4.ウルツの考え
ウルツ・グラットンは悩んでいた。
結婚してしばらく経った。しかし、いつまでも御子を授からないアデラインを非難する指摘がウルツの父親より入ったからだ。とはいえ、この件は自分が悪いことをウルツはよく知っていた。
(どうしたら、彼女…マリアの死を乗り越えられるのだろうか)
家が決めた結婚相手のマリアとはお互い愛し合っていた。それこそ乙女のように、運命の相手であるとウルツは信じていた。マリアが亡くなるあの事故までは。
しかし、すでに2年も経過している。それにマリアの死によって、自暴自棄になって迎えた心もない相手ではあるが、一応アデラインは人間である。結婚式も、プレゼントも贈っていない、このままでは放置していると思われてもおかしくなかった。
(彼女が悪いわけではない、だが…)
淑やかとも、奥ゆかしいとも表現しがたい、自分の妻の存在にウルツは苦虫を噛み潰したような気持ちを抱いていた。アデラインは、悪いところもなければ、良いところもない女なのだ。その女を無心で抱けるのか、ウルツはいささか疑問であった。
(社交界や、茶会といった貴族の仕事を体調などを理由に断り続けるのも無理がある。そろそろあれには働いてもらわねばならん)
しかし、ウルツにとってはマリア以外の女性を妻として紹介することは、どうしても許すことはできない。なぜなら、その行為自体がマリアへの裏切りに感じてしまうのだ。
ウルツは2年もの間、親と立場と愛する人との間で、ずっと苛まれていた。
(今日はなんと躱そうか)
父の言い分を思い出して、ウルツはたいして長くもない帰路が数倍の距離に感じた。
◆
マリアと婚約した際、用意させた専用の屋敷に、ウルツとアデラインは暮らしている。それが今は暇つぶし姫のお城として活用されているわけだが、元々はマリアのもの。ウルツはいつかマリアと結婚する事を夢見て、内装はマリア好みに作らせていた。
実家は今流行のバロック様式のダイナミックな内装だが、こちらの家はルネサンス様式の美しくも落ち着いた屋敷。色彩もマリアの瞳に合わせた、夜の海のような色で調えていた。
(そういえば、瞳の色だけは、似ていた気がする)
アデラインは地味などこにでもいる容姿であるので、ダークブラウンの髪に、小さな瞳の持ち主ではあったが、瞳だけは特別、深海のような色をしていた。とはいえ、アデラインの瞳をじっくりと観察するような人間は一人もおらず、今まで気が付いているのはウルツくらいである。
石柱でできたアーチの向こうの中庭を抜ける。中庭も、マリアの好きな橙、桃、白と言った様々なカラーの花が植えられていた。花の名前はウルツにはわからない。しかし、屋敷を建て終わった後、マリアは毎日見に来て、一輪一輪を愛でていたのは今でも鮮明に思い出せた。
そう確か、中央にある噴水に腰を掛けて侍女に「濡れてしまいますわ」と叱られては、いたずらな笑みを浮かべて、顔に人差し指を当てて言うのだ。「では、内緒にしてくださいませ」と。陽の光に反射する美しい銀色と、色彩豊かな花は絵になっていた。
「ウルツ様」
鈴のような声に、ウルツははっと我に返った。
幸せな家庭を手にできると思っていた頃の夢を思い出しても、もう意味はないのだ。
「ウルツ様、お帰りなさいませ」
月明りもない闇夜では、ぼんやりとしか相手を見ることができない。しかし、ウルツにはそれでも十分だった。声の向こうを見てみると、噴水に腰掛けるマリアの姿があったのだから。
「マ、マリア…?そんな馬鹿な…君は死んだはずじゃ」
「そう見えますの!…驚きましたか?」
もちろん、このマリアはマリアではない。アデラインである。
実はあの後、アデラインは侍女たちに「よりマリア度を上げる為に」と、銀色のウィッグ、マリアのドレス、マリアのような化粧を施された。侍女たちに悪気はない。元々マリアが来る予定で用意された侍女たちは、本当はマリアを着飾ったり、お世話をしたりすることを楽しみにしていたのである。(パッとしないアデラインは、見限られてしまっていたわけだが)
しかし今までの人生で世話を焼かれたことが無いアデラインは、耐えきれなくなり屋敷を飛び出した。この広い屋敷を一人で歩くのは、結婚して2年が経つ今日、初めての事。
追いかけてくる侍女を振り払う為に、無我夢中で逃げ隠れしたところ案の定迷子になり、いまに至るわけである。とはいえ、侍女たちも無能ではない。アデラインの居場所は見つけてはいたが、闇夜に輝くその姿がマリアそのものだったのでこれは旦那様にお見せしようと、探すふりをすることにしたのである。
「どう見てもマリアだろう、幽霊になって出てきてくれたのか。いや、君の場合は女神になってしまったのかな?どちらにせよ、君にもう一度会えるなら、どんなことでも嬉しい。愛している、君を。忘れられないよ」
動揺するウルツはアデラインを完全にマリアだと思っていた。
幽霊でもいい、もっと近くで見たいとウルツは噴水の向こうにいるマリアに詰め寄るが、マリア(アデライン)は立ち上がり、すっと離れていってしまう。
「なぜだ、マリア!マリアだって、嬉しいだろう。もう一度会えて、ほら…こっちへおいで」
いまにも泣き出しそうなウルツの姿は、あまりに痛々しかった。アデラインは、どういう事情があれ、愛している人のふりをし、ましてやその方のドレスを着て外に出てしまったことをひどく後悔した。
(こんなのあんまりよね、ウルツ様を傷つけてしまった…)
本当のマリアならば、きっとここで感動の再会となるのだろう。しかし自分はアデラインなのだ。と、アデラインは、意を決し、屋敷の光が差す場所へと向かった。
「ウルツ様、よくご覧くださいませ。私は、アデラインですわ」
屋敷の光が当たると、ところどころ作り物である部分があらわになる。
マリアよりも汚れた肌、マリアよりも慎ましい胸、マリアの造形を再現しただけの顔を。
「騙そうとしたわけではございませんの。ちょっと偶然が重なってしまい、ウルツ様を悲しませ、マリア様を冒涜する結果になってしまいました。そのようなつもりはないといっても、お許しいただけない事はわかっております。お気に召すままご処分くださいませ」
愛していた女性のふりをするなど、それはもう罪だろうと考えたアデラインは、弁解しようのない気持ちになった。ウルツの心赴くまま罰を受けよう、そう思ったのだ。
しかし、ウルツはそうは思っていなかった。
「なんと、お前はアデラインだったのか、この私が見間違うなど…しかし、恥ずかしい姿を見せた。こちらこそ詫びよう」
「そんな!ウルツ様がそのようなことをおっしゃる必要はないのです」
「君の趣味は確かに酔狂だが、罰するほどでもない…しかし、よくできている」
灯の下で見てみると、確かに粗は目立つが、それでもアデラインとはわからない。と、ウルツは思った。
「お褒めに預かり光栄ですわ」
闇夜に栄えるほほえみは、確かにアデラインのものであったが、ウルツはにわかに信じがたい気持ちで、その細い腰に手を当てた。
「さあ、夜は冷える。屋敷に戻ろう」
アデラインは自分をまるで女性のように扱うその行動に、目を見開いた。結婚してから、こんな行動は初めてだったからだ。美しい容姿を模造すれば、ウルツは自分を見てくれるのではないか、と、一瞬甘い誘惑がよぎるが、そんなことはあり得ないと妄想をかき消した。
(私は、いま、マリア様の容姿をしているからだわ、身の程を知れアデライン!)
そんなアデラインの百面相をよそに、ウルツはもてなすように屋敷へ彼女を連れてゆくのだった。