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忍ばざる者 ~以ノ段~

 周囲には、ファミリーレストランやカフェ、大衆食堂にラーメン屋といった店が、(のき)を連ねている

 ここは、アーケード街・十文字(じゅうもんじ)通の中ほどから外れた所に位置する飲食店街――通称、満福小路(まんぷくこうじ)

 もともと、人々が徒歩で行き来することを考えて整備された通りは、さほど道幅が広いわけではなく、食材配達や機器のメンテナンス業者の車両が通行する際には、運転手が(ささ)やかながら不便を(こうむ)る、ちょっとした難所である。

 しかしながら、このような道だからこそ、立ち並ぶ店の一軒一軒を、余すことなく観察できるのだ。



「しくじった……」


 昼時の飲食街を歩きながら、刃はそんなことを口にした。

 すぐそこの店先では、OLと思しき若い女性の二人組が、店頭の食品サンプルを指して、何事かを話し合っている。

 昼食は、この店で良いかの相談であろうか。

 店頭には、緑、白、赤という縦縞の旗を飾っているところから、そこがイタリア料理を専門としていることが窺えた。

 ウィンドウ越しに店内を見れば、多くの客の姿が目に入る。

 連れだった者と談笑しながら、食事を楽しむ人。

 一人で、黙々と食べる人。

 メニュー表と睨み合いをする人もいれば、食後の小休止(しょうきゅうし)にケータイを眺める人まで、各人の様子は、実に様々だ。

 空いている席が、ごく僅かであることから、なかなかに繁盛(はんじょう)しているらしい。


 昼時と言えば、ランチタイム――平時に比べて低価格で提供されるランチメニューを目当てに、仕事の休憩時間を利用して来店する人間も多い。

 先程のOL風の女性達も店内へ入り、残り少ない席に着いた。

 イタリアのイメージを投影した(たたず)まいのレストラン。

 その前で、刃は足を止めた。

 彼の目が、実によくできた作り物のパスタを捕える。


 ――ランチ・ナポリタンセット 税込、五百円。


 いわゆるワンコインランチというやつだ。

 食品サンプルの隣に立てられた札に書かれた一文(いちぶん)を読むと、刃はポケットから財布を取り出して、中を覗く。


 百円玉が一枚……


 十円玉が三枚……


 一円玉が三枚……


 紙幣は……無い。



 合計、百三十三円……


 それだけ見ると、刃は何も言わずに、財布を仕舞って再び歩き出す。

 ――喚き散らす腹の虫を引きずりながら。


「よもや、(もん)無しで御出になられていようとは……」


 懐から聞こえた驚き半分、呆れ半分といった女の声に、腹の虫の飼い主は「うるせぇな」と返す。

「あったんだよ……昨日までは」

 彼がなぜ、赤貧(せきひん)の極みにあるのか?

 それは昨日、伊吹を狙った盗賊団を撃退するために、忍具の代用品(大量の文房具)を急遽、用立てたためだ。

「釣りでも(もろ)うておられれば良いものを」

「仕方ないだろ。急いでたんだから……」

 友人が(たち)の悪い連中に追い回されているという状況では、まともに会計をしている暇などなかった。

()りとて、一万円札を丸めて(ほう)る者が何処(いずこ)におりましょうや?」

「俺の金なんだから、俺がどう使おうが勝手だろうが」

 ()ねたように言う刃へ「(また)、左様な事を(おお)せになって……」懐から指摘の声が入る。

()(のち)如何(いかが)されまする? (わたくし)めは、食わずとも良う御座いますが、旦那様までそうは参りますまい」

「もう、いいから黙ってろよ」

 空腹のためか、返す言葉には力が入っていない。

 声よりも腹の音の方が勢いを増してきた。

「私めが黙った(ところ)で、腹の虫は黙りませぬぞ?」

「そんなことより、他に気にすることがあるだろが」

 (あるじ)に言われ「その金子(きんす)で、召し上がれる物と申しますと……」幽御前(かすみごぜん)は、記憶の限り、極めて安上がりな食事の検索を開始する。

 だが「ちがうわ!」その思案は、見当違いだったらしく、刃は改めて問う「おまえ、何も感じないのかよ?」

()に御座います故、食べ物の匂い等解りませぬが……」

「だから、そうじゃなくて――」刃が最後まで言い切る前に、懐の小刀(こがたな)は、言葉を繋ぐ「斯様(かよう)な身でも感ずるものと申せば――」

 そして、ほんの僅かに声のトーンを落として、これを告げた。


「先程から、()()()()()()()()()()がおる事、(くらい)で御座いましょうか?」


「しっかり気付いてるじゃねぇか」声を潜めて、刃が問う「いつからだ?」

 ここまで、十文字通りを経由する道のりを歩いてきたが、少なくともその道中では既に尾行されていたように思う。

「『まんしょん』を御出になられて、()ぐで御座いました。恐らくは、待ち伏せておったのかと」

「もっと早く言えよ!」

 自宅から繁華(はんか)な地区まで、徒歩にして約二十数分。つまりその間、追跡者の存在を覚れぬまま歩いていたということになる。


 刃は、小さく舌打った。


 ――以前の自分であれば、こんなことは決してなかった。

 尾行されていることにも気づかないようでは忍び働きなど務まらない。


 平和な『人の世』での暮らしが長すぎたのか、忍として当たり前の警戒心が完全に抜け落ちていた。


「いくらなんでも、鈍りすぎだ――」しかし、刃は首を傾げて考える。「……いや、むしろ『人』なら、これが当然なのか?」

 尾行に気付くのが遅れた理由が、『人の世』に長く居続けた所為(せい)だとすれば、むしろ喜ばしいことである。それだけ『忍』から離れ『人』に近づいているということなのだから。

 だが、それにしても解せないことがある。

「討って出んとする事も無く、着かず離れず着いて来るばかり故、此処(ここ)へ至るまで何も申さずにおりました。なれど――」

 幽御前が、刃の疑問を代弁する。

「此方を見る目も、追うて来る気振(けぶ)りも感じられまするが……奇怪なことに此の者、姿()()()()()()()()()

 背後に広がる雑踏の中。ある一カ所から、明らかにこちらへ向けられている視線を感じる――が、その場所に、件の何者かの姿はない。

 最初こそ尾行に気付かなかったものの、アーケード街に入った辺りでは、刃も後方にいるであろう何者かの存在を感じていた。

 ここいらをぶらつき始めてから三十分は経っているにも関わらず、未だ方法を変えずに追跡を続けていることから、後ろの何者かは、あまり腕の利く者ではないことが窺える。

 尾行がばれたことに気付けない程度の相手、というわけだ。


「だが――」前を向いたまま、刃が言った「俺たちに姿を掴ませない辺り、まったくの素人ってわけでもないはずだ」

「如何なされますか?」

 幽御前の抑揚のない問いを受け「そうだな……」彼は、逡巡(しゅんじゅん)する。


 敵意は無いにしろ、このまま張り付かれたまま……というのも精神衛生的によろしくない。それに、相手もこちらに用があるからついてくるのだろう。

 何より、()()()()()()()()()()()

 「だったら、()()()から出てきてもらおうか」

 言うが早いか――刃は、ちょうど通りかかった建物の中へ、身を滑り込ませた。

 

                    ・

                    ・

                    ・


「……っ!?」

 視界から目標の人物が消失したことを知ると、今まで一定の距離を保っていた姿なき何者かは、駆け出した。

 通行人と軽くぶつかり、何人かの声が上がるも、そこにいるはずの『誰か』の姿が見えないことに、驚きや怒りは(いぶか)しみへと変わる。

 そんな道行く人々の様子などお構いなしの追跡者は、程なく、刃の姿が消えた辺りへたどり着いた。

 周囲を見回して……すぐ隣に建つ、古いビルが目に入った。


 壁は(すす)けており、所々に細かなヒビも見て取れる四階建ての建物。

 上を見れば、テナント募集中の一文が読み取れた。一文字ずつ書かれた大きな張り紙は、二階の窓一帯を覆っている。

 他の階層にそいうった表記はないが、かといって店舗の看板も、中で動く人影も見えない。

 少なくとも、商業施設のように、多数の人間に開かれるような目的での使用はされていないらしい。

 その入り口が、開いたままになっている。


 ――ここに入った?


 一瞬で姿を消すなど、そうそう出来ることではない。……いや、()()()()()()()でも使わなければ、不可能なはずだ。


 中へ足を踏み入れた追跡者の肌に、冷たく湿った空気が(まと)わりつく。

 昼間であるからか、それとも電気が止められているからなのか、照明の点いていないビルの内部は、とにかく薄暗い。

 それでも外から入り込む陽の光が手伝って、さして広くないエントランスは、十分に見渡すことができた。

 入り口のそばに設置された集合ポストには、うっすらと(ほこり)が積もっており、ステンレス製の箱からは、幾重(いくえ)もの郵便物や広告紙がはみ出している。

 投函物(とうかんぶつ)のほとんどは長期間放置されているらしく、そのほとんどが日に焼け、色褪(いろあ)せていた。

 非常灯の()かない階段は、錆だらけの防火扉に閉ざされ、鍵でも掛かっているのか、押しても引いても微動(びどう)だにしない。

 続いて、エレベーターの前に立ち、昇降スイッチを操作するも、やはり作動することはなかった。

 それ以外に、人が隠れることができるような場所など見当たらず、外へ出られそうな窓もない。


 どうやら()かれたらしい――そう考え『彼女』は髪留めに手をやり、不可視の状態を解除する。

 

 現れたのは、髪の毛をサイドテールに纏めた少女であった。

 幾つもの歯車を組み合わせた複雑なデザインの髪留め――数ある歯車の一つを、摘まむ指を離すと、伸びていたワイヤーが巻き取られ、それは元の位置へと収まった。

 少女は、長いまつ毛を湛えた二重瞼(ふたえまぶた)を閉じ、軽く項垂(うなだ)れる。

「逃げられちゃったか……」

 彼女は、落胆に肩を落とし、来た道を引き返そうと(きびす)を返した。


「驚いたな……本当に姿を消してたのか」少女の背に、声が掛けられる。


 振り返った彼女の目に映ったのは、先ほど、姿を消したはずの少年であった。



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