二年後…… ~奴ノ段~
澄み切った青空の下、幾度かの銃声が響き渡る。
白昼の中に聞こえたその音は、しかし決して異常なものではない。
燦燦とした太陽が見下ろす、高層ビルディングが乱立する街並み。
コンクリートジャングル――どこかの誰かが、この景色をそう呼んだという。
かつては、人という獣が闊歩した小奇麗な文明の密林は、しかし今となっては荒れ果て、見る影もない姿で打ち捨てられていた。
建物の壁は所々が崩れ、窓や街頭テレビは割れ、砕けたアスファルトからは黄土色の地面が覗いている。
およそ誰かが生活しているとは思えない廃墟群。
こうなる以前は、人々が生を営む場所であったが、今は違う。
今は、人々が命を奪い合う場所。
――ここは戦場だった。
乾いた風が吹き荒ぶ無人の街を、刃が駆ける。
後ろから追いかけてくる弾丸から逃れようと、彼は、壊れかけたビル街をひたすらに走っていた。
息を切らして遁走を続ける刃であったが、それまで後ろに迫っていたはずの銃撃が途絶えた。
「弾切れ? ……今だ!!」
ここが好機と意を決して背後へ振り返りながら、肩からベルトで下げていた自動小銃を構える。
「お前らしくもない! 深追いが過ぎ――!?」
そこには、誰もいなかった。
撃ち抜くべき敵が忽然と消えたことで思考が、そして動きが止まる。
僅か一秒にも満たない束の間。……だが、相手にとって、それは十分すぎる一瞬だった。
刃から見て、すぐ右隣の地面に何かが落ちた。
黒い楕円に金具のような物が付いたそれは……
「手榴弾!?」
危険極まる物体に踵を返し、一目散に駆け出す。
間もなく、爆ぜる手榴弾。
今度は、轟音と高温、そして殺傷力を持った破片に追い立てられながら、刃は割れた窓に飛び込むようにして、半壊したビルの中へと転がり込んだ。
次いで、再び響き始める銃声の嵐に、身を屈めて壁に張り付く。
あれはマシンガン? それともアサルトライフル?
この方面にとんと疎い刃には、音だけで判別などつかない。……分かったところで、今の彼にはどうすることも出来ないだろうが。
すると、今度はこんな音が聞こえてきた――
風を吐き出すような、あるいは煙を噴き上げているような。それでいて急速に接近してくるモノ。
銃など、見たことはあっても使ったことなど無い刃であるが、コレには心当たり……というより直感で判った。
「くそっ!!」
咄嗟に、飛ぶように壁から離れる。
一瞬の後。その場所は、爆発と共に粉砕された。
破壊され、露わになった外の景色。土煙の遥か向こうに見えたのは、大きな筒型の火器を担いだ女の姿。
長く艶やかな髪を振り乱しながら、女は、狂気に満ちた声を震わせ叫びたてる。
「何処じゃ……何処におる!? 出て参れ!!」
残骸となりかけた建物の陰に隠れて様子を伺う刃の口から、誰にともなく言葉が漏れた。
「そう言われて、出ていく奴がいるかよ……」
しかし厄介だ。
銃器に詳しくない者でも、一目でアレがどんな兵器なのか容易に想像できるだろう。
女が担いでいる大筒は、ロケットランチャーである。
「いつの間にあんなものを……」
強者が更に力を得て、勢いを増すことを例える諺に『鬼に金棒』というものがあるが、まったくよく言ったものだ。
刃は思う――アイツと真っ向から撃ち合って勝てる気がしない、と。
……だが、それは正面から戦いを挑めば、の話しだ。
「悪いな……生憎、ドンパチやりあうってのは趣味じゃなくてね」
小声で呟くように言いながら、アサルトライフルのドットサイトを覗き込む。
「俺には、こっちの方が、性に合ってるみたいだ」
まだ、こちらの居場所を特定できないのか、背を向けたままの女。
刃は、その頭に照準を合わせ、引き金にかけた指を――
ぐるり。
と、女の顔が彼へ向いた。
煮え立つ泥沼のように真っ黒な瞳が、照準器越しに刃を見返す。
「そこかぁぁぁぁぁ!!」
「嘘だろっ!?」
向けられた大筒を見るや否や、刃は脱兎のごとく、建物から飛び出した。――いや、飛び出してしまった。
その瞬間、自らの判断を謝ったことに気付く。
横目で見た、乱れ髪の女が手にしていたロケットランチャーには、弾が込められていない。
逃げる男は、驚愕に目を見開いて――
追う女は、下弦の月を張り付けたような口で笑み――
〝まんまとおびき出された〟
同じ言葉を思いながら、それぞれ異なる胸中に顔を歪ませる。
互いの姿を認め合った両者。
刹那、先に動いたのは、彼の動きを予測していた女の方だった。
携えていたランチャーを捨て、新たな火器に持ち替える。
それは、刃と同じアサルトライフル。
僅かに遅れるも、刃はこれに応戦すべく逃げ足を止め、振り向きざまに、女のいる辺りへ向けてトリガーを引く。
乱れ飛ぶ無数の弾丸。
だが、やぶれかぶれで放ったそれらが、目標に当たることはなかった。
幾つもの銃弾が通り過ぎる中で、女は狙いを定めて、一射。
その一発は、標的の頭部へ吸い込まれるように、戦場を疾駆する。
――そして、二人の動きが止まり、銃声もピタリと収まった。
刃の眉間から、赤い一筋の色が流れる。
彼の身体が膝から崩れ落ち、ヒビだらけのアスファルトに倒れ伏す音が、戦いの終わりを告げた。
狩る者と狩られた者。
廃墟のビル街を吹き抜ける乾いた風が、二人の体を撫でては、過ぎ去ってゆく。
「栂櫛刃、討ち取ったり……!!」
黒い髪と瞳を持つ女が、獰猛に笑む顔を見たきり、刃の〝画面〟は暗転した。