二年後…… ~知ノ段~
今回から、今作の敵勢力である盗賊団との対立を描いていきます。
物語の舞台、その中心地である文銭町一帯を荒らしまわる窃盗集団。
一つの街で、都市伝説として語られていた存在。
果たして、彼らは本物なのか?
そんな正体不明の盗賊たちを相手に、主人公はどう渡り合うのか?
忍者VS盗賊の戦い、いよいよスタートです!!
大通りを満たす眩い灯でも、照らしきれない闇がある。
雑居ビルの間に延びる路地裏は昼間でも薄暗く、夜になれば、街の光もほとんど届かない。
そんな暗がりでは、建物の裏口や小窓から漏れる淡い明かりでさえ、貴重な光源と言える。
もっとも、そのような時分に裏道を歩く者など、そうはいない。
多くの人間は、光に満ちた往来から、わざわざ暗闇の続く道に入ろうという気など起きないからだ。
……だが、今宵の路地裏には、珍しく通行人の姿があった。
暗がりに浮かぶ姿は、ふたつ。
一人は、セミロングほどの髪をサイドテールにまとめた少女。
もう一人は、日本人離れした顔立ちに、金色の髪が特徴的な少年。
二人は、背の高い建造物に挟まれた道をひた走る。
――先行していた少年が、急に立ち止まった。
前方に聳えるのは、ビルの壁。
ここは建物の裏手にあたるらしく、裏口と思しき鉄扉も見える。
金髪の少年はドアノブに飛び付き、扉を開けようと試みるも、鍵がかかっているのか、ガチャガチャと音を立てるばかりでドアが開く様子はない。
そうこうしている内に、二人の走ってきた方向から、数人の地を駆ける音が近づいてきた。
やがて、足音の主達は少年と少女の姿を認めると走ることを止め、各々は、二人を囲むように広がりながら躙り寄る。
それは、慎重に間合いを詰める動きであった。
普段から人の出入りがない。人目につかない――こういった場所に複数の人間が集まるのは、大体ロクでもない目的があるときだろう。
それを示すように、駆けつけた者達は顔の至るところにピアスを開けていたり、袖や襟の下からタトゥーが覗いていたりと、実にチンピラ然としている。
いずれも十代後半から二十歳そこそこといった辺りの男たちだった。
不穏な出で立ちの男共の中から、この集団の代表らしき一人が、大きく進み出る。
育ちの悪さを自慢するような風体の男は、剣呑な響きを伴った声を吐き出した。
「てめぇ……いったい、どういうつもりだ? 俺らの仕事の邪魔しやがって!!」
その場から見える限りで六人――その奥にも、まだ数人が動く様子が見て取れる。
「悪いのは、人の物を盗もうとしたあなた達じゃないですか!!」
それだけの人数を前に、小柄な少年――伊吹は、臆することなく真っ向から言葉を返す。
「引っ込んでろ、チビ!!」これに対して、男が吠えた。「こっちはせっかくの稼ぎを台無しにされてんだ。そいつには、きっちりと落とし前つけさせてやる!!」
「犯罪を未然に防いだ彼女は悪くない!! あなた達こそ、法の裁きを受けるべきです!!」
「うるせぇ!!」
こういった手合いに、理屈や正論など通用しない。押さえては跳ね返るバネのように、かえって逆効果だ。
そのことを証明するかのように、ポケットから出された男の手には、折り畳み式ナイフが握られていた。
「こうなりゃ、てめぇからっ……!」落とし前をつけてやるとばかりに、男はズケズケと伊吹に詰め寄り、腕を振り上げる。
それを見た伊吹は、胸元で両手を組んで、身を屈めてしまう。
小柄な姿に向かって、月明りに照らされ鈍く輝く凶器が、振り下ろされた――
血飛沫が舞い、苦痛によって絞り出された叫びが、路地裏に響き渡る。
――だが、それらは伊吹のものではない。
「ぐあああああああ!?」
激しい痛みに耐えきれず、ナイフを取り落として泣き叫ぶ男。
鮮血が溢れ出す手の平を、一本のシャープペンが貫いていた。
「――だったら、お前たちにも落とし前をつけてもらおうか」
その場にいる全員が、声の降ってきた場所へ目を向ける。
路地を挟むビルの二階。壁面に据え付けられたエアコンの室外機の上から、新たに現れた何者かが、暗がりに沈む人だかりを見下ろしていた。
背負った月明りにより露わになった姿を見て「刃くん!」伊吹が名を呼んだ。
一方、男たちは、突然の乱入者に向かって威嚇するように声を上げる。
「なんだ、てめぇは!?」
どよめく半グレ共を見下ろしながら、刃は言った。
「そいつのダチでね、用があるんなら俺も交ぜてもらおうか」
男たちは、そいつを見上げ、睨む。
ここまで獲物を追う側だった自分たちの前に、対立する意思を示す者が現れた。
高所から奇妙な方法で攻撃したと思われるその人物に、一瞬の警戒をするも……すぐにその認識を改める。
コイツがやって来たところで状況は変わらない。
ひとりの人に出来ることなど、たかが知れている、と。
「カッコつけやがって……どうせ降りて来られねぇだろうが」
「そこから、オトモダチがボコられんのを見物してろ」
「それとも、仲良くブチのめされるか?」
口々に喚き出す男たちに、刃は眉一つ動かさずに――
「そうかい……」
呟くように言うと、自身の立っている室外機を軽く蹴って、その身を虚空に躍らせる。
そして僅か数秒の滞空時間の後。つま先だけを使い、音もなく着地して見せた。
地面まで、軽く四メートルはあるはず。
普通の人なら、こんな足の着き方をして、ただで済むはずがない。
――そう、〝人〟ならば。
躊躇いもなく、目の前に降りてきた刃の姿を見て、男たちは一時騒然となる。――ゆらり、と動き出す少年に、なにか異様なものを感じて後退る者もいた。
しかし、そんな中「この人数相手に、一人で何ができるってんだ!!」という声が上がると、それを皮切りに、狂犬のような〝人〟の群れが、刃に殺到した。
「何ができる、か……」
彼らは、選択を誤った。
まず、相手を見た目で決めつけ、警戒を解いてしまったこと。
そして、たかが人ひとりと高を括ってしまったこと。
相手を知らずにしてしまったこれらの判断は、迂闊としか言いようがない。
――元、とはいえ、彼は〝人〟ではないのだから。
「そうだな、例えば……」刃が、手首を軽く振る。
三角定規、シャープペン、ボールペン、分度器、物差し、コンパス、ハサミ、カッターナイフ――手の内から瞬時にして現れたそれらが、扇を象るように広がった。
「こんな物でも、お前たちが泣いて逃げ出すくらいのことはできるぞ」
・
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陽が沈みきると、商店街から人気が減り、反対に隣の飲み屋街が活気づく。
繁華街と歓楽街を結ぶ通り。
その横にひっそりと延びる横道の奥――
そこから暴風雨のように、無数の文房具が飛び出してきた。
「「「ひいいぃぃぃ!!」」」
次いで、飛んでくる文具に追われるように、路地からは次々とガラの悪い男たちが転がり出てくる。
通行人の目も憚ることなく、泣き声を上げながら、チンピラ然とした集団は、夜の街に消えて行った。
――手裏剣術、乱打・穿雨。
数ある術のひとつを、市販の文具で見事に再現した、かつて忍だった少年は、遠くに見える仄かな街の灯りに目を向けながら口を開いた。
「まぁ、こんなもんだろ」
曲者共が失せたことを確認すると、傍にいる伊吹へ振り向く。
「大丈夫か、イブ?」
「あ、うん……」突然のことに理解が追い付かず、うまく言葉が出てこなかったが「助けてくれて、ありがとう、刃君」なんとかそれだけを口にした。「……でも、どうしてここに?」
「さっき、すれ違ったのに気づかなかったか? お前の後に、変な連中が走っていくのを見たから追ってきたんだ」
危ない目に遭うところへ駆けつけてくれたことは素直に嬉しいし、ありがたくもある。
ただ、一つだけ気になることと言えば――
「追ってきた、って……」
伊吹は、ビルの壁面に据え付けられるエアコンの室外機に目を向けた。
先程まで刃が立っていた場所である。
どんな追いかけ方をすれば、あんな所へ行きつくのか。
しかも、その後の着地で見せた身体能力といい、連中を退けた方法といい……
「なんだよ?」
なにやら伊吹が凝視してくる。
然して、彼は言った。「忍者って、すごいんだね」
素直な感想を表情に描き出す友人に、しかし刃は、ため息とともに吐き出した。
「だから、俺は忍者じゃねぇっつってんだろ」そして「今は、普通の高校生だ」と加える。
「普通……?」
どうも伊吹には、普通というワードが引っかかるようだ。
それも宜なるかな。普通の高校生はこんなことしないし、そもそも出来ないのだから。
「ところで、こいつらだけど――」
刃は、ある一点を指す。
そこには、尻もちをついて動けずにいる一人の男がいた。
整髪料によって染め上げられた不自然な色の茶髪に、耳に空いた複数のピアス。オーバーサイズの衣服を着たストリート系の男は、先ほど蜘蛛の子を散らすように退散した連中の一員であったが……どうやら、腰を抜かして逃げ遅れたらしい。
刃が歩み寄ると、そいつは必死に吠え始める。
「来るなっ!! 寄るんじゃねぇ!! クソがっ」
「うるせぇな……」
苛立ちと面倒臭さが入り混じった声でそう呟くと、刃は残っていたシャープペンを取り出す。
周囲からは、彼の手の内に突然出現したように見えたであろう。それをチラつかせてやると、腰の抜けた男は「ひっ!?」と、短い小さな悲鳴を上げたきり大人しくなった。
静かになったところで聞いてみる。
「お前ら、なんでコイツを追ってた?」
立ち上がることもままならず、歯噛みして黙り込む茶髪に代わって、伊吹が応えた。
「この人たち、多分、盗賊団だと思う」
「盗賊団って、学校でお前が言ってた?」
「僕たち、見たんだ。この人たちが財布を掠め盗るところを」
「スリってことか」
頷いて返す伊吹に、やれやれといった感じで、刃は言った。
「おまえも厄介なことに関わっちまったもんだな」
文銭町で悪事を働くとは聞いていたが、まさか伊吹が狙われるとは……
一先ずは、彼の危機を退けるという目的は果たされた。……だが、後から逆恨みされて付け狙われるのも面白くない。そう考え、刃はポケットからケータイを取り出す。
掌サイズのタッチパネルの画面が点灯すると、仄暗い空間に、小さくもはっきりとした長方形の光が浮かび上がった。
「まあ、取りあえず、このヤンキーの相手は警察にしてもらうとして――」
「待ちなさい」
思わず、背筋を伸ばしてしまいそうになる、凛とした女の声。
続いて、複数の人間が近づいてくる。――先ほどの集団が逃げ出した、その方向からだ。
新手かと思い、そちらに警戒を向ける刃であったが、やがて隙間灯りに照らし出されたのは、自分たちと同じ、化野学園の制服を身に着けた生徒たちの姿だった。
隆々とした体躯に、岩石のようなゴツゴツとした拳を持つ大柄な男。
一目でただ者ではないと悟らせる、竹刀袋を携えた細身の女。
様々な取り合わせだが、生徒たちに共通しているのは、一切の乱れなく整った服装。そして、左腕に着けられた腕章である。
――そこには、風紀委員会と書かれていた。
さっきまでの纏まりのない不良集団とは違う、選び抜かれた精鋭で組織されたかのような一団。
その先頭に立つのは、ひとりの女子生徒。
白い。
その肌は。例えようもなく白い。
かすみも色白ではあるが、ここまでではない。
まるで色というものを知らないかのような白さは、肌だけではなかった。
背の中程まで伸びる髪も同じ。それが薄明りを照り返し、白銀に煌いている。
アルビノ――身体の色素が欠乏する先天的な体質で、約二万人に一人が持って生まれる風貌。
その顔に開く両の眼――燃える炎とも、流れる血潮ともつかない色合いの瞳が、強い力をもって、刃と伊吹を射抜いてくる。
「困るわね。勝手なことをされては」
聞く者を威圧する響きを伴った声が、鼓膜を打つ。
新たに現れた者達は、敵には見えない。……かといって味方だという雰囲気でもない。
「あんたたちは……?」
この状況を測りかねる刃に「刃くん、刃くん!」と隣にいる伊吹が袖を引いた。
「知ってるでしょ? 風紀委員長の御斎千里先輩だよ」
化野学園において、生徒会長に並ぶ二枚看板の一人だ。
苛烈な取り締まりと、対立者には一切の容赦をしない強硬派で知られており、武闘派の不良生徒を眼力だけで膝間づかせるという噂さえ囁かれる女傑。
彼女のことを〝風紀の虎〟という異名で呼ぶ者もいる。
銀髪紅眼の姿を目に収めながら、刃が問う。
「それは知ってるけど、風紀委員がどうしてこんなところに?」
その質問に、伊吹が答えるよりも先に、アルビノの少女――御斎千里が口を開く。
「環境管理委員会、一年のアルブレヒト・伊吹君ね? ここで起こった事態と、あなた達の関係性について説明を求めます」
「これは、その……なんと言っていいのか分かりませんが……」
聞く者の気を引き締める声を受け、伊吹は言いよどむ。
入学当初から、他の先輩委員達を押し退けて重要なポストを務めてきた実力者。
学園における風紀と正義の体現者として、またその特異な容姿も手伝い、彼女に心酔する者は少なくない。
後ろに控えるのは、彼女に対して忠誠にも近い想いを持つ、屈強な者たち――各部活動のエースで構成された御斎千里直属の強制執行班。
――またの名を、百虎隊。
伊吹は考える。この風紀の虎を退かせる上手い言い方はないものか、と。
こんな猛者達をも従える恐るべき権力者に向かって「ヤンキー共と喧嘩してました」などと口走ろうものなら、どんな目に遭うか分かったものではない。
ちょうど、今の刃のように。
「えぇぇ!?」
言った――言ってしまった。
「ちょっ!? 刃くん!?」声を上げ、伊吹は刃に取りすがる。
「なんだよ、お前だって見てただろ?」
「いや、そうだけどっ……」そうだけど、そうじゃないのだ。
物事には、例え本当のことでも言って良いこと、悪いこと。
そして、言って良い時、悪い時。
さらに、言って良い相手と悪い相手がいる。
当然だが、御斎は言ってはいけないタイプの人間だ。
「正確には、一方的にシバいたって感じだったけどな」
「もういいから黙って!!」間違っても、しゃあしゃあと語ってはいけない相手だ。
腕っ節自慢の不良生徒も膝を屈したという眼光が、刃へと向けられる。
「あなたは?」
「一年の栂櫛です。こいつとは、同じ環境管理委員で……」
そこまで聞くと、御斎は僅かに目を細めた。
「そう、あなたが――」
彼女は周囲を見やる。
座り込んだまま、震えて動けずにいる男。
地面に目を凝らせば、うっすらと見て取れる流血の跡。
そして、辺りに散らばる無数の文房具……それを視線で辿ると、打ち捨てられたように、隅に立てかけられる看板が目に入った。
トタンで作られたそれに目をやった御斎だけが気付く。
――決して厚くはないにせよ、金属の板を貫く一本のカッターナイフの存在に。
「つまり、これはあなたの仕業という訳ね?」
「まぁ……成り行き上、仕方なく」
適当な態度で受け答えをする刃に、御斎は睥睨するような眼差しを向けるが、それも数秒のこと。――彼女は、未だ立ち上がる様子の無い茶髪の男を指して、後方に控える生徒たちへ告げる。
「その男を確保、連行して」
その道ではプロ顔負けの風格を纏う猛者たちに引っ立てられ、男は路地の向こうへと姿を消した。
「これで一件落着ってことだな。イブ、俺らも帰ろうぜ」
歩き出した刃の前を塞ぐ壁が現れる。――風紀の虎こと御斎である。
「これから四方委員会、緊急ミーティングを開きます。議題はもちろん、この場で起こったこと」
そして、彼女はこう突きつけた。
「当然、あなた達にも同行してもらうわよ」
「マジ……?」
そろそろ自宅でゆっくりしたいのだが、そんな時分に会議とは……
思わず頬が引きつる刃を尻目に、御斎は伊吹に問う。
「他には、誰もいないわね?」
それを言われてようやく思い出した。
今のいままで蚊帳の外に置いてしまったが、追われていたのは伊吹ひとりではない。……彼が手を引いていたもう一人の存在へ振り返る。
「君、大丈夫――?」
そこにいるはずの少女へ声をかけたつもりであったが……
「あれ……いない?」
刃も周囲を見渡すが、少女の姿はどこにもない。
人が入り込めるほどの大きな遮蔽物などない場所である。隠れたということはないだろう。
先ほど、伊吹が開けようとしていたビルの裏口であろうドア。
彼は、再度そこへ手を伸ばし、ノブに手を掛けるが……やはりガチャガチャと音を立てるばかりで開く気配はない。
ビルの中へ続く扉が開かない以上、この暗い路地を出るには、盗賊団と思しき男たちが逃げた方向――つまり、刃と伊吹のいる方へ向かわなければならないのだが、これまで二人の横を通った者もいなかった。
仮に、そうした場合、まず気付かないはずはない。
「「……」」
刃と伊吹は、無言のまま顔を見合わせる。
信じられないことだが、こう考えるしかない。
少女は、忽然と姿を消してしまったのだ、と。
市街地で乱闘を起こしたとして緊急ミーティングに召喚された刃と伊吹。
二人を糾弾するように思われた会議は、しかし思わぬ方向へ転がりだして……?
次回は、生徒が治める学園という社会と、そこに存在する闇を描いていきます。
お楽しみに(*^▽^*)