#04
部屋は、あたしとセルマ様、二人きりだ。部屋に窓は無く、明かりは壁に掛けられたろうそくと、ベッドのそばのランプだけ。寝室だからその程度の明かりでも問題は無いのだけれど、お話をするにはちょっと薄暗いかなとも思う。
机と椅子はあるけれど、陛下が使う政務用のもので、お茶を飲むような雰囲気ではなかった。あたしは少し考え、ベッドの上にティーセットを置いた。ちょっとお行儀が悪いけど、この方がセルマ様も話しやすいだろう。
「今、お茶を入れますね」
ベッドに腰掛け、真っ白なティーポットから、同じく真っ白なティーカップへと紅茶を注ぐ。そして、たっぷりのミルクと少し控えめの砂糖を入れる。いつものあたしのスタイル。
「うーん、いい香り。さあ、セルマ様もどうぞ」
なるべく普段通りの振る舞いでお茶とケーキを勧める。
でも、セルマ様は興味を示さない。相変わらず右手に短剣を握りしめたまま、虚ろな目であたしを見ている。
「立ち話もなんですから。ね?」
もう一度勧めると、ようやくセルマ様はベッドの上に座ってくれた。あたしとティーセットを挟む形。でも、セルマ様はお茶にもケーキにも手をつけず、ただ、握りしめた短剣をじっと見つめていた。
「そんな危ないもの、しまってください。ケガでもしたら、大変ですよ?」そう、お願いした。
セルマ様は、あたしの言葉が何も聞こえていないかのように、ただ、じっと短剣を見つめる。短剣は、この薄暗い部屋の中にあっても妖しい輝きを放っている。その輝きが、セルマ様を誘惑しているようで怖い。
でも、あたしはそれ以上短剣については触れないことにした。あまりしつこくすると、セルマ様を刺激することになりかねない。
あたしは、心を落ち着かせようと、紅茶をひと口飲んだ。いつもは甘くて濃厚な味わいのあたしのとっておきのミルクティーが、今は何の味気も無い。砂でも口に含んだかのような錯覚を覚える。
気まずい沈黙が続く。どうやって会話のきっかけを作ろうか考えていると。
「エマ様は……ご自身が陛下に必要とされていると思われますか……?」
不意に、セルマ様が口を開いた。
「え……っと……」
いきなりだったので返事に詰まる。陛下があたしを必要としているか? 答えは簡単だ。あたしみたいな何の取り柄も無い女、陛下が必要としているわけは無い。でも、そう正直に答えていいものか迷った。セルマ様は、あたしが何と答えるのを期待しているのか、判断がつかなかったから。
答えに窮していると、セルマ様が、
「私は、陛下に必要とされていない存在でした」
自虐的な笑いを浮かべ、そう言った。
「――――」
さらに返答に困っているあたし。幸いなことに、セルマ様はそんなこと気にせず、話を続ける。
「昨日、私は陛下に想いを伝えました。子供の頃からずっと、陛下のことを想っていたこと。陛下のお力になりたくて、側室になったこと。陛下のために、陛下の子を産みたい、と……。陛下は、きっと私の想いに応えてくれると思ったのです。どうしてでしょうね? 今思えば何の根拠も無いのですけど、昨日までは心の底からそう思っていました。私、本当にバカでしたわ。そんなムシの良いこと、あるわけ無いですのに……そんなことが……あるわけが……」
泣き崩れるセルマ様。
想いに応えてくれなかった、ということだろう。
でもきっと、それだけではないはずだ。
陛下が想いに応えてくれないことは、十分考えられたはずだ。それはセルマ様に魅力が無いという意味ではない。陛下は、何と言うか……そういう人なのだ。
陛下は、この国を治める人。あたしには想像もできないような重責がある。それを、陛下は何よりも大事にしている。特に今は国が荒れていて、あたしたち側室なんかにかまっているヒマは無いのだ。それは、常々本人も言っている。
だから、単に陛下が、セルマ様の想いに応えてくれなかった、というだけならば、セルマ様もここまで思いつめることは無いはずなのだ。
嗚咽を漏らすセルマ様。
あたしは、話の続きを促すようなことはしない。セルマ様が話せるようになるのを、ただひたすら待つ。
やがて。
「陛下は……私の任を解く……と……」
――――。
任を解く?
つまり、側室を辞めさせるってこと?
そんな? いくらなんでも、いきなりすぎる。
「すべては、王妃を想ってのことだそうです。陛下のもとに嫁いできたにもかかわらず、子供を産めない身体という理由で、国の誰からも相手にされない。それが、あまりにも不憫だ、と……」
あたしも、以前同じことを聞いた。側室の制度を作ったのは間違いだったかもしれない。陛下と王妃の間に子供ができないのであれば、それは天命だ。王の子が自動的に王になるのは間違いだ。血筋など関係なく、資質のある者がなるべきだ。と。
その考えに、あたしは心を打たれた。本当に素晴らしい人だと、心底思った。
でも、陛下の考えは、逆に言えば。
「陛下は……私のことなど……何とも思っていなっかった……私など、必要としていなかったのですね……陛下は……王妃のことを……」
セルマ様は、再び泣き崩れた。
そう。つまりは、そういうことになる。
陛下自身が、子供が必要無い、と考えているのならば、子供を産むために存在するあたしたち側室は、陛下にとって必要無いのだ。
あたしはそれでも別に構わなかった。もともと、なりたくて側室になったわけではない。側室が不要だと言われても、受け入れることはできる。
でも、セルマ様は違う。
幼いころから陛下を想い、ただ陛下のお役にたちたくて、側室になったのだ。
それなのに。
側室は必要無いと言われた。側室の任を解かれた。
愛する人から、必要とされていない。
誰かに必要とされていると思うことは、生きていく力になる。必要とされなくなったとき、生きていく力を失う。誰からも必要とされなくなったとき、人は、生きる意味を見失うのだ。
セルマ様の気持ちは、痛いほど判った。
じゃあ、どうする?
男にふられたくらいで、死ぬなんて考えないで。もっと強い心を持ちましょう。死ぬ気があれば、何だってできますよ。
そう言って励まそうか?
…………。
それは、大きな間違いだ。
もっと強い心を持て。
死ぬ気があれば、何でもできる。
それは正しい。間違ってはいない。
でも、それは心の強い人の考え方だ。
死にたいと思っている人の心は、あまりにも弱い。弱い人に、強い人の考えは、決して理解できない。前向きな言葉は、弱い人の心を傷つけ、逆に追い詰めてしまう。
たとえどんなに相手のことを思い、助けようと思って出た言葉であっても、そして、それがどんなに正しいことであっても、安易な励ましは、相手を突き放すことになるのだ。
死にたいと思っている人は、自分の気持ちを理解してくれる人を求めているのだ。正論を言う人ではない。
だから。
「辛いですよね……判ります。セルマ様の気持ち……」
セルマ様の気持ちに、同調する。
今、彼女の気持ちを理解してあげられるのは、あたししかいない。
もちろんこれは、言葉だけのことではない。
「あたしもセルマ様と同じです。陛下には必要とされていない。いえ。陛下だけではないですね。このお城の、誰からも必要とされてないんです」
あたしは、言葉を継いだ。
陛下の側室としてこのお城に来たけれど、陛下は子供を必要としていない。あたしは必要とされていない。
あたしは昔、医者だった。故郷の小さな村に、医者はあたし一人だけ。村にいたときはみんなから必要とされていたけれど、この街には、あたしとは比較にならない優秀な医者がたくさんいる。あたしは、必要とされていない。
何のためにここにいるのか、判らなくなる。ここにいていいのか、判らなくなる。
あたしも、セルマ様と同じ。誰からも必要とされていない。
そう言った。あたしは、セルマ様の気持ちが良く判る。そう伝えた。
それが、とんでもない間違いだったことにも気付かずに。
「……ふざけないで。あなたは……私とは違う……」
セルマ様が、小さくつぶやいた。
小さい声だったけれど。
その口調には、憎しみが宿っていることに、あたしは気付いた。
なぜだろう? あたしは、何かまずいことを言ってしまったのだろうか?
考えているヒマは無かった。とにかく、セルマ様を落ち着かせないと。
「そんなことないですよ。あたしもセルマ様と同じです。みんな、あたしのことなんて何とも思ってないですよ」
そう言って、セルマ様の肩に手をかけようとした。
その手を、振り払われた。
そして。
「ふざけないで! あなたは私とは違う! あなたは、みんなから必要とされている!」
突如叫ぶセルマ様。
弾かれたように立ち上がり、敵意の宿った目で、あたしを睨む。
あたしがみんなから必要とされている?
何のことだろう? 本気で判らなかった。
「セルマ様、どうか……どうか落ち着いてください。座ってお話しましょう。ね?」
セルマ様に手を伸ばそうとした。でも、セルマ様はそれを拒み、短剣を振りまわした。
「私に……私に近づかないで!」
刃を向け、あたしから離れていく。近づこうとすると、狂ったように短剣を振りまわす。
「何故です? いったいどうしたのですか? セルマ様!?」
さっきまで落ち着いて話していたのに、突然取り乱したセルマ様。やはり、あたしがまずいことを言ったのだろうか? でも、このお城にあたしの居場所が無いのは確かだ。いったい、何がいけなかったのだろう?
戸惑うあたしに、セルマ様は。
「あなたは……三ヶ月前のレイラ・エスタリフの事件を解決した。陛下は言ってたわ。あなたがいなかったら、レイラの企みを暴くことはできなかったって。全部、あなたのおかげだって! 陛下が言ったのよ!」
「そ……そんな! そんなことないです! あの事件を解決できたは、第八騎士団のおかげです。あたしなんて、ただ一緒にいただけで、捜査の邪魔をしてばかりでしたよ。何の役にも立ってないです。あたしのおかげで解決できたなんて、陛下の誤解ですよ!」
「誤解なものですか! 陛下だけじゃない。みんなあなたを評価してる。アルバロ様だって、ウィン様だって、あの第八隊のリュース隊長ですら、あなたに一目置いてるって言うじゃない! あの人が、捜査の邪魔になるような人を連れて行くわけが無いでしょう!」
そんな……それこそ誤解だ。あれはあたしが無理矢理付いて行っただけ。あの鬼女が、あたしに一目置くなんてあり得ない。あたしのことを邪魔者としか思っていないはずだ。あの態度を見れば判る。
だけど、今それを否定することはできない。否定すればするほど、今のセルマ様は、自分自身を否定されていると錯覚してしまうだろう。だったらどうすればいいの? どうすれば、セルマ様を落ち着かせることができるの?
「それに、以前騎士団のみんなにシチューを配って、大人気だったじゃない? いいわね、あなたは。みんなから慕われて。このお城に来てたった三ヶ月なのに。私なんて……誰からも相手にされない……ただ王妃に嫌がらせをされるだけ……誰も私のことなんて見ていない。誰も私のことなんて気にしていない! 私が死んだって、誰も悲しまない! 誰も私のことを必要としていないんだから! そうよ! 私なんていなくなってしまえばいいんだわ! 誰からも必要とされていない私なんて、生きている意味が無いもの! 陛下に必要とされていない私なんて、消えてしまえばいい!!」
短剣の切っ先が。
セルマ様自身の胸に向けられた。
そして、吸い込まれるように――。
「だめぇ!!」
あたしの叫び声が、部屋中に響き渡った――。
…………。
ぽたり。と。
冷たい石畳の上に、燃えるような紅い血が一滴、落ちた。
生命の温もりを宿していたはずの血は、石の冷たさに触れた瞬間、その温もりを失うかのように、闇のような黒へと変わる。
それが二つ……三つ……四つ……と、増えていく。
それは――あたしの血。
セルマ様が自分の身体に向けた刃を、あたしは、両手で握りしめていた。短剣は、セルマ様の胸のほんのわずか先で止まっていた。
「な……なにを……」
驚いた表情のセルマ様に向かって、あたしは。
「ダメです! セルマ様。死ぬなんて、言わないでください! 自分が必要とされてないだなんて、思わないでください!」
そう訴えた。
でも、セルマ様には届かない。
「放して! 私なんて生きている意味が無いの! 私なんて、誰にも相手にされない! 私が死んだって、誰も悲しまないんだから! もう死にたいの! 消えたいの! だから、放して!」
あたしを振りほどこうともがく。刃が、あたしの手にさらに食い込む。肉を切り裂き、骨にまで届く。滴る血が増えていく。でもあたしは。
「放しません! 絶対に、放しません!」叫んだ。セルマ様の心に届くように。「あたしはセルマ様に死んでほしくありません! あたしは、セルマ様がいなくなると悲しいです!!」
「そ……そんなウソ……誰が信じるものか!」
「ウソじゃありません! 友達が死んで、悲しまない人がいるものですか!」
と。
セルマ様の手が、ピタリと止まった。
「友達……?」
「そうよ! さっきも言ったでしょう? あたしとあなたは、友達なの!」
知らず、口調が変わる。
嘘や気休めではない。
あたしは心の底から、そう思っている。
彼女と話をした時間はほんのわずかな時間だけど、そんなことは問題じゃない。
わずかな時間でも、その人のことを好きになることはあるのだ。好きになれば、もう友達だ。
友達だから、死んでほしくない。
友達だから、失いたくない。
「お願い……セルマ……お願いだから……死ぬなんて言わないで。誰からも必要とされてないなんて思わないで! あたしの気持ちを否定しないで!!」
「私が……エマ様の気持ちを否定……?」
「そうよ! あたしはこんなにあなたのことを想っているのに、あなたことを、大切に思っているのに、どうしてそれを信じてくれないの!? こんなにあなたにそばにいてほしいのに、あなたが必要なのに、どうしてあたしの前から消えようとするのよ! どうしてあたしを否定するの!!」
そうだ。
こんなにあなたのことを想っているのに、それを信じてくれない。
こんなに悲しいことは無い。
「あなたはあたしの大切な人なの! だから、死ぬなんて言わないで! あたしのために、死ぬなんて言わないで!!」
石畳を濡らす血に、いつの間にか、涙が混じっていた。
刃を握る手は痛くない。
痛いのは、心だ。
セルマがあたしを否定し、あたしのそばから去ろうとしているのが、たまらなく悲しくて、心が痛い。
こぼれ落ちた涙は、あたしの心が流した血だ。
「エマ……様……」
セルマの瞳に。
希望が宿っていくのが判った。
「本当に……そう思ってくれていますの?」
あたしは、力強く言う。
「当たり前よ! 何度でも言うわ! あなたは、あたしの大切な人なの!!」
カラン。
セルマの手から、短剣が落ちた。
そして、その手はあたしを抱きしめ。
「ごめん……ごめんなさい……エマ……ごめんなさい……」
セルマも泣いた。あたしと一緒に。
そう。あなたは、決して一人じゃない。
あたしがいる。あたしは、いつもあなたのことを想っている。あなたを、必要としている。
あたしもセルマを抱きしめ、そして、一緒に泣いた――。
どれくらい泣いていたか。ふと、我に返ったセルマ様が。
「た……大変ですわ! エマ様! その手! どうしましょう! ああ、早く手当てをしなければ!」
もう、大慌て。
あたしは落ち着かせようと。
「大丈夫ですよ。大したことないですから」
と、言ってはみたものの。
これ、ヤバくない?
さっきまで興奮してて全然痛みを感じなかったけれど、落ち着いてくると、業火の中に両手をさらしているかのような痛み。血の量も半端じゃない。うわ。くらくらしてきた。これは本格的にヤバいかも。
「すぐに誰か呼びますわ!」セルマ様、部屋の扉を開ける。「誰か! 早く医者を呼んでください! エマ様が大変なケガを!」
医者ならここにいるんだけどな……。まあ、この手じゃ何もできないけど。
セルマ様の言葉に、みんなが一斉に部屋の中に飛び込んでくる。あたしは心配させないように、大丈夫大丈夫と、とにかく笑顔で答えた。クレアに言って、とりあえず止血してもらう。
セルマ様を見ると、すごく心配そうな顔であたしを見ている。その目に、さっきまでの虚ろな色は無い。もう、死ぬなんて言わないだろう。良かった。
「フン。だから私の言う通りにすれば良かったのじゃ。そうすれば、そのような無駄な怪我をせずに済んだであろうに」
これはもちろん王妃。自業自得だ、と言わんばかりの目で、あたしを見ている。
確かに王妃の言う通りではある。シャドウに任せておけば、あたしがこんなケガをすることは無かった。それに、考えてみたら、あたしのしたことは危険な賭けだった。あたしの説得をセルマ様が聞いてくれたから良かったようなものの、もし、説得に失敗していたら、セルマ様を救うことはできなかった。実際、ヒヤリとする場面はいくつもあった。
……まあいいや。もう終わったことだもん。あたしはケガをしたけれど、セルマ様を救うことはできたはずだ。正しい選択だったかは判らないけれど、後悔はしていない。
「それにしても、ウィンの奴め。いつまで待たせるつもりじゃ」王妃が苦々しげにつぶやいた。
そう言えば、すっかり忘れてたけど、ウィン、寝室の鍵を持って、五分で来るんじゃなかったっけ? もう三十分くらい経ってるような。
と、そのとき。
「王妃。遅くなりました」
そう言って、ウィンが現れた。
「貴様、今頃ノコノコと。もうすでに終わったわ! いったい何をしておった!」
怒りをあらわにする王妃。ウィンは、申し訳ありませんと、頭を下げた。
「もう良い! 早くこの田舎者を医務室に連れて行け!」
苛立たしげにそう命じた。ウィンはあたしのそばに駆け寄り、
「申し訳ありませんでした、エマ様。私のせいで、このような怪我を……」
「ううん、いいのよ。むしろ、あなたが遅れてくれたおかげで助かったわ」
本当にそう思う。もしウィンが時間通りに来ていたら、シャドウが部屋に入ってきて、どうなっていたか判らない。セルマ様を救えなかったかもしれないのだ。それに比べれば、あたしのケガなんて何でも無い。
「でも、なんでこんなに遅れたの? ウィンにしちゃ、珍しいんじゃない?」
陛下や王族の人に対しては忠実なウィンだ。彼が五分で来ると言えば、何が何でも五分で来そうだけど。
「はい。途中で、リュースに呼び止められまして」
ん? あの鬼女に?
「先日のレイラ・エスタリフの事件で報告することがある、と。後にしてくれと言ったのですが、重要な話とのことでしたので」
そう言えば鬼女、何か報告することがあってお城に来たんだっけ? でも、定期的なもので、大したことは無いと言ってなかっただろうか?
まさか鬼女、あたしのために時間稼ぎをしてくれたの?
…………。
いやぁ、あの鬼女に限って、それは無いだろう。多分、自分の用事を優先させただけだ。
「よいか貴様ら! この件は、決して陛下に悟られることの無いようにな! このようなつまらぬことで、陛下を煩わせるでないぞ!」
王妃がその場にいる全員に対して言った。そして、あたしとセルマ様を睨み、ふんっ、と鼻を鳴らすと、シャドウたちを連れ、行ってしまった。
王妃には悪いけど、あたし、絶対にこのこと、陛下に言うもんね。ううん。ただ言うんじゃない。陛下を説教しなきゃ!
そう。あたし、怒ってるんだ。陛下に。
陛下は立派な人だし、尊敬してるけど、今回のことは許せない。セルマ様が、あまりにもかわいそうだ。
そりゃまあ、陛下には陛下の気持ちがあるだろうとは思う。陛下は王妃を愛しているのだろう。あんな性悪女のどこがいいのかさっぱり判らないのだけれど、ま、たで食う虫も好き好きと言うから、それをどうこう言うつもりは無い。王妃を愛しているのだから、セルマ様の想いに応えることはできない。だから側室の任を解いた。陛下のしたことは、別に悪いことではない。むしろ、セルマ様のことを思ってのことだろう。それは判る。
でも、それが結果として、セルマ様を追い詰めたのは間違いないのだ。
陛下は判っていない。女心が。それでは、国王失格だ。
話が飛躍しすぎている、とは思わない。だって、王たるもの、女心の一つも理解できないでどうする?
いや、女心じゃないな。
そう――弱い人の心だ。
陛下は強い人だ。だから、弱い人の気持ちを理解することはできないのかもしれない。でもそれでは、真の王とは言えない。弱い人の気持ちも判らず、どうして国を治めることができるだろう?
セルマ様はいつも王妃と対立し、そうは見えなかったのかもしれないけれど、本当は心の弱い人なのだ。今回の事件は、セルマ様の本当の心を見抜けなかった陛下の責任だ。
だからあたし、今度陛下に会ったら、絶対に説教してやるんだから!
「エマ様……」あたしのそばに、セルマ様が立っていた。「本当に、本当に、申し訳ありませんでした。あたしのせいで、こんな……」
あたしの両手を見つめ、また泣き崩れる。
「いいんですよ。あたしのケガなんて、大したことないですから。それよりセルマ様、謝るのなら、あたしじゃなく、みんなに、ですよ」
「え……? みんな……?」
「そうです。この場にいるみんな、セルマ様のことを心配して、集まってくれたんですから」
セルマ様、周りを見回す。
クレアにウィン。そして、セルマ様のメイド。他のメイド。近衛騎士団の人たち。みんなみんな、セルマ様を心配して集まって来たのだ。セルマ様が無事だと知って、安心しているのだ。
「この人たちみんな、私のことを……」
あたしは、そして、その場にいる全員が、うん、と、頷き、
「セルマ様、ご無事で何よりです」
「本当に心配したんですよ! もう、このようなことはやめてください!」
「何かあったら、すぐに私たちに相談してください! 私たちは、いつでもセルマ様のそばにいるのですから!」
口々にそう言った。
「みんな……みんな……ありがとう……ごめんなさい……本当に……ありが……」
最後の方は、嗚咽で言葉にならなかったけれど。
セルマ様は、泣きながら、ありがとう、ごめんなさい、を繰り返した。
あなたは、一人なんかじゃない。こんなにもたくさんの人が、あなたのことを見ている。心配してくれている。
だから二度と。
消えたいなんて言わないでほしい。
死ぬなんて、言わないでほしい。
死んでも誰も悲しまないなんて、言わないでほしい。
あなたのことを想っている人が、こんなにもたくさんいるのだから――。