#03
セルマ様が武器を持って陛下の寝室に立てこもった!? なんだって、そんなことに!?
セルマ様は、昨夜、陛下の寝室に呼ばれた。普段だったら何も無い、形だけの夜。でも昨夜は、セルマ様が陛下に長年の想いを伝えたはずだ。うまく行けばいいと心の底から思ってたのに、いったい何があったの?
ダッ! っと、走り出したのは鬼女。さすがにこういうことに関しては反応が早い。考えるよりもまず行動する人だ。こんなところであれこれ考えたって仕方が無いのだ。あたしも鬼女を追い、陛下の寝室へ向かった。
寝室の前では大勢の騎士とメイドたちが集まっていた。セルマ様付きのメイドが、閉め切られた扉を叩き、しきりに呼びかけているけど、返事は無いようだ。
「状況は?」
着いた早々、鬼女は騎士の一人を捕まえて訊く。突然近衛騎士団でない鬼女が現れたことに驚いたみたいだけど、すぐに状況を報告した。
その騎士は、陛下の寝室の護衛の任に就いていた。昨夜、陛下とセルマ様が部屋に入り、何事も無く夜が明けた。いつものように陛下がまず部屋を出て政務に戻ったが、その直後、部屋からセルマ様のすすり泣くような声が聞こえてきたので、心配になって呼び掛けると、消えるような声で「もう、生きていけない」と言ったのだそうだ。慌てて中に入ろうとしたけど、鍵がかかっていて入れず、その後、どんなに呼びかけても、返事は無いのだという。
「中に陛下はいらっしゃらないのね?」
鬼女が確認する。近衛騎士は、「はい、セルマ様お一人です」、と答えた。陛下の身に危険が迫っているわけではないのは幸いだった。でも、セルマ様、いったい何があったんだろう? 返事が無いって、大丈夫なのだろうか? 陛下の寝室は、万が一に備えて剣や槍や短剣といった武器がたくさん隠してある。イヤな予感がする。
みんなを押しのけるように前に進み、あたしは扉を叩いた。「セルマ様! セルマ様! 返事をしてください!」
すると。
「……エマ様?」
聞こえるか聞こえないかの、本当に小さな声がした。
「セルマ様!? 良かった! ご無事なんですね!?」
さらに大きな声で呼びかけてみる。しかしそれっきり、再び返事は無くなった。
とりあえず最悪の事態ではないようだけど、それでも、セルマ様が無事なのかどうかは判らない。あの小さな声は、ただ元気が無かっただけなのか、それとも、大きな声を出すことができない状態なのか、判らないのだ。でも、どんなに強く扉を叩いても、揺すっても、頑強に閉ざされた扉はビクともせず、中の様子を知ることはできない。
と、そのときだった。
「何事じゃ、騒々しい」
廊下に響く不機嫌そうな声に、みんなが一瞬にして静まり返る。振り返るまでもなかった。この声と口調はエリザベート王妃だ。一刻を争うかもしれないこのときに、面倒な人が現れた。
寝室を護衛する騎士から事情を聞いた王妃は、「なんじゃと!? あの女、いったい何を考えておるのじゃ!」と、怒りをあらわにする。「まさか、このことを陛下に知らせてはおらぬであろうな!?」
「はっ、はい! まだ知らせてはいません」
「ならば良い。このようなくだらぬことで、万が一にも陛下を煩わせてはならぬぞ」
そう言うと、王妃は扉の前に進み出た。見下すような目であたしを見て、フン、と、鼻を鳴らしたけど、あたしには特に何も言わず、代わりに、扉の向こうのセルマ様に向かって。
「くだらぬことはやめて早く出てこぬか! このような騒ぎを起こして、いったい何を考えておる!」
威圧するような声を出す。その無神経な言葉に、あたしは思わず。
「やめてください! そんな言い方!」
王妃の前に立ちはだかる。
「なんじゃ、貴様。無礼であるぞ!」
王妃は忌々しげにあたしを睨みつけるけど、そんな視線には負けない。セルマ様、理由は判らないけれど、もう生きていけない、と言ったのだ。そんな人に向かって、王妃の今の言い方。黙ってるわけにはいかなかった。
「セルマ様のことも考えてください。そのような言い方では、ますますセルマ様は出てこられなくなってしまいます」
「このような騒ぎを起こした女を気遣えとでも言うのか? バカバカしい」王妃はあたしを押しのけると、激しく扉をたたく。「さっさと出てこぬか! さもなくば、無理矢理にでも引きずりだすぞ!」
……アタマに来た! 立場の違いなんて関係なく、怒鳴りそうになった。でもそのとき。
「エリザベート王妃……」
また、聞こえるか聞こえないかだけど、部屋の中からセルマ様の声。
「セルマ様!?」
思わず扉に耳をあてる。何か言おうとしているのかもしれない。
「あ……あなたが……いるから……」
その瞬間、セルマ様の声に、憎しみが宿った気がした。
そして。
「あなたがいるから……あなたがいるから! 私は! 私はぁ!!」
突如、セルマ様の感情が乱れた。泣き叫ぶような、半狂乱の声。
いけない。興奮している。死にたいと思っている人がこの状態になるのは、極めて深刻だ。あたしはセルマ様を落ち着かせようと。
「セルマ様!? どうされました? どうか落ち着いてください! いったい、どうされたのです!?」
とにかく話しかける。
しかし、そんなことなどお構いなしの王妃は。
「ええい、わけのわからぬことを。シャドウ! 構わぬ、扉を破り、あの女を引きずりだせ!」
苛立ちを隠さない王妃の言葉。控えていた黒髪の女騎士が前に出た。王妃の忠臣、シャドウ・アルマ。
まずい。このまま扉を破られると、セルマ様、どういう行動に出るか判らない。追い詰められて、自ら命を絶つかもしれない。しかも、扉を破るよう命じられたのはあのシャドウだ。その美しい外見とは裏腹に極めて冷酷。王妃を護るためならば、表情一つ変えずに人を殺めるような人だ。もしセルマ様が抵抗すれば、手荒な手段に出ることも辞さないだろう。最悪の場合、騒ぎを収めるために、この人自身がセルマ様を殺してしまう可能性も否定できないのだ。どうしよう? どうしたらいいか判らないから、とにかく扉の前に立ちはだかった。あたしなんかにこの人を止められるとは思えないけど、とにかく今は、そうするしかなかった。
王妃が、忌々しそうにあたしを睨む。「邪魔をするでない! 痛い目に遭いたいか!」
もちろんあたしはそんな脅しには乗らない。意地でもここはどかない。
と、シャドウが王妃に頭を下げた。
「恐れながら王妃。この部屋は陛下の寝室。一度閉ざされてしまえば、力ずくで開けるのは、少々難しゅうございます」
……そうだ。シャドウの言う通りだ。
陛下の寝室は、万が一の事態に備え、常に近衛騎士が護衛しているだけでなく、部屋自体とてつもなく頑丈にできている。壁は他の部屋の倍の厚さで、この扉も、一見普通の木製に見えるけど、中に分厚い鉄板が入っていて、城門のように強固なのだ。本格的な攻城兵器でも持ち出さなければ、破ることはほぼ不可能だ。
「ええい! ならばどうすると言うのじゃ!」
ますます苛立つ王妃に対しても、シャドウはいつもの無感情で冷たい表情を崩さない。
「確か、寝室の鍵の予備を、近衛騎士隊長のウィン殿が持っているはずです」
「ならばすぐにウィンを呼べ! じゃが、この件を決して陛下に悟られるでないぞ!」
「心得ております」
シャドウは通信機を取り出し、ウィンに連絡する。しばらく話した後、「五分ほどでこちらに来るそうです」と、王妃に伝えた。
その言葉に、王妃の怒りは少し収まり、「ふん。側室の分際で、余計な手間をかけさせおって。ただではおかぬぞ」まるで敵国を攻める将軍のような目で、扉を見つめる。
どうしよう? このままだとセルマ様が危ない。何とかしないと。ウィンが来るまで五分。理由を話して、ちょっと待ってもらおうか? ダメだ。ウィンと連絡をとる手段が無い。ウィンから貰った指輪型の通信機は、あたしのいる場所を伝えるだけで、会話はできない。近衛騎士団の人に通信機を借りることができればいいけど、王妃の手前、誰もそんなことはしないだろう。
あたりを見回す。目に入ったのは、鬼女。さっきから黙って様子を見ているだけだった。思わず助けを求める。
「お願い、なんとかして。このままだと、セルマ様が何をされるか判らないわ」
しかし鬼女、相変わらずそっけない口調で。
「城内の警備は近衛騎士団の仕事です。私が口を挟むことではありません」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!? 一大事なのよ!?」
「もちろん、必要であれば私も手伝います。しかし、今、立てこもっているのは、武装している可能性があるとは言え、武術の心得など無いご側室のセルマ様。まして、人質などを取っているわけでもなく、単身での立てこもり。近衛騎士団だけで十分に対応可能です。私のような部外者がわざわざ出て行くまでもありません」
むっかー。相変わらず融通のきかない人だ。三ヶ月前の大ゲンカを思い出す。あのときみたいに怒りが込み上げてきたけど、なんとか我慢する。今はそんな場合じゃない。時間が無いのだ。そもそも鬼女に頼んだのが間違いだった。考えてみたらこの女、シャドウと同じくらい冷酷な人間だ。ヘタすれば一緒になってセルマ様を攻めかねない。
どうする? 考えてもいい方法は思いつきそうにない。とにかく説得してみよう。あたしはまた扉を叩いた。
「セルマ様! エマです! 聞こえますか!?」
返事は無かった。興奮が収まったのだろうか? それならひとまず安心だけど、もしかしたら、思いあまって命を絶ってしまったのかもしれない。それはここでは判断できない。とにかく、あたしは話しかける。「お願いです! 聞こえているのならば、返事をしてください! セルマ様!?」
と、一瞬だけ。
「……聞こえてるわ」
本当に小さな声でだけど、セルマ様の声。あたしは、安堵のあまりその場に崩れ落ちそうになった。
「良かった……本当に良かった……セルマ様……」思わず泣きそうになってしまったけれど、まだ何も終わってない。あたしは続ける。「お願いです。ここを開けてください……いえ、開けなくてもいいです。お話をしましょう。いったい、何があったのですか? あたしでよければお力になります。だから、死ぬなんて……言わないでください」
とにかく相手を刺激しないように、優しい言葉で話しかける。
でも、またしても。
「フン、死にたいなど、どうせ口だけに決まっておるわ。本気で死のうと思っているのなら、黙って首を吊るなり、飛び降りるなり、手首を切るなりすればよいではないか。このような騒ぎを起こして、ただ皆の同情を集めたいだけであろう」
王妃の、無神経な言葉。
「王妃、しばらくの間、黙っていてもらえませんか?」
あたしは強い口調で言った。これ以上この人に喋らせてはいけない。
「なんじゃと貴様? 側室の分際で、王妃である私に対して、何という無礼な言葉。少しはわきまえぬか。そもそも貴様は――」
「うるさい! 黙れぇ!!」
思わず。
王妃とか側室とか、そんなことは忘れ。
あたしは、叫んでしまった。
周りの騎士やメイドを始め、王妃さえも驚き、言葉を失った。
あたしは、王妃を睨みつけ。「王妃。あなたには、セルマ様の気持ちが判らないのですか?」
「な……何だと?」
「確かに王妃のおっしゃる通り、本気で死のうと思えば、こんなことはしなくていい。方法はいくらでもあります。でも、セルマ様はしなかった。こうやって部屋に閉じこもったのは、生きたいという、セルマ様のメッセージではないしょうか?」
「――――」
「死にたいと思っている人の心は、弱いのですよ、王妃。そのことを、どうか判ってあげてください。そしてどうか、少しだけでいいから、あたしに時間をください。お願いします――」
あたしは、頭を下げた。
セルマ様を救いたい。
その一心で。
あたしは医者だった。あたしのいた村では、大きな病に苦しむ人もいた。そんな人の心は、本当に弱い。少しのことでも、折れてしまう。
自殺を考えている人も同じだ。心が、あまりにも弱いのだ。
あたしは、そんな心の弱い人を救いたい。
あたしには、心臓移植だとか、DNA鑑定だとか、そんな高度な技術は無い。直してあげられる病気や怪我は、ごく軽いものだけだ。医者なんて偉そうに名乗るほどの身分ではない。
でも、身体を治すだけが、医者の仕事じゃないんだ。
心を治す。それも、医者の大切な務めだ。
その点に関して言えば、あたしはこの国のどんな立派な医者にも負けない自信がある。
だって――あたし自身も、弱い人間なのだから。
今のセルマ様の気持ちを、きっとあたしは、判ってあげられる。
そして、セルマ様はきっと、それを望んでいるはずなのだ。
だから。
「王妃。どうか――どうかお願いします」
何度でも言う。そして、頭を下げる。
「フン。好きにするがよい。ただし、ウィンが来るまでだ。鍵が届けば、無理矢理にでも引きずりだすからな!」
王妃は苦々しい顔でそう言った。
「ありがとうございます」
もう一度頭を下げ、そして、扉の方を向く。
「セルマ様。エマです。聞こえてますよね? お願いです。あたしと話をしましょう。昨日みたいに。そうだ。またイーストのケーキを買ってきますから、お茶でも飲みながら。ね」
相変わらず返事は無かった。でも、聞こえているのは間違いないと思う。じゃあ、話したくないということだろうか? その理由は? 考える。あたしなんかじゃ話し相手にもならない、というのなら手の打ちようが無いけど、そうじゃなかったら? 例えば……そう。話しにくい内容だったら。
あたしはさらに考える。セルマ様は、なぜ死にたいと思ったのだろう? 昨日はあんなに元気だったのに。
昨日セルマ様は、陛下に自分の思いを伝えると言っていた。陛下と一晩過ごし、そして今、寝室に閉じこもり、死にたいと言っている。
――――。
となれば、自殺の理由を想像するのはそう難しいことではない。
「セルマ様――陛下と、何かあったのですか?」
恐る恐る訊いた。もしかしたら、また興奮し始めるかもしれない。でも、会話の糸口がつかめない以上、そうするしかなかった。
セルマ様は――何も答えない。
肯定の意思表示と考えるべきだろうか?
あたしの考えは、恐らく間違ってはいないだろう。でも、そう決めつけて話を進めることはできない。とにかく、セルマ様の方から話を始めるのを待つしかない。
「お願いです。お願いですからセルマ様、何か言ってください。あたし、セルマ様の声が聞きたい……」
それはもう、祈りだった。
セルマ様に死んでほしくない。
セルマ様とお話したい。
セルマ様の顔を見たい。
セルマ様を救いたい。
祈る。
と、扉の向こうから、また消えるような小さな声。
「何故そんな、私などに構うのですか? 放っておけばよいでしょう?」
その言葉に、あたしは思わず、
「放っておけるわけ無いでしょう! セルマ様は、あたしの大切なお友達なんですよ!?」
叫んでしまった。
そうだ。
セルマ様は、あたしの大切なお友達だ。
あたしがお城に来てからの三ヶ月で、ゆっくりお話をしたのは昨日の一日だけだけど、それでもセルマ様は、あたしの大切なお友達だ。
「私が……エマ様のお友達……?」
「ええ、そうです! だから、何でも話してください! あたしに!」
訴えた。
そしてまた、沈黙。
あたしの声が届いたかどうかは判らない。
やがて。
「本当に、私の話を聞いてくれるのですか?」
その声は、ほんの少しだけど、さっきよりも大きくなっていた。直感する。セルマ様は、この扉のすぐ向こうに立っている。心が、動いている。
「ええ! もちろんです! お友達ですから!」
さらに訴えた。
また沈黙するセルマ様。迷っている証だと思った。
「もちろん、お話をするのはあたし一人です。他の人に聞かせたりしませんよ。だから、中に入れてもらえませんか?」
あたしがそう言うと、セルマ様はまた迷う。「ここを開けたら、その瞬間、王妃が私を引きずりだすかもしれません」
「そんなことはさせません! あたしが、絶対に! セルマ様に手出しなんて、させるものですか!」
そう約束する。
そしてまた、沈黙。迷うセルマ様。
でも、それもわずかな時間だった。
「エマ様だけならば……入っても良いですよ」
「本当ですか!? ありがとうございます、セルマ様!!」
良かった! 話をしてくれる。これで解決と言うわけではないけれど、話をしている間は自殺を思いとどまってくれるはずだ。それだけでも、本当に良かった!
でも、そのためには。
あたしは振り返り、そして。
「これからあたしは部屋に入って、セルマ様の話を聞きます。もちろん、部屋に入るのはあたし一人です。絶対に、他の人は何もしないでください」
みんなに――特に王妃に向かって――言った。
もちろん、鍵が開くのだから、その瞬間突入して、セルマ様を無理矢理部屋の外に引っ張り出すこともできる。この騒ぎを終わらせるならば、それが最善かもしれない。
でも、それは根本的な解決ではない。
セルマ様の心は傷ついたままだ。むしろ、あたしを信じてくれたセルマ様を裏切ったことになり、ますます傷つけてしまう。
それだけは、絶対に避けたい。
だから、ここは何としても、王妃に手出しさせてはいけない。
あたしは、王妃をまっすぐ見つめる。
王妃は目をそらし、「好きにせよ」と、小さな声で言った。
良かった。王妃が認めれば、他の人は何も言わないだろう。
と。
「エマ様――」声をかけてきたのは、クレアだった。「良かったら、これをどうぞ」
そう言って、笑顔で差し出されたものを見て。
――――。
クレア……あなたって、どうしてそんなに気が利くの? 涙が出そうになる。
クレアが持っていたのは、ティーセットと、イーストのロールケーキが二つ。さっきあたしが何気なく、「またイーストのケーキを食べながらお話をしましょう」と言ったのを聞いて、部屋から持ってきたのだろう。
思わずクレアを抱きしめたくなったけど、その衝動を抑え、ティーセットを受け取る。
「セルマ様をよろしくお願いしますね」ぱちっとウィンクするクレアに、あたしは無言で頷く。
そして、あたしはまたセルマ様に話しかける。
「ではセルマ様、ここを開けてください。大丈夫。あたし以外の人はいませんから」
しばらくの沈黙の後。
がちゃり。
カギが外され、そして、ほんの少しだけ扉が開き、セルマ様が顔を見せる。泣き腫らしたのであろうその顔。昨日までの綺麗なセルマ様が、ウソのようにやつれていた。
――――!
その右手に握られたものに、あたしは思わず息を飲む。
刀身がギラリと光った。よく磨かれた、短剣。
あたしは料理が好きだから、包丁に関しては結構うるさい。だから判る。包丁などとは、比較にならないほどの輝き。食材を切ることを目的に作られた刃物ではない。戦いを目的に――人を傷つけること前提に作られた刃物。
手のひらが、じっとりと汗でにじんでいく。
その短剣があたしに向けられるのが怖いのではない。
セルマ様が、自分自身に向けるのが怖いのだ。
できることならばしまってほしい。でも、それは言わず、あたしは、短剣なんて気付いていないかのように、セルマ様にティーセットを見せ、「ほら、イーストのロールケーキですよ」と、なるべく笑顔で言った。
セルマ様は、ケーキには特に興味を示さず、近くにあたし以外の人がいないことを確認し、そして、扉を大きく開けた。あたしは、中に入る。
ばたん。がちゃり。
扉は閉められ、そしてまた、カギがかけられた――。