりたい。そんな憧れが、その瞳には宿っていた。
「このあたりのことは、ウィン様の方が詳しいでしょう。何と言っても、ウィン様は将軍の部隊で戦った経験がありますから」
ミロンの視線がウィン様に向く。ウィン様は隊列の後方に立ち、周囲をうかがっているようだった。腰に下げた剣に常に手を添えている。いつ戦闘になっても対応できるようにしているのだろうか。
「ウィン様は、どんな人?」訊いてみた。
「ウィン様は、近衛騎士団の隊長をされています」
「近衛騎士団?」
「はい。陛下や王妃様方の身をお護りする専属の騎士団です」
「……ってことは、騎士団って、いろいろあるの」
「そうですね。騎士団は六十の部隊に分けられています。一部隊は十人。各隊は、基本的には城や街の警備、それから、戦争になれば戦場に向かいますが、隊によっては特別な任務を与えられています。ウィン様の第一隊は、陛下の護衛です。第一隊から第五隊までがこの任務を与えられていて、五隊をまとめて『近衛騎士団』と呼びます」
「そうなんだ。ミロンの部隊は、どんな任務があるの?」
「僕らの第八隊は、対クローサーの部隊です」
「クローサーっていうと、北の国クローリナスの、反ブレンダ組織だったよね。村で陛下を襲った、あの」
「はい。クローサーの破壊活動は、国内にも広がりつつあります。先日も、首都ターラからあまり離れてない街で、立てこもり事件がありました」
「立てこもり事件? どんな?」
「五人のクローサーが、住民三十人を人質に建物に立てこもり、ブレンダ騎士団のクローリナス撤退を要求してきたのです」
「それ、ミロンの部隊が解決したの?」
「そうです。もっとも、僕は全然役に立てませんでしたけどね。ほとんど隊長一人で解決しちゃいました」
「人質は?」
「全員無事です。犯人は、全員隊長に斬られましたけどね」
診療所での一件を思い出す。三人の男たちにミロンが取り押さえられ、陛下が連れ去られそうになったとき、あの鬼女が部屋に入ってくるなり、男たちを一瞬で斬り捨てた。あんな感じで、その人質事件も解決したのだろうか?
鬼女の方を見た。ウィン様と反対側、隊列の先頭で、周囲を警戒している。
あたしと同じ二十五歳で、騎士団唯一の女隊長。男くさい騎士団の中で、女の身でその座を得たのには、相当な苦労があったのだろうか? それとも、偉大な将軍の娘ということで、何の苦労も無く、今の座に就けたのだろうか?
…………。
ま、別にどうでもいいか。どっちにしたって、あの女がイヤな性格だってことには変わりない。
「そろそろ交代なので、僕、行きますね」
ミロンが立ちあがった。
「うん。ありがと、話し相手になってくれて」
あたしは手を振った。ミロンは頭を下げ、走って隊列に戻って行った。
その後、短い休憩を終えた隊は、再び長い帰路の旅へと戻った。
首都ターラへ続く道は、やがて林の中を通り、一行の歩みは自然と遅くなった。エルズバーグ村近くにある森と比べると草木はさほど茂ってはいないけど、それでも、これまでの平原の道と比べると、格段に見通しは悪い。身を隠す場所はいたるところにあり、襲撃にはもってこいの地形で、先頭を進む鬼女が、かなり慎重になっていた。
で、残念ながら不安が的中してしまう。
「止まれ!」
突然鬼女が叫び、隊は足を止めた。突然のことで何があったのか判らないあたしは、きょろきょろとあたりを見回す。
林の中は水を打ったように静かだった。何も変わった様子はない。物音一つ聞こえない。
いや、それって変だな。
こんな林の中だ、鳥の鳴き声一つ聞こえないのは、おかしいぞ。
「何かいるの?」そっと、ミロンに訊いてみる。
「――おそらく」
ミロンは剣に手をかけた。
改めて見回してみるけど、やっぱり何も見えないし、何か隠れているようにも見えない。でも、騎士団のみんな、全員剣に手をかけ、かなり警戒している様子。
隊の後方から、馬に乗ったウィン様がやってきた。「エマ殿、どうやら何者かに囲まれているようです。危険ですので、馬車の中へ」
へ? 王様と一緒の馬車に乗っちゃって、いいのかな? などと思っても、選択の余地は無く、ウィン様は馬車の扉を開け、あたし、ほとんど押し込まれるように、馬車の中へ。
「し……失礼します」
なんてこと言ってる場合でもないかな。
陛下は厳しい顔で、馬車の窓から外の様子をうかがっている。あたしのことを特に気にした様子はない。それは今の状況がそれだけ切迫している、と言えるんだけど、あたしは少しだけ緊張が解ける。
「まずいな――」
と、陛下が言ったと同時に。
林の中から、何かが飛び出した。空中を飛び、弧を描くように馬車に向かって飛んでくる。それも、たくさん。
一つが馬車の窓の下に当たった。その瞬間、炎が燃え上がる。
矢だった。それも、先に火のついた矢。それが、たくさん林の中から放たれているのだ。馬車は木製だ。そんなものがたくさん刺さったら、ひとたまりもない。
「馬車を出して!」
鬼女が叫んだ。アルバロ様が馬に鞭を入れる。走り出す馬車。急な動きに、窓の下の炎が、ごう、と揺れた。幸い刺さった矢は窓の下の一本だけで、他は狙いがそれて地面に刺さったり、騎士たちにはたき落とされたりしていた。陛下が窓を開け、刺さった矢を抜き、捨てる。火は完全には燃え移っておらず、馬車の炎上は免れた。
と、道の両脇の林の中から、たくさんの男たちが飛び出してきた。各々剣や斧や槍で武装した、人相の悪い男たち。村の診療所を襲った三人と同じような格好。これは、また反ブレンダ組織・クローサーの襲撃と思って間違いなさそうだ。
男たちは馬車に向かって武器を振りかざしつつ突進してくる。追いつかれる! と思った瞬間、ウィン様が男を一人、剣で斬り捨てた。そのまま馬車と並走し、むらがる男たちを次々と斬っていく。反対側には鬼女の馬が並走しており、こちらも襲いかかる男たちを次々と斬っている。残りの騎士は走って馬車を追いながら、男たちと戦っていた。数は圧倒的に騎士団の方が少ないけど、腕は優っているようで、近づく男は次々と斬られていく。
しばらく林の中を走る。馬車と人ではやっぱり馬車の方が早い。男たちはあっという間に見えなくなった。
でも。
突然馬車の馬がいななき、棹立ちになった。急な動きに馬車が大きく傾く。倒れる、と思ったけど、なんとか持ちこたえた。アルバロ様の手綱さばきが良かったのかもしれない。
前を見ると、大きな木が切り倒され、道をふさいでいた。
そして、道の両脇から、さらにたくさんの男たちが飛び出した。
追いつめられた、と、思った。林の中を走り続け、騎士団は、馬車からかなり離れたところにいる。今そばにいるのは、鬼女とウィン様とアルバロ様だけだ。
「くそっ!」
鬼女は毒づきつつ、向かって来る男たちを斬る。反対側ではウィン様も戦っている。アルバロ様も馬を操るのをやめ、魔法を使って応戦し始める。しかし、あまりにも数が違いすぎた。三人の応戦をたくみに抜け、男の一人が馬車の扉に手をかけた。強引に開ける。
「下がれ!」
陛下が叫び、あたしを押しのけると、扉を開けた男の胸を蹴る。男は「グエッ」っと、カエルみたいなうめき声をあげ、尻もちをついて倒れた。馬車から飛び出した陛下は、剣を抜き、倒れた男を斬った。
「いたぞ! ベルンハルトだ!」
誰かが叫んだ。男たちが、一斉に注目する。
「捕らえるも殺すも自由だ! 行け!」
おお! と、男たちは呼応し、何人かが陛下を取り囲んだ。フン、と鼻を鳴らし、陛下は男たちを一瞥する。臆した様子は無い。あたしは何もできず、馬車の中からただ見守る。大丈夫かな、陛下。ミロンが言うには剣の腕もかなりのものらしいけど、ケガがまだ癒えていない。
「おおりややゃぁぁ!」
奇声とともに、男の一人が剣を振り上げ斬りかかる。陛下から見て左側。危ない! と思ったけど、陛下はその一撃を難なくかわし、すれ違いざまに剣をふるった。男は数歩進んだところで、ドサッ、と倒れた。陛下、軽やかな動きだった。ミロンの言う通り、かなりの剣さばきだ。
さらにもう一人が襲いかかる。今度は右側、槍を持っている。剣と槍じゃ、リーチが違いすぎる。剣の方が不利? なんて心配も無用だった。陛下、この一撃も難なくかわし、一気に間合いを詰めると、男のお腹を一閃。倒れる男。
すごい! 思わずあたし、手をたたいて喜ぶ。
「ええい、一斉に行け!」
一人が叫び、今度は三人まとめて襲いかかってきた。ちょっと! そんなの卑怯じゃん! なんて思ってもムダ。この人たちに、卑怯も何もないだろう。
でも陛下、負けてない。三人の攻撃を巧みにかわしていく。でも、今度はさっきまでのようにはいかない。攻撃をかわしつつ反撃もするんだけど、男たちもそれをかわす。三人の攻撃が激しくて、うまく反撃できないみたい。
あ、まずいぞ。
陛下と三人が戦ってる間に、他の一人が陛下の後ろに回り込んだ。剣を構え、様子をうかがっている。不意打ちする気だ。陛下、気づいてない。何とかしないと。馬車の周りを見回す。ダメだ。鬼女もウィン様もアルバロ様も、他の男たち相手に手いっぱいだ。ミロンたちもまだ後ろの方で戦ってる。だれも助けられそうにない。あたしがやるしかないの? どうやって? 馬車の中を見回す。陛下の剣が収まっていた鞘があった。手に持ってみると、金属製で、結構重い。男たちは鎧も兜も身につけてないから、後ろから思いっきりたたけば、気絶くらいさせられるかもしれない。よーし。
あたしは馬車を降り、男の後ろにそっと回り込む。男は陛下の方に集中しすぎて、あたしの接近には全く気がついていない。いけそうだ。あたし、静かに鞘を振り上げ。
ぶん。
思いっきり、後頭部に振り下ろした。
ガツン!
……って音が聞こえてくると思ったんだけど、実際には。
パコ。
なんともかわいらしい音。
「……いてぇな」
男、後頭部を抑えて振り向く。ヤバ、気絶するどころか、全然効いてないみたい。すっごい怖い目であたしをにらむ。謝っても、許してもらえそうにない、かな。
男、あたしに向かって手を伸ばす。やだ! 触らないでよ! ぶんぶん鞘を振りまわして抵抗。でもそれも無駄な努力で、鞘、あっさり男の手に掴まれた。そのまま奪われる。男は、にやぁっと、イヤらしく笑った。
これって、絶体絶命?
と、そのとき。
馬に乗ってこちらに駆けつける勇士が目に入った。
金髪の女騎士――あの鬼女だ
男もその姿に気づき、一瞬身じろぐ。
やった。助けて! あたしは鬼女に手を伸ばす。
――――。
あれ?
鬼女、あたしの伸ばした手を完全に無視し、そばを風のように駆け抜けた。で、陛下を取り囲む三人に向け、剣をふるう。
一対三で苦戦していた陛下だったけど、鬼女の加勢で、なんとか持ち直す。良かった。
……って、あたしはどうすんのよ!
男、鬼女があたしを助ける気が無いと判ると、また気持ち悪い笑顔をあたしに向け、手を伸ばしてきた。やっぱり絶体絶命!?
でも、今度こそそのとき!
ザシュッ。
という音とともに、男、地面に倒れる。どうなったの?
見ると、男の後ろにウィン様がいた。鬼女の後ろから駆け付けてくれたみたい。助かったぁ。陛下を襲う三人も、鬼女の加勢で、全員あっという間に倒されている。
「陛下!」
騎士たちの声。遅れていたミロンたちもようやく追いついたみたい。アルバロ様の方を見ると、魔法の力でかなりの数の敵を倒している。これは完全に形勢逆転かな?
「クソッ! 引き上げだ!」
誰かが叫び、わずかに残った男たちは散り散りに林の中へ消えていった。騎士団は追いかけようとしたけど、「深追いはするな!」という鬼女の一言で踏みとどまる。
「ご無事ですか? 陛下」
心配する鬼女に、陛下は「大丈夫だ」と答えた。良かった、陛下に何もなくて。
…………。
てか、あの鬼女、あたしのこと完全に無視しやがった。そりゃ、あたしと陛下とを比べたら、陛下の方が大事に決まってるんだけど……なんか、納得いかない。
「エマ殿、怪我は無いですか?」
と、ウィン様があたしを心配してくれた。ああ、鬼女と違って、こっちの隊長は人の血が通ってるんだなぁ。うんうん。
「はい、大丈夫です」
にっこり笑って答えた。
「ご無事で何より」ウィン様も笑顔で応えてくれた。そして、今度は騎士団に振り返り。「被害は?」
騎士団の一人がウィン様に報告する。怪我人は出たものの、大した被害は無いようだった。ミロンも無事だ。良かった。
「ウィン、大丈夫?」鬼女がウィンに話しかけた。
「ああ、大丈夫だ。それより、すまなかったな、陛下を助けてもらって」
「いえ、私の方こそ、もっと気をつけていれば……囲まれるまで気がつかなかったのは、私のミスよ。ごめんなさい」
鬼女、頭を下げる。
…………。
何だ、今の?
鬼女なら、「あなた近衛騎士団でしょ? こんな女を助ける暇があったら、陛下を助けなさい!」とか、言うかと思ったんだけど。「大丈夫?」、「私のミスよ。ごめんなさい」……だって。それも、本当にすまなさそうに。よく見ると、頬が薄紅色に染まってたりする。なんか、あの鬼女が、女に見えるんだけど?
……ハハーン。
あたし、ピンときちゃった。鬼女も、スミに置けないなぁ。
なんて思ってたら、鬼女、怖い目であたしを睨んでる。なんか文句ある? と言いたげ。鬼女、あたしの頭の中が読めるのか?
「エマ。そなたのおかげで助かった。これで二度目だな。礼を言うぞ」
陛下だった。あたしが鞘で男を殴ったの、見てたみたい。そんな、あたしなんて、全然役に立ってない。むしろ、陛下があたしを護るように馬車の外に出てくれたから、助かったようなものなのに。
「それにしても、解せぬな」今度はアルバロ様。「襲われるのはこれで二度目だ。なぜヤツら、こちらの行動が判っておるのか」
「そうですね……そもそも今回の陛下のクローリナス訪問は、極秘事項だったはずなのですが……」と、鬼女。
そう言えば、そんなこと言ってな。極秘だって。でも、陛下がクローリナスを訪問するって、エルズバーグ村でもウワサになってたよ。変だな。
…………。
これって、言っておいた方がいいよね、絶対。
「あの……」あたしが恐る恐るという感じで手を挙げると、みんなの視線が一斉に向けられた。「極秘、って言ってましたけど、あたしの村でウワサになってましたよ。陛下がクローリナスを訪問すること」
「――――」
みんな、沈黙。やっぱ、言わない方が良かったのかな?
「それはまことか?」と、陛下。
はい、とあたしは答えた。
「どういうことだ?」ウィン様が鬼女を見た。
「情報が……漏れている……。城内に、クローサーの内通者がいるということ?」
鬼女の一言に、みんな、信じられない、という表情になる。
内通者。いわゆるスパイだ。城内にいる誰かが、クローサーに情報を流している。それならば、極秘であるはずの陛下のクローリナス訪問が、外部に漏れたのも当然。
「しかし、一体誰が?」
「陛下のクローリナス訪問を知っている人は、どれくらいいるんですか?」あたしは訊いてみた。
「極秘とはいえ、それは城外に対してのことだ。城内の者は皆知っておるだろうな」アルバロ様が答えた。
「探し出すのは、少し難しいかもしれませんね」と、ウィン様。
「いえ、必ず探し出します。城へ戻れば、すぐに調査を始めます」鬼女が自信満々で言った。
「うむ、そうしてくれ」
陛下が言い、鬼女は「ははっ」と礼をした。
それから怪我をしている人は治療を、ケガをしてない人達は力を合わせて道をふさいでいる大木をどかせる作業に取り掛かった。あたしは治療を手伝う。
「エマ殿――」
騎士の腕に包帯を巻いているところで、ウィン様に呼ばれた。「この先も何が起こるか判りません。これをお持ちください」
そう言って、あたしに小さな指輪を渡す。不覚にも、ドキッとしてしまった。表面に紅い小さな宝石がいくつも散りばめられた、かわいい指輪だった。木々の間から射す陽の光を反射し、きらきら輝いている。でも派手さは無く、落ち着いたデザインだ。
「綺麗ですね」
思わず見とれてしまう。
「飾りの一つがボタンになっています。判りますか?」
言われてよく見ると、隅の方の宝石に、他のより輝きが鈍いものが一つあった。これかな?
「何かありましたら、そのボタンを押してください。私の通信機に連絡が入るようになっています。場所も判るようになっていますので、どこにいてもすぐに駆けつけます」
なんだ、そういうことか。いきなり指輪を渡されて、ビックリしちゃったよ。
「そんな機械、あたしなんかが持ってていいんですか?」
「もちろんですよ。あなたは陛下のご側室。我々近衛騎士団が命に代えてもお護りします」
うわお。聞いてるこっちが恥ずかしくなってくるようなセリフだ。でも、言われて悪い気はしない。
「ありがとうございます、ウィン様」
「様などつけなくてもよろしいですよ、私はただの騎士なのですから。では」
敬礼をし、ウィン様は――いや、お言葉に甘えて、さっそくウィンと呼ばせてもらおう――ウィンは、大木をどかす作業をしている騎士の方に戻って行った。
それにしても、こんな指輪が、あたしの居場所を知らせてくれるなんて、どんな仕組みになってるんだろ? 魔導機ってすごいな。無くさないようにしなきゃ。あたしは左の中指につけてみた。じっと眺める。うーん。指輪なんか今までつけたこと無かったからなぁ。似合ってるのか似合ってないのか、それすらもよく判らない。まあ、いいか。別にアクセサリーってわけじゃないんだから。うん。
やがて騎士団の治療も終わり、大木もどかされ、あたしたちは、これまで以上に警戒し、お城への帰路を急いだ。