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#01

 森の中を風が吹きわたる。初夏の香りを含んだすがすがしい風。木々がざわめき、草が波打ち、あたしのほほをなでる。気持ちいい風。

 やさしい春の陽の光がやや力を増し、夏の力強さを感じはじめる季節。あたしの好きな季節。厳しい冬を乗り越えたグルノアの森は、鮮やかな緑へと変わる。生命を感じさせる緑。そしてその緑の中には――おいしい物もいっぱい!

 そう! この季節、グルノアの森の中には食べられる草や木の芽がいっぱい! まさに食の宝庫! 実りの秋もいいけど、通は初夏の森を満喫するものなのよね。アザミ、ウド、シロツメクサ、ゼンマイ、ヨモギ……さっと湯がいておひたしにしたり、卵と小麦粉をつけて油で揚げたりすればおいしいのなんの! ちょっとクセのある所が、ヤミツキになるんだよね。

 と、いうわけであたしは本日、かごを背負って森の中を散策し、食べられる野草を見つけては、放り込んでいく。うん。たくさん採れた。

 ……と。食用ばかりじゃなく、ちゃんと薬草も見つけないと。ついつい食用のものばかりに目が行っちゃうけど、本来は薬草目的でこの森に来たんだから。えーと……あ、キランソウ発見。胃痛や高血圧にいいのよね。お、こっちはウスバサイシンだ。根や茎が鎮痛剤になる。ドクダミもあった。湿疹やかぶれに効果がある。お茶にして飲むのもいい。

 ふむ。この季節、食用の草と比べると、どうしても、薬草の採れる量は少ない。薬草はどちらかと言うと夏や秋の方が多いもんね、この森。でもまあ、十分な量が採れそうだ。

 がさごそ。

 あたしの背後の茂みが、突然揺れた。

 あ、しまった。野草採りに夢中になって、周囲に気を配るのを忘れてた。この辺は森の中でもまだまだ浅いところだけど、それでもクマとかイノシシとかが出ないわけじゃない。突然出会って、襲われた人の話もたまに聞く。まあ、クマとかイノシシならまだいい方だ。凶暴だけど、積極的に人を襲う生き物じゃない。中にはゴブリーナとかピンキーウルフとか、積極的に人を襲う、いわゆるモンスターってやつも、時々姿を見せるらしい。やだな。そうだったらどうしよう?

 がさり。あたしの不安に反して、茂みの中から姿を現したのは。

「なーんだ。イサークか。ビックリさせないでよ」あたし、笑顔で言う。

「おう。エマじゃないか。君も来てたのか」茂みから出てきた男の人、イサーク・バーンは、左手に持つ弓を挙げて、にっこりと笑った。

「これから狩り?」

「ああ。絶好の狩り日和だからな」

 イサークは空を見上げる。新緑に染まった樹々の葉の間をすり抜けて降り注ぐ陽の光は、五月のそれとは思えないほど眩しく、暖かい。

 イサークはあたしの家の向かいに住んでいる人で、猟師をしている。グルノアの森は野草だけでなく、野生動物の宝庫でもある。クマやイノシシの他にも、シカやウサギなどもたくさん生息していて、それらを弓や罠などを使って仕留めるのが彼の仕事。

「どう、調子は?」あたしは髪を整えながら訊いた。

「うーん、どうだろうな。朝仕掛けた罠を今から見に行くんだが……まあ、こればっかりは行ってみないと」

「そっか」

「エマはたくさん採れたみたいだな」

「うん! もうかごいっぱいになったから、帰ろうかと思ってたところ。後でイサークの家にも持って行くね」

「ああ、頼む。こっちも持って行くよ。何か罠にかかっていれば、だけど」

「あは、大丈夫だよ。イサーク、滅多に失敗しないんだから」

「だといいけどな。もう行くよ。夕方には帰るから」

「うん。気をつけてね」

 イサークは軽く手を振ると、森の奥へと歩いて行った。あたしはその姿が見えなくなるまで、ずっと見つめていた。

 さて、あたしはそろそろ帰ろうかな。かごの中を見る。うん。なかなかの収穫。どうやって食べようか思い描きながら、村への帰り道を急いだ。


 あたし、エマ・ディアナス。二十五歳。ムーンバレリー大陸中央に位置する国・魔導国家ブレンダの北の端、クローリナスとの国境に近い場所にある小さな村・エルズバーグに住んでいる。職業は、一応、医者ということで通っている。まあ、ホントは医者なんて名乗れるほどの身じゃない。森で薬草を採って、病気やケガをした人に煎じてあげるくらいかな。でも、エルズバーグは小さな村だから、こんなあたしでも結構みんなから頼りにされている。家族はいない。二年前に大きな戦争があったんだけど、それでみんな死んじゃった。今は一人……というわけでもないのよね。実は、さっき森で会った男の人、イサーク・バーンと……あたし、近々結婚する予定なのだ!

 イサークは母親と二人で暮らしている。父親は、あたしと同じく二年前の戦争で亡くなった。あたしたちは家が近くだったから、子供の頃からいつも一緒だった。幼馴染ってやつ。それが、いつの間にかお互いを恋の相手として見るようになり、そして、イサークからのプロポーズ。

「――エマ、俺と、一緒に暮らさないか」

 あの言葉は、あたしの一生の宝物になるだろう。

 あたしは、喜んで彼のプロポーズを受けた。家族が死んでから二年間、あたしは、ずっと一人だった。そんなあたしにも、また家族ができる。二年前に失った幸せを、もう一度手に入れることができるんだ。イサークのおかげで。

 おっと、のろけ話はこの辺で。家が見えてきた。玄関から入ると、すぐに診療所。まあ、医者もどきだから診療所なんて言うほど立派なものでもない。机とイスとベッド、それに、棚に薬草のビンが並んでるだけ。一応薬草の種類には自信があるんだけどね。

 あたしはかごを下ろし、中から薬草を取り出して机の上に置いた。残りは食材だから台所へ。今日の夕飯、楽しみだな。この初夏の恵み、どう料理しようかな? うーん。今からわくわく。

 ……と。夕飯の準備はまだいいか。先にイサークの家に行こう。イサークはまだ帰ってないだろうけど、お母さんがいる。野草をおすそ分け。ついでに、お薬も持っていかないとね。あたしは野草をいくつか選び、それから診療所に戻って棚から痛み止めの薬を取り、外に出た。道を挟んで向かいがイサークの家。軽くノックし、中に入る。

「こんにちは。ジェシカさん、起きてますか?」

「エマ?」部屋の奥から弱々しい声がした。奥にはベッドがあり、その上に横になっているのが、イサークのお母さん、ジェシカ。あたしが来たので、身体を起こそうとしている。

「ああ、いいんですよ。横になっててください」あわてて止めた。ジェシカさんは、そうかい? と、すまなさそうに言うと、再び横になった。

「どうですか? 体の調子は?」

「そうねぇ。時々横になっていても胸が痛くなることはあるけど、まあ、大体は調子いいわ」

「そうですか。良かった。お薬、持ってきました。あと、森でいろいろ採ってきたんで、料理しますね。台所、借ります」

 あたしは台所の暖炉に火をいれ、水を入れたお鍋をかけた。もう少しすればイサークも帰ってくるはずだ。きっと獲物を仕留めてくるだろうから、今夜はあたしの得意料理、お肉と野草の特製シチューだね。うん。

「いつもすまないわね、エマ」ジェシカさん、しみじみとした口調。

「いいんですよ。あたしも一応医者だし、それに、もうすぐ家族になるんですから」

「そうだね……うん。ありがとう、エマ」

 ジェシカさんは、本当にうれしそうな声でそう言ってくれた。

 彼女は、重い心臓の病気にかかっている。激しい運動は勿論、部屋の中を歩いたり、ベッドの上で身体を起こしたりするだけでも、動機やめまいに見舞われ、時には心臓に激痛が走るのだ。原因は判らない。あたしがもっとしっかりした医者なら、原因を突き止め、手術等の治療をしてあげられるんだけど、残念ながら今のあたしには、鎮痛剤や鎮静剤を飲ませることくらいしかできない。もっと大きな街に行けばちゃんとした医者がいるけど、ジェシカさんの体力ではこの村を出るなんて無理だ。もちろん、この村に医者を呼ぶことも考えた。だけど、それには費用がかかる。今すぐは無理。

 だから。

 残念ながら、今のあたしには、ジェシカさんを救うことはできない。あたしがしてあげられることは、森で薬草を採ってきて、飲ませてあげることだけ。薬草なんかで治療できる病気じゃないことは判ってるんだけど、他に何もできないんだから、しょうがない。気休め程度にしかならなくても、やるしかないのよ。今のあたしには。

 ……おっと、何だか暗い気分になってきた。いけないいけない。

 ガチャ。玄関の開く音に続いて、「ただいま、母さん」という声が聞こえた。イサークが帰ってきたようだ。

「ああ、エマ。来てたのか」イサークはあたしを見て、右手に持った野ウサギを見せた。「大猟とは言えないけど、一応、かかってたよ」

「お? さすがだね、イサーク。今からシチューを作るから、下処理よろしく!」

「了解。うまいやつを頼むぜ」

 イサークはウィンクをして、裏口から外に出た。彼が獲物をさばく腕前は天下一品。あっという間に終わっちゃう。さて、あたしはシチューの準備、と。まずは野菜の皮をむき、適当な大きさに切る。お湯が沸いたので野菜を入れ、煮込む。しばらくしてイサークが戻ってきた。いつもながらなかなか手際がいい。あたしは野ウサギのお肉を受け取ると、これも適当な大きさに切って鍋に入れる。それからさらにしばらく煮込み、最後に採れたての野草を入れ、味を整えたら、エマの特製シチューの完成! 一口味見。うん、バッチリ! 我ながら、今日のシチューは絶品だぞ!

「おまたせー。さあ、たくさん食べてね」

 あたしはお皿にシチューを盛り、部屋に運んだ。ジェシカさんはイサークに支えられ、ベッドの上に身体を起こす。そしてみんなで。

「いただきまーす」

 食事の始まり。スプーンですくい、一口。うーん、やっぱりあたしのシチューは最高! 獲れたてのジューシーなお肉と野菜の甘み、それに、野草の苦みが混じって、何とも言えない絶妙なハーモニー。あたし、医者よりも料理人の方が向いてるんじゃないかな? 転職、考えた方がいいかも。

「うん、おいしいよ、エマ。本当に、いつもありがとう」ジェシカさん、また、しみじみとした口調。

「もう。いいんですよ、これくらい。さっきも言ったとおり、あたしたち、もうすぐ家族になるんですから。ね? イサーク」

「ああ、そうさ。だから母さん。早く元気になってくれよ」

「うん、そうだね……そうだね……でも、本当に、本当に、ありがとう、エマ」

 そう言ってジェシカさんは、本当においしそうに、あたしのシチューを食べてくれた。そんな姿を見ていると、あたし、ちょっと泣いてしまいそうになる。

 さっきあたし、ジェシカさんにしてあげられることは、薬草を採ってきてあげることだけだ、って言ったけど、本当は、もう一つある。

 それは、みんな、笑顔で過ごすこと。

 ジェシカさんの病気は、悲しいけれど、治してあげられない。ならせめて、みんなくよくよせず、明るく笑って生きていこう。

 ジェシカさんは、あたしとイサークが結婚することを、誰よりも喜んでくれた。あたしもイサークも、戦争で親を失った。ジェシカさんは、息子のイサークのことは勿論、あたしのことまでずっと気にかけてくれていたのだ。あたしにとってこの二年間、ジェシカさんは本当の母親のようだった。

 あたしとイサークは、幸せになる。それが、ジェシカさんにしてあげられる、最大のことだ。

 そして。

 まだ、こんなことを考えるのは早いだろうけど……いつかあたしとイサークの間に、子供ができるだろう。きっとジェシカさんは、それを一番の楽しみにしているはず。

 あたしは立派な医者じゃない。あたしにジェシカさんの病気は治せない。

 でも。

 どんな立派な医者にもできないことを、あたしとイサークはしてあげられるんだ。

 だからイサーク。あたしたち、絶対絶対、幸せになろうね――。


 それから五日後、あたしはまた野草を採るため、グルノアの森にやってきた。うーん、今日もいい天気だ。いっぱい採れるといいな。イサークも狩りに出かけるはずだから、うまくすれば、今日も特製シチューだね。よし、頑張るぞっと。

 しばらくあたしが野草を集めていると、五日前と同じようにイサークが現れた。

「おう、エマ。今日も薬草採りか。がんばるな」

「イサークこそ、狩り、がんばってね」

「ああ。それよりエマ、最近よく森に来るのか?」

「ん? まあ、たまに、かな? なんで?」

「いや、一人で来るなら、気をつけろよ。このあたりも、最近治安が良くないってウワサだからな」

「へ? そうなんだ?」

「お前、知らないのか? 北の国の混乱が、この辺にも飛び火して来てるって話だぜ」

「何、それ?」

「北の国クローリナスは、前の戦争で首都が壊滅し、王様も騎士団も、みんな、死んでしまったって話だ」

「ああ、そうだったね。そう言えば、そんな話を誰かから聞いた気がする」

「で、国中混乱状態。それを鎮めるために、ブレンダの王様は騎士団を派遣したそうなんだが、これに反発する組織があるらしいんだ。『自分の国は自分で護る。余計なことはするな』ってな感じでな。確か、クローサー……とかいう組織だったかな? そいつらと騎士団との戦いが、激しくなってきてるらしいぞ」

「へえ。知らなかった」

「このブレンダ国内でも、そのグループが活動しているらしいからな。それに、これは旅の商人に聞いた話なんだが……」

 イサーク、急に声を潜める。何だろう?

「近いうちに、ブレンダの王様が、クローリナスに視察に行くそうなんだ」

「へ? いや、まさか。それはないでしょ? ありえないよ」

 あたし、大げさに否定する。だってそうでしょ? 反ブレンダ組織の破壊活動が活発になってるって言うのに、ブレンダの王様がクローリナスを視察するなんて、ネコの集会所をネズミが見に行くようなもんだ。格好の標的になること、間違いなしだよ。

「ま、あくまでもウワサだ。でも、エルズバーグがいくら何もない田舎村だからって、安心はできないぞ。気をつけてな」

「ん、判った。今日は早めに帰るようにするね。イサークも気をつけて」

「ああ」

 イサークは右手をあげてにっこりほほ笑むと、そのまま森の奥へと入って行った。

 うーん、そうか。エルズバーグ村の静かな生活に慣れきっていると忘れがちだけど、ちょっと村の外に目を向ければ、戦争の傷跡はまだまだ残ってる。大陸全土で見れば、決して平和になったとは言えないんだよね。この村に生まれて良かったと喜ぶべきなのか、世界から隔離されたかのようなこの村の状態を嘆くべきなのか。

 …………。

 ま、難しいことを考えるのはやめよう。あたしにできることなんて、たかが知れている。なら、今できることに全力を注ごう。それが今晩のおかずの野草採りっていうのは、ちょっと情けないけどね。

 ぷち。あたしが足もとのハコベを摘んだとき。

 がさごそ。

 あたしの背後の茂みが揺れた。

 ん? またイサークかな? あ、でも彼が歩いて行った方向とは逆だ。と、すると、何だろう。もしかして、噂をすればなんとやらで、危ない組織のメンバーかな? ……いやいや、そんなタイミングよく現れないでしょ。じゃ、クマとか? うーん、だとしたらちょっと困ったな。どうしよう……。逃げようか? でも、クマとかけっこして勝てる自信なんて、あたし、無い。いやそれより、クマ相手に逃げるのって、最悪の選択じゃなかったっけ? クマって、本能的に逃げるものを追いかけるって言うから。ええっと、熊に出会ったときの対象法は……以前イサークから聞いた気がするけど、何だっけ? 死んだふり? 木に登る? 戦う? って、最後のは無理だ。と言うか、どれも間違っている気がする。ええっとええっと――。

 なんて迷ってる間に。

 がさり。

 茂みの中から出てきた。あーん、あたしの考え、まだまとまってないのに。

 でも、出てきたのはクマではなく、二人の男の人だった。良かった。あたし、ほっとする。

 その男の人たち、見慣れない人だった。少なくとも、村の人ではない。エルズバーグ村の人口は五十人にも満たない。村人全員顔見知りで、知らない人などいないのだ。

 そもそもその二人の格好は、エルズバーグ村には不釣り合いだった。二人とも鎧を着て、剣を持っている。騎士、という出で立ち。エルズバーグは平和な村で、剣や鎧なんて持っている人はいない。前の戦争のときでも、クワやスキの農具か、せいぜい手製の粗末な槍を持つくらいが関の山だった。村の人ではない。それは確かだ。

 二人の騎士の姿は対照的だった。左の人は、まあよくイメージする一般的な剣と鎧を身につけているんだけど、右の人の剣と鎧は、見るからに高級品という感じ。剣とか鎧とかあたしには無縁のもので、てんで素人なんだけど、そんなあたしが見ても、装飾の施され方とか、磨かれ方とか、光の反射具合とか、もう、別格なのが判る。武具だけでなく、顔とか身体とかからあふれる雰囲気からして、違うのよ。右の人からは、ものすごく高貴なオーラが出ていて、騎士としての格の違いを感じる。

 思い出したのは、さっきイサークの言ったこと。

 ――近いうちに、ブレンダの王様が、クローリナスに視察に行くそうなんだ。

 …………。

 まさか、ねぇ?

 確かに、見た目は普通の騎士とは違うけど、だからって、あり得ないよ、うん。

 ……と、そんな深読みしてる場合じゃなさそうだぞ。

 その右の人、ケガをしている。右腕と右足から、かなり出血しているみたい。結構深そうな傷だ。左の人の肩を借り、ふらつきながら歩いてる。

「ケガをしたんですか?」あたし、その二人に駆け寄る。

「ああ、はい」答えたのは、左の普通の格好の騎士。まだ幼さが顔に残る若い騎士だ。右の高貴な騎士の方は、傷の痛みに耐えているのか、歯を食いしばり、言葉を発することができないようだ。

 あたしは高貴な騎士の傷を見る。右の二の腕と右の太ももが、ざっくりと斬れていた。幸い太ももの傷は浅かったけど、ここまで結構な距離を歩いてきたのだろう。出血の量は少し多い。二の腕の傷はやや深いようだ。血管に損傷があるのかもしれない。動かすのは危険だ。

「横にしてください。あたし、村で医者をやってます。診ますから」

「あ、いえ。ダメです。早くここから離れないと」若い騎士は、あわてた口調で言った。

「出血がひどいわ。動かすのは危険です」

「そうもいかないのです。追われてますから」

「追われてる?」

 そう言われて、改めて傷を見る。かなり鋭い傷口だった。木や石に引っかけたとか、崖から落ちたとか、そんな傷じゃなさそうだ。明らかに、鋭利な刃物で切った傷。

 ――なんかこれ、ヤバそうな雰囲気? 関わらない方がいいかな?

 なんて思わなくもないけど、あたしも医者のはしくれ。目の前のケガ人を放っておくなんてできない。

「判りました。でも、止血だけはさせてください。このまま動くのは、危険です」

 あたしは腰に下げた革袋から包帯を取り出し、高貴な騎士の傷口に強く巻きつけた。一応医者だから、応急手当の道具くらいは、いつも持ち歩いている。

「森を出ればすぐにあたしの診療所があります。そこまで行きましょう」

 あたしは若い騎士と一緒に高貴な騎士を支え、ゆっくりと歩いて、森を後にした。若い騎士は、警戒して時々後ろを振り返るけど、幸い、誰も追ってはこなかった。

 誰も追ってはこなかったんだけど。

 見るからに身分の高そうな人、誰かに追われている、そして、イサークの言ったウワサ。

 ……うーん。



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