#06
「――あなた、バカじゃないの?」
尋問室を出て、居館への帰り道、鬼女が、呆れ果てたように言った。「クレアはあなたをさんざん騙して、殺そうとまでしてたのよ? それなのに、『死刑にならなくて良かった?』ですって? 呆れて何も言えないわ」
「しょうがないでしょ。そう思ったんだから」
あたしは唇を尖らせる。
あたしは、あの場で五分ほど、ずっと泣き続けていた。鬼女もクレアも、もう呆然と言うか唖然と言うか愕然と言うか……とにかく、あたしがクレアのために泣いたのがそんなに意外だったのか、ずっと絶句してた。
「まさか、あなたがここまでお人好しだとは思わなかったわ。騙されたことに逆上して、我を忘れてクレアを罵って、そんなあなたを見てせせら笑ってやろうと思ったのに……」
……そんなことを期待してたのか。この人、やっぱりイヤな性格してるな。
「それは残念だったわね」
あたしは、べーっ、と舌を出した。
でも確かに。
あたしは、お人好しすぎるだろうか?
クレアは、この国の平和を脅かしたのだ。陛下を殺そうとし、ウィンは大ケガを負い、ライノさんは死んだ。
二年も一緒にいながら、クレアがそんな人だなんて、夢にも思わなかった。もしかしたら、今でも心のどこかで、何かの間違いだったのではないか、と思っているかもしれない。
あたしがもっとしっかりしていれば、クレアの不審な点に気がついたかもしれない。今回の事件は、起こらなかったかもしれない。
あたしは側室だ。国を護る使命なんて重責は無いけれど、陛下の命に近い位置にいる。
あたしの甘さは、陛下の命を脅かしているのだろうか? この国を、脅かしているのだろうか?
「ねえ、あたしって、甘いかな?」
訊いてみた。すると。
「甘いわね」
うう、即答されてしまった。これでも悩んでるのに。もっと気遣ってくれてもいいじゃないか。
まあ、この女に聞いたのが間違いだった。あたしと鬼女は、全く違う人種なのだ。あたしが鬼女を理解できないように、鬼女もあたしを理解できないはずだ。
「でもね――」
鬼女、突然立ち止まる。
そして。
「あなたは、それでいいと思うわ」
思いがけない、優しい言葉。
…………。
いやいや、騙されないぞ。今度はどんなイヤミを言うつもりだ?
と、身構えていたら。
「あなたはクレアを信じようとした。どんなに騙されても、ね。甘いか、と訊かれたら、そうだ、としか言いようが無いんだけど……でも、それって、あなたの優しさだと思うの」
…………。
今のセリフ、誰が言ったの?
いや、もちろんこの場には鬼女しかいないから、鬼女が言ったんだろうけど。
あの鬼女だよ?
冷酷無残、残忍酷薄、冷淡無情の、あの鬼女だよ!?
その鬼女が「それって、あなたの優しさだと思うの」ですって!?
とても信じられない。そんな難しいセリフが言えるなんて。
半分パニックになってるあたしに、鬼女は気付かない。
「時々、あなたをうらやましく思うことがある。あなたのように優しい気持ちで生きることができたら、どんなに幸せだろう、って。周りの人と明るく暮らして、嬉しいことがあれば一緒に喜んで、腹立たしいことがあれば一緒に怒って、悲しいことがあれば一緒に泣いて、楽しいことがあれば一緒に笑う。そんな当たり前のことに、憧れることはあるわ」
鬼女、ふと遠い目をする。
「でも、それは無理なのよね。私には、国を護る使命がある。優しい気持ちは、致命的な弱点になりかねないもの。あなたのような優しさは、私には必要無い。でも、あなたと私は違う。あなたには、その優しさが必要なのよ。ずっと持っていていいと思うわ」
そして、優しく微笑んだ。
いつもの鬼女の面影はどこにもない。まるで、女神のような微笑み。
そう言えば。
初めて会ったとき、そのあまりの美しさ、可憐さに、この人のこと、女神かと思ったっけ? そんな思いは、次の瞬間には消し飛んでしまい、すっかり忘れてたんだけど。
あのときそう思ったのは、あながち間違いでも無かったのかな。なんて、思ったり。
「……じゃあ、私は仕事に戻るわ。気をつけて帰るのよ」
まだ動揺しているあたしを残し、鬼女は尋問室へ戻ろうとした。
……そうだ。あたし、鬼女に謝ることがあったんだっけ。
「リュース、ちょっと待って。あたし、リュースに謝ろうと思ってたの」
あたしがそう言うと、鬼女は振り返り、そして、照れくさそうに笑った。「……あなたに初めて名前を呼ばれた気がするわ」
へ? そうだっけ?
確かに心の中ではずっと鬼女って呼んでたし、実際口に出して呼ぶときは、「ねえ」とかだった気がする。
鬼女はフフッと笑い、「ずっと思ってたのよね。あなたは、私のことを『鬼みたいな女だ』と、思ってるだろうなって」
げっ、ばれてる。
「まあ、そう思われてもしょうがないけどね。……で、何? 謝るって?」
…………。
あの鬼女に、謝る?
あたしが?
そんな恥ずかしいこと、できるかっての!
――と、普段のあたしなら思うところだけど。
今なら素直に言うことができる。
「あなたのこと、『仲間が死んでも涙一つ流さない、心を持たない冷たい人間だ』とか言っちゃって、悪かったと思ってる。ごめんなさい」
あたしは、頭を下げた。
「な……何よ、いきなり」
鬼女、少し戸惑ってる様子。
ふふん、さっきのあたしのパニック、今度はそっちの番ね。
「あたし、あなたのこと、最初は本気で、冷たい女だと思ってたの。でも、あなたの言う通り、あなたとあたしは違うのよね。あなたには、国を護る使命がある。あなたは厳しい人だけど、でも、それはあなたの強さだと思うの。あなたには、強さが必要だったのよ。それが、あたしには判ってなかった。あなたがしてきたことは、やっぱりあたしには認めることができないこともある。でも、それでこの国が救われてきたのは、まぎれもない事実だわ。あなたは国を護るために、最大限できることをしている。それは、とても立派だと思うわ」
そしてあたしは、さっきの鬼女に負けないくらい、優しく微笑んだ。
「そう言ってくれて、嬉しいわ。ありがとう」
鬼女はもう一度女神の微笑みを浮かべた。
…………。
――心の中では、ずっとあなたのこと、鬼女って呼んでやる。
出会ったときのこの決意、そろそろやめてもいいかな。
あたしは、リュースに向かって手を振る。リュースも手を振り返し、そして、仕事に戻っていった。
……さて、あたしも部屋に帰ろうかな。
と、一歩踏み出して、気がついた。
そう言えば、あたしの部屋、吹っ飛んだんだっけ?
これってひょっとして、宿無しってこと? どうすんのよ、あたし。
そうだ、リュースの部屋に泊めてもらおう。
隊長だからそれなりに広い部屋に住んでるだろう。兵舎だから、護りも堅いに違いない。うん。
まあ、近衛兵の誰かに言えば、新しい部屋を用意してくれるだろうけど、今日は何となく、リュースの部屋に泊まりたい気分だ。
「おーい、リュース! ちょっと待ってよ、ねえ!」
あたしは、急いでリュースを追いかけた。
――で。
時は流れ、翌月の、十八日。
今日はいよいよ、クローリナスに派遣された騎士団の帰還式の日。
お城は、朝から準備にてんてこ舞いだ。
この日のために、何度も何度も警備の演習を行ってきた騎士団は、最後の最後まで念入りに打ち合わせをしている。
メイドをはじめとした使用人たちは、帰還式と、その後に行われるパーティーの準備であわただしい。
あたしはと言うと、そのパーティーでみんなに特製シチューをふるまおうと、これまた目の回るような忙しさ。なにせ、帰還する騎士団が十隊。それだけで百人だ。警備の騎士やメイドたちみんなにも食べてほしいから、少なくとも二百人分は作らないといけない。もちろん、パーティーに出される料理はお城の料理人が作る。このお城の料理人の腕は超一流だ。でも、長年の激務を終え、ようやく帰還した騎士たちだ。一流料理人の一流料理もいいけれど、せっかくだから、素朴な家庭の味っていうのを味わってもらいたいじゃない?
なんてことを勝手に考え、アメリア他、大勢のメイドたちに手伝ってもらい、特製シチューを作ってる最中。あたし、お城に来てからは、よく護衛の騎士や使用人たちに特製シチューを差し入れするんだけど、さすがに二百人分を作るのは初めてで、もう大変。騎士団はすでにこの街に到着したらしい。城下街では凱旋パレードが行われている。本当はそのパレードも見に行きたかったんだけど、もちろんそんなヒマは無かった。
「エマ様! 大変です! 騎士様たち、お城に着いたみたいです!」
アメリアが叫んだ。やばい。もうすぐ式が始まる。あたしも出席予定だ。シチュー、まだ完成してないよ。でも式に出ないと、後で怒られるだろうな。
「後はあたしたちがやりますから、エマ様は式に出席してください」アメリアがそう言ってくれた。
「え? でも、いいの?」
「任せてください。後はあたしたちで大丈夫ですから」
アメリアを始めシチュー作りに参加してくれたメイドたち二十人が、みんなそう言ってくれる。あたしの思いつきのシチュー作りに、みんな快く協力してくれたのだ。
「ごめん、じゃ、行ってくるね。後はよろしく!」
そう言ってあたしは厨房を出て、ダッシュで帰還式が行われるホールへ向かう。
ホールでは、間もなく式が始まろうとしていた。ステージの上には陛下と王妃を始め、アルバロ様や大臣たち、そして、すっかり傷の癒えたウィンを始めとする近衛兵が控えていた。ステージのすぐそばに、鬼女改めリュースたち第八隊のメンバーがいる。あたしは大慌てでそちらに向かった。
「遅いわよ! 何やってたの!」
到着すると、リュースがかんかんだった。
「ゴメン! ちょっと、シチュー作りに手間取ってて」
あたしは両手を合わせ、謝る。
「あなたは式に出番は無いけど、いないと護衛の手順が狂うの。まったく、気をつけてよね」
「だから、ゴメンってば」
ネチネチとイヤミを言いそうなリュースをなんとかなだめる。
そして、いよいよ、帰還式の始まり。
帰還した騎士たちが入場してくる。ホールの人たちは、それを拍手で迎える。
「ねえ、帰還した騎士団の中に、第四十五隊、いるんだよね?」
リュースに訊くと、「ええ」と、短く答えた。
先月クレアが言ってたっけ。第四十五隊の隊長がものすごくカッコイイって。どんな人なのか、とても楽しみにしてたのだ。
「第四十五隊の隊長、ものすごくカッコイイんでしょ? どんな人なのかな?」
あたしがそう言うと、リュースの顔が曇った。
それは、あたしがくだらないことを言うから呆れているのではなく、何か、心配事があるような、そんな表情。
「何? どうしたの?」
「ん? いえ、何でも無いわ」
リュースはそう言うけど、とても何でもないようには見えなかったので。
「何かあるんでしょ? 教えてよ」訊いてみる。
「うん。まあ、大したことじゃないんだけど――」リュースは、ためらいがちに話す。「少し、気になるのよね。その四十五隊の隊長」
「気になるって、何が?」
「経歴。その隊長、二年前に入隊したらしいの」
「……それが何か問題?」
「騎士団に入るには、まず訓練所に入らないといけないの。最低一年間。そこでさまざまな訓練を行い、騎士としての適性を見て、認められた者だけが、騎士団に派遣される。つまり、その四十五隊の隊長は、二年前に訓練所に入り、一年で騎士団に派遣され、それからわずか一年で、隊長の座に就いたの」
「それって、早いの?」
「早すぎるわ。私は、訓練所を出てから第八隊の隊長を命じられるまで、五年かかった」
リュースは王国きってのエリート騎士だと言われている。その彼女ですら、五年もかかったのか。
「……でも、あなたは初の女性隊長なんでしょ? やっぱり、いろいろ事情があったんじゃないの?」
ブレンダ騎士団には女性も少なくないけど、それでもまだ、大半は男性が占めている。まだまだ男の世界だ。そんな中に、女性が入っていく。その苦労は、今までのほほんと生きてきたあたしなんかには想像もつかない。そこにはきっと、女性への偏見だの、過去の因習だの、いろいろとあったに違いない。
「そうかもしれない。でも、ウィンも同じくらいかかってる。一年なんて、異例中の異例なのよ。でも、クローリナスでは、クローサーの攻撃で多くの死者が出た。今日帰還した隊の隊長も、何度も代わってるらしいし、人が圧倒的に不足していたのは事実。だから、一年で隊長というのも、仕方がなかったのかもしれない」
「……騎士団の事情は判ったけど、で、結局何が問題なの?」
まさか、自分より早く出世したのが気に入らないとかじゃないよね。リュース、性格は悪いけど、そんなことを気にする人じゃないはず。
「――また、クレアのときと同じことが起こらないか、と思って」
「――――?」
クレアと同じ?
つまり、それは――。
「その四十五隊の隊長が、クローサーかもしれないってこと?」
「うん……まあ、全く根拠の無い話なんだけどね」
クローサーが、また新たな刺客を送り込んだ?
陛下暗殺、あるいは、諜報活動のため、騎士団に入隊させ、二年がかりで隊長に就任させ、このお城に侵入させたってこと?
それは、あまりに効率が悪い作戦に思えた。
でも、成功すれば効果絶大なのは、クレアの件で証明されている。
「クレアの件があったから、その隊長の経歴は真っ先に調べさせたけど、今のところ特に不審な点は見つかっていない。まあ、当の隊長はクローリナスにいたから、調査をしたのは他の隊。その上、時間があまり無かったから、細部までは調べられなかったそうなの。私は報告を受けただけ。だから、何とも言えないのよ」
ナルホドね。カッコイイ隊長って聞いたから、なんとなく浮かれてたけれど、リュースの立場だと、そんなことまで気にしないといけないのか。大変だな。
よし、ここは、できるだけ協力してあげよう。
と言っても、あたしなんかに何ができる? って話なんだけどね。
まあ、そのときになって考えよう。うん。
と、まあ、このときは大して気にはしてなかったんだけど。
式は進み、やがて、騎士団が隊ごとにステージに上がる。陛下が騎士一人一人にねぎらいの言葉をかけるのだ。
帰還した騎士団は第四十一隊から第五十隊。四十一隊からステージに上がり、名乗り、陛下からお言葉をもらう。
滞りなく進み、四十四隊が終わった。
次は、いよいよ問題の四十五隊。
よーし、その隊長、信用できそうな人かどうか、そして何より、本当にカッコイイかどうか、ちゃんと見極めてやろうじゃないの! 意味もなく気合を入れる。
そして、四十五隊がステージに上がる。最初に上がったのが、隊長だ。
――――。
その姿を見て――。
時間が、凍りついた。
ホールには、大勢の人がいるのに。
その瞬間、世界は、あたしと、その人だけになる。
そして。
忘れていた言葉が、よみがえる。
いや、それは忘れようとていた言葉。忘れたかった言葉。
でも、忘れられなかった言葉だ。
――いつか必ず……必ず! 俺はお前を迎えに行く! こんなのは認めない! 俺はお前を、絶対に! 絶対に! 離さないからな!
時は動き出し。
ホールには、大勢の人が戻ってくる。
あたしは、ただ呆然とその場に立ち尽くし、四十五隊の隊長を見つめていた。
隊長は、陛下の前に跪き。
そして、名乗った。
「第四十五隊隊長――イサーク・バーンです」
(第4話 終)