#02
クレアはカードを配り終えた。あたしの前には、五枚のカード。相手に見えないように、ゆっくりと、一枚ずつめくっていく。ハートの10、クローバーのQ、スペードの9、スペードのJ、スペードの4。
クレアもカードをめくった。そのときの表情の、些細な変化も見逃さないよう、じっと見つめる。でも、表情は変わらない。まさにポーカーフェイス。いや、余裕に満ちているように見えるのは、気のせいだろうか。
まあいい。まずは、クレアのベットだ。
「じゃあ、十枚で」クレアはコインを出す。
おっと。十枚と来たか。最初のベットにしてはなかなか高額だ。対するあたしの行動は、下りるならドロップ。乗るならコール。ベットを上乗せするならレイズだ。
……いいわ。ここは乗ろうじゃないの。
「コール!」あたしは、自信に満ちた声で宣言し、十枚のコインを出した。
手札を見る。ペアはできてないけど、ストレートかフラッシュを狙える組み合わせだ。どちらも悪くない役だ。
あたしがコールしたので、続いて、カードの交換。クレアからだ。さあ、何枚交換するの?
と、思っていたら。
「交換はいいです。このままで」
クレア、さらっとそう宣言する。
交換なし? どういうつもり?
表情を見る。相変わらずの無表情。もしくは、余裕に満ちた表情だ。そこから何も読むことはできない。一体、何のつもりなの? 判らない。
いや。落ち着け、エマ。勝負に勝つには、冷静さが必要だ。
カードを交換しないということは、その必要が無いからだ。つまり、すでに役が出来上がっているということ。それも、カード五枚すべてを使った役だ。ワンペアやツーペアなら、少しでも強い役を狙うため、必ず交換をするはず。カード五枚で完成する役は六つ。ストレート、フラッシュ、フルハウス、ストレートフラッシュ、ロイヤルストレートフラッシュ、ファイブカードのどれか。この内、ストレートフラッシュ、ロイヤルストレートフラッシュ、ファイブカードの三つは無いと考えていいだろう。交換なしにそんな役ができたら、それはもはやお祭り騒ぎだ。負けても悔いは無い。クレアの手は、ストレート、フラッシュ、フルハウスの三つに絞って良いだろう。
どうしよう?
じっと手札を睨む。あたしが狙える役はストレートかフラッシュ。
ストレート狙いなら、スペードの4を捨て、8かKが来ればいい。マークは関係ないから、確率は高いだろう。
対して、フラッシュ狙いなら、ハートの10とクローバーのQを捨て、スペードが二枚来なければいけない。数字は関係ないけれど、確率はぐっと下がる。
普通に考えれば、ストレート狙いが妥当だ。
しかし、相手の役がフラッシュかフルハウスなら負けてしまう。ならば、低い可能性に賭けて、フラッシュを狙うか……スペードのフラッシュになれば、相手がフルハウスでない限り勝ちだ。同じフラッシュなら、スペードの方が強いから。
でも、それは希望的観測だ。フラッシュが完成する確率は、極めて低い。完成しなければ、元も子もないのだ。やはりここは、安全策でストレートを狙う方が得策だろう。もし、クレアの役もストレートなら、今度は数字が勝負になってくる。Qを持っているあたしは、やっぱり有利だ。
よし、そうしよう。
あたしはスペードの4を捨てる。
来い!
気合を込めてカードを引くと――スペードのK!
来た来た来たぁ! これで、ストレート同士の対決なら、あたしはまず負けないだろう。
それに。
普通に考えてみたら、交換なしでストレートやフラッシュやフルハウスが完成する可能性も、極めて低い。もしかしたら、これはクレアのハッタリ、いわゆるブラフというやつかもしれない。そうなると、クレアのカードはせいぜいスリーカード。完全にあたしの勝利だ。フッフッフ。ここまで負け続けだったけど、ついにあたしの時代が来たようね! さあ、クレア。ドロップするなら今のうちよ! 勝ち誇った顔でクレアを睨む。
カードの交換が終わったので、もう一度ベットタイム。クレアからだ。
「じゃあ、二十枚追加で」
――――!
に……二十枚追加?
合計で三十枚。これは大きな勝負になったぞ?
と、いうことは?
クレア、やっぱりすごく良い役なのだろうか? あたしのこのストレートで勝てるのか、怪しくなってきたぞ?
……いやいや。落ち着け、エマ。勝負に勝つには、氷のような冷静さが必要だ。
クレアがブラフを仕掛けているのなら、このベット枚数は当然だ。いきなりたくさんベットして、相手をビビらせるのはブラフの常套手段。ならば、ここはコール――いえ、思い切ってレイズで、逆に相手をビビらせてやろう。
「フ……面白いわね……ならあたしは、さらに十枚追加よ!」
ずい、っと、コインを出す。合計で四十枚。さあ、クレア、今度こそドロップする番ね!
しかしクレアは。
「だったら、あたしは五枚追加します」
さらにレイズ? 合計四十五枚。やっぱりブラフじゃないの? ヤバい! ドロップすべきはあたしの方か?
……いやいやいやいや。だから、落ち着くのよ、エマ。勝負に勝つには、雪のような冷静さが必要だ。
何故、クレアは五枚なんて中途半端な上乗せをしたのだろう? 考える。きっと、役に自信が無いからだ。そうだ。そうに違いない。フフフ。ビビってるようね、クレア。きっとワンペアね。そうに決まってるわ。
……でも。
たかがワンペアで、四十五枚もコインを賭けるだろうか? やっぱ、良い役なのか? もしかしてフルハウス? なら、さっさとドロップだ。今なら、負けは四十枚で済む。
……でも。
ここでドロップしても、コインを四十枚も失ってしまう。この勝負に乗って、仮に負けても、失うコインは四十五枚。その差は五枚でしかない。それならば、いっそ勝負を挑むべきか。
……でも。
たかが五枚と言えども、貴重なあたしの財産だ。どうせ負けるのならば、失うコインは少ない方が良いに決まっている。
……でも……でも……でも。考えがまとまらない。うじうじ悩むあたし。
「どうするんですか? エマ様?」
クレア、にっこりとほほ笑んで訊いてくる。いつもはかわいらしいあのほほ笑みが、今は悪魔の誘惑に見える。
……気後れしたら負けよ、エマ。ここは初志貫徹! 相手はブラフ! そうに決まってるわ!
「いいわ! 受けて立とうじゃないの! コールよ!」
あたしも五枚コインを出す。合計で四十五枚。勝者には、九十枚のコインが!
「じゃあ、ショーダウンですね。あたしから行きます」
ぱらり。一気に五枚のカードを公開するクレア。
クレアのカードは――。
クローバーのA。
ダイヤのA。
ハートのA。
スペードのA。
そして、ジョーカー。
…………。
は?
目をぱちくりさせ、クレアのカードを見つめるあたし。
えーっと。これ、どうなるんだ? 確か、Aは1か11だから、四枚のAで、合計は14。でもジョーカーがある。ジョーカーって、どうなるんだっけ? 普通は使わないはずだけど、ローカルルールで、1から5までの好きな数に使えるとか、かな?
「エマ様。これはブラックジャックじゃありません。ポーカーです」
相変わらず悪魔のほほ笑みを浮かべたクレアが、あたしの現実逃避を妨害する。
そう。これはポーカー。
つまり、クレアの手はファイブカード。ポーカー最強の役。
…………。
そ……そんなバカなぁ!!
「またまたあたしの勝ちですね、エマ様」
語尾の終わりにハートマークがつきそうな、かわいらしいけど、今は憎らしい以外の何物でもない口調で、勝利宣言をするクレア。
ぐああぁぁ!! 悲鳴を上げるあたし。これで四連敗。しかもこの負けは、四十五枚もの大量コインを失った! これは痛い! 痛すぎる!!
……さっきから何をしているのかというと、昼下がりの時間の、クレアとのゲーム対決。しつこいようだけど、お城での生活は退屈そのもので、こうしてクレアといろんなゲームで対決するのが、あたしの数少ない楽しみの一つなのだ。今日のゲームはポーカー。対戦相手との駆け引きがアツイんだよね。あたし、相手の心理を読むことに関しては割と自信があったんだけど、現在四連敗中。クレア、手の内が全然読めないのだ。かわいい顔して結構な女狐なのかもしれない。
「さ、エマ様。もう一ゲームしましょう。覚えてますよね? あたしが勝ったら、エマ様、何でも一つ言うことを聞くって約束ですよ?」
う……そうなのだ。まさかクレアがこんなに強いとは思わなかったから、ゲームの前、軽い気持ちで約束してしまったのだ。
クレアを見る。余裕の笑みを浮かべ、あたしを見ている。あたしの手元には、わずかに残った三枚のコイン。ゲーム開始時は七十枚あったコインが、わずか四ゲームでこの有り様。ダメだ。こういうゲームは流れが肝心だ。ファイブカードなんてあり得ない役を完成させられ、流れは完全にクレアの方にある。今のあたしが何をしても、全く勝てる気がしない。
と、なれば残された手段は一つ!
「あ、そうだ。あたし、セルマ様と会う約束してたんだった。ゴメン、クレア。あたし、行かないと」
突然の言葉にぽかーんとするクレアを残し、あたしは素早く部屋を逃げ出した。反論のスキを与えない、見事な作戦。
ま、後で何を言われるか判ったもんじゃないけど、今はとりあえず、これでいいだろう。もう二度とポーカーはしない。大体クレア、怪しいよ。いくらなんでも、ファイブカードは無いでしょ。絶対イカサマしてるよね。
と、文句を言いつつも、明日になればまた遊んじゃうんだろうけど。
さて。うまく逃げ出してきたのはいいけれど、これからどうしようかな? セルマ様に会う約束なんてもちろんウソだけど、特に他に用事は無いし、この前王妃を追い払ってくれた件のお礼も言いたいし、本当にセルマ様のところに行ってみるか。あ、でも、手ぶらで行くのも失礼だな。うーん、どうしよう? 部屋には戻れないし。
「エマ様」
背後から不意に声をかけられ、ドキッとする。驚いたのもあるけど、この声はもしや……振り向くと、やっぱり、クレアだった。まさか、追いかけてきたの? マズイな。
なんて思ってたら。
「セルマ様にお会いするのに、手ぶらじゃ失礼ですよ。はい、これをどうぞ」
にっこり笑って渡してくれたのは、白い紙の箱。開けてみると、うわお。おいしそうなロールケーキが二つ。
「イーストのロールケーキです。ちゃんと味わって食べてくださいよ」と、クレア。
イーストというのは、今、城下で話題のケーキのお店。結構並ばないと買えないほどの人気店だ。でも、いいのだろうか? クレア、これ、多分あたしと食べるために買ってきたんだと思うけど。
「じゃ、あたしは部屋のお掃除をしてますね」
そう言って、部屋に戻るクレア。
ああ、あなたって、なんていい娘なの。自らを犠牲にしてケーキを差し出すなんて、あたし、涙が出そうだよ。あなたのこういうところが大好きなの。今度この埋め合わせはするからね。
クレアの背中にありがとうを言い、あたしはセルマ様の部屋に向かった。
トントン。ドアをノック。しばらくして「どうぞ」と明るい声。あたしは扉を開けた。
「セルマ様、おじゃまします」
「これはエマ様、ようこそおこしくださいました」
セルマ様、満面の笑みで歓迎してくれる。
セルマ様の部屋はあたしと同じくらいの広さで、テーブルやベッドやじゅうたんなどの調度品もそれほど豪華なものではなく、あたしの部屋とそんなに変わらない。以前尋ねたレイラの部屋と比べると、ずいぶん質素だ。ま、レイラは側室の中では別格だったからな。
「セルマ様、これ、一緒に食べませんか?」クレアにもらったケーキを見せる。
「まあ! イーストのケーキではありませんか? 私、大好物ですのよ! ありがとうございます。どうぞ、おかけになってください。今お茶をお入れしますので」
あたしがイスに腰掛けると、セルマ様は部屋の奥でティーセットの用意をはじめた。
あれ? セルマ様、自分で用意するのかな? こういうのは普通、メイドがやってくれると思うんだけど。そう言えばメイドがいないな。あたしみたいな新参者にもクレアというメイドがいる。セルマ様にいないってことはないと思うんだけど。
セルマ様がティーセットを持って戻ってきたので、訊いてみた。
「特に用事が無いときは、呼ばないようにしていますの。自分のことは、なるべく自分でやるようにしてますから」さらっと答える。
へえ。あたしと同じだ。あたしも身の回りのことはあんまり人任せにしたくないからな。クレアに任せず、なるべく自分でやるようにしている。あたしとセルマ様、結構似てるのかもしれない。
セルマ様は慣れた手つきでカップに紅茶を注ぐと、
「ではエマ様、頂きます」
二人でロールケーキを食べる。ひと口パクリ。うーん。ふわふわのスポンジと、濃厚なクリームの奏でるハーモニー。これぞイーストのロールケーキだね。
「ああ。やっぱりイーストのケーキは絶品ですわね」
セルマ様も満足そうで何よりだ。
その後、どこどこのお店のショートケーキが最高だとか、紅茶はあそこのお店がいいとか、あのお店のプリンは名前ばかり有名で、味は大したことないとか、そんなおしゃべりで盛り上がりつつ、二人でおいしくケーキと紅茶をいただいた。
「……それにしても、先日のエマ様のシチューは、大変おいしかったですわ。今度ぜひ、作り方を教えてくださいな」セルマ様、例の天使のような笑顔で言う。
「はい! あたしのシチューなんかでよければ、ぜひ!」
大喜びで答えるあたし。へへへ。あたし、シチューを褒められるのが何よりうれしいんだよね。
……と。そうだ。今日ここに来た目的を思い出した。あのとき、王妃に絡まれてたあたしを助けてくれたお礼を言いに来たんだった。
「セルマ様、あのときは助けていただいて、本当にありがとうございました」改めてお礼を言い、頭を下げた。
「いえいえ、あんなこと、何でもございませんわ。もしまた王妃が何か言いがかりをつけてきたら、いつでも助けに行きますわ」頼もしい言葉。
「そう言えば、聞きましたよ。以前、王妃に向かって二階からバケツの水をぶっかけたそうですね」
「まあ、恥ずかしいですわ。誰から聞いたんですの。あのころは私もまだ若かったですから、若気の至りというやつですわ」
「でも、そんなことして、大丈夫でした? 仕返しとか、されませんでした?」
「ええ。特に何も。ひょっとしてエマ様、ご存じないのですか?」
「は? 何をですか?」
「王妃、ああ見えて、意外とああいうことには寛大なんですよ」
寛大? あの王妃が? まさかぁ?
ちょっと想像してみる。もし、あたしが王妃にバケツで水をぶっかけたらどうなるか。王妃はただちにあたしを捕らえるようシャドウに命じ、あたしはすぐに捕まる。そして、あたしを吊るしてさんざんムチでビシバシして、さらに馬にくくりつけて街中を引き回し、最後にギロチンで首をちょん切る……なんてことしか想像できない。王妃と寛大。まったく結びつかない言葉だ。
「そんなことはありませんよ。現に、私は今でも生きてますから」
笑いながら言うセルマ様。ま、それはそうだ。クレアの話によると、セルマ様はこれまでさんざん王妃と対立してきたらしい。王妃があたしの思ってる通りの人なら、今セルマ様の命があるのは奇跡に等しい。
「王妃が私たちに嫌がらせをするのは、きっと寂しいからだと、私は考えています」
寂しい? 王妃が? 寛大という言葉と同じく、王妃とは結びつきにくい言葉だなぁ。
と、最初は思ったけど。
…………。
少し考えて。
なんとなく、判るような気もしてきた。
「ええ。王妃も、考えてみればかわいそうな方なのです。陛下のもとに嫁いで来たものの、子を産めぬ身体というだけで、アルバロ様や諸大臣、そして、国民からも軽視されています。今や王妃は、飾り物も同然」
セルマ様の言葉に、あたしも大きく頷く。
そうなのだ。この国では、王妃は、王の子を産むだけの存在としか見られない。子を産めない王妃は、それだけで存在価値を認められないも同然なのだ。大変な間違いだと思う。性悪で陰湿で腹黒い王妃だけど、その点だけは、あたしもかわいそうだとは思っていた。
「王妃はきっと、小さい子供と同じなのですよ。誰にもかまってもらえず、誰かの気を引こうと、つまらないイタズラを繰り返す子供と。私たちに嫌がらせをすることで、わずかでも私たちが構ってくれる。そして何より、陛下に叱られます。王妃は、それが嬉しいのだと思いますよ」
うーん。そう言われると、何だかそんな気もしてくるな。
「ですから。エマ様も、今度王妃が何かしてきたら、遠慮なく、仕返ししてあげてください。その方が、きっと王妃も喜びます」
ははは。そうなのかな。説得力はあるけど、ちょっとそれを試すには勇気がいるかな。セルマ様の言うことを信じないわけじゃないけど、実は間違いで、あたしが仕返しした途端、ギロチン送りになってしまう可能性もあるわけだ。首と胴が離れるのはイヤだ。
「ま、考えておきます」
あたしがそう言って笑うと、セルマ様も笑った。しばらく二人で笑い合う。
「……そう言えば、陛下とはどうですか?」セルマ様が声を改めた。
「は? どう、とおっしゃいますと?」
「つまりその……お手付きの方はございますか?」
お手付き。もちろんゲームとかでミスをすることではない。判り易く言うと、エッチをしてるかということだ。
「いえ、何も無いですよ。陛下はあたしには何の興味も無いみたいで、寝室に呼ばれても、ただ一晩過ごすだけです」
言った後で、まずかったかな、と思った。陛下は、アルバロ様や諸大臣が、早く子を作れ、と、うるさいから、側室との形だけの席を設けているのだけれど、これは当然秘密のことだ。同じ側室とは言え、しゃべっちゃいけなかったのかもしれない。
と、思ってたら、セルマ様が笑い。「やはりそうですか。実は、私も同じです。陛下ったら、全くお相手をしてくれませんのよ」
はは。セルマ様もなんだ。
「切ないですわよね。せっかく二人きりなのに、何も無く一晩過ごすなんて。私たち側室は、陛下の子を産むためにここにいますのに、これでは私たちの存在する意味がありませんわ」
セルマ様のその言葉に、あたしは、はあ、と、曖昧な返事をする。あたしは陛下からのお手付きが無くて、正直助かっているのだけど、セルマ様は違うようだ。
「私、今夜陛下に呼ばれているのですけど、今夜も何も無いのかと思うと……複雑な気分ですわ」セルマ様、ため息。
「セルマ様は、陛下のお子様が欲しいのですか?」
あたしの質問に、セルマ様は目を丸くし、
「当然ですわ! そうでないと、何のためにここにいるのです!」
ビックリするくらい大きな声で言った。
ま、そりゃそうだ。あたしを基準に考えちゃいけない。側室になったのだから、当然陛下の子供が欲しいに決まってる。我ながら、バカな質問をしたな。反省。
「陛下は、お優しい方ですよね」セルマ様、優しい口調に戻る。「本来なら私など、陛下のおそばにいることができるような身分ではありませんのに」
「そうなのですか?」
「ええ。私は、もともとはこのお城に仕えていたメイドの娘。側室に選ばれるような人間ではありませんの」
へえ、そうだったんだ。しぐさや言葉遣いが上品だから、そうは思わなかった。
国王に嫁ぐ女性は、普通、どこどこ国の姫だとか、なになに貴族の娘だとか、あれあれ大臣の娘など、いわゆる上流階級の女性が選ばれる。側室も陛下の奥さんには変わりない。使用人の娘が選ばれるなんて、かなり異例なことなのだろう。
ま、それを言ったら、あたしなんか国のはずれにある、頭にクソがつくほどの田舎で育った女。セルマ様なんて比較にならないほど異例なんだけどね。
「陛下がまだ幼かった頃、私の母は、陛下の世話係を命じられていました。その関係で、私は陛下と一緒にいることが多かったのです。今考えると恐れ多いのですが、あの頃は私も子供でしたし、そもそも陛下は身分とかそう言ったことを気にしない方だったので、よく二人で遊んでましたわ」
「じゃあ、二人は幼馴染みたいなものなんですね」
「ええ。そうなんですよ」セルマ様は照れくさそうに笑った。「私が五歳のときに、こんなことがありました。その日は、二人で中庭の木に登って遊んでいたのです。私、調子に乗って高いところまで登ってしまい、降りられなくなってしまったのです。そうしたら、陛下が助けてくれました。でも、そのとき陛下が足を滑らせてしまい、木から落ちて、怪我を負ったのです」
セルマ様が大きくため息をついた。当時のことを思い出し、胸を痛めているように見えた。
「あの日は、母にさんざん怒られました。私のせいで陛下に怪我を負わせてしまったのですから、当然ですわよね。アルバロ様や大臣様も烈火のごとく怒りました。でも、陛下がかばってくださったのです。あのとき陛下は、『セルマに怪我が無くて良かった』と……あの言葉は、一生忘れません」
セルマ様の目に、涙が浮かんでいるように見えた。
「結局その責任を取らされて、母は陛下の世話係を辞めることになりました。それ以来、私は陛下と一緒にいることはできなくなりましたが、私は、それからずっと、陛下のことを想っています。陛下がご結婚されたとき、周りのみんなは大変喜び、祝福しましたが……私だけは、心の底から喜ぶことができませんでした。まあ、私などがどんなに想いを寄せても、所詮は叶うことのない恋。仕方が無いのですけどね」
きゅん。と、あたしの胸が鳴った気がした。今でも陛下のことを想っている、叶うことのない恋――セルマ様を見ていると、胸が締め付けられる。
「私は母の跡を継いで、お城のメイドになりました。陛下のために何かお役にたてれば、と、思っていたのです。でも、思いもよらないことがおこりました。この国に、側室の制度ができたのです。そして、あろうことか私が選ばれたのです!」
セルマ様が目を輝かせた。
王と使用人。あまりにも違う身分。さらに王には、すでに王妃がいる。決して叶うはずのない恋だった。
でも、側室の制度ができ、それに選ばれた。叶うはずのない恋が、叶うかもしれない。
側室に選ばれたセルマ様は、そう考えたのかもしれない。
セルマ様が、まっすぐな目であたしを見た。「エマ様は、側室の制度を、どうお思いですか?」
急に訊かれ、一瞬、答えに詰まる。
あたしには、側室の制度なんて理解できない。でも、それを側室であるあたしが言うのはおかしいし、同じく側室であるセルマ様に言うのも失礼だ。
でも、セルマ様のまっすぐな目を見ていると、なぜだろう? ウソをつくことができない。
だからあたしは、正直に言う。
「あたしには理解できません。正式な妻以外に、何人も妻がいる。いくら子供が必要だとは言え、これでは正妻に失礼です。いえ、正妻だけじゃありません。これは、女をバカにしていると言ってもいい」
あたしもまっすぐな目でセルマ様を見て、そう言った。
セルマ様は、フフッと笑い、「そうですわね。エマ様の言う通りです。私も立場が違えば、エマ様と同じことを考えたと思います」
王妃の肩を持つわけじゃないけど、子供が産めないという理由で、他の女をあてがうなんて、侮辱以外の何物でもない。
「でもね、エマ様。私はやっぱり、陛下のことを愛しているのですよ。陛下のおそばにいたい。陛下のお力になりたい。そう思ってしまうのです。自分勝手だと思われるでしょうが、陛下のおそばにいることができるのならば、私は側室にでも何にでもなります。陛下にお子様が必要ならば、私が喜んでお産みいたします」
セルマ様の瞳には、ゆるぎない決意が宿っていた。
陛下にはすでに妻がいる。妻がいる人を好きになるのはいけないことだ。
でも、だからといって、人の気持ちをどうこうすることはできない。妻がいようがいまいが、好きなものはしょうがない。気持ちを抑えることなんて、できっこないのだ。
「私は今夜、陛下にこの想いを伝えるつもりです。ずっと陛下を想っていたこと。陛下のために、子を産みたいことを。このまま、何の存在意義も無い側室で終わりたくありませんからね」
「セルマ様――」あたしは、気付かないうちにセルマ様の手を取っていた。「あたし、感動しました。セルマ様の想いに。あたし、断然セルマ様を応援します。がんばってください。ぜひ、陛下のお力になってあげてください!」
ぎゅっと握りしめ、そう言った。心の底から、そう思った。
「あらあら、エマ様。あなたも側室なのをお忘れでは? 言ってみれば、私とエマ様はライバルなのですよ?」
あ、そうだった。すっかり忘れてたよ。
でも。
陛下にお子様が必要ならば、産むのはあたしではなく、絶対に、セルマ様の方がいい。
あたしは陛下のことを尊敬しているけれど、それは、愛とは違う。陛下のことを愛していないあたしには、陛下の子供を産む資格は無い。
でも、セルマ様ならば。
陛下のことを本当に愛しているセルマ様なら、陛下の子供を産む資格がある。ならば、断然あたしは、セルマ様を応援する。
「あら、私ったら、すっかり自分一人で話してしまいました。申し訳ありません、エマ様」セルマ様は恥ずかしそうに微笑んだ。
「いえ、そんな。とっても素敵なお話でしたよ。あたし、セルマ様を尊敬します」
本当に。
心の底から、そう思う。
こんな素晴らしい人を、あたしはなぜ、今までずっと避けてきたのだろうか?
あたしは、一人の夫に多数の妻、という側室の制度を、女を侮辱した嫌悪すべきものだと思っていた。
そして、そんな側室になるような女は、互いに意地を張り合い、スキあらば相手を蹴落とし、自分だけが権力を得ようと常に画策している、そんな人たちばかりだと思っていた。
でも、セルマ様は違う。
純粋に陛下のことを想い、陛下の力になりたくて、側室になったのだ。
あたしは、側室というものを、偏った目でしか見ていなかった。こんなに素敵な一面もあるのだ。
セルマ様を応援したい。
絶対に、絶対に、うまく行ってほしいな。うん。
それからあたしたちは、たわいのないおしゃべりで午後の時間を過ごした。あっという間に夕方になったので、あたしはもう一度セルマ様にがんばってくださいと伝え、部屋に戻った。戻ってからもあたしは終始上機嫌で、実はクレアがイーストでロールケーキを五個買っていたと知っても、全然気にならなかった。セルマ様が陛下の寝室に向かうだろう時間になると、気分も最高潮。ずっとニヤニヤしていたあたしを、クレアはすごく気味悪がった。
ああ。きっとセルマ様は、今頃陛下に想いを伝えてる。うまく行くといいな。そう祈りながら、あたしは布団にもぐりこんだ。
で、翌早朝。
セルマ様のことを考えてるとほとんど眠れなかったけれど、ちっとも眠くはなかった。なんだか、眠るのがもったいない。そんな感じ。
起きるのにはまだ早すぎる時間だけど、あたしは布団から抜け出し、いつもの服に着替える。せっかく気持ちのいい朝だ。ちょっと散歩でもしてこよう。
中庭に出る。あたしと同じく早起きした小鳥たちの歌声が出迎えてくれた。思いっきり伸びをし、まだ夜の香りの残る空気を吸い込む。ああ、おいしい。なんてさわやかな朝だろう。今日もいいことありそうだな。
なんて思っていたけど。
…………。
向こうに見えた人影に、さわやかな気分が一瞬にして吹き飛んでしまう。
現れたのは、美しい金髪に、整った顔、すらっとした長身で、腰に長剣を携えた女の人。まるで神話に登場する戦乙女という出で立ちだけど、あの外見に騙されてはいけないことを、あたしは知っている。中身は夜叉のような女なのだ。
騎士団第八隊の隊長、鬼女。三ヶ月前のレイラ・エスタリフの事件で行動を共にしたけれど、あのときあたしは、世の中には決して理解しあえない人がいるということを知った。
ああ、今日はツイていないのかもしれない。鬼女は近衛騎士じゃないから、普段はお城に来ることなんて無いんだけど、何だってあたしが早起きした今日この日のこの時間に限って来たのだろう。運命を呪わずにはいられない。いっそ隠れようか、とも思ったけど遅かった。目が合ってしまった。鬼女が頭を下げる。こうなると無視するわけにもいかないので、あたしはしょうがなく話しかける。
「おはよ。こんな早くからお城に来るなんて、珍しいね」
早く帰れ、という気持ちを抑え、なるべく明るい声を出す。
「はい。先日の事件について、陛下にご報告することがありましたので」鬼女は、無感情で作業的な話し方で返す。
「事件って、あの、レイラ・エスタリフの? 何か新しいことが判ったの?」
「いえ。定期的なものです。特にエマ様にお聞かせするようなことはありません」
言葉は丁寧だけど、要するに無関係なヤツに話すことは無い、ということだろう。
それにしても鬼女、三ヶ月前は割と親しげに話していた気がするのだけど、今は元のそっけない口調に戻ってしまってる。
ま、別に楽しくおしゃべりしたいってわけじゃないから、いいけどね。
「そう。じゃ、お仕事がんばってね」
あたしは早々に会話を諦め、手を振った。鬼女は、では、と、もう一度頭を下げて、陛下の部屋に向かおうとした。
と、そのとき。
バタバタバタ。
二階の廊下を、大勢の騎士とメイドが走っていくのが見えた。何やらみんな慌てている様子。何だろう? 鬼女も足を止める。
クレアの姿が見えたので、呼び止めた。「どうしたの? 慌てて?」
「ああ! エマ様! 大変です!」クレアは、息を整えながら。「セルマ様が……セルマ様が、武器を持って、陛下の寝室に立てこもっているそうなのです!」
――――!?
な、なんですって?