二年後…… ~以ノ段~
前回までのあらすじ。
古来から続く忍の一族――戸隠流忍者の末裔たる少年・戸隠刃は、その類まれなる才能を見込まれ、頭領にして祖父である戸隠影蔵より、中忍への昇格試験を申し渡される。
しかし、廃れゆく〝忍の世〟と進みゆく〝人の世〟を知る刃はこれを断り、隠れ里を抜け出した。
たどり着いた、朝日に照らされる街を見て、彼は言う。
「もう忍じゃないんだ。俺は、この陽の当たる場所で〝人〟として生きていこうと思う――」
住み慣れた里を抜け、忍という生き方を捨て、外の世界に踏み込んだあの夜から、約二年後……
とある学園の中に、彼の姿があった。
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お待たせいたしました! これより、其之弐の開幕となります。
今回も、どうか最後までお付き合いください<m(_ _)m>
――くん。
――ば君。
「刃君、聞いてる?」
窓の外をぼんやりと眺めていた少年は、名前を呼ばれたことで、意識を引き戻される。
声を辿って振り向けば、自分が座る席の傍に、ひとりの男子生徒が立っていた。
ブレザーにスラックス、ネクタイという出で立ちでなければ、少女と間違えそうな程に華奢な体つきと大人しそうな顔立ちが印象的な生徒の名は、アルブレヒト・伊吹――刃のクラスメイトであり、数少ない友人である。
「大丈夫? 具合でも悪いの?」
海外の血が混じる容貌が、かけた眼鏡越しに、長いまつ毛を湛えた大きな目を向けている。
確かに最近は、春先に覚えがちな気だるさを感じることもあるが、別段、体調がどうこうということもない。
友人の気遣いに、刃は言葉を返す。
「何でもないよ、イブ。……ちょっと、考え事してただけだ」
「考え事?」
まだ声変わりを経ていないのか、男性にしては高いトーンでそう聞きながら、伊吹は小首を傾げる。西洋特有の金色の髪が僅かに揺れた。
「ここに来る前のことを、な……」
答えながら、刃は再び窓の外へ目をやる。
高校一年生の終わりを目前に控えた時期に相応しく、疎らに花をつけた桜の木を見ながら「明日から春休みか……」と、刃は独り言ちた。
まったく、時の流れとは早いものだ……
刃が、戸隠の里を出てから、およそ二年が過ぎていた。
忍としての暮らしを捨て、人として生きる――その念願を果たすため、今では栂櫛刃と名を変え、一人の高校生として生活している。
――私立化野学園。
創立、百〇〇年を超えるこの伝統校では随処為主という、他校とは一線を画した教育方針がとられている。
教職員は、授業や進路相談、あるいは学園の直接的な運営といった必要最低限のサポートを行だけで、あとは生徒が自分の意思と判断で学園生活を送るというものだ。
学業はもちろん、部活、委員会、校内行事、課外活動に至るまで。どの活動にどのような形で参加するのか、どの程度まで関わるか……それら全ては、生徒各人が決めるのである。
そこには、保護者が介入する余地がほとんどなく、PTA制度もない。
環境や境遇に左右されず、自己の決断に責任と誇りをもって歩む人間の育成に力を入れる化野学園は、これまでに数々の優秀な人材を輩出してきた。
そんな〝自主性〟よりも〝主体性〟を育むことに重きを置いた校風が、世間では度々、話題になっている。
十余年の人生を忍として過ごした自分にとって、人として生きていく術を得るためにこれ以上の場所はない……そう考えた刃は、席だけを入れた中学を卒業後、迷うことなくこの学園に進学した。
そして、この学園での生活も、間もなく一年目を終える。
「刃君は、この一年間どうだった?」
物思いに耽る様子から、何か思うところがあるように感じた伊吹は、目の前の友人に問う。
「どうって、何が?」
しかし、質問は質問で返された。
意図が理解できないと言わんばかりの表情を向けられ、伊吹は思わずコケそうになる。
「頑張ったこととか、楽しかったこととか、思い出に残ってることだよ」
刃は、暫し逡巡して「……何もないな」と、なんとも味気ない一言を返した。
「何もないって……そんなことないでしょ? ここに一年もいたんだよ?」
「と言っても、本当に何もないんだよなぁ……よく分からないままで一年が終わっちまったような気がする」
刃の学業成績は、決して悪いものではない。提出物の期限は守っているし、勉強もテストで赤点を取らない程度にはやっている。
授業の出席日数も十分。学園の行事についても、取りあえず主要なものだけだが、参加はしている。もちろん、校内外ともに問題など起こしたことも(表向きには)ない。
そんな無難な学園生活。
だが、それだけだ。
目的を果たすために知るべきことを知り、成すべきことを成す。それ以外には触れない、立ち入らない――忍であった頃は、この在り方に何の問題も、間違いもなかった。
しかし、人として生きるには、これだけでは足りないらしい。
現に、友人の目をしてさえ、刃の生き方は、ただ淡泊に無為な月日を見送ってしまった〝自分〟のない若者の体現でしかなかった。
つまるところ、上手くいっていないのだ。
忍を捨て、人になると意気込んで里を出たあの日から今日まで、何ひとつ。
そのような刃の胸の内など、誰ひとり知る由はない。
もっとも、他人が知ったところで、本人の生活態度だの自己責任だのと一蹴されて仕舞いだろうが……
しかし、当の本人にだって言い分はある。
「何かないの? せめて、友達がいっぱいできた、とか」
「友達って、イブがそうだろ」
……入学以来――刃自身が、間もなく感じた違和感。
自分の学園生活だけが、他人のそれと大きく違っている……そんな気がしてならない――
「いや、そうじゃなくて……まぁ、そうなんだけど、僕達の他には?」
「いないの知ってるだろ? あと、あいつは違うぞ」
――大きな理由としては、ふたつある。
この教室を含む、校内各所に設置されたスピーカーから、放送の開始を知らせるチャイムが鳴る。
未成年のものは違う『あー……』というかったるそうな男の声が垂れ流されて程なく、男性は、これまたやる気のなさそうな声で口上を述べ始めた。
『環境管理委員、各員に連絡します。えー……委員会に所属する生徒は至急、第三多目的教室に集合してください。繰り返しま……あー、やっぱいいや。とりあえず、いる人は集合で――以上』
スピーカーの向こうにいるであろう男性は、面倒くさくなってしまったのか、連絡事項の末尾を適当に締めくくると、間も無く放送終了のチャイムを流した。
二人のよく知っている人物の声だが、それを聞いた反応はそれぞれ。
伊吹は「柳生先生だ。今日はどうしたんだろう?」と顔を上げ、刃は「うわ、マジか……さっさと帰れば良かった……」がっくりと項垂れている。
この様子を見てわかる通り、彼らは今の放送の中あった各員に含まれているのだ。
――そして、刃の言う理由のひとつでもある。
環境管理委員会とは、学園に所属する生徒、教職員、及び部活動を含む関係各員の活動が日々充実、且つ、快適に行われるための取り組みを主な校務とする委員会……といえば聞こえは良いだろうが、実際のところ単なる雑用係である。
入学後、部活動や委員会にも入らずにブラブラしていた刃は、この貧乏くじを押し付けられてしまったのだ。
招集がかかるたびに、面倒や難題を丸投げされる――今回もきっと、まともな要件ではないだろう。
「……帰るか、イブ」
「ダメだよ、刃君。柳生先生からの呼び出し、聞いてたでしょ?」
伊吹の言を受けた刃は「そうは言うけどな……」と、後ろ頭を掻きながら、これまでの活動を思い返す。
「先週は昼休み、一昨日は体育の授業中。――いつも変なタイミングでお呼びがかかるんだぜ? 明日から春休みなんだし、今日くらいバックレてもいいだろ」
二人がそんなことを話していると、出入口の戸が静かに引かれ、一人の女子生徒が教室内に入ってきた。
彼女の姿に、教室中の人間が注目し、取り分け男子は言葉を失う。
きちんと身に着けたブレザーとリボン姿からは清潔感を覚え、スカートの丈をやや長めにとった着こなしが、育ちの良さを感じさせる。さらに背筋を伸ばして歩く様は、伝統校の生徒としての模範的な立ち振る舞いと言えるだろう。
だが、クラスの視線を攫う点はそこではない。その美貌だ。
まず目に入るのは、艶やかな長い黒髪――ごく僅かに青みを帯びた色は、日本人女性の理想美と言われる濡烏のそれである。
前髪の下には涼やかな目元が――また、その中には漆黒の瞳が輝いている。されど、それらの黒とは対極的に、また引き立てるように、肌は透き通るように白い。
ほっそりとしていても、決して不健康ではない。しかし、見るほどに儚さを感じさせる。
その姿は、十人が見れば、十人とも口を揃えて大和撫子と言うだろう。
そんな絵に描いたような美人は、目的の人物の姿を視界に収めると、うなじの辺りでひとつに括った、腰よりも長く延びる髪を靡かせながら、迷いなくフローリングの床を歩いていく。
やがて、女子生徒は、未だ席から立ち上がる様子のない刃の前まで来ると、窓の外に見える桜の花にも似た色の唇から、言葉を紡ぎ出した。
「御迎えに上がりました――旦那様」
それは、笛の音のように透き通った声であった。
その顔、その声、その言葉遣いに、刃は辟易とした表情で大きくため息を吐く。
「おい、かすみ……」
「はい、何で御座いましょう?」
女子生徒の名は、忌刀かすみ。
刃が、いま一つ普通の学園生活を送れていないと感じるもう一つの理由が、彼女の存在にある。
これほどの美人とお近づきになれたら、きっと世の中の男共は舞い上がるだろう。……だが、同じことで喜ぶ者がいれば、そうでない者もいるというのも、また世の中。
すれ違えば、誰もを振り返らせる日本美人。今となっては、まず耳にしないような古めかしくも上品な言葉遣い。
これらは、見聞きする者の意識を引き付けるだろう。
つまり、控えめに言って、周囲から浮いている。
もっと言えば、浮世離れしている。
はっきり言って、注目の的だ。
目立つことが好きではない刃にとって、あまり近くにいてほしい存在ではない。
まぁ、見た目は今さらどうしようもない。これはいい……
長い年月の中で身に着いた言葉遣いを急に変えられないのも、仕方ない。
――それでも。
「せめて、呼び方だけでもどうにかしろよ」
「旦那様、呼び方……とは?」
「それ!! その旦那様っていうのをやめろって言ってんだよ!!」
「何ぞ、御気に召さぬ事でも?」
「周りを見ろよ! おまえ以外にそんな呼び方する奴いるか? ……って言うか、勝手に変なあだ名をつけるんじゃねぇ!」
「渾名には御座いませぬ。旦那様は、私めの旦那様故、左様に御呼びするまでの事」
どうやら、止めてくれるつもりはないらしい。
「相変わらず仲良いね、二人とも」
そんなやり取りに、何やら伊吹が微笑ましいものを見るような目を向けている。
旦那様談義に気を取られていたが、教室を見渡せば、先程までかすみが攫っていた無数の視線の中に、いつの間にか刃まで入っていた。
どことない気まずさに駆られる刃の様子を見た伊吹から「忌刀さんは、刃君を迎えに来たんだっけ?」助け舟が入る。
「左様で御座います、伊吹殿」
刃としては、明日から春休みということもあり、今日はゆっくり帰るつもりだった。
正直、こんな悪目立ちするヤツに着いてこられても困る。
「寄り道しながら帰るつもりだし、わざわざ出て来なくてもいいんだぞ?」
「何を仰います、御帰りの迎えには御座いませぬ。今し方、環境管理委員へ召出しがあったのは御存知のはず」
「もしかして、おまえ……」
「柳生先生より――校務を捨て置き、帰らんとする不届きなる者あらば、問答無用にて此れを引っ立て候え……との御達しに御座います」
それを聞いた刃は、力なく肩を落とすのであった。
これ以降、少しずつキャラクターも増えてきます。
いずれ、登場人物紹介の項も加えるつもりですので、その折は、そちらも併せてご覧ください。