#07
地下牢に現れたのは、近衛騎士団のシャドウだった。
――迎えに来た?
あたしを? 何故、シャドウが。
シャドウ・アルマ。近衛騎士団第四隊に所属している。しかし、彼女は事実上、エリザベート王妃専属の騎士だった。その彼女が、あたしを迎えに来た? どういうことだろう? いくら考えても、その理由は判らなかった。
そんなあたしの戸惑いなんて関係無しに、シャドウは鍵を取り出し、牢を開けた。本当にここから出してくれるみたいだ。あたしはためらいがちに廊下へ出る。シャドウは無言で来た道を戻り始めた。後を追う。しばらく歩くと、ヴィタリーが倒れていた。気を失っているらしい。さっき聞こえたバタンという音は、彼が倒れた音だったのか。
ん? シャドウはヴィタリーを気絶させて、あたしを牢から出したってこと?
あたしを捕らえたのは陛下だ。つまりシャドウは、陛下に逆らって、あたしを救出したの?
「シャドウ、これは、どういうことなの?」
質問しても、シャドウは何も答えなかった。相変わらず感情の無い目であたしを見ただけで、ただ無言で歩き続ける。そのまま王妃の部屋の前へ。途中、誰かに会うようなことは無かった。
ドアを開ける。中は無人だった。
「こちらへ」
シャドウは部屋の奥へ進む。クローゼットがあった。と言っても、そこは王妃のもの。それだけであたしの部屋と同じくらいの広さだ。中にはドレスがたっぷり。みんな宝石が散りばめられた、豪華なドレスだ。でも、主を失ったそのドレスは、妙に地味に見えた。
……って、クローゼットなんかに何の用だろう? ますます困惑するあたしなんてお構いなしのシャドウは、さらに不可解な行動に出た。クローゼットの右側の壁の前に進み、軽く触れたと思うと、今度は左側へ進み、また壁に軽く触れる。次は正面の壁に触れ、次は左……といった感じで、何度も壁を触れて回った。
と――。
ガコン。
シャドウが最後に右の壁に触れたとき、突然床の一画が開いたのだ。どうやら、階段になっているらしい。
「滑りやすいのでお気を付けください」
そっけない口調でそう言ったシャドウ。そのまま階段を下りて行く。展開について行けずしばらくボーっとしてたあたし。我に返ると、慌ててシャドウを追った。階段を下りると、頭上で、ガコン、と音がした。見上げると、入口が閉じている。とたんに真っ暗になるけど、シャドウがランプを持っていた。心細い明りが辺りを照らす。石造りの階段がどこまでも続いている。
「これはいったい……?」
「城の外へ通じています。万が一のことがあったとき、王妃を城外へ逃がすためのものです。王妃と私以外は、誰もこの存在を知りません」
……秘密の抜け道ってやつか。やっぱそういうのってあるんだねぇ。なんとなく感心してしまう。ちなみに、あたしの部屋にこんなものは無い。
階段はものすごい長さだった。下りても下りても、ずっと続いている。下りだからいいものの、これが上りだとさぞ大変だ……なんて思うのも最初だけで、下りでもそれなりに疲れてくる。五分くらい下り、ようやく階段は終わった。でも、まだまっすぐな通路が続いている。先は見えない。ランプの明かりが心細いせいもあるだろうけど、通路自体がまだまだ長いようだ。無言で歩くシャドウの後ろを、あたしもまた無言で歩く。三十分程歩いただろうか。ようやく通路が終わったかと思うと、今度は上りの階段が現れた。しかし、さっきの下り階段とは違い、この階段は上るとすぐ扉があった。シャドウが扉を開ける。そこは狭い部屋だった。豪華な王妃の部屋と繋がっているとはとても思えない、机も椅子も棚も何も無い、完全な空き部屋だった。いったいどこなんだろう?
ガコン、という音とともに、あたしたちが出てきた扉が閉まった。と、言うよりも、消えたと言った方が正しいかもしれない。振り返ると、もうそこに扉は存在しなかった。一見すると何も無い、というレベルではない。丹念に調べても、そこに扉があるなんて判らないだろう。それほどまでに完璧なカモフラージュだった。
シャドウが部屋を出たので、あたしも後を追った。部屋の外は、すっかり日の暮れた街の風景が広がっていた。立ち並ぶ石造りの民家。なんとなく見覚えがあった。たぶんここ、城下街の居住区だ。あたしはよくお城を抜け出して城下街で遊ぶから、何度かこのあたりに来たことはある。でも、まさかお城に通じている道があるなんて、夢にも思わなかった。
しかしこれ、大丈夫なのだろうか?
なんせ、こんな街の中にお城に通じる道があるんだ。ま、誰もそんなこと思ったりはしないだろうけど、万が一このことが知れたら、城内の治安はどうなるんだろう?
「ご安心を。あの通路は城からの脱出用のもの。こちらからは絶対に開かないようになっています」
あたし、まだ何も言ってないのに、シャドウがそう言ってくれた。どうやら表情を読まれたらしい。
しかし、絶対に開かないようになってる、か。どういう仕組みなのかは判らないけれど、確かに、あのカモフラージュを見破ることは不可能だと思うし、「絶対に」と言ってるくらいだから、何らかの魔法的処理が施されているのだろう。ま、そりゃそうか。城からの抜け道が、逆に城への進入路になっては元も子もない。その辺、ぬかりはないだろう。
それにしても、ホントにすごいな。あたしはひたすら感心する。だって、お城からここまで、軽く二キロは離れている。そんな長さのトンネルを掘るなんて、ものすごく大変だっただろう。しかもこれは王妃専用の抜け道だと言っていた。と、言うことは、陛下専用のものは、また別にあるんだろう。
ムダに感心してるあたしなんてお構いなしに路地を歩き出したシャドウ。慌てて追いかける。大通りから離れているこの通りに人影は少なく、途中、ほとんど人とはすれ違わなかった。しばらくして、シャドウは一軒の石造りの家に入った。さっきの部屋より少し広く、机に椅子にベッドなど、一応生活できる程度の家具はあるけれど、あまりにも簡素な部屋だった。みすぼらしい、と言ってもいい。中には女の人が一人。その姿を見て、あたしは言葉を失った。その人も、戸惑った表情で、あたしをじっと見つめている。ほんの一ヶ月ほどしか離れていなかったけれど、もう何年も会っていなかったような感じがする。
「エマ……様?」
その人が、あたしの名を呼んだ。もう二度と聞くことは無いだろうと思っていた声、そして、会うこともできないと諦めていたその人。
「クレア――」
ようやく、その名を呼ぶことができた。
部屋にいたのは、陛下暗殺未遂の罪で捕まり、しかし、恩赦により死刑は免れた、あたしの元メイド、クレア・オルティスだった。
「あなた、なぜここに……?」あたしはクレアに言った。死刑は免れたとはいえ、釈放はされていないはずだ。まだ、首都ターラのどこかに拘束されていると聞かされていた。
「それはあたしの方が聞きたいくらいよ。いきなり、その女に連れ出されたんだから」クレアは、メイドのときには決して見せなかった冷たい目でシャドウを見た。
あたしの中でのクレアは、今でもあの、かわいくて優しいクレアのままだ。でも、クレアはクローサーの一味であり、今の彼女が本当の姿なのだろう。その違いに戸惑いを感じるけれど、二度と会うことはできないと思っていた大切な友達に会うことができて、あたしの顔には、自然と笑みが浮かぶ。
……と、そんな場合じゃないな。なんだってシャドウは、あたしとクレアをこんな所に連れて来たのだろう。二人とも、言ってみれば囚人だ。しかも、あたしの場合は無断で連れ出されたのだ。もしかしたら、クレアもそうなのかもしれない。
「シャドウ。説明して。これは、どういうことなの?」
白装束の女騎士を見た。彼女は、相変わらず感情の見えない顔で、静かに言う。
「これより、イサーク・バーンを見つけ出し、拘束します」
「――――!?」
「クレア・オルティスには、クローサーの隠れ家までの案内を、エマ様には、イサークを引き渡すよう、クローサーを説得していただきたいのです」シャドウは淡々とした口調で言う。
「イサークは、クローサーの隠れ家にいるってこと?」シャドウの目を見るあたし。
「その可能性が高いと、私は思っています」
「ちょっと待って。どういうこと? 話が見えてこないんだけど」クレアが言った。
シャドウは鋭い目をクレアに向ける。「昨日、イサーク・バーンが王妃を殺害し、逃亡した。クローサーのメンバーだ。心当たりはあるだろう?」
「ああ、あれね」クレアは思い出したように頷く。「聞いたことはあるわ。クローサーのメンバーを騎士団にもぐりこませて、王を暗殺しよう、って計画。王は死ななかったんだ? 失敗ね。残念だわ」
「ちょっと、クレア……」挑発するような口調のクレアを、心配げに見るあたし。シャドウの目に殺気が宿った気がした。
クレアもその気配に気付き、「あら、ゴメンなさい。一応あたし、クローサーだから。つい本音が出ちゃうのよね。気に障ったのなら、謝るわ。でも、あたしに隠れ家まで案内しろってのは、ちょっとムシが良すぎるんじゃないの? そんな、仲間を裏切るようなマネ、すると思う?」さらに挑発する。
「役に立つと思ったから牢から連れ出したまで。役に立たないのなら、用は無い」
そう言うと、シャドウの右腕の籠手から刃が飛び出した。
「ちょっと。やめてよ。冗談よ、冗談」クレア、いきなり態度を変える。
それを見て、シャドウは刃をひっこめた。「案内するのだな?」
「判ったわよ。恐いわねぇ。あなた、あのリュース・ミネルディアより鬼なんじゃないの?」
はは。それは言えるかもね。リュースも怖いけど、一応、感情だけは豊かだ。対してこのシャドウは、感情が無い。リュースみたいに怒って叫んだりしない分、有無を言わせない迫力がある。
「当然、案内した後は逃がしてくれるんでしょうね? そのくらいのメリットがないと、やってられないんだけど?」クレアが質問する。
シャドウは無言で頷いた。そして、あたしを見る。よろしいですか? という視線。
「ちょっと待って。まだよく判らないことがあるんだけど」今にも部屋を出そうなシャドウを止める。「これは、陛下の意思なの? 陛下がイサークを捕らえるように、あなたに命じたの?」
「いいえ。これは、王妃の意思です。もっとも、正確には、おそらく王妃なら私にこう命じるだろう、という考えのもとに行動しているだけですが」
「……王妃の考え?」
「はい。王妃が殺害され、陛下は、その復讐に囚われています。エマ様もお聞きになったと思いますが、クローサーを殲滅するために、クローリナスに大々的に攻め込むと。しかし、それには国民と、近隣国の理解が必要。そのために、クローサーの隕石召喚計画を阻止しないという決定を下しました。そのようなことになれば、この国の、罪のない多くの民の命が失われます。王妃が、そのようなことを望まれるはずがありません」
「――――」
あたしは、彼女の言葉を黙って聞いていた。
シャドウ・アルマ――近衛騎士隊の一人で、事実上、エリザベート王妃専属の騎士。常に影のように王妃のそばにいて、その命令を忠実にこなす。
王妃が殺され、おそらくは陛下と同じくらい、クローサーを憎んでいるはずだ。しかし、その憎しみに囚われることなく、死してもなお王妃の意思を感じ取り、行動するその姿は、まさに、真の騎士だと言えた。
シャドウは続ける。「王妃ならば、おそらくこう言うでしょう。『確かに、クローリナスでのわが軍の被害は甚大で、今の状況が続けば、さらに多くの命が失われます。これ以上被害を広げないためにも、一刻も早く、クローサーを殲滅させる必要がある。クローリナスに攻め込むためには、国民と他国の理解が必要。それは判ります。しかし、そのために、多くの国民の命を危険にさらすのは、間違っています』と」
その瞬間。
あたしを、心地よい安堵感が包み込む。
良かった。あたしは、間違っていなかった。
あたしと同じ考えの人がいた。
クローサーの攻撃を阻止しない――この話を陛下から聞いたとき、あたしは、到底認めることができず、当然のように反対した。
しかし、受け入れてはもらえなかった。
陛下だけではない。
あたしと同じ意見だと思っていたリュースが、陛下の言う通りにすると言ったのだ。
あのリュースが!
この国を護ることに関しては誰よりも強い責任感を持っているはずのリュースが、国が攻撃されるのを黙認すると言ったのだ!
大勢の国民の命が犠牲になることを、仕方がないと言ったのだ!
そんなことは間違っている! あたしがどんなに主張しても。
リュースも、アルバロ様も、陛下も、誰も聞いてはくれなかった。ウィンも、最初は反対していたけど、結局は陛下に従う形になってしまった。
間違っていたのはあたしの方なのだろうか? 心の奥底で、そんなことを考えてしまいそうだった。
でも。
あたしと同じ考えの人は、やっぱりいてくれた。
そうだ。たとえ大勢の命を救うためとはいえ、そのために別の誰かの命を危険にさらすなんて、間違っている。
「そうね、シャドウ。王妃ならば、きっとそう言うわ」あたしは、まっすぐにシャドウを見つめ、そう言った。
ふとクレアを見ると、「はあ? あの性悪王妃が、そんなこと言うわけないでしょ?」と、口には出さないものの、明らかにそう言いたげな顔をしている。まあ、そう思うのも無理はない。
でも、あたしは知っている。あの、普段の嫌味で腹黒で性悪な王妃は、実は表向きの姿で、本当は、心の底から陛下と、この国のことを思っている、真のロイヤルレディだということを。二年前の、セルマ様の立てこもり騒動のとき、あたしはそう確信した。
王妃は、子供のできない身体だと、みんなから思われている。そのおかげで、王妃の城内での立場はかなり低い。みんなからは「飾り物」と陰口を叩かれ、煙たがられてさえいる。でも、子供を作ることができない原因は、本当は陛下の方にある。王妃はウソをつくことで、本来陛下が浴びるべき批判を全て自分一人で浴びているのだ。そのことに気付いたとき、あたしは、王妃のことを憎めなくなってしまった。今では本当に王妃のことを尊敬している。
そう。シャドウの言う通りだ。王妃が、クローサーとの全面戦争など望むはずがない。まして、戦争の口実に、あえて敵の攻撃を受けるなど。
「判ったわ、シャドウ。あたしでよければ、いくらでも力になるわ」
力強く、そう宣言した。
シャドウの言葉で確信した。
あたしの考えは、やはり間違っていない。
陛下のやろうとしていることは、間違っている。
止めなければいけない。絶対に。
「ありがとうございます、エマ様」シャドウは、にっこりと笑った。彼女の感情を、初めて見た気がした。
「……でも、何であたしなんかに? 頼ってもらえるのは嬉しいけど、正直、あたしなんかが役に立つとは思えないんだけど……」
あたしは、正直にそう言った。
もう何度も言ってることだけど、あたしは、このお城では何の役にも立っていない側室だ。ただいるだけの厄介者。本来、陛下に意見するような立場ではないし、誰かに何かを命令することもできない。せいぜいメイドに掃除や洗濯をお願いするくらいで、それすらもせず、自分でやることの方が多い。もちろん、剣を持って戦うなんて論外だ。あたしなんかが、何の役に立つだろうか?
「そのようなことはありません。むしろ、陛下を止めることができるのは、エマ様しかいないと思っています。なにしろ、今回の件で陛下が最も恐れているのが、他でもない、エマ様なのですから」シャドウ、真面目な顔でそんなことを言う。
……そんなバカな。陛下が、あたしの何を恐れると言うんだ。何の取り柄も無いあたしを、あの、心技体全てを供え、みんなから絶大な支持を得てる陛下が。
「エマ様は、本当にお気づきでないのですか? ご自身が、どれほど城の者たちから慕われているかに」
慕われてる? あたしが?
…………。
まあ、メイドのみんなとはいつも楽しくおしゃべりしてるし、騎士団のみんなにはよくシチューとか差し入れするから、お礼は言われる。仲良くやってはいるけど、でも、慕われてる、というのは違うような。
「ムダよ、シャドウさん。この女の脳天気は、筋金入りなんだから」呆れたような口調で、クレアが言った。「そんなこと、想像したこともないはずよ。でしょ?」
クレアがこっちを見たので、あたしは正直に頷いた。
クレアは、はあ、と、ため息をつくと。「ま、あたしがこんなことを教えてあげる義理は無いんだけど……あなたは、側室という立場にあるにもかかわらず、その身分を振りかざすことも無く、皆に同じように接している。メイドたちの話をちゃんと聞き、騎士たちを労う。あたしもメイドとして長年お城で働いてきたけど、あなたみたいな人は初めてだった。それに、このお城に来てから、あなたはいろいろな事件を解決してきたじゃない。それで慕われないはずがないでしょ?」
それは、けっこういろんな人から言われる。元側室のセルマ様に、メイドのアメリア。でも、みんな大げさなんだよね。確かにいろんな事件が起こったけど、あたしが解決したんじゃない。ほとんどリュースのおかげで、あたしは邪魔してただけ。みんなへの接し方だって、別に特別なことをしてるわけじゃない。ただ普通にしているだけ。
「エマ様――」シャドウが、クレアの言葉を継ぐように言う。「あなたが何気なく行っていることは、他の誰にも真似できない、素晴らしいことなのです。どうか、そのことに自信を持ってください」
――――。
あたしのやってることが、他の誰にも真似できない?
リュースが事件の捜査をしてるのに、横からあれこれ口出しして邪魔をして。
毎日メイドたちとおしゃべりをして。
騎士団のみんなに特製シチューを差し入れする。
それが、誰にもできないことなの?
「上辺だけならば誰にでもできるでしょう。でも、あなたは違う。嘘偽りなく、心の底から、そうしたいと思っていたはずです。お城での事件を解決したい、メイドたちとお話ししたい、騎士たちに普段のお礼がしたい……全て、あなたの正直な気持ちの表れではないでしょうか? あなたが正直だからこそ、その行動が、みんなの心に届くのです。だから、あなたは慕われているのですよ」諭すように言うシャドウ。
…………。
そうなのだろうか?
確かにシャドウの言う通り、あたしは、自分に対しては正直だ。
リュースのやることに横から口出しするのは、彼女が間違ってると思ったからだ。
メイドたちとおしゃべりするのは、そのひと時が何よりも楽しいからだ。
騎士団のみんなにシチューを差し入れするのは、いつもお世話になってるみんなに、何かお礼がしたいと思ったからだ。
自分がやりたいと思うことをやってきた。お城に来てから二年間。あたしは、自分にウソをついたことだけは、無い。
……多分だけど。
だから。
あたしのしたことが、みんなの心に届いていたというのなら。
みんなが、あたしのことを慕ってくれているというのなら。
こんなに嬉しいことは無い。
だって。
あたしは、みんなのことが、大好きだもん。
メイドたちも、騎士団の人たちも、陛下も、王妃も、アルバロ様も、ウィンも、シャドウも、アメリアも、クレアも、そして、リュースも。
みんなみんな、大好きなんだもん。
「お判りですか? 陛下が、あなたを恐れているという意味が」
「――――」
「確かに、陛下は皆から支持されています。お城の者は皆、陛下のためならば命を賭けるでしょう。しかしそれは、あなたも同じなのです。皆、あなたのことも支持している。陛下と同じように、あなたのためならば命を賭けることも辞さないのです。ですから、あなたが陛下に反対すれば、どれだけの者があなたの味方をするのか、陛下にも判らないのです」
…………。
シャドウやクレアの言うことは、にわかには信じられないけれど。
でも、それならば、なぜ陛下が、役立たずの側室でしかないあたしなんかに、今回の計画を打ち明けたのか、判るような気がする。
陛下は、あたしを味方につける必要があったのだ。陛下と同様に支持されているあたしを味方につけないと、計画に支障が出る恐れがあったのだ。
でも、あたしは反対した。決して認めようとしなかった。だから、陛下はあたしを投獄した。
「近々、陛下は皆の前で演説を行うでしょう。王妃がクローサーの手によって殺されたこと。今、クローリナスで多くの死者が出ていること。クローサーが隕石の召喚を企てていること。クローリナスを徹底的に叩く必要があること。それを訴え、皆の反クローリナス感情を高めるつもりです。その後、国のどこかに隕石が落ちれば、もう、国民の感情を抑えることはできなくなります。エマ様、その前に、なんとしても陛下を止めなければなりません。これは、あなたにしかできないのです」
シャドウの言うことは、あまりにも大げさだ。あたしが陛下と同じくらいみんなから慕われているなんて、ちょっと考えられない。
でも。
もとよりあたしは、今回の陛下の計画には反対だ。止められるのならば、止めたいと思っている。
だから、シャドウの言うことを、信じてみてもいいかもしれない。
もし本当に、シャドウの言う通り、あたしがみんなから慕われているのならば……あたしに陛下を止める力があるのならば。
それを信じて、やってみよう。陛下を、止めよう。
「判ったわ、シャドウ。あたし、やってみる」
力強くそう言った。
「感謝します、エマ様」シャドウは片膝をつき、右手を握って左胸に当てて頭を下げる、例の騎士独特のお辞儀をした。
「お礼を言われる程のことじゃないよ。あたし、最初から陛下のことを止めなきゃいけないと思ってたもん。だから、みんなで協力して、この国を正しい方向へ導きましょう」
「はい。そのために、まずはイサーク・バーンを拘束する必要があります。奴は王妃を殺害しました。本来ならば、これだけで戦争の理由としては十分なのです。仮にクローサーの隕石召喚を阻止することができたとしても、王妃殺害の犯人をクローサーがかくまっている以上、いずれ戦争になってしまうでしょう。それを回避するためには、イサーク・バーンの拘束が急務なのです」
「――――」
シャドウの言葉に、あたしの決意が揺らいだ。
そうだ。陛下を止める、そのことに目を奪われて、根本的なことを忘れていた。まずは、逃げたイサークを捕まえないといけないのだ。
あたしにできるだろうか? あのイサークを捕まえるなんて。
あたしは、今でもイサークのことを愛している。愛する人を捕まえることなど、あたしにできるだろうか? 自分に問いかける。
――――。
決意が揺らいだことを恥じた。そんなのは、愚問だった。
愛しているからこそ、やらなくちゃいけないんだ。
他の誰でもない。あたしが、イサークを捕まえ、彼に罪を償わせなくちゃいけない。
あたしは、誰よりもイサークのことを愛している。それは断言できる。だからこそ、あたしがやらなくちゃいけないんだよ。
……よし。もう迷わない。そう決めた。
「判ったわ。じゃあシャドウ。さっそく行きましょう。クレア。隠れ家への案内、よろしくね」
クレアを見る。めんどくさそうな顔をしながらも、「ま、しょうがないわね。その代わり、さっきの条件は、必ず守ってもらうわよ。案内した後は、必ず解放してもらうから」そう言って、ドアに手を掛けた。
「あ、ちょっと待って」クレアを止める。「あたしにも一つ、条件があるんだけど」
「何?」
「案内の間、あなたは以前の、かわいいメイドのクレアでいること」
あたしがそう言うと、クレアはあからさまに呆れた顔になる。「……はあ? なんでそんなことしなくちゃいけないのよ」
「この条件が守れないなら、あたしは行かない。そうすると、イサークを捕まえることはできないから、あなたは牢屋に逆戻り。それでもいいの?」
「……あんなこと言ってるわよ? どうにかしてちょうだい」クレアは、助けを求めるようにシャドウを見た。
「まあ、エマ様がそうおっしゃるのならば、私に強制することはできません。そうなると、やはりクレアは不要ということになりますね。牢に戻すまでもないでしょう」シャドウは冷たく言うと、また右腕の籠手から刃を出した。
「それはやめてってば! 判ったわよ。やるわよ」
「へ? 何? 違うでしょ?」あたしは、いたずらっぽく笑う。
クレアは、諦めきった顔で、「判りました、エマ様。これでよろしいですか?」と、言うと、ぎこちないけど、にっこりと笑った。
「うん。ばっちりよ。よろしくね、クレア」
あたしはクレアの手を取って喜んだ。
「……この演技、けっこう疲れるんだけどね」
「ん? なんか言った?」
「いえ。何でもありません。じゃあ、行きましょう」
まだぎこちなさが残る笑顔でそう言うと、クレアは部屋を出た。あたしとシャドウはそれに続いた。
クレアの話によると、クローサーの隠れ家は、首都ターラにもいくつかあるけれど、そこにイサークはいないだろうとのことだ。彼が隠れていている可能性が高いのは、このターラから鉄道で北に一日ほどの場所にある、エンフィールドという小さな街だと言う。この隠れ家は、クローサーがブレンダで活動するための拠点となっており、多くのメンバーが潜んでいると言うのだ。
「そこでクローサーのメンバーを束ねているのが、ルーファス・アクロイドという男です。ブレンダ国内での活動の全てを任されていて、実質クローサーのナンバー2と言えるでしょうね」
イサークを拘束するには、そのルーファスという男と交渉し、引き渡してもらうか、隠れ家に忍び込んで、直接イサークを捕まえるかのどちらかだ。
どちらにしますか、という目であたしを見るクレアとシャドウ。
こちらはたった三人しかいない。クレアはクローサーだから、実質二人。その上、もし戦いになったら、あたしは何の役にも立てない。正面から交渉するのはあまりにも無謀だ。隠れ家に忍び込んで捕まえた方が、安全で成功の可能性も高いだろう。シャドウなら、うまくやってくれるはず。
でも、クローサーのナンバー2と交渉できるなど、またとないチャンスだ。相手が交渉する気になるかは判らないけど、うまくすれば、イサークを捕まえるだけでなく、隕石召喚の攻撃も中止させられるかもしれない。なら、それに賭けるしかないだろう。あたしがそう告げると、シャドウもクレアも、無言で頷いてくれた。
…………。
あたしが、クローサーのナンバー2と交渉?
我ながら、無茶なこと言うな。
あたしみたいな何の取り柄もない女が、隕石攻撃を中止させるなんて、できるとは思えない。
でも、判っている。やるしかない、と。
あたしに、この国の多くの人の命がかかっている。それを思うと、その重みにつぶされそうになる。でも、耐えなければいけない。やらなければいけない。それができるのは、今は、あたししかいないのだから。
そしてあたしたちは、ターラ駅から鉄道に乗り、エンフィールドの街を目指した――。