#07
ウィンの連絡で、第八騎士団の十人と、魔術師のアルバロ様が部屋にやってきた。今、ウィンが簡単に状況を説明している。あたしが厨房で陛下を毒殺する話を聞いたこと、その後、地下牢に閉じ込められたこと、毒が入っていたことを指摘したら、たれ目の男が逃走し、シャドウが刺殺したこと。
「エマ様――」声をかけてきたのは、メイドのクレアだった。「話を聞いて、心配で……大丈夫でしたか?」
クレアはあたしの腕や顔を触り、ケガが無いか調べてくれてる。
「大丈夫、ケガはしてないわ」
あたしは安心させようと、無理に微笑んで見せた。
「なら……良かったですけど……話を聞いたときは、本当に、ビックリしました」
「ゴメンね、心配かけて。それよりクレア」
あたしは倒れているたれ目の男の死体を指差す。それを見て、クレアは大きく息を飲み込む。
「ゴメン、イヤなもの見せて。でも、大事なことなの。あの男の人、知ってる?」
「……はい。王室コックの、ダリオ・バリオーニさんです」
「王室コック?」
「ええ。ベルンハルト陛下やエリザベート王妃様、それに、マイルズ王子と御側室の方々の料理を担当しているコックです。彼の他に、あと二人いて、陛下たちの料理は彼らが作ります」
「いつもは三人で作るの?」
「はい。あ、そう言えば、他の二人は昨日の夜から原因不明の腹痛で寝込んでいて、今朝はダリオさんが一人で朝食を作ってる……って、メイドの誰かが言ってました」
なるほど。それで今朝、厨房には誰もいなかったのか。そうすると、二人のコックは昨夜のうちに何か薬を飲まされた可能性が高い。暗殺に関わっていたコックは、ダリオ一人なのだろう。
では、あのときダリオと一緒にいたもう一人の男は、誰?
「判ったわ」ウィンの話を聞き終えた鬼女が大きくうなずいた。「では、アルバロ様は毒物の検出をお願いします。どのくらいかかりますか?」
「ふうむ……どんな毒物が使われたか、にもよるから、何とも言えんが……まあ、遅くとも今日中には」
「お願いします。何か判ったら、すぐに知らせてください。イェフとマイエルはアルバロ様を手伝って」
「は!」
第八隊の騎士が返事をし、アルバロ様と一緒に作業を始めた。
「アラン、ライノ、アーロンは犯人の部屋を、他の者は厨房を調べて。ミロン、あなたは私と」
鬼女はテキパキと指示を出していく。このような事態にすっかり慣れきっている様子だ。
「じゃあ、お願い」
「は!」
騎士団は各々任務に取り掛かった。
「さて――ではエマ様、詳しい話をお聞きしたいのですが」
鬼女、ミロンと一緒にあたしのそばに来た。あたしはミロンに向かって軽く微笑み、小さく手を振った。ミロン、恥ずかしそうにはにかむ。が、鬼女が咳ばらいをして睨んだので、すぐに真面目な顔に戻った。
「そちらは?」クレアを見る鬼女。
「エマ様の身の回りのお世話をしている、クレア・オルティスです」
クレア、姿勢を正して言うけど、鬼女は自分で訊いておきながらまったく興味が無いかのように。
「事件に関係が無ければ、席を外してちょうだい」
冷たくそう言った。
「は、はい! 申し訳ありません」
クレアは恐縮したようにペコリと頭を下げると、部屋を出て行った。
……鬼女にとっては仕事に差し支えるのかもしれないけど、あんなにあからさまに「邪魔よ」みたいな言い方しなくてもいいのに。この人、相変わらずみたいね。
「――厨房で、エマ様が聞いた、二人の男の会話の内容をお聞かせください。できる限り正確にお願いします」
「あ、はい。ええっと……」
あたしは厨房で盗み聞きした話を、言われた通りできるだけ正確に思い出しながら話した。重要と思われる点、毒の効果が表れるのには五時間ほどかかること、城から脱出後の集合地点、そして、犯人の男の特徴、その三点を特に。ミロンはメモを取り、鬼女は黙って聞いていた。
「……それで、厨房を出たときに気を失って、気がついたら、地下牢にいました」
そこであたしは、一瞬言いよどんだ。
シャドウとエリザベート王妃のことは、言うべきだろうか……?
さっきは本人たちの手前、言えなかったけれど、鬼女たちには、言った方がいいのでは?
調査をするのは鬼女の部隊だ。関係のあることは、些細なことでも話しておいた方がいい。まして、これは非常に重要なことだ。王妃が暗殺に関与している、など。
そう思うけど、ためらいもある。
一国の王妃に暗殺を企てた嫌疑をかけるなど、由々しき事態だ。間違いだった、では許されない。もちろん間違いではないとあたしは確信しているけど、証拠は何も無い。確たる証拠を得るまでは、口外すべきではないのかもしれない。
「エマ様? どうかされましたか?」
話が途切れたので、鬼女が怪訝そうな顔をした。
「あ、いえ、何でも無いです。それで、魔導機でウィンに連絡し、助けてもらって――」
やはり、あたしは言えなかった。このことは、言える地盤が整うまで、もう少し待とう。
その後の出来事も、なるべく細かく説明した。
「判りました。再度確認しますが、犯人は『四七五・三八七地点で待つ』と、言ったのですね」
あたしはもう一度記憶をめぐり、確かにあのとき、その番号の地点で待つと言っていたことを確認する。「はい。確かに、その番号でした」
鬼女は魔導通信機を取りだした。「アラン、聞こえる? 四七五・三八七地点に誰か向かわせて。私もすぐに行くわ」
魔導機から「了解」と返ってきた。
「隊長、よろしいですか?」声をかけてきたのは、第八隊の騎士。さっきまで、使用人に話を聞いていた人だ。「死亡したのはダリオ・バリオーニ。王室のコックです。王室のコックは彼の他に後二人いて、陛下たちの料理はその三人が担当しているのですが、今朝はダリオ一人ですべて作ったそうです。残りの二人は、昨日の夜から原因不明の腹痛で寝込んでいるとのことで」
あ、さっきクレアも同じことを言ってた。
「そう。残りの二人のコックは事前に何か飲まされた可能性が高いわね。アルバロ様に、そのコックから毒物が検出されないかも、調べてもらって」鬼女が新たに指示を出す。
「はっ」
「それから、あなた、城の使用人の顔、覚えてる?」
「はい。大体は」
「少し背が高い、茶の短髪、瞳も茶、釣り目、鷲鼻、唇は薄い――って、男はいる?」
それは、あたしが見たもう一人の犯人の容姿だ。騎士は少し考えて。
「どうでしょう? 私の記憶にはありません」
「そう。ありがとう」
騎士は調査に戻った。鬼女は視線をあたしに戻す。
「エマ様がおっしゃった、厨房にいたもう一人の男は、外部の人間の可能性が高いでしょう。会話から考えて、毒の調達と、暗殺後の脱出の手配が役目だと思われます。私は今から四七五・三八七地点に向かいます。犯人を確認していただきたいので、エマ様も一緒に来ていただいてもよろしいでしょうか?」
もちろんあたしは快く引き受けた。
「では、早速参りましょう――ミロン、行くわよ」
あたしは、ミロンと鬼女と一緒に、四七五・三八七地点へ向かった。
四七五・三八七地点は、首都ターラの中央広場。女神の優しさと鬼神の強さで、かつてこの国を護ったとされる神・ブレンダニアの像がある、あの広場のことらしい。
途中、あたしは事件について少し整理するため、ミロンに話しかけた。
「陛下の暗殺を企んだのは、やはり反ブレンダ組織のクローサーだと思う?」
「うーん、どうでしょうね……今のところは何とも言えませんが、国情を考えればその可能性が高いと思います」
「以前、城内にクローサーの内通者がいる、って話があったけど、あれも、今回の暗殺犯と同じなのかな?」
「それも今のところは何とも……その可能性が高いとしか」
証拠が何もない以上、断定することはできない。それは当然だ。
仮に、これらがすべて正しいとすると。
エリザベート王妃は、クローサーと繋がっていることになる。クローサーに城内の情報を漏らしたのも、王妃と考えるべきか。
証拠は何も無い。まずは王妃が陛下の暗殺を企てた証拠をつかまなければならない。そのためには、今から広場に来ると思われる鷲鼻の男を、絶対に捕まえなければ。もし取り逃がせば、捜査の道が断たれてしまう可能性だってあるのだから。
十五分ほどで広場に到着。ブレンダニアの像は、あのときと同じく、優しさと力強さをたたえ、広場を見下ろしていた。
広場は相変わらず人でごった返していて、まっすぐ歩くのも困難だ。以前ここを通ったときは、陛下の馬車があったから、みんな自然に道を空けてくれたけど、今日はそうはいかない。こんな中から一人の人を見つけ出す? 結構難しそうだ。
と、思っていたら。
「隊長――」
鬼女に声をかける人。第八隊の騎士の人だった。確か、アーロンと呼ばれていた人。さっき鬼女が魔導機で指示して、先に向かわせた騎士だろう。
「標的と思われる男を発見しました。あそこです」
ブレンダニア像の前を目で示す。視線の先には、少し背が高い、茶の短髪、瞳も茶、釣り目、鷲鼻、唇は薄い男。間違い無い。あのとき厨房にいた、もう一人の男だ。
「エマ様、あの男で間違いないですか?」
「ええ、間違いありません」断言した。
あたしたちは鷲鼻の男に気づかれないよう、像の反対側に回った。
「拘束しますか?」アーロンさんが鬼女に指示を仰ぐ。
「いえ、もし相手がクローサーなら、捕まえるのは得策じゃないわ。下っ端だったら、尋問しても有益なことを知っているとは限らないし、尋問にも時間がかかる」
ちょっと意外だった。当然すぐに捕まえるものだと、あたしは思っていたけれど。
「では、どうします?」
鬼女は少し考え、「盗聴器を仕掛けましょう」
盗聴器? また、魔導機かな? 初めて聞く言葉だけど、言葉の意味から考えて、盗聴するための魔導機なのだろう。
「少し泳がせて様子を見る。何か大物が食いつくかもしれないから」
「了解」
アーロンさんは懐から魔導機を取り出した。魔導通信機よりもさらに小さい、コイン状の黒い魔導機だった。あれが盗聴器かな。どうやって仕掛けるんだろう?
「この状況では、そっと近づいて、ポケットに入れるしかないですね」
「そうね」
アーロンさんの意見に、鬼女が同意した。つまり、スリの逆パターン。すごい人ごみだから、近づくのはそう難しくなさそうだけど、うまくいくかな? 財布を盗むよりは簡単そうだけど。
「ミロン、あなたがやりなさい」
突然指名され、ミロン、かなり驚く。「ぼ……僕が、ですか?」
自分が指名されるなんて思ってもなかったのだろう。正直あたしも意外だった。鬼女かアーロンさんがやると思ってた。こう言っちゃ悪いけど、ミロンで大丈夫かな?
「できるわよね?」
と、鬼女。それは言葉とは裏腹に、「やりなさい」という、有無を言わせぬ命令だった。
「はい……判りました」ミロン、承諾するけど、その顔には、まるで自信が感じられない。
ミロンは盗聴器を受け取り、普段身につけている鎧を脱いだ。騎士のみんなは普通に着こなしているけど、あの鎧は金属製だ。結構重くて動きが妨げられるだろうし、着ていたらひと目で騎士と判る。盗聴器を仕掛けるのには邪魔でしかない。
「歩き方に気をつけて。相手に気付かれないように、なるべく自然な形で近づくの。いい?」
鬼女のアドバイスを、ミロン、聞いてるのか聞いてないのか微妙。顔を見ただけで、ものすごく緊張しているのが判る。ホント、大丈夫かな?
「じゃあ、行きなさい」
準備が整ったようで、鬼女、ミロンを促す。はい、と返事をするものの、緊張は解けていない。顔から身体から強張っている。
と、言うか、鬼女のあの冷たい言い方が、ミロンの緊張に拍車をかけているんだと思う。もっとこう、優しい言い方してあげればいいのに。「大丈夫、あなたならできるわ」とか。
……あの鬼女には、こんな言葉、逆立ちしたって出てきそうにないかな。
なので。
「ミロン、がんばって。大丈夫。ミロンならきっとできるわ」
代わりにあたしが言ってあげた。少しでも緊張が解けてくれたらいいけど。
ミロンはわずかに微笑んだ。
そして、鷲鼻の男に近づいていく。
男は巨大なブレンダニア像を挟んで向かい側に立っている。距離にして二十メートルと言ったところ。歩けばほんのわずかだけど、ミロンの緊張と、行きかう人の多さが邪魔をし、なかなか近付けない。ミロン、人込みをかき分ける。
「まずいわね」
鬼女がつぶやいた。
鷲鼻の男は常に辺りを見回している。人を待っているのだから、周りを見回すのは当然のことだ。特に警戒しているわけではないのだろうけど、それは結果として、警戒しているのと同じになっている。加えて、まだ緊張が抜けていないミロンは、あからさまに不自然な歩き方をしていた。鷲鼻の男をじっと見て、まっすぐ近づいていく。これでは、相手に気付かれる。相手との距離はもう五メートルも無い。
だけど、幸運にも男は反対側を向いた。今がチャンス! がんばれミロン!
男のすぐそばまで近づいたミロン。そのまま、男にぶつかる。
「ああ、ごめんなさい」
離れているから声は聞こえないけど、ミロンのしぐさで、そう言っているのが判った。ぶつかった瞬間、ポケットに盗聴器を滑り込ませる作戦なのだろう。うまくいったのだろうか? 遠くてそこまでは確認できなかった。
「ダメだわ。落とした」
鬼女が言った。この距離であの小さな魔導機が落ちるのが見えるなんて、すごいな……なんて感心してる場合じゃない。つまり、失敗?
しかも、さらに悪いことに。
鷲鼻の男、ミロンに何か言ってる。食ってかかってるような感じ。ミロン、そんなことは無いです、という感じで、両手を振っている。男に絡まれてるみたい。ガラの悪い男だから、ぶつかったら、そうなって当然かもしれない。
「失敗ね。やむを得ないわ。アーロン、あの男を拘束する」
二人は同時に動き出した。どうしよう? このままじゃミロン、また鬼女に怒られる。無理やりやらされて失敗して怒られたんじゃ、あまりにかわいそうだ。何とかしてあげたい。
「待って」二人を止める。「考えがあるの。あたしに任せて」
鬼女の返事を待たず、あたしは走り出す。鬼女があたしの意見を聞くとは思えないから、何か言われる前にやってしまおう。
あたしは男に近づいていく。近づくにつれ、声が聞こえてくる。「俺の財布を盗もうとした」とか何とか言ってる。どうやらスリだと思われたらしい。ミロン、胸ぐらをつかまれ、今にも殴られそう。行きかう人が、何事かと足を止めている。好都合だ。
「あの!」あたしは男に声をかけた。男とミロンがあたしを見る。ミロンが何か言いかけたけど、それを制止するように、あたしは男に話しかける。「あたし、ダリオさんから伝言を預かってきたんですけど……お城から」
仲間の名前を聞いて、男は少し怪訝そうな顔をした。「ダリオから伝言? 何だ?」
「ここじゃ、ちょっと……」周囲を見回す。かなりの人が足を止め、こちらを見ていた。王の暗殺を企てたこの男の身としては、これだけ注目されている中で、話を聞くことはできないだろう。
男はあたしとミロンを交互に見比べ、やがて「もういい、行け」と、ミロンを突き飛ばすように解放した。そしてあたしに、来い、と、顎で命令する。男が背を向けたスキに、あたしは地面に落ちていた盗聴器を拾った。
もう一度、今度はあたしが挑戦してみる。この盗聴器を、相手に仕掛ける。
ミロンが何か言いかけたけど、それを制した。あたしに任せて、と、目で合図する。
「ミロン、通信機をエマ様に渡して」
鬼女のくぐもった声が聞こえてきた。どうやら、ミロンの魔導通信機かららしい。ミロンは通信機を取り出すと。あたしに渡した。
「エマ様、魔導通信機は分離できるようになっています。判りますか?」
通信機からの鬼女の声。幸い男は背を向けているし、騒がしい広場では通信機の声はかき消され、気付かない。鬼女、どうやら止める気はないみたい。あたしが盗聴器を仕掛けようとしているのが判ったみたいで、やらせてくれるようだ。
あたしは魔導機を少しいじる。すると、本体から、きのこの傘のような小さいものが取り出せた。
「それから声が聞こえますので、耳にはめてください」
言われた通りにする。耳に物をはめるなんてものすごく違和感があるけど、確かに声が聞こえてくる。これなら、男に気付かれず鬼女の話を聞くことができる。
「本体はポケットに。それで、そちらの音は拾えます」
あたしはポケットに入れた。
「結構です。まず確認しておきたいのですが、その男に盗聴器を仕掛けられそうですか? できそうなら、右手で髪を触ってください」
うーん。自信があるかと聞かれると、あるとは言えないんだけど……。
「無理と思うなら、すぐにその男から離れてください。拘束しますので」
そう言われると、自分からやりだした手前、引くわけにはいかない。あたしは右手で髪をかきあげた。
「判りました。では、お任せします」
「ダメです! エマ様、危険すぎます! すぐにその男から離れてください!」
ミロンだ。鬼女の通信機で話しているようだ。心配してくれてありがとう。でも大丈夫、任せて。そういう思いを込めて、もう一度右手で髪をかきあげた。
「ご協力に感謝します、エマ様」鬼女だ。「もし無理だと感じたら、そのときは、『ダリオ、遅いですね』と言ってください。すぐに我々が行き、男を拘束しますので」
暗号ってわけね。判った、と、右手で髪をかきあげた。
「では、よろしくお願いします」
あたしは、男を追った。
盗聴器を握りしめる。スキを見て、あの男のポケットに、これを入れる。
…………。
本当に、できるかな?
やばい、今さらながら、緊張してきた。ミロンが失敗したのに、あたしにできるのだろうか?
難しいだろうけど、やるしかないよ。
よーし。エマ。しっかりやるのよ!