#04
席を立ったイサークは、そのまま部屋を出ようとする。
イサークは今、何と言ったの? ベルンハルトを殺す? 陛下を殺すってこと? もちろん言葉の意味が判らないわけではない。でも、やっぱり彼の言ってることは理解できなくて。何を、何を言ってるの? イサーク。
「俺は許せないんだ。あいつが」イサークは、憎々しげに、陛下のことを、あいつ、と呼んだ。「あいつは俺からエマを奪っていった。そのことは決して許せない。償いはしてもらう」
静かな口調だったけど、その奥に宿る怒りの感情が、あたしには見える。
本気だ。
直感的にそう思う。
そうだ。言ってることが理解できない、なんてことは無い。イサークは、陛下を殺す気なんだ。陛下が、あたしを奪っていったと思っているから。でも、それってとんでもない間違いだよ!
「待って、イサーク!」慌てて止める。「陛下は悪くないよ。あたしが側室になったのはあたしの意思。あたしが自ら望んだことなの。陛下は関係ない。何も知らなかったんだから」
「例えそうだとしても、それでも俺は許せない。俺はお前と一緒になるはずだった。それを邪魔したのは、まぎれもなくあいつなんだ。そして今も、お前は俺よりも、あいつを選んだ」
「そ、そんなつもりじゃ――」
そんなつもりじゃ、ない――そう言うことが、できなかった。
あたしは、イサークよりも陛下を選んだ――そう思われても仕方が無いかも、と、思ってしまったから。
あたしは今、イサークの二度目のプロポーズを断った。この城に残ることを選んだ。それがお互いのためだと思ったから。だってそうでしょ? どんなにあたしがイサークのことを好きでも、今のあたしは陛下の側室で、彼はこの国の騎士。どう考えたって、結ばれるべき間ではないもの。
でも。
理由はどうあれ、それは、イサークよりも陛下を選んだことになるのだ。
「もちろん、あいつを殺したところで、お前が俺のもとに帰ってくるとは思っていない」イサークは、剣をぎゅっと握りしめる。「これは俺の誇りの問題だ」
そして、部屋を飛び出した。
そ……そんな! イサーク、まさか本当に陛下を!?
あたしも部屋を飛び出す。廊下を見回した。すでにイサークの姿は小さくなっている。慌てて追いかけた。もちろん走るのはイサークの方が早く、とても追いつけない。それでも必死で追いかける。イサークはまっすぐに政務室の方へ走る。今、陛下がそこにいるはずだった。
どうしよう、どうしよう、どうしよう! 早く止めないと! でも追いつけない。
そして――。
イサークの走る先。廊下の向こうに。
四人の近衛騎士と、エリザベート王妃。そして、ベルンハルト陛下の姿が見えた。
「ベルンハルトォ!」
イサークが吼えた。
何事かと、陛下が振り返る。続いて、王妃と騎士たちも。
イサークが剣を抜いた。
異変に気付いた陛下は、王妃を後ろに下げる。その陛下をかばうように、武器を構え、イサークの前に立ちはだかる近衛騎士。
でも、彼らの剣が動く前に。
――――。
あたしの目には、閃光が走っただけに見えた。それ以外は、何も見えなかった。
でも、それだけで、四人の騎士が崩れ落ちる。
あたしは、ただ唖然とその光景を見つめるしかできない。
イサークが剣を振るう姿を見るのはこれが初めてだ。その斬っ先は、信じられないくらい早かった。近衛騎士団は優秀な騎士の集まりだ。それなのに、イサークの剣の前に、何の反応もできないなんて……。
イサークはさらに走る。目の前には陛下しかいない。一気に間合いを詰めたイサークは、鋭い一撃を放つ。
ガツッ!
振り下ろされた剣は、床につき刺さった。陛下は左に跳んで、イサークの一撃をかわしていた。
「な……何事じゃ! 誰か! 曲者じゃ! 誰かおらぬのか!」王妃が叫び、辺りを見回すが、返事をする者はいない。
「貴様……何の真似だ?」突然の強襲にもかかわらず、陛下は動じた様子を見せず、剣を抜き、冷静な口調でそう言った。
対峙する二人。
イサークは静かに剣を構え直し。
「俺はお前に、一番大切なものを奪われた……」チラリと、あたしの方を見た。
陛下はその視線に気付き。「そうか。お前がエマの……」全てを悟ったような口調。「話は聞いている。そなたの母親の命を救うために、エマは余の側室になった、と」
「――――」
イサークは応えない。構えた剣は、陛下に向けられたままだ。
「エマは余の命の恩人であるのに、そのような仕打ちをしてしまい、本当にすまないことをしたと思っている。そなたにも、いつか会って詫びねばならぬと思っていたのだ。だが、だからと言って余の命をくれてやるわけにはいかん。余はこの国の王。余の命には、このブレンダの全てがかかっているのだ」
それを聞いたイサークは、フフっと、不敵に笑った。
「何がおかしい?」と、陛下。
「……立派なものだな。王の命とは。この国の全てがかかっている、だと?」
「そうだ。余はその覚悟を持って生きているつもりだ」
「では訊くが……貴様、クローリナスでどれだけの騎士の命が失われたと思っている?」
「――――」
陛下は答えなかった。もちろん、知らないわけではない。クローリナスでの被害は、毎日のように報告されており、陛下はそのすべてを把握しているはずだ。きっと心を痛めているに違いない。しかしそれは、所詮は紙の上での、あるいは、人づてに聞いてのこと。実際に陛下がクローリナスを訪問したことは無い。
「クローリナスに派遣された騎士団の現状も知らず、労いの言葉をかけ、酒と食事をふるまえばいいと思っているだけの貴様が、王だとは笑わせる」
陛下は言葉を返せない。常に自分の行動に自信と責任を持っている、あの陛下が。
あたしには判った。イサークの言うことは、見事なまでに、陛下の弱点を突いている、と。
二年前、陛下はクローリナスの現状を知ろうと、密かにクローリナスを訪問しようとしたけど、クローサーに情報が漏れ、それは叶わなかった。その後も、陛下は何度もクローリナス訪問を望んだようだけど、結局、実現することは無かった。二年前のあの事件が、今でも尾を引いているのだ。
「貴様はなぜ、クローリナスに騎士を派遣する? 多くの死者を出してまで、なぜクローリナスにこだわるのだ?」イサークは、容赦なく陛下を責める。
「余は、クローリナスの平和を望んでいるのだ」
「クローリナスの平和を望むか。立派なものだ。自国の平和を脅かしてまで、それを手に入れたいとは。知っているか? クローリナスでは、貴様は侵略者と言われている。国の機能を失ったのをいいことに、騎士団を送り込み、己の好きなように操ろうとしている、と。『クローリナスの復興に、他国の介入は不要』と、これはもう、クローサーのみの言い分ではない。クローリナスの人間は、みんな思っている。今では一般市民ですら、騎士団に向けて石を投げてくる有様さ」
「――――」
陛下は応えない。応えることができない。実際にクローリナスの戦いを経験してきたイサークと、どんなに心を痛めていようとも、結局は安全なお城にいて報告を受けるだけだった陛下との差が、言うべき言葉を失わせていた。
「ふん。まあ、今はどうでもいい。俺はただ、エマを奪った貴様が許せないだけだ。他のことはどうでもいい」
剣を構えるイサーク。すでにその顔には、勝者の笑みが浮かんでいるように見えた。
「貴様の言い分は判った。だが、それでも余はこの国の王だ。命をくれてやるわけにはいかぬ」陛下も剣を構え直す。
睨み合う二人。
先に動いたのはイサークだった。近衛騎士四人を一瞬で片付けた斬っ先が、陛下に襲いかかる。
がしん!
剣と剣がぶつかる。
耳をつんざく金属音。
飛び散る火花。
どうしよう? 早く止めないと! 誰か!? 誰かイサークを止めて! あたりを見回す。いつもなら必ず近衛騎士が控えているはずの城内なのに、今日は誰もいない。なんでこんな肝心なときに誰もいないの! 王妃も辺りを見回し、誰もいないことに苛立っている。いつも陛下や王妃のそばにいるはずのウィンやシャドウさえもいないなんて、いったいどうなってるの!?
そうだ! リュース!
あたしはリュースからもらった通信機を取り出す。スイッチを押してコールすると、すぐに出てくれた。
「エマ、どうかした?」
「リュース! 助けて! 陛下が!!」
大慌てのあたしの口調で、リュース、声を改める。「どうしたの? 落ち着いて。陛下が何?」
「イサークが、陛下と戦ってるの! 陛下を殺すって!」
「何ですって!?」
「お願い! 早く止めて!」
「護衛は? 近衛騎士はいないの?」
「いたけど、イサークに倒されちゃった。他には誰もいない。ウィンもいないの!」
「判った。すぐに行くわ。あなたは近くに誰かいないか、とにかく探して!」
通信が切れる。あたしは言われた通りあたりを見回し、誰かいないか叫んでみるけど、やっぱり誰もいない。陛下とイサークの戦いは続く。あたしも王妃も、見ているしかできない。どうしよう? リュース、すぐとは言っても、騎士団の宿舎からだと、どんなに急いでも数分はかかってしまう。
がしん!
何度もまじりあう剣。弾かれるのは、常に陛下の剣だった。そのたびに陛下は、体勢を立て直し、剣を振るう。
陛下の剣の腕は一流だ。以前クローサーの一味に襲われたとき、ケガをした身であったにもかかわらず、大勢の男たちを斬っていた。その剣さばきは、騎士団からも感嘆があがるほど。
しかし今は、完全にイサークが押している。
これが……イサーク?
目を疑わずにはいられない。剣を振るうその姿に、二年前の優しい猟師の姿は無い。それはまるで、狂戦士のようだった。その剣には、憎しみが宿っているように見えた。
何の憎しみだろう? ふと、そんなことを考える。
あたしを奪ったことが許せない。イサークはそう言った。でも、それだけではないと思った。
彼はクローリナスで、どれだけの地獄を見たのだろう?
このお城にいても、クローサーとの戦いの影響で、何人もの人が死んだ。最前線にいた彼が、いったいどれだけの死を見てきたのかは、想像もつかない。さっき、イサーク自身は「どうでもいい。エマを奪ったお前が許せないだけだ」と言っていたけれど、それはウソだと思った。あたしのことだけで、あれほど憎しみのこもった剣を振るうとは、到底思えない。
がきん!
激しい金属音と火花、そして、宙を舞う一本の剣。弧を描き、床につき刺さる。
それは、陛下の剣。
「終わりだ、ベルンハルト! 全てを償え!」
イサークが、剣を振り上げた。
ダメだ。その剣を下ろしてはいけない。
イサークの言いたいことは判る。クローリナスに騎士団を派遣したのは陛下だし、その結果、多くの死者が出ているのは、まぎれもない事実なのだ。
でも、だからと言って陛下の命を奪うのは、間違っている。
陛下はクローリナスの平和を願って騎士団を派遣したのだ。決して侵略が目的だったわけではない。そして、多くの命が失われていることに、誰よりも心を痛めているのは陛下だし、何とか事態を収拾しようと、毎日努力をしている。
そう。陛下はこの国に必要な人。この国の王なのだ。失うわけにはいかない。止めなきゃ、イサークを。でも、リュースはまだ来ない。ウィンもいない。誰もいない。
剣が、動いた。
「ダメぇ!」
叫ぶ。彼を止めるために走った。でも遅い。間にあわない。何もできない。
と。
イサークと陛下の間に、誰かが立った。
王妃だった。
その瞬間。
世界の動きが、ものすごくゆっくりになった。
あれだけ早かったイサークの剣が、のろのろとした、あたしでもかわせそうな、そんな、なまくらな一撃に感じる。
イサークの向こう。廊下の奥に、リュースの姿が見えた。走ってくる。でも、亀みたいにのろい。
王妃に向かって振り下ろされる剣。簡単にかわせそうだ。でも、王妃はかわさない。ただ、彼の剣が振り下ろされるのを待っていた。そう見えた。
剣が、王妃に触れる瞬間。
あたしは、目を閉じた。