影の一族 ~仁ノ段~
お、思った以上に長くなってしまった……
まだ第一章が終わらないとは(-_-;)
小分けにしてるからそう感じるだけでしょうか?
ともかく、今回もはじまります!
首元に当てられた苦無。また、その切先によく似た光を秘める双眸に穿たれ、影蔵の額から一筋の汗が流れる。
指一本さえ、動くことは許さない――もの言わぬ少年の瞳が、そう語っていた。
そんな中、幾つもの足音が廊下を駆ける。
並の聴覚では決して聞き取れない、静かなその音を聞き取った刃は、舌を打つ。
「面倒だな……」
跫音は、間もなく、襖を開け放つ音に変わり、少年と老人が対峙する部屋の中へ幾人もの〝影〟が踏み入ってきた。
深い闇に紛れる頭巾、裁着袴、籠手に脚絆。乱入者たちは一様に全身黒ずくめの衣服――忍装束に身を包んでいる。
「戸隠忍軍……」
刃は、目の前に現れた者たちが纏う気迫や身のこなしから、警護の下忍などではないことを感じ取った。
この場に駆けつけるあたり、対忍者戦を専門とする特殊戦闘班であろう、と。
忍装束たちは、口元を覆い隠した布越しから、警戒と牽制の声を上げる。
「ご無事ですか、頭領!?」
「おのれ、曲者め!」
「貴様、何をしておるか!」
やがて喧噪の中から、如何にも武闘派然とした大柄な男が進み出た。
「刃殿、これはどういうことか? 我らが頭領に対し、このような狼藉を働かれるなど。……如何にお孫様とはいえ、ただでは済まされませんぞ」
厳つい顔の男は、野太い声で刃に問う。
「屠羽さんか……ただの喧嘩だよ。騒ぐほどのことじゃない」
「喧嘩、ですと?」
屠羽と呼ばれた男からの再度の問いに、刃は面倒くさそうに溜息混じりの言葉を返した。
「そう、分からず屋のじいちゃんと反りが合わなくてさ。……俺、この家を出ることにしたから。みんな、後はよろしくな」
そう告げると、影蔵の首元から苦無を下ろし、刃は部屋を出ようと歩き出す。
しかし、屠羽がそれを許すはずもなく、少年の進路を塞ぐ体で立ちはだかった。
「お待ちください、刃殿。その仰りようでは、一族を抜ける――抜忍となるかのように思われます。何卒、詳しい説明を願いたく」
「説明もなにも、その通りだよ。今日で俺、忍者辞めるんだ。悪いな、急な話で」
大きな体の横をすり抜けようとする刃だが、今度は、岩のようにゴツゴツとした手に制止を受け、またも止められる。
「お考え直しください。今ならまだ、一時の乱心ということで事は収まります」
嫌だ、などと言わせるものか――聳える小山の如き立ち姿から、そのような意思が感じられた。
だから、こう返す。
「嫌だ、って言ったら?」
屠羽は首を横に振り、あらかじめ用意していたように答えた。
「我らは、貴方の行いを見逃す訳にはいかなくなります」
「頼む! そこをなんとか。見逃してくれよ」手を合わせて頼み込んでみるも「出来ない相談です」見上げるほどの大男が、首を縦に振ることはない。
どこまでも平行線を辿る言い合いに「だろうな……そんな気はしてた」刃は、肩を落とす。
そして、周囲に目を向けた。
三十人はいるだろうか。
これだけ雁首揃っておきながら『はい、そうですか』と、すんなり道を開けてくれるはずもない。
……なら、しかたない。
「でもさ、そんなこと言われたら、俺……」
道を開けてくれないのなら、押し通るまでだ。
「みんなのこと、忍として生きていけない体にするしか、なくなっちまうよ」
たった一言だけ。
魂を狩る夜叉の瞳で、魄を喰らう羅刹の声で、そう伝えた。
殺気を孕んだ眼光が屠羽の両目を射抜き、言霊が鼓膜に張り付く。
「……っ!?」
さしもの武闘派忍者も慄き、巨体が大きく後退さる。……しかし、屠羽はどうにか二歩目を踏み留まった。
彼は、思い至る。
対忍者特殊戦闘部隊――中忍・乙組、三十余名……自身の指揮下に揃う兵どもの存在に。
「い、如何に貴方とて、この数を相手に、そのような事ができるとお思いか!?」
手練れとはいえ、相手は少年一人。これほどの戦力差を覆すことなど――
「出来ないと思ってんのか? この程度の数を相手に、この俺が……」
早くもなく、遅くもない。
ただの歩み。
ただ、前に向かって歩くだけの少年を、忍装束たちが避けていく。
――寄らば斬る。
鬼気が立ち昇るその姿は一振りの、まさに人斬りの〝刃〟そのものであった。
ついに影の群れを抜けた刃は「さてと――」いま一度振り返る。
「じいちゃん、みんな。これまでお世話になりました。妹は、そう遠くない内に……二、三年くらいかな? そのくらいで迎えに来るつもりだから、それまであの子のことを頼みます」
簡単な別れを告げ、適当なお辞儀を済ませた刃は、里の者達に背を向ける。
「じゃあ、そういうわけで……」ふと思い出し、足を止めた刃は「あぁ、そうそう――」と、懐から〝そいつ〟を取り出す。
「こいつは選別として、ありがたく貰っていくよ」
その手に握られていたのは、一匕の短刀だった。
白塗りの鞘に、紅色の柄巻という鍔の無い合口拵え。鞘の中に納まる刀身は五、六寸ばかりといったところか。
一見して懐刀に見えたモノは、その輪郭がぼやけたかと思うと、まるで幽霊のようにかき消えてしまった。
これを目の当たりにした影蔵は、目を見開く。
「そ、それは!? 妖刀・幽御前!! 失われたはずの秘伝の忍具を、なぜ貴様が!?」
しかし祖父の問いに答えることなく、刃の姿もまた闇の中へ溶けるように消えていった。
今度こそ、刃は戸隠を去ったのだ。
そのことを覚った周囲の忍たちは、即座に捜索を開始せんと動き出す。
「追うでない!!」
その声は、影蔵のものであった。
「あれを追うてはならん……」
「何故です、頭領!?」
振り返り、里の長を見た者達は驚く。
影蔵の顔は冷や汗に塗れ、そこには明らかな恐れが浮かんでいた。
「お主らでは、彼奴を討つこと叶わぬ……まして、あの刀が共に〝おる〟のでは、上忍……いや、その更に上――奥上忍を送り込んだところで、ただ危ういばかりじゃ」
頭領のらしからぬ様子に、屠羽が眉を寄せる。
「何をそこまで臆するのです? ただの短刀ではございませんか」
「あれは、刀にして刀にあらず。幽御前は、妖刀――刀の皮を被りし〝化け物〟ぞ」
戦慄する影蔵は、刃が姿を消した虚空へ目をやる。
そこに最早、彼の姿はない。
「彼奴を選んだというのか? よりによってあの男――戸隠刃を……」
立ち尽くし、見つめる廊下の先には、ただ夜が広がっているばかりであった。
次回、物語上の重要キャラクターが登場します!
乞う、ご期待!!