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#03

 自分の寝室に戻り、あたしは適当に荷物をまとめる。鬼女はこの診療所を使うとは言ったけど、あたしに出て行けとまでは言ってない。でも、この狭い家に、今は十人以上の人がいる。こんなにもたくさんの人がいたんじゃ、さすがに居心地が悪い。今夜はイサークの家にお邪魔することにしよう。家を出るとき鬼女と目が合ったけど、特に何も言われなかった。出て行って当然、と言わんばかりだ。その態度に少し腹が立ったけど、まあ、これはあたしの考え過ぎかもしれない。そう自分に言い聞かせ、黙って家を出た。家の外にも何人もの騎士が立っている。一度襲撃を受けたのだから、警備は厳しいんだろうな。みんな殺気立っていて、話しかけたりはできない雰囲気だ。

 向かいの家の前ではイサークが心配そうな顔で待っていてくれた。陽はとうに西の山の陰に消え、空には明るい星々が瞬いていた。

「ゴメンね、イサーク。こんな、突然あなたの家に押しかけるような形になっちゃって」

「いや、まあそんなことはいいんだけど。何と言うか、大変なことになったな」

 ホントだね、イサーク。大変なことになったよ。

 森の中でケガ人に出会った。あたしは医者だから、当然のように治療した。でも実はその人は、悪の組織に追われているこの国の王様だった! なんて、今でも信じられないよ。平和なこの村で、こんな大騒ぎに巻き込まれるなんてね。

 でもまあ。

 こんな騒動も、多分、今夜限りだろうな。明日になれば、この人たちは都に帰るだろう。そうすれば元の静かな田舎村。退屈だけど、幸せな毎日が戻ってくる。だから、今晩だけ我慢しよう。ね、イサーク。

 あたしはイサークの家に入った。部屋ではジェシカさんが、何があったのか、と、心配そうな表情で迎えてくれた。ジェシカさんに話していいものかどうか迷った。ウソみたいな話だし、余計な心配をかけるのも悪い気はしたけど、隠してるともっと余計な心配をしそうだし、あたしたちはすべてを話すことにした。

「――それは大変なことになったねぇ。エマ、大丈夫だったかい?」

 話を聞いたジェシカさんは、真っ先にあたしのことを心配してくれた。あたしは「大丈夫、大丈夫」と、笑顔で答えた。大騒ぎだったけど、あたしもイサークも無事だったのは本当に良かった。ま、あの鬼女のせいでイサークは腰を痛めて、あたしは胃を痛めたけどね。

 トントン。

 誰かが玄関をノックする音。誰だろ?

「はい?」と、イサークが返事をする。

「すみません。ミロン・コンラードです。こちらに、エマ様はいらっしゃいますか?」

「あ、はーい」あたしは返事をする。さっきの、王様と一緒にいた若い騎士の人だ。何だろ? あたしは玄関を開けた。

「ああ、良かった。会ってくれないかと思いました。先ほどは、本当に、申し訳ありませんでした!」

 ドアを開けると、ミロンはいきなり深々と頭を下げ、大きな声で謝罪の言葉を口にした。

「ちょっ……ちょっと、何?」あまりに突然だったので、あたしは戸惑う。

「僕がふがいないばかりに、陛下の命の恩人であるエマ様を、危険な目に遭わせてしまいました。何と言ってお詫びしていいか判りません」

 ミロン、そのまま土下座でもしてしまいそうな勢いだ。あたしは彼の両肩に手をかけ。

「そんな、謝らなくても大丈夫だよ。あたし、ケガも何もしてないし。王様も無事だったんだし。あなたこそ、あの三人組に抑えつけられたりして、ケガしてない?」

「はい! 僕は大丈夫です。ご心配には及びません」

 ミロンは頭を上げ、にっこりとほほ笑んだ。確かに、三人組とは格闘になったけど、押さえつけられただけだからケガはないようだ。ないけど、あの鬼女にひっぱたかれた左の頬が真っ赤に腫れている。それが唯一の傷といえば傷だ。すごく痛そうだな。

 ミロンはあたしが腫れた頬を見ているのに気がついたのか、苦笑いをし、「ああ、これですか。気にしないでください。僕が隊長に怒られるのはいつものことですから」

 あの鬼女、いつも部下をひっぱたくのか。かわいそうだな。

「入って、ミロン。冷やしてあげる」

「え? いや、しかし……」

「いいのいいの。まあ、あたしの家じゃないけど、気にしないで。ほら」

 ミロンは遠慮がちに部屋の中に入った。あたしはイサークとジェシカさんにミロンを紹介し、台所に行ってタオルを水に浸し、戻ってミロンの頬に当てた。

「……すみません」

 ミロンは恥ずかしそうに目を伏せた。心なしか顔が赤い。ふふ。なんか、かわいいな。歳はあたしよりずっと下だろう。多分、二十歳になってないと思う。それなのに一人で王様を護って、立派だよ。あんな鬼みたいな隊長の下で働くのって、どんなだろ? ピリピリしてイヤだろうな。……ま、騎士団だからそんな甘いことは言ってられないんだろうけど。

「ミロン、今どこ?」

 突然、きつそうな女の声。あの鬼女だ。あたしはミロンの頬から手を離し、見回す。あれ? 近くにはいないな。まあ、ミロン以外の人が部屋に入ってきた気配は無かったから当然なんだけど。でも、今の声は確かに部屋の中から聞こえてきた。

「あ、はい。こちらミロン。えっと、診療所の向かいの家にいます。すみません、すぐに戻ります」

 ミロン、あわてた口調で左手に向かって話しかけた。さっきの魔導機ってやつを握っている。あれ、いったい何なんだろ?

「そこにエマ・ディアナスさんはいる?」

 鬼女の声。どうやら、彼が持ってる魔導機から聞こえてくるみたいだ。

「はい。いらっしゃいます」ミロンが答える。

「陛下がお目覚めになったわ。事情を話したら、ぜひエマさんに会いたとのことだから、すぐにお連れして」

「はい。了解です」

 そう言うと、ミロンは左手を下ろした。

 今、ミロンと鬼女が会話しているように見えた。でも、鬼女はここにはいない。多分診療所にいるんだろう。診療所は通りを挟んですぐそこだから、大声でしゃべれば会話できないこともないんだけど、ミロンも鬼女もそんなに大きな声は出してないし、それにどう見ても、二人はあの魔導機ってやつを通して話してた。つまり、想像するに、あの魔導機、離れていても会話ができる機械なのかな?

「……あ、これですか?」ミロン、あたしが魔導機をじっと見ているのに気が付き、あたしに見える高さに上げた。黒くて丸い、手のひらにすっぽりと収まるほどの大きさだ。「魔導通信機、と言います。騎士団全員に配布されていて、離れた場所にいても、これに話しかければ、会話をすることができるんです」

「やっぱりそうなんだ……すごいね、それ」

「はい。僕も初めて見たときは感動しましたよ。こんな高度な魔法を、誰にでも使えるようにするなんて、本当に、この国の魔導の技術には驚かされます」ミロンはうっとりするような眼で魔導機を見つめていた。でも、すぐにさっきの鬼女の言葉を思い出し、「……あ、申し訳ありません。隊長からの通信で、陛下がお目覚めになって、エマ様にお会いしたいとのことです。申し訳ありませんが、一緒に来ていただけますか?」

 うーん。あの鬼女にもう一度会うのは正直イヤだけど、王様のお呼びじゃ、断るわけにもいかない。あたし、なるべく笑顔を作る。「もちろん。行きましょう」

 あたしは王様に呼ばれたことをイサークに伝え、ミロンと一緒に部屋を出た。

 …………。

 ちょっと待てよ。

 あたし、診療所の玄関の前で立ちすくむ。

 考えてみたら、今から王様に会うんだよね?

 あたしみたいな田舎者が、王様に会う?

 いやまあ、怪我の治療もしたし、さっきまでずっと一緒の部屋にいたんだから、今さらそんなこと気にしてどうする? って感じなんだけど、冷静に考えてみたら、これってとんでもないことだぞ? あたし、王様に会うときの作法なんて知らないし、どうしたらいいんだろう? とりあえず、さっきあの鬼女があたしに謝ったときみたいに、右手を握って左胸に当て、片膝をついて頭を下げればいいのかな? なんかそれっぽいけど、あたしがやって変じゃないかな? それ以前に、どうしよう、あたしの服装。地味な茶色のワンピース。完全に普段着だよ。これで村中の患者を診て回ったり、森に行って薬草を採ったりするから、結構汚れている。まあ、こんな田舎村だから、よそいきの服に着替えるって言ってもたかが知れてるんだけど、さすがにこの服は無いよなぁ。髪もぼさぼさだし。

「ねえ、ミロン。あたし、着替えた方がいいかな?」診療所のドアを開けようとしたミロンにそっと訊く。

「え? なぜですか?」

「だって、こんな恰好じゃ、さすがに失礼でしょ?」

 ミロンは、視線をあたしの頭から足下へとめぐらせる。それから笑って。「大丈夫ですよ。陛下はそんなこと、気にするような方じゃありませんから」

 うーん、そうなのかな? だといいんだけど。

 ミロンはドアをノックした。

「第八部隊・ミロン・コンラードです! エマ・ディアナス様をお連れしました!」

 大きな声で名乗り、ドアを開け、ビシって音が聞こえてきそうな勢いで敬礼をした。規律の厳しさが伺える動きだった。うーん。とてもこんな小汚い恰好で入って行って大丈夫な雰囲気に見えないんだけど……。

 なんてあたしが気おくれしているのなんて関係なしに、部屋の中から、「入れ」と、低く、威厳のある声がした。ミロンに続き、あたしもおそるおそる部屋に入る。部屋の左奥にベッド、その反対側に机と棚。見慣れたあたしの診療所だけど、今夜は十人以上のお客さんでひしめき合っている。で、ベッドのそばには例の鬼女と、杖を持った白髪の老人と、背の高い男の騎士、そして、ベッドの上に座ってこちらを見ている人。今が初対面ってわけではないけど、改めての対面となると、ものすごく緊張する。ただ座っているだけなのに、思わずひれ伏してしまいそうな、そんな見えない力があふれ出している。あれが、魔導王国ブレンダの王・ベルンハルト・フリクセン陛下――。

「ご苦労、ミロン。お前は下がってよいぞ」

 陛下が口を開いた。短い言葉だったけど、それだけで重みを感じる。普段から人に命令することに慣れきっている、そんな響きだった。あたしの緊張、もう最高点に達している。心臓バクバクで、この音が周りの人にも聞こえるんじゃないかって思うほど。まずいなぁ。あたしなんかに何の用だろう? 治療の仕方がまずいって、怒られるのかな? そんなの仕方ないよ。あたしは一応医者だけど、王様付きのお医者様とかと比べたら、月とすっぽん。まともな治療なんてできるはずもない。

 ミロンは深く頭を下げると、部屋から出て行った。あーん。ミロン、この中で唯一あたしが緊張せずに話せそうな人だったのに。どうしよう。うーん。このまま突っ立ってても失礼だよね。とりあえず、ごあいさつ、かな? うん。そうだね。さっきの鬼女のお辞儀のスタイル。あたしは右手を握って左胸に当て、片膝をつき、頭を垂れた。

「えっと……エマ・ディアナスです……その……本日は……お招きいただきまして……いや、ここはあたしの家だから、招かれたっていうのは違うかな? えっとその……とにかく、ありがとうございます」

 このときは緊張していて自分でも何を言っているのか判らなかったんだけど、とにかく、変なことを言ってしまったのだけは判った。やばい。絶対怒られる。あたしがますます緊張し、身体をこわばらせていると。

「はは。そう緊張することはない。頭をあげよ」

 と、さっきとは打って変わって、やさしい口調で、陛下はあたしに声をかけてくれた。顔をあげると、すごく親しみやすい笑顔を向けてくれていた。その笑顔を見た瞬間、あたしの身体の中から力が抜けていく。思わず倒れそうになった。

「おいおい、大丈夫か?」と、陛下。

「ああ、すみません。あたし、緊張しちゃって。王様にお会いするのなんて、生まれて初めてのことで……」

「王と言えど同じ人間。そう固くならずともよい」

「はい。ありがとうございます」

「礼を言うのは余の方だ。話によると、そなたの治療がなければ、出血がひどく危うかったかもしれぬとのこと。そなたは余の命の恩人だ。心から礼を言うぞ」

 そう言って、陛下は頭を下げた。ひゃあ。そんな、あたしなんかに頭下げて、ど、どうしよう。また緊張してきたよ。

「そなたには礼がしたい。何か、望みはあるか?」陛下はあたしの顔をのぞきこむように見た。

「そ、そんな! めっそうもございませんです。あたし、一応医者ですから、当然のことをしたまでで。だから、お礼なんてもう、その言葉だけで十分ですよ、はい」

 ……なんか、また変な口調になってしまった。うーん。もっと落ち着け、あたし。なんか、自分の性格がイヤになってくるよ。

「それでは余の気が済まぬ。何でも良いぞ。申してみよ」

 そんなこと、突然言われても、ねぇ。うーん、困ったぞ。こういう場合、やっぱりお金をもらうのが一般的なんだろうか? ……でも、この場でお金をくれって言うのも、なんかいやらしいよね。それにあたし、特にお金に困ってないしなぁ。まあ、お金だから無いよりはあった方がいいんだろうけど。でもこの村じゃ、お金の使い道なんてたかが知れてる。お店も何も無いんだから。月に一、二度、旅の商人が通るけど、それだって大したもの売ってないし。

 あ、でも。

 お金があったら、イサークのお母さんを、都会の病院に連れて行ってあげられるかな?

 うん。それ、いいかも。

 あたしみたいな医者もどきじゃなく、本当のお医者さんに診てもらえば、イサークのお母さんの病気、治るかもしれない。

 いや、それよりも、お金なんてもらわなくても、この人たちに診てもらえばいいんだ。王様を診るくらいの医者だから、やっぱり腕は一流なんだと思う。あたしなんかより、よっぽどしっかりしているはず。

 でも、大丈夫かな?

 まさか、「王宮直属の医者を、庶民ごときに使わせるつもりか!?」なんて怒られたりしないとは思うけど……。どうかな? まあ、言うだけ言ってみよう。陛下自身が何でも良いって言ってるんだし、お金を下さい、って言うよりは、印象も良いと思う。

 よし。

「では、お願いがあるんですけど」

「なんだ? 申してみよ」

「この家の向かいに、あたしの幼馴染の、イサーク・バーンが住んでいます。そのお母さん、ジェシカは、昔から心臓が弱いのですが、あたしが診ても原因が判らなくて、治してあげられないのです。もっといいお医者様に診てもらえば、もしかしたら治るかもしれません。お願いです。都のお医者様に診ていただけないでしょうか?」

 言い終えた後、陛下は周りの人たちと顔を見合わせる。うーん、やっぱりダメかな? と思ったけど。

「そんなことでよいのか? たやすいことだ。おい、アルバロ――」

 陛下はベッドのそばに立っている老人を呼んだ。腰まで伸びた白髪と、腹まで伸びた豊かな髭。顔はしわだらけで、身体にはゆったりとしたローブを身につけ、右手には長い杖を持っている。見るからに魔術師という格好だ。

「アルバロ・フェルナンデンだ」陛下が魔術師を紹介する。「宮廷魔術師であり、余の専属の医者でもある。我が国でも十指に入るほどの腕だ。アルバロ、診てやれるか?」

「もちろんです、陛下」魔術師は頭を下げた。

「では頼むぞ。エマ、その母親のところに案内してやってくれ」

「はい! ありがとうございます!」

 あたしは立ち上がり、何度も何度もお礼を言って、頭を下げた。やった! ジェシカさんを、国でも有数のお医者さんに見せてあげられる! これできっと、病気も治るよね? イサーク、喜ぶだろうな。早く教えてあげないと! あたしは急いでアルバロ様をイサークの家へ案内した。

「イサーク! 聞いて聞いて!」

 イサークの家に入るなり、あたしは大きな声で言う。

「何だ、エマ。どうしたんだ?」

 イサークはうるさそうにあたしを見る。ふふん。これを聞いたら、あなたもきっと大声で喜ぶぞ。

「あのね、王様が、治療のお礼にご褒美をくれるって言うの!」

「へえ、良かったじゃないか。で、何をくれるって?」

「へへん。何でも良いって言うから、あたし、ジェシカさんをちゃんとしたお医者さんに見せてあげたいって、頼んだの」

「母さんを?」

「うん! そしたらなんと、王様専属のお医者様が診てくれるって! この国でも十本の指に入るほどの、すごいお医者様なんだよ! それも、すぐに診てくれるって!」

「ホントか!? すごいじゃないか!」

 イサーク、予想通り、あたしに負けないくらいの大きな声を上げる。そして二人して手を取り合い、ぴょんぴょん飛び跳ねて喜びあった。

「……そう騒ぐでない。ただ診察するだけなのだぞ」呆れた顔をしてアルバロ様が部屋に入ってきた。「――して、患者はそちらか?」

「あ、はいそうです」あたしは部屋の奥のベッドで横になっているジェシカさんのもとに駆け寄り、肩を支えながら、ゆっくりとベッドの上に起こした。「ジェシカさん。聞いての通り、一流のお医者様が診てくれるの。これできっと、身体、よくなると思いますよ!」

「本当に……いいのかい?」ジェシカさん、力無い口調。

「もちろん! 王様のお墨付きだもん! じゃあ、アルバロ様、よろしくお願いします」

 アルバロ様は、うむ、と頷いて、ジェシカさんの前にイスを置き、座った。あたしとイサークは邪魔にならないよう、少し離れて様子を見ることにした。

「――ホントに良かったね、イサーク。これできっと、ジェシカさんも良くなるよ」

 あたしはイサークに寄り添った。

「ああ、そうだな。これもエマのおかげだ。ありがとう」

「そんな。あたしは何にもしてないよ。ただ、運が良かっただけ」

「いや――本当に、ありがとう」

 イサーク、真顔であたしを見つめ、そして、深く頭を下げた。やだ、やめてよイサーク。もう。涙出てきたじゃない。あたしは恥ずかしくてイサークから顔を逸らした。ジェシカさんの方を見る。

 ジェシカさんはアルバロ様の質問に答えているようだった。それが終わると、アルバロ様は目を閉じ、右の手のひらをジェシカさんに向け、何かつぶやき始めた。すると、アルバロ様の右手が薄い青色に光り始めた。

「なんだ、あれ?」

 イサーク、驚きの表情。あたしも同じような顔をしているに違いない。

 初めて見た。あれ、多分魔法だ。さすが魔導国家ブレンダ屈指の医者だけあって、診察にも魔法を使うみたい。すごいな。アルバロ様は光る手のひらをジェシカさんの左胸にかざす。しばらく円を描くような動作をした後、今度は頭の方へ移動し、同じく円を描く。そして今度はお腹へ。そこでも同じ動き。

「反対を向いていただけますかな」

 アルバロ様に言われ、ジェシカさんは背を向ける。そこでも同じように何度か移動し、円を描くような動きをしてみせた。

「ふむ。よろしいですよ」

 言うと同時に彼の右手の光は消えた。そしてローブの中から紙とペンを取り出すと、机の上に置き、何か書き始めた。

「あの、どうでしたか?」

 診察は終わったものと思い、あたしはジェシカさんをゆっくりと寝かせながら、アルバロ様に結果を訊いてみた。アルバロ様はペンを置き、ううむ、と、大きく唸った。何だろう? あまり良くない結果なのかな? あたしとイサークは不安げに顔を見合わせる。

「――正直申しあげて、母君の容体はあまり良くない」

 アルバロ様は静かにそう言った。あたしとイサークの顔から輝きが消えていく。都のお医者様に診てもらえればきっと良くなる。さっきまでは漠然とそう考えていたけど、そんな甘いものではないのだろうか?

「今、母君の身体の中を見た」

「身体の中を? というと、さっきの青い光の魔法ですか?」

「うむ。あれで、身体の内部を見ることができるのだ。それによると、母君の心臓の筋肉が、非常に薄くなっておる」

「――――」

 あたしは言葉を失う。イサークとジェシカさんは、それがどういうことか判らないらしく、あたしとアルバロ様の顔を交互に見比べていた。

 あたしは一応医者だから、臓器の仕組みについてはそれなりの知識がある。心臓は、伸縮することにより血液を身体中に送り出す器官だ。常に動いているので、身体の中でも最も筋肉が発達している。その心臓の筋肉が薄くなっているということは、血液を送り出す力が弱くなっているということ。だから、身体に血液が行き渡らず、少しの運動でも、すぐに疲れたり、めまいや動悸に見舞われたりするのだ。

「――拡張型心筋症」アルバロ様が聞きなれない言葉を口にする。「母君の病名だ。首都ターラでも、この病気にかかっている患者は多い。原因は、我が国の医学をもってしても、いまだに特定はできておらぬ」

 その言葉に、再びあたしたちは沈黙する。

 都のお医者様でも原因を特定できないなんて……。ジェシカさん、そんな重い病気だったんだ。

「――治るんですか?」

 訊いたのはイサークだった。最も聞きたいことであり、でも、今のアルバロ様の態度を見る限り、あまり聞きたくないことでもあった。原因が特定できてない以上、治す薬があるとは思えない。

「残念ながら、原因不明の病気ゆえに、特効薬などは存在しない。……だが、治す方法はある」

 ――――。

 その言葉に、あたしたちの胸に希望の光が灯る。

 治せるんだ。ジェシカさんを――良かった!

 でも、特効薬が存在しないのに、一体どうやって直すのだろうか? 考えてみても、あたしには想像もつかなかった。

 アルバロ様が言葉を継ぐ。「心臓を移植するのだ」

「…………」

 あたしたちは、また言葉を失った。

 心臓を、移植?

 移植。その言葉の意味が、その瞬間、あたしには理解できなかった。いや、違うな。理解はできていたけど、心臓という言葉と結びつかない、と言うべきかな? 移植とは、移し替えること。森の木を別の場所に移し替えたりすることを、移植って呼ぶよね。うん。移植の意味は判るんだけど、心臓を、っていうのが、よく判らない。そのままとらえると、つまり、誰かの心臓を、ジェシカさんに移し替える、ってことだけど……。

 …………。

 いやいやいやいや、それはないでしょ?

 だって、心臓だよ? 身体の臓器だよ? しかも、生命をつかさどる、身体にとって最も重要と言っても良いくらいの器官だよ?

 それを移し替える?

 無い無い。絶対に、無い。

 だって、心臓なんて、取り外しただけで死んじゃうよ。絶対無理だって。もう、冗談きついなぁ、この人。

 でもアルバロ様、とても真面目な顔をしている。冗談を言っているようには見えない。

 もしかして、ホントなのだろうか?

 にわかには信じられないけど、でも。

 そうだ。考えてみたら、これまでも信じられないようなことばかりだったじゃない。

 例えば、ミロンや鬼女が持っていた魔導機。遠く離れていても話ができるなんて、この目で見なきゃ、とても信じられないような物だ。こんなものが作れるなんて、この国の技術は本当にすごい。

 そして、さっきのアルバロ様の魔法。手をかざすだけで、身体の中を見ることができる。これもすごい技術だ。昨日までのあたしじゃ、想像もできなかった。

 つまり、都に行けば、今のあたしなんかには想像もできないようなとんでもない技術が、たくさんあるってことだ。だったら、心臓を移植するなんて、冗談にしか思えないようなことも、ホントにホントに、できるのかもしれない。

「……心臓を移植って、心臓を移し替えるってことですか?」

 あたしは恐る恐る訊く。アルバロ様は黙って頷いた。

「そんなことが可能なんですか?」

 続けて質問する。アルバロ様は、また黙って頷いた。

 ――すごい。

 何がどうすごいのか、うまく言葉では言い表せない。すごいことがいっぱいありすぎて、もう訳が判らないけど、とにかくすごいよ!

「すごいよ! イサーク! 心臓移植だって! ジェシカさん、治るんだって! すごいよ!」

 あたしはイサークの手を取り、またまた部屋中飛び跳ねる。イサークは何が何だか判らないという表情だったけど、とにかくあたしが、治る、と言い続けていたので、お母さんの病気が治るということだけは判ったらしく、やがて笑顔になって、あたしと同じように部屋を飛び跳ねた。

「落ち着けと言うに。治す方法があるというだけだ。治るとは断言できんのだぞ?」

 アルバロ様、またあたしたちを黙らせるひと言を発する。

「――と、言うと?」

「問題が三つある。まず一つ目。この治療法は、決して成功率が高いとは言えない」

「――――」

 あたしたちは黙ってアルバロ様の説明を聞いた。

 彼が言うには、都には彼よりも優秀な医者が何人かいるらしいのだが、その医者たちの腕をもってしても、成功率は七割程度だという。つまり、十人中三人は失敗するのだ。決して低い数字ではない。

「人の身体には相性がある。誰の心臓でも移植できるわけではない。身体が心臓を受け入れることができなければ、最悪の場合、死に至ることもある。これは、今のところ技術ではどうにもならん」

 アルバロ様の説明に、イサークもジェシカンさんも動揺を隠せない。

「それから二つ目。手術を受けるまでには、長い時間がかかる」

 アルバロ様は説明を続ける。

 今、首都ターラには、世界中から、心臓移植を希望する患者が集まってきている。何と言っても、この治療ができるのは、世界広しといえどもこのブレンダだけなのだそうだ。現在、百人近い数の希望者が、ターラの病院にいると言う。

 それに対し、提供できる心臓の数は、あまりにも少ない。

 移植する心臓は、どんな心臓でも良いというわけではない。死んだ人間の心臓は、当然使えないのだ。だからといって生きている人間の心臓を使うわけにもいかず、結果として必要となるのは、「全体的に見れば死んでいるが、心臓は生きている」という、なんとも曖昧な状態の死人なのだ。当然そんな都合の良い死人がそうそうあるはずもない。したがって、とても全ての患者に移植可能な心臓がいきわたるような状態ではなく、手術が可能になるまで、数年かかるという現状なのだそうだ。

「三つめは、費用だ」

 最後の一つはとても簡単なことだった。移植手術には高度な技術が必要なため、高額なお金が必要なのだそうだ。その額を聞いて愕然とする。あたしたちが一生働いても、貯めることができそうにない額だった。

 三つ目は、ちょっとキツイ、かな。

 一つめと二つめは、そう大きな問題じゃない。成功率七割は、高いとは言えないけど、決して低いわけじゃない。むしろ、成功する確率の方が高いのだ。

 移植まで数年かかるという状態も、まあ、仕方ないだろう。移植可能な心臓が見つかるまで、気長に待つしかない。

 しかし、費用という点は、どうしようもない。

 それが数年間働いて貯められそうな額ならば、なんとか頑張って用意するのだけど、一生かかっても稼げないとなると、どうにもできない。

 あたしたちは、ただ、呆然とするしかなかった。


 アルバロ様が帰った後、夜風に当たってくる、と、イサークは外に出た。心配になって追いかけると、彼は家の近くの原っぱに腰かけ、星空を見上げていた。空一面に瞬く星は、いつもより光り輝いて見える。でも、なぜだろう? いつもより空が遠い気がする。

「ゴメンね。なんだか、期待を持たせるようなことしちゃって」

 あたしはイサークのそばに腰を下ろした。

 都のお医者様に診てもらえば、ジェシカさんの病気はきっと治る――そんな安易な考えでアルバロ様に診てもらった。ただ、病気が治ることだけを信じて。治らないとか、治すのが難しいとか、そう言われることは、十分に予測できていたはずだ。だからと言って、診てもらわないという選択肢を選ぶことはできなかったけれど、もう少し、慎重に考えて行動するべきだった。都のお医者様に診てもらえる。そのことだけに気を置きすぎて、はしゃぎすぎてしまった。それがイサークとジェシカさんに大きな期待を抱かせ、結果的に落胆させてしまったようで、悔やまれてならない。

 でも、イサークは本当に優しかった。

「そんなことないさ。母さん、診てもらえて良かったよ。治る見込みがある――それが判っただけでも、本当に良かったと思う」

「イサーク……」

「俺、都に行こうと思う」

「え!?」

 突然の言葉に、あたしは戸惑ってしまう。

 イサークが都に行く?

 この村を離れるってこと?

 あたしのそばからいなくなるってこと?

 イヤだよ! そんなの!

「――お前にはすまないと思う。でも、母さんの病気を治すためには、この村で働いていてはダメなんだ。都に出て、お金を稼がなくちゃいけない」

 確かにそうだ。このままこの村で働いていても、手術の費用は、絶対に用意できないだろう。この村で稼げるお金なんて、たかが知れている。でも、都に出ればなんとかなるかもしれない。

 でも、だからって、イサークと離れるなんて、そんなこと……。

「――幸い、母さんを手術してもらうのに問題になるのは費用だけだ。他のことは大した問題じゃない。だったら、ただひたすらお金を稼げばいいだけ。簡単なことだ。だからエマ。君に頼みたいことがある」

「……何?」

「しばらく、母さんのことを頼みたいんだ」

「――――」

「勝手なことだっていうのは、十分承知している。まだ結婚もしてないのに、こんなこと頼むなんて、本当に俺は自分勝手なやつだと思う。でもエマ。母さんを任せられるのは、君しかしない」

 イサークはまっすぐにあたしを見つめる。決意に満ちた目だった。

 イサークがいなくなるのはイヤだ。あたしのそばにずっといてほしい。愛する人がそばにいないなんて、考えられない。

 でも、彼のまっすぐな目を見ていると、そんなのはあたしのわがままなんだって気がしてくる。

 だから。

「……バカだね、イサーク。そんなこと、あらたまってお願いしなくても、あたし、ジェシカさんの看病、ちゃんとするよ。だってあたし、あなたのお嫁さんなんだから、ね?」

 あたしはイサークに負けないくらいまっすぐに彼を見つめ返し、そう言った。

 これは、あたしの精いっぱいの強がりだ。

 イサークがあたしのそばからいなくなる。そんなこと、今まで考えてもみなかった。いるのが当たり前、そんなふうに思っていた。ずっとそばにいてほしい。これからもずっと。

 でもあたし、イサークに、「母さんを任せられるのは、君しかいない」なんて言われると、断れるはずないもん。

「エマ……ありがとう」

 イサークは、ギュッと、あたしを抱きしめてくれた。あたしも彼の背中にそっと手を回す。

 ホント言うとね、イサーク。

 あなたがいなくなるのは寂しい。当たり前だけどね。

 でも、それは言わない。だって、あなたに、頼りない女だ、なんて、思われたくないもん。

 それにね。

 あなたに頼られるのは、本当に嬉しい。あなたにとって、あたしは必要な女なんだって、思えるから。

 だからね、イサーク。

 ジェシカさんのことは、あたしに任せて。

 あなたのお母さんは、あたしにとってもお母さんなんだものね。

 あなたがいなくなるのは本当に寂しいけれど、あなたがもっとあたしを頼ってくれるように、あたし、強くなるから。

 二人で星空を見上げた。空いっぱいに瞬く星は、手をのばしても、決して届くことはない。

 でも、どうしてだろうね?

 あたし、イサークと一緒なら、何だってできるような気がする。この星にだって、手が届くような、そんな気がするの。

 だから、あたしとイサークが一緒なら、お母さんの病気なんて、きっと、簡単に治せるよ。一緒に頑張ろうね、うん。



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