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#10

 中央広場は、普段でも行きかう人が多く、歩くのも困難だ。まして、陛下が演説するとなると、集まる人はいつもの比ではない。

 演説は、すでに始まっていた。

 広場の中央、守護神ブレンダニア像のそばに、舞台が用意されてある。突然決まった演説だから急ごしらえのはずだけど、お城の集会場にも負けないくらい大きくて立派なものだった。今、ステージの上に陛下がいる。声高に、今のブレンダの現状、クローリナスの現状を訴えている。いかに我が国の騎士団に被害が出ているか、いかにクローサーが卑劣な手口で我が国を攻撃しているか、いかに残酷な手段で、エリザベート王妃が殺されたか。この状況を打開するためには、断固たる決意を持って挑まなければならない、と。「武力」という言葉は使わない――今はまだ。このまま進めば、いずれこの国のどこかに隕石が落ち、数千、数万、場合によっては数十万人以上の犠牲が出る。そうなって初めて、陛下は「武力」という言葉を使うのだろう。

「武力」で、クローリナスを制圧する。

 そのことに反対する者はいなくなる。全て終わった後では。

 その前に。

 何としても止めなければいけない。陛下を。この計画を。

 ステージの上にいる陛下に近づくのは容易なことではない。警備は当然のごとく厳重だ。

 しかし、警備の全てを任されているリュースが味方についてくれた以上、障害は何も無かった。

 あたしは、演説中のステージに上がり、そして、陛下と対峙した――。


 突然ステージの上に現れたあたしに、広場に集まった人々は、何事か、と、ざわめく。警備している騎士やアルバロ様も同様に驚いている。ただ一人、陛下だけが動じた風もなく、鋭い眼光をあたしに向けていた。まるで、あたしが現れることを最初から予見していたかのように。

「――その者をつまみ出せ」

 静かにそう命じた。陛下の言葉に、そばにいた近衛騎士が動く。あたしを捕らえようと手を伸ばした。

 でも。

「――――っ!」

 言葉にならないうめき声とともに、その場に昏倒する。

 あたしのそばには、リュースとウィンとシャドウと、そして、第八隊のみんながいる。騎士団最強のメンバーと言っていい。彼女たちに護られているあたしに、手出しできるはずが無い。

「貴様ら、どういうつもりだ……?」リュースたちを睨む陛下。

「申し訳ありません、陛下。エマ様が、どうしても、陛下にお話したいことがあるそうなので」リュースが静かに応えた。

「場をわきまえよ。この場は、余の言葉を民に伝えるために設けたもの。邪魔するなど許さぬぞ」

「いえ、陛下。今この場だからこそ、聞いてもらわなければなりません」

 あたしは、力強くそう宣言した。

 広場のざわめきは、一段と大きくなる。

 あたしは続ける。「王妃を殺し、逃亡したイサーク・バーンは拘束しました。彼には、罪を償わせます。ですからどうか、クローリナスを攻めるのは、考え直してください」

 イサークを引き渡し、あたしは、頭を下げた。

「そうか……それはご苦労であった」

 陛下は、護衛の騎士にイサークを渡す。イサークはそのまま連れて行かれた。

「だが、ことは奴を捕まえれば終わりというわけではないのだ」

「そんな。陛下!」

「奴を捕まえ、処刑すれば、エリザベートの魂は浮かばれるかもしれぬ。しかし、それではこの国の現状は何も変わらぬ。クローリナスでは、これからも我が国の騎士が命を落とし続けるであろう。その被害は、国内でも広がっていくだけなのだ。止めるには、奴らを、クローサーを、徹底的に叩くしかない」信念に満ちた声の陛下。

「陛下。あたしは、陛下の考えが正しいとは思いません。確かに、クローリナスでは我が国の騎士団に多大な被害が出ています。我が国でのクローサーの活動も活発になり、こちらの被害も大きい。早急に何らかの対策が必要なのは事実です。しかし、『武力』による解決が最善だとは、あたしは思いません」

「武力」という言葉に、広場の人々がどよめく。

「エマ。貴様はただの側室。余に何か意見する立場ではない」

「立場など関係ありません。あたしは、陛下が間違っていると思うから、正しい方へ導こうとしているだけです」

「そのようなことは無用だ――」

 と、陛下は指をパチンと鳴らした。後ろに控えていたアルバロ様が前に出た。

 身構えるリュースたち。

 しかし、彼女たちが動く前に。

 アルバロ様が、短く何かつぶやいた。

 それは呪文――呪いの言葉。

 次の瞬間。

 あたしの身体に、目に見えない何かがのしかかった。頭上から、ものすごい力で抑えつけられるような感覚。

 重い――!

 とても立っていられない。片膝をつく。

 あたしだけではない。リュースやウィンたちも、目に見えない何かに押さえつけられていた。だれも動くことができない。

 アルバロ様の魔法の力だ。

 普段、医者や陛下の相談役として務めているけれど、本来アルバロ様は、このお城の宮廷魔術師だ。この魔導大国ブレンダが誇る、最高の魔術師。その魔法の力は強大だ。あのリュースやウィンやシャドウでさえ、こうやって簡単に無力にしてしまう。

「すまぬが、しばらくおとなしくしていてくれ」陛下は冷たくそう言うと、広場のみんなの方を向く。「――失礼した。この者たちは、どうやら余の考えに反対のようだ。だが、このような形で訴えるなど、道理に反しておる。それに、余は間違ったことは言っておらぬと、皆と約束しよう」

 その後も陛下は、自らの考えを訴え続けた。

 クローリナスでの騎士団の被害を語る。

 クローサーの行った非道の数々を語る。

 それに対抗する力が我が国にはあることを語る。

 雄弁に語る陛下の言葉は、まるで、詩の一節のようだった。

 聞く者を魅了する詩。陛下の言葉には、人々の心に訴えかける、魔法のような力がある。

 あたしも経験がある。以前、陛下の話を聞いて、心を打たれた。心の底から、立派な人だと思った。

 あのときのあたしと同じように。

 広場の人々が、陛下の言葉に飲み込まれていく。

 陛下の詩に魅了されていく。

 それはもはや、洗脳とも言えた。

 早く止めないといけない。

 でも。

 身体は動かない。声すら出ない。

 リュースも、ウィンも、シャドウも。なんとか前に出ようとするけれど、足は、重い身体を支えるので精いっぱいだ。とても前に進むことはできない。

 リュースが、片膝をついた。

 それに続くように、ウィンとシャドウ、そして、アランさんたちも、次々に膝をつく。

 身体が崩れる。

 もう駄目だ。

 そう思ったとき。

 ――――。

 目の前を、一筋の光が横切った。

 その瞬間。

「――――っ!」

 鈍い悲鳴が上がる。

 アルバロ様だ。肩を押さえてうずくまっている。

 見ると、右肩に一本の矢が刺さっていた。

 ふいに、身体が軽くなる。

 ――魔法が解けた?

 あたしがそう思うよりも早く、ウィンとシャドウが動いた。

 素早くアルバロ様を押さえつけた。

 ――あの矢は誰が?

 あたりを見回すけれど、矢を放ったと思われる人の姿を確認することはできなかった。

「エマ、早く」

 リュースがあたしの耳元でささやく。

 急転した事態に、さすがの陛下も戸惑いを隠せない。演説が中断している。

 そうだ。今は、矢を放ったのが誰かなんて考えなくていい。陛下を止めるなら、今しかない。

 あたしは身体を起こし、一歩前に出た。

「陛下。あなたの考えは、間違っています!」

 高らかにそう宣言した。

 そして。

 あたしは訴えかける。

 陛下と――そして、広場に集まったみんなに。

 武力で全てを解決するのは、間違っている、と。

 やられたから、やり返す。

 殺されたから、殺す。

 そんなのは間違いだ。

 それによって生まれるのは、深い憎しみだけだ。それでは真の解決とは言えない。

 武力による解決は、決して、解決ではない、と。

 そう訴えた。

 あたしには、陛下のような力は無い。

 あたしの言葉には、人々を魅了するような力は無いだろう。

 それでも訴える。

 あたしの考えは、決して間違ってはいないはずだ。

 だから聞いてもらいたい。一人でも多くの人に。

 そして、理解してもらいたい。

 あたし自身を。

 だからあたしは訴える。

 やがて。

 広場は、再び静寂に包まれた。

 あたしの言葉が、みんなに届いたのだろうか? それは判らない。

 ただ、広場を包む静寂は、妙に心地よく感じた。

「エマ。そなたの言うことは判らないわけではない」静寂を破るのは陛下の声。「余の考えが間違っていると思うのなら、それも仕方なかろう。しかし、なら、どうすると言うのだ?」

「――――」

「余の考えが間違っている。そう否定するのは簡単だ。しかし、否定するだけでは何も生まれぬ。余の考えを否定するのなら、それに変わる考えがあるのだろうな?」

「もちろんです、陛下」自信を持って、あたしは応えた。

 そして、ゆっくりと頭上を指差す。

 その先にあるのはブレンダニア――ブレンダを護る者。

 皆の視線が、像に注がれる。

「あたしは、このブレンダニアのようになるべきだと思います」

「――どういうことだ?」

 陛下だけではなく、ステージ上のみんなも、広場のみんなも、キョトンとしている。

 あたしは、ゆっくりと言葉を継いでゆく。「あたしは、以前から、ずっと考えていたのです。なぜ、ブレンダニアは一つになったのか、を」

 ブレンダニア。異なる二つの神が一つとなった、ブレンダの護り神。

 女神と鬼神――決して交わることのない、相反する二つの神。

 二つの神は、どうして一つになったのか。

 決して理解し合えないはずなのに。

 以前、この広場に来たとき、あたしは、そんなことを考えた。その理由は、あのときは判らなかった。

 でも、今ならば判る。

 女神と鬼神――理解し合えない二人。

 そう考えたのが間違いだったのだ。

 二人の神はきっと、お互いを理解していたのだ。

 女神は、鬼神の強さを。

 鬼神は、女神の優しさを。

 お互いがお互いを認め合っていたからこそ、一つになったのだ。

 そして、国を護った。

 ブレンダニアは知っていたのだ。理解し合うことが、国を護る強さになることを。

 優しい人に、強い人の考えは理解できない。

 強い人に、優しい人の考えは理解できない。

 いや、それは――お互いが理解しようとしていないだけなのだ。

 お互いがお互いを理解することを放棄すれば、そこで終わりだ。何も生まれない。

 しかし、相手のことを理解し、認めれば。

 一人では決して発揮することのできない力が生まれる。

 ブレンダニアはそのことを知っていたからこそ、一つになったのだ。

 だからあたしは、クローリナスのことを理解しようと思う。

 そして同じくらい、クローリナスの人たちに、あたしたちのことを知ってもらおうと思う。

 お互いがお互いを知れば、きっと、血の一滴も流れることは無い。

 そして。

 ブレンダとクローリナスは、ともに発展していけるはずだ。

 対立するんじゃない。

 お互いを理解する。

 ブレンダニア――女神と鬼神のように――。

 あたしは、そう語った。


 語り終えた後の会場は、水を打ったかのように、しんと静まり返っていた。

 誰も、何も喋らない。物音ひとつ聞こえない。

 ……ひょっとして、何かおかしなことを言っちゃったのだろうか? そんな不安に駆られそうになったとき。

 ぱち……ぱち……ぱち……。

 手を叩く音がした。

 見ると、リュースだった。

 手を叩いている。拍手をしている。

 続いて、隣のウィンが手を叩く。

 シャドウが叩く。

 アランさんが、アーロンさんが叩く。

 そして――。

 リュースから始まった拍手は、会場全てを巻き込んだ拍手となり、鳴り響いた。

 それが、あたしに向けられている。

 みんなが、あたしに向かって、拍手をしてくれる。

 あたしの言ったことを、称えてくれている。

 みんなが、あたしを認めてくれた。

 ――ありがとう、みんな。

 その言葉が出てこない。

 代わりに、涙があふれ出す。

 こんなにも、みんなが称えてくれることが嬉しくて、涙が止まらない。

 言葉で応える代わりに、手を振った。さらに拍手が大きくなる。涙が止まらなくなる。

 と――。

「エマ。そなたの言うことは理想だ。現実は、そなたが考えているほど甘くはないぞ」

 陛下だった。

 鋭い目は、相変わらずあたしの心を射抜いている。

 でも、あたしは負けない。

 あたしには、こんなにもたくさんの味方がいるのだから。

「確かに、理想かもしれません。しかし、理想を追い求めなくて、どうしてこの国を良くできるでしょうか? できないと最初からあきらめてしまうのは、愚か者の選択です。まずは最大限の努力をしてみましょう。そうすれば、理想は現実となるはずです」

 あたしがそう言うと。

 ずっと、厳しかった陛下の表情が、ふと、緩んだ。

 そして――。

「なるほど。そなたの言うことはよく判った。どう思う? エリザベート」

 …………。

 は? エリザベート?

 一瞬誰のことか判らなかった。しばらく考え、やっと、王妃のことだと気付いた。イサークに殺された。

 と、あたしの背後で。

「そうですわね……田舎者の小娘にしては、なかなか気の利いたことを言ったと思います。私も、少しだけ見直しました。まあ、ほんの少しですが」

 聞き覚えのある高圧的な喋り方。

 振り返ると。

 これまた見覚えのある、宝石の散りばめられた、綺麗だけど派手すぎて趣味の悪いドレス。同じくティアラに扇、指輪にネックレスなどのアクセサリー。

 はあ? なんでこの人がここに? 幽霊か? その割には足があるけど。じゃあ、ゾンビ? その割には腐ってない。

「何をじろじろ見ておる。私の美しさに、目がくらんだか?」ふん、と、鼻を鳴らした。

 えーっと。ちょっと待ってよ。こんがらがっている頭を整理する。

 今、あたしの前に現れたのは、言うまでもなく、エリザベート王妃だ。でも、あたしの記憶が確かならば、彼女は死んだはずだ。イサークに斬られて。あたしの目の前で。そして、幽霊にもゾンビにも見えない。ずいぶん生き生きしている。

「リュース、そなたはどう思う?」展開に付いて行けないあたしを放っておくように、陛下はリュースを見る。

「そうですね。相変わらず甘いことを言っており、正直申し上げて頼りないことこの上ないですが、しかしその分、我々騎士では見逃してしまいそうな、小さな、しかし、何よりも大切なことを見る力があります。陛下には失礼を申し上げますが、その力に関しては、陛下よりも上ではないかと」

 リュースの言葉を聞いて、陛下は満足げに頷いた。「そうか。では、ウィンはどうだ?」

「はい。私も先ほど、エマ様の言葉に目が覚める思いでした。素晴らしい方だと思います」

「シャドウは?」

「エンフィールドの街での交渉は、正直申し上げて、とても交渉などと呼べるものではありませんでした。ですが、エマ様の内にある熱意は本物であり、それを伝える能力にかけては、誰よりも秀でていると思います」

「そうか。判った。では、ルーファスはどう思う?」

 は? ルーファス? また一瞬、誰のことを言ってるのか判らなかった。見ると、どこかで見た髭もじゃでがっしりした体格の男の人がいた。

「はい。シャドウ殿のおっしゃる通りです。滅茶苦茶な交渉でしたが、それでも惹きつけられる不思議な力があります。いつの間にか、こちらから進んでイサークを引き渡そうとしていました。あのような交渉は、初めてです」

 なんでこの人がここにいるの? クローサーのナンバー2だよ? ブレンダ国内でのクローサーの活動を取り仕切ってる人だよ? 捕まえないと。

「ああ、すまぬ。ルーファスではなかったな」陛下が言った。「騎士団第二十七隊の、ジミー・ベインだ。エンフィールドの街を護衛しているが、今日は特別に、余が招いたのだ」

 もはや、まったく話に付いて行けない。一体どういうことだ? エリザベート王妃は生きていて、リュースたちはみんなでよってたかってあたしをほめ殺しにして、クローサーナンバー2のルーファスは騎士団第二十七隊の人?

 …………。

 えーっと。つまりこれは、ドッキリ大成功?

「まあ、そう思ってもらって問題は無いが、少し補足しておこう」陛下が説明する。「これは、そなたの能力を見る、いわば、テストのようなものだ」

 テスト? あたしを? なんで?

「シャドウも言ったかと思うが、そなたはこの城に来て以来、側室である身分を振りかざすことなく、騎士にも使用人にも、誰にも同じように優しく接し、皆から慕われている。さらに、これまで実に様々な事件を解決してきた。それは、リュースを始め、城にいる誰もが称えている。エマ。そなたは自分で考えている以上に、この国にとってはかけがえのない存在なのだ」

 いや……だから、それは大げさだって。あたしはただのグータラ女だよ。

「そう。問題はそこなのだ。そなたは偉大な力を持っていながら、そのことに全く気付いていない。それでは、まさしく宝の持ち腐れ。それで、皆で相談して、一芝居うつことにしたのだ」

 はあ。なるほど。

「同時に、これはそなたのことを皆に知ってもらう機会でもあった」

 陛下は、広場のみんなの方を見た。同時に、拍手が上がる。みんなが、あたしを褒め称えてくれる。ありがとう。あたしは手を振って応える。

 ……いや、そうじゃなくて。

 つまりその、えーっと。なんだ。

 大体状況は判ったけど、なにか、とても大切なことを忘れてるような。

 …………。

 全ては、あたしを騙すためのお芝居だった。

 どこからどこまでがお芝居だったのか、今の段階では判らないけど。

 この場にエリザベート王妃がいるということは、少なくとも王妃は死んでなかったということで。

 じゃあ、王妃殺害犯として拘束されたイサークは?

「ああ、そうであった。すまぬ。誰か、イサークをここへ」

 陛下の言葉で、再びイサークがステージに上がる。

 でも、その腕に拘束具は付けられていない。

 その状況を見ても、あたしはまだ理解できない。誰かが説明してくれるのを待つ。

「イサークには、余が頼んで、嫉妬のあまり余を襲撃する、という役を演じてもらったのだ。なかなかの好演であったぞ、イサーク」

 陛下の言葉に、イサークは例の騎士団式お辞儀をする。

 てことは、つまり。

 イサークは王妃殺害犯なんかじゃないってこと!?

 見ると、あのとき斬られたはずの四人の騎士も、そこにいた。ついでに、矢が刺さった思ったアルバロ様も、ぴんぴんして陛下のそばに控えていた。

「まあ、そういうことだ。すまないな、エマ。騙して」

 イサークのその言葉に。

 ふにゃり。全身の力が抜ける。

 その場に倒れそうになったところを、イサークに支えられた。

「おい、大丈夫か?」

 心配そうにのぞきこむイサーク。あたしはにっこりと笑顔を返し、そして。

 ぱあん。

 またまた、ひっぱたいた。実にきれいな音が広場に鳴り響いた。

 ……しまった。グーにしておけばよかった。もう一発行くか。拳を握る。

 でも。

 その手を開き。

 そして、あたしはイサークの胸に顔をうずめ。

「良かった……良かったよ……」

 泣いた。

 最近あたし、泣いてばっかりだな。泣き虫エマだ。

 でも、いいの。今は。

 イサークは、王妃殺害犯なんかじゃない。

 そう。死刑になんかならないんだ。

 良かった。本当に……良かった……。

 イサークは、そんなあたしを、いつまでも抱き続けてくれた。

「さて、エマ。泣くのはそのくらいにしてもらおう。そなたには、まだ重大な話がある」

 陛下、突然きりりと顔を引き締める。あたしは涙を拭い、陛下を見た。

「今回のことは芝居だったが、全てが芝居というわけではない。我が国とクローサー関係は悪化している。クローリナスでは多くの騎士が命を落とし、我が国でもその被害は広がろうとしている。この状態をなんとかせねばならぬが、そなたの言う通り、武力では何の解決にもならぬ。しかし、クローリナスの連中は、余を憎んでおる。話し合いを提案しても、余では応じようとしないのだ。そこで、そなたの出番だ」

「は? まさかホントに、あたしをクローサーとの交渉係にしようとおっしゃるのですか?」

 そんなの、ムリだよ。

 確かに、エンフィールドの街では、イサークを捕まえることができたけど、あれはたまたまうまく行っただけ。それ以前に、相手は騎士団の人だったから、うまく行くようになってたんじゃないかな。本当のクローサー相手に、あんなにうまく行くとは思えない。あたしなんかじゃムリ。絶対。

「いや、そうではない。そなたにやってもらうのは、クローサーとの交渉係ではない」

 ほ。陛下の言葉に、安堵の息を漏らす。そうだよね。あたしにそんな大任、務まらないって。

 と、安心したのもつかの間。

 陛下は、最後にとんでもないことを言った。

「そなたには、このブレンダの王になってもらう」


 …………。

 …………。

 …………。

 ……はい?



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