#05
「クレア。紅茶が熱いの。ちょっと、ふーふーしてくれない?」
あたしが呼ぶと、クレア、あからさまにイヤな顔をして。
「ふーふーって……エマ様、子供じゃないんですから、そんなこと、自分でしてください! あたしだって忙しいんですよ!」
「だって、ほら」
あたしは包帯の巻かれた両手を見せる。こうすると、クレアは何も言わず、あたしに従うしか無くなる。ため息をつきながら、紅茶をかき混ぜ、ふーふーと息を吹きかける。うふ。カワイイ。
あたしの両手は、幸いにも思ってたほど深い傷じゃなく、簡単な縫合だけで終わった。全治二週間ほど。まあ、その間両手は使えないので、何かあるごとにクレアを呼ぶことになる。
「あ、それから、イーストのチーズケーキがあったよね? たべたいなー。持ってきてくれない? もちろん、食べさせてね」
「ですから、あたしは部屋の掃除とか、洗濯ものとか、しなければいけないことがたくさんあるんです! 少しは自分でやってください!」
「だって、ほら」
また両手を見せる。効果てきめんで、すぐにチーズケーキが運ばれてくる。
うーん。あたし、お茶をいれたり掃除したりとか、あんまり人に任せるのはイヤな性分だったんだけど、こうやってお願い一つで何でもしてくれると、何だかすごく気分がいい。ヤミツキになりそうだ。
でも時々。
「ケガが治ったら、覚悟してくださいね」
という目で、クレアが睨む。何だか怖い。
……て言うかあの娘、立場を忘れてないか? あたしは側室であの娘はメイド。本来なら、ケガが無くたってこんな感じでつくすのが普通。いつからあんな反抗的な目であたしを見るようになったんだろう? 今度、その辺を再教育する必要があるな。
なんてね。ケガが治ったら、あたし、ちゃんと自分でやるから。今はただ、甘えたいだけ。だってクレア、なんだかんだ言いながらも結局やってくれるんだもん。いい娘だね、ホント。
あの事件から一週間が過ぎた。
あの後、あたしは早速陛下に会いに行き、立場もわきまえず説教した。セルマ様がいかに陛下の言葉に傷つき、追い詰められたか。弱い人の心も判る人になりなさい。そうでないと、王たる資格はありません。とかなんとかいろいろ。今思えば無礼極まりないんだけど、そこはさすが陛下。ちゃんとあたしの話を最後まで聞いてくれて、「すまなかった」、と、頭まで下げ、その後、セルマ様ともう一度話し合ってくれた。どんな話をしたのかは判らないけれど、その後セルマ様は、ものすごく晴れやかな、吹っ切れたような顔をしていた。
しかし、結局セルマ様は側室を辞めることになり、お城を出て行った。すごく寂しいけれど、まあ、それも仕方が無いだろう。セルマ様にとってはやはり陛下の子供を産むことがすべてであり、それが叶わない以上、お城にいる意味は無い。悲しいことではあるけれど、でも、ずっとここにいても何も始まらないのならば、環境を変え、新たなスタートを切った方が本人のためだろう。だからあたしは、笑顔でセルマ様を送った。別れじゃなく、旅立ち。そう思って。きっと、これで良かったのだ。
でも、問題は残った。
それは言うまでも無く、王妃。
事件のことは決して陛下に悟られるな、と、クギを刺されていたにもかかわらず、あたしは陛下に伝えた。それも、恐れ多くも陛下を説教する形で。それがよほど気に入らなかったのか、あれからというもの、王妃のあたしに対する嫌がらせはますますエスカレートしている。廊下ですれ違うときにはわざとぶつかって来ては難癖をつけ(言っとくけど、あたしは王妃に道を譲るため、廊下の隅で頭を下げて通り過ぎるのを待っているのだ。そこにわざわざぶつかってくるのだからたまらない)、みんなの前で土下座させる。中庭でお昼寝をしていると、いつの間にか忍び寄って来てあたしの服にお茶をこぼし、「お洗濯してお返ししますわ」とか何とか言いつつその場で服を脱がしてあたしをまたまた裸にし、放置。挙句に、数日後、返って来た服はますます汚れてもうボロボロ。ま、大した服じゃないからいいんだけど。なんだかあたし、ノイローゼになりそうだ。
トントン。ドアをノックする音。何となくイヤな予感がした。
クレアがドアを開ける。立っていたのは、王妃の側近、シャドウだった。
「失礼します。エマ様。王妃様がお呼びです。至急、部屋までお越しいただけませんでしょうか」
予感的中。はぁ……今度は何だ?
心配そうにあたしを見るクレアに「大丈夫だよ」と、なるべく笑顔で応え、あたしは、シャドウに付いて王妃の部屋に向かった。
がちゃり。相変わらず趣味の悪い派手なドアを開けると、これまた相変わらずの趣味の悪い派手な部屋に、王妃が一人。普段ならメイドとか護衛の騎士をたくさん連れているはずなんだけど、今日はいないな。
「よく来た、エマ殿。今日は、お願いしたいことがあるのじゃがな」
ネズミをいたぶるネコのような目であたしを見る。
「はあ。何でしょう?」
「大したことではない。着替えを手伝ってもらおうと思うてな」
は? なんでそんなことであたしを呼ぶ? メイドに任せればいいじゃないか。
「御覧の通り、皆、出払っていての。頼める人はそなたしかおらぬのじゃ」
そんなわけは無いだろう。メイドは他にもたくさんいる。
「さあ、それが着替えじゃ、取ってくれ」
そう言って王妃は、クローゼットの中の衣装を示した。全身に宝石が散りばめられた、見るからに重そうなドレスだ。
「わが王家に代々伝わる家宝のドレスじゃ。決して汚したりせぬようにな」
……ナルホド。そういう嫌がらせか。
あたしの怪我をした手で、あの重そうなドレスをまともに持てるはずがない。絶対に落としてしまうだろうし、もしかしたら傷が広がって、ドレスに血をつけてしまうかもしれない。それをネタにまたあたしをイビろうというのだ。
「どうした? 急いでおるのじゃ。早くせよ」
ニヤリと笑う王妃。
あたしはその姿を見て、
「王妃、もう、このようなことはやめましょう」
ため息とともに言った。
「このようなこと? はて? 何のことじゃ? 私は、ただ着替えを手伝ってほしいと頼んでいるだけじゃぞ?」
「ですから。このような嫌がらせは、もうやめにしましょうと言っているのです。こんなことを続けても、王妃のためになりません」
「何を言い出すかと思えば、嫌がらせとは人聞きの悪い。私がいつそのようなことをしたと言うのじゃ? 被害妄想もはなはだしい。しかし、やめてほしければ話は簡単じゃ。そなたもセルマと同じく、この城から出て行けば良い。そもそも側室など、目ざわりなのじゃ」
吐き捨てるように言う。
あたしは、そんな王妃を見つめ、そして――にっこりと、ほほ笑んだ。
「な……何を笑っておる? 気でも狂ったか?」
「いえ……王妃。あたしは気付いてしまいました。王妃が、なぜそのような態度を取られているか、に」
「フン。何を言い出すかと思えば。どうせセルマから聞いたのであろう? 私が、誰にも構って貰えない寂しさから、嫌がらせを繰り返している、と。どう思うかは勝手じゃが、そのようなありもせぬこと、不愉快であるぞ」
「いえ。それもありますが……あたしはもっと、すごく、素敵なことに気がついたのです。王妃、あなたの、陛下に対する、純粋な想いに」
「な……何をわけのわからぬことを言っておる!」
明らかに狼狽する王妃。あたしはその姿を見て、自分の想像が間違っていなかったことを確信する。
「くだらぬ妄想など聞きたくは無いわ! シャドウ! この田舎者を今すぐ黙らせよ!」
そう命じた。でも、シャドウは動かなかった。常に王妃に忠実なシャドウが。いや、忠実だからこそ、今は動かない。彼女も気付いているのだ。このままこのようなことを続けても、決して、王妃のためにならないということに。
あたしは、にっこりとほほ笑み。
「ご安心を。あたしは、このことを誰かに話したりはしません。そんなことをしたら、せっかくの王妃の想いを、ムダにしてしまいますからね。そもそも、あたしの考えが正しいかは、判りませんから」
「――――」
王妃は、ただ黙ってあたしを見つめる。
そう。これはただのあたしの想像にすぎないのだが。
あたしは、ずっと考えていた。あの、三ヶ月前のレイラ・エスタリフの事件のことを。
側室のレイラは、護衛の兵士との間にできた子供のマイルズを、陛下の子供と偽り、次期王にしようとした。王妃はそのことに気付き、レイラとマイルズを暗殺しようとした。
なぜ王妃は、暗殺なんて手段に出たのか。
マイルズが陛下の子供でないのなら、そう主張すれば良かったはずだ。この国にはDNA鑑定という、親子の血縁関係を調べる技術がある。それを使えば、マイルズが陛下の子ではないことは証明できる。あたしみたいな新参者が、マイルズは陛下の子ではない、と主張しただけで、ただちにDNA鑑定が行われたくらいなのだ。王妃が言えば、もっと話は簡単だったはず。
なのに、王妃はそれをせず、あえて、暗殺なんて危険な方法に出た。ヘタをすれば、自分が国家転覆を謀ったとされるかもしれないのに。
そして最大の疑問は、王妃は何故、マイルズが陛下の子供でないと気付いたのか、だった。あたしはずっとそれを考えていた。そして、ある可能性に気がついた。
もしも、だ。
もしも、子供を作れない身体なのは王妃ではなく――陛下だとしたら?
根拠など何もない。ただの想像にすぎない。
でも、それが真実だとしたら、すべてが理解できるのだ。
マイルズが陛下の子供でないと王妃か気付くのも当然だ。側室に子供ができた時点で、陛下の子供であるはずがないのだから。
恐らくこれは、陛下自身も知らないことなのだろう。王妃のみが知る秘密。だから、王妃だけが、マイルズが王の子ではないと気付いたのだ。
DNA鑑定を行わず、暗殺という手段に出たのも、これならば判らない話ではない。王妃はこのことを、決して陛下に知られたくなかったのだ。だから、秘密裏に処理するしかなかった。
ではなぜ、王妃は自分が子供のできない身体だなんてウソを言っているのだろう?
全ては、陛下のためなのだ。
王妃は、子供を作ることができない身体と思われている。そのため、国のみんなから存在を軽んじられ、飾り物のように扱われている。この国の王族は、子供を作ることが最も重大な使命のように思われている。ゆえに、子供を作ることができない身体だというだけで、ヘタをすれば、権威が失墜しかねない。王の資格なしと言われる可能性さえあるのだ。
そう。王妃は、自分が身代わりとなることで、陛下の権威を護っているのだ。
子供ができないのは自分のせいだとし、全ての非難を、自分一人で浴びているのだ。
側室に嫌がらせを繰り返すのも、みんなの目を陛下から逸らさせるためなのだろう。王妃の行動を見た者は、「自分が子供を作れない身体なのをひがみ、側室たちに嫉妬し、嫌がらせを繰り返している」と、誰もが思う。あたし自身もそう思っていた。王妃は子供を作れない身体だということを、疑う者はいなかった。
王妃は、あえてイヤな女を演じているのだ。
言葉で言うほど簡単なことではないはずだ。
国の誰からも相手にされない。厄介者だとしか思われない。飾り物だの、性悪女だの、陰口を叩かれ、そして、疎ましがられ、憎まれる。
人は誰だって他人から好かれたい。いい人だと思われたい。それが本能だ。しかし、王妃はその本能を押し殺している。
全ては、陛下を護るために。
そのことに気付いたとき、あたしはもう、王妃のことを恨めなくなってしまった。今までされたこと、きれいさっぱり忘れてしまった。
だって……だって……こんなこと、陛下のことを心の底から想っていないと、できないもの!
それはものすごく素敵なことだけど。でも――。
このままでは、王妃は、あまりにもかわいそうだ。
王妃は自ら望んで始めたことなんだろうけど、でも、こんなことを、いつまで続けるのだろう? いつまで王妃は、自分を殺し続けるのだろう?
王妃の陛下に対する気持ちは十分に判る。陛下のことを、何よりも大切に思っているのだろう。でも、もっと自分も大切にするべきだ。
だからあたしは言う。
「王妃。もうこのようなことはやめましょう。どうか、ご自分のことを護ってください。このままでは、あなたはあまりにもかわいそうです」
「ふん。何を言っているのか判らぬな。これだから田舎者は好かんのじゃ。妄想と現実の区別もつかぬとは」
王妃、相変わらず憎まれ口を叩く。まあ、今となってはそれもかわいく思えるのだけど。
「そなた、その妄想を、誰かに言うつもりではないだろうな?」
「いえ、もちろんそんなことはしません。それでは、王妃の想いをムダにしてしまいます」
「そうか。ならば良いが」
「ですが王妃。もっと、陛下を信じるべきではないでしょうか?」
「――――?」
「もしあたしの考えていることが真実だとして、例えそれが明るみに出たとしても、陛下は、決して権威を失ったりはしないと、あたしは思います。だって、あの陛下ですよ? そんなことが足枷になるような人ではありません」
そう断言した。
子供を作ることができない。それはとても悲しいことだけど、それで、人の価値が変わるわけじゃない。陛下は、そんなことに負けはしない。そんな弱い人じゃないはずだ。陛下は、この国の王なのだから。
「ふん。田舎者の妄想には付き合いきれんわ。もう良い。目ざわりじゃ。下がれ」
ふふ。王妃、なんだか恥ずかしそうにしてるのは気のせいじゃないよね。
「判りました。では、失礼します」
あたしは王妃に向かって頭を下げた。今までみたいな、形だけじゃない。本当に、王妃を敬っての、お辞儀。
そして、部屋を出た。
ふう。まあ、王妃のことだから素直に認めないとは思ってたけど。でも、これが何かのきっかけになってくれるといいな。じゃないと、このままだと、王妃、あまりにもかわいそうだもん。王妃の想いは素敵だけど、できれば、陛下も王妃も、両方とも、幸せになってほしい。そう思う。
と、しばらく歩くと。
「エマ様、お待ちを」
呼び止められた。振り返ると、シャドウが立っていた。
「ん? どうしたの?」
訊くと、シャドウは片膝をつき、右手を握って左胸に当て、
「ご伝言がございます。『先ほどのご忠告に感謝します。それと、これまでのご無礼を、どうかお許しください。そして、どうかこれからも、陛下のお力になってあげてください』と」
そして、深々と頭を下げた。騎士団独特のお辞儀。
「――伝言って、誰から?」
「もちろん、私からです」
……そういうのは伝言と言わないんじゃないだろうか? まったく、王妃ったら、そこまでひねくれ者を演じなくてよさそうだけど。
でもまあ、ここは王妃の顔を立てて。
「判った。ありがとう、シャドウ」笑顔で言う。
「いえ。では、失礼します」
シャドウはもう一度頭を下げ、背を向けた。
「あ、そうだ。待って、シャドウ」
呼び止めると、何でしょう? と、振り返る。
「どうかこれからも、王妃のことを護ってあげてください。お願いします」
今度は、あたしが頭を下げた。
シャドウ・アルマ――先祖代々この国に仕える、忠義に厚い真の騎士。
このお城に来たとき、陛下から聞いた言葉を思い出す。今になって、その意味が判った。
「もちろん。私の命に代えましても」
そして、シャドウは王妃のもとに戻った。
…………。
さて、あたしも部屋に戻ろうかな。
窓から空を見上げた。雲一つない、さわやかな青空が広がっている。今のあたしの心のようだ。これは、絶好の洗濯日和。よーし。クレアに言って、服とかシーツとか、ついでにカーテンとかも、全部洗濯させよっと。もちろんおふとんやじゅうたんも干してもらう。今夜は、真っ白なパジャマと、ふかふかのおふとん眠れるぞ! うん!
(第3話 終)