二年後…… ~遍ノ段~
少し期間が開いてしまいましたが、今回もまた投稿させていただきます。
元・忍者と、妖刀の下校風景から始まります。
そろそろ、物語が動き始めますので、どうかお見逃しなく!
太陽は西に傾き、黄昏色に包まれる世界は、間もなく夜を迎えようとしている。
ほんの一世紀と少し前まで、人は闇を避け、光に縋って生きてきた。
昼間は賑わう天下の往来も、ひとたび陽が落ちれば、たちまち浮世から外れた人外の領域となる。
かつての人々は、そんな光景に、寂しさ、物悲しさ、妖しさ、そして恐ろしさを覚えた。
――だが、それも昔の話し。
今では、宵闇の中に煌々とした灯りがいくつも浮かび、闇を恐れない――いや、恐ろしさを忘れてしまった人間が、街を闊歩している。
この街、日之神市において、文銭町がその最たるものだ。
昼間のような明るさで照らされる繁華な通りには、平日であれば、むしろこの時分から人が増えはじめる。
友人と笑い合う下校中の学生、買い物帰りの主婦、疲れた顔で帰路に着くサラリーマン。
ある者は遊び歩き、ある者は家路を急ぎ、またある者は暇を持て余して散策する。
文銭町一丁目、アーケード街――十文字通りは、今日も一日の終わりに活気づいている。
その中の一角にある大型古書店にて、有名校――私立化野学園の制服に身を包んだ一組の男女が、なにやら言い合う様子があった。
「旦那様?」
「なんだ?」
かすみの問いに、刃は開いたページから目を離さずに答える。
「何をなさっておられるのでしょう?」
「なにって、本を読んでるんだよ」
やはり開いた本から視線を外さずに、新たなページを捲る。
「本……」かすみは、眉を寄せて言った。「其れは、漫画では御座いませぬか?」
「ああ、見ての通り、マンガだぞ」
「何故、漫画なぞ御読みに?」
「明日から春休みだからな、今日はゆっくり立ち読みでもしようと思ってさ」
陳列棚にずらりと並んだ無数の本は、すべてマンガの単行本。刃が手に取っているのも、その内の一冊だ。
コミックのタイトルには『神撃之鬼人』とある。
戦国時代の只中に、突如として現れた『鬼』と呼ばれる異次元の怪物と、人間との戦いを描いた架空の時代劇だ。
主の読む物に興味が湧いたのか、かすみは、刃の背後から本の中身を覗き見る。
紙の上には、鬼の血を持つ主人公――桃地吉備丸が、人間離れした跳躍力で空を駆け、振り抜いた二振りの刀で、巨大な鬼の腕を両断するシーンが描かれている。
派手なアクションが売りであるこの作品の、まさに見せ場といったところだ。
「忍の如く、よう跳ねますこと……旦那様とて、今となっては、こうまで飛び回ることは滅多に無いと申しますに」
隣に並ぶかすみの顔には、やはり目もくれず、刃は口を開く。
「知り合いに勧められて読み始めたんだけど、これが面白くて。すっかりハマっちまったってわけ」そして忘れずに言っておく。「あと、俺は忍者じゃねぇからな?」
相も変わらず神撃之鬼人を読み耽る刃。
その様子を見かねたかすみが「漫画も良う御座いますが、そろそろ御勤めに戻られませ」圧をかけるように訴える。
「お勤め?」およそ三十分ぶりに面を上げて、刃が聞いた。
「伊吹殿から、仕事を御引き受けになられたでは御座いませぬか」
「あぁ、そのことか……」
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――数時間前。
「盗賊団?」
刃が聞き返した。
火術こそ使わなかったまでも、かすみの分身達に手伝わせて、どうにか剪定の後処理を済ませた後、二人は伊吹からの連絡を受けて第三多目的教室に戻ってきた。
参加していた四方委員会の会議が長時間に及んだため、休憩時間が設けられたらしく、その時間を使って話しておきたいことがあるという。
そして、戻ってそうそうに出された話題がこれであった。
「文銭町に昔からある噂話なんだけど、刃君は知ってる?」
黒縁の眼鏡を両手で掛け直しながら、伊吹が聞いた。
「駅前の辺りで、それっぽい大道芸なら見たことあるぞ」
市名を冠する日之神駅の周囲には、横断歩道橋と広場の役割を併せ持つ、ペデストリアンデッキが存在する。
駅を中心として、近辺の建物へ架け橋のように張り巡らされた広大な陸橋。そこは時に、街を上げたイベント会場となることもあれば、個人単位での楽器演奏や、技の研鑽に勤しむパフォーマーたちの練習場にもなっていた。刃が見たのも、そのうちの一つだったのであろうが「そういうのじゃなくて――」伊吹の求めていた回答ではなかったようだ。
彼は、言葉を続ける。
「本物の窃盗集団のことなんだけど、その感じだと、聞いたことないみたいだね」
刃は「初耳だ」と答えて、後ろに立つ女に聞いてみる。「かすみ、お前は?」
「以前、隣の組の女衆――女子生徒達が話たる噂を耳に留めておりました。なれど、如何様なるものかは存じませぬ」
詳しく知らない二人は、その答えを求めて伊吹へ視線を送る。
「悪い人から盗んだ物を苦しめられた人達に配ったり、理不尽に奪われた物があれば、それを取り戻してくれるっていう、この街の都市伝説なんだけど――」
伊吹の語った内容は、地域によってあったりなかったりするご当地的な噂話の類らしかった。
ただ、悪党退治をする泥棒という都市伝説は、なかなか珍しい。
「盗人にして傑物とは、中々に痛快で御座いますね」
姿形が女の子だけに、やはり噂話を好むのか、かすみは興味津々といった様子。
だが、刃はいま一つ腑に落ちない。
「で、その都市伝説がどうしたっていうんだよ?」
珍しいは珍しいが、会議の休憩時間中に呼び出してまでする話でもないように感じたからだ。
その反応を予測していたらしい伊吹は、改めて話を続ける。
「盗賊団は本当にいて、そこかしこで盗みを働いているらしいんだ」
刃は、小首を傾げて一拍の後に「つまり――」口を開いた。
「それまで都市伝説だと思われていた盗賊団が、実在――まぁ、騙りってこともあるだろうが、実際にいるってことが分かって、みんな騒いでるってわけか?」
得心したように顎に手をやる刃。しかし反対に、伊吹の顔色がやや曇る。
「実在するだけならまだ良かったんだろうけど……問題は、かなりの被害が出ていることなんだ」
「相手が悪党とは申せ、盗みに変わり無し、と?」かすみの先回りした回答に、しかし金色の髪は左右に振られた。
「それもあるだろうけど……本当に悪いのは、その手口が噂通りじゃないことなんだよ」
「どういうことだ?」
この話題の核心は、噂の域を出なかった盗賊団の暗躍や、彼らの存在が確認されたことでもない。
本当の問題は――
「盗賊団が狙うのは、悪人だけじゃないんだ」
文銭町を中心に、地域一帯に根を張る反社会的集団。
その犯行は、家屋侵入、器物破損、果ては傷害にまで及び、彼らが動けば必ず盗みを働くことから盗賊団と呼ばれている。
噂の中での盗賊団は、強きを挫き、弱きを助けるように語られているが、実在する集団は誰彼構わず金品を奪い、時には追い剥ぎ紛いの強盗行為にまで手を染めているという。
「思った以上に質が悪いな」
「斯様な者共が街に潜んでいようなど、思いも寄らぬことでした」
かすみの言に「まったくだ」と同意し、呆れ顔になる刃だが、ここで当然の疑問が浮かび上がる。
「それにしても、警察は何やってるんだ? イブの話を聞いてる限り、ほとんど野放しみたいだが……」
盗む者があれば、これを捕える者がいるというのが世の常。しかし、ここまでの話しの中で、それを聞かないことを訝しむ声に、伊吹が答えた。
「これも噂なんだけど、警察でも手に負えないみたい」
世界でも屈指の優秀性で知られる日本の警察組織――地方都市とはいえ、その捜査網を潜り抜けるほどの一味だという。
「ただコソコソするだけの泥棒じゃなくて、奇術染みた方法で盗んだり、煙のように姿を消したりするから、犯行の予測が立てられないんだって」
「……なんだそれ、本当に人間か?」
刃も、マンガやアニメくらい見る。だからこそ荒唐無稽に思え、ただでさえ胡散臭い話が、より現実から離れて感じられた。……自分が〝元〟忍者であることを棚に上げて。
「今回、四方委員会会議に上がっている議題の一つが、この盗賊団への対策なんだ」と伊吹は言うが、こんな与太話を議題に挙げるほど暇なら、普段の校務をもう少し……
……今、なんと言った?
「待て、それはアレか? その盗賊団とかいうのを環境管理委員会で取っ捕まえろとかいう……そういう話か?」
西洋人形のような碧眼が一瞬、キョトンと見開かれる。そして、伊吹は軽く吹き出して笑った。
「そんなわけないじゃない。ここは学校で、僕たちは生徒なんだよ? いくら四方委員会でも、そんな無茶はさせないはずさ」
はず、か……断言はしないんだな。
釣られてかすみも、クスクスと口元に手をやって笑っている。
「ほんに、旦那様。慎みの無い御言葉は『ふらぐ』を建てまするぞ?」
その余計な一言こそ『ふらぐ』をおっ建てそうなものだ。
「でも、会議で挙がるくらいだ。対策ってことは、何かしらやるんだろ?」
悪化した治安の中で、学園の生徒が不利益を被る可能性は無視できない。
生徒会、風紀委員会、そして教職委員会らは差し詰め、そんな大儀を掲げて動くのだろう。
……そして、そんな名分の下に、また環境管理委員会を牛馬の如くこき使うのだろう。
などと考えながら耳を傾ける刃に、伊吹は続きを語りだした。
「今のところ決まってるのは、一般生徒の外泊と外出時間の制限。あとは――」
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「四方委員会各員、決まった日に見回りしろってことだろ? ちゃんと覚えてるよ」
学園を出る前に、友人とした一連のやり取りを思い起こして要点を述べる刃。その眼は再び、かすみではなく開いたコミック――神撃之鬼人に向けられた。
「なれば、今日、まさに今、環境管理委員会の見回り番であることは御存知のはず」
「だから、帰る前に生徒が寄りそうな所に来てるじゃねぇか」
本来は、遅い時間まで出歩いている生徒達に、注意喚起を促すことを目的としたパトロールのはずだが、これでは誰が見ても、ただの立ち読みでしかない。
「御覧になるべきは漫画には御座いませぬ。せめて、店の中を見て回りなされ」
「わかってるよ、せめてこの一冊だけ読ませてくれ」
「斯様なことでは、木乃伊取りが木乃伊に御座いまする」
小姑のお小言かと言いたげに、鬱陶しそうな顔をしながら、刃はおもむろにズボンのポケットからケータイを取り出した。
「いいだろ、別に。イブに迷惑かけるようなことは……」スマホのデジタル時計を見れば、午後七時十七分と表示している。
「……意外といい時間だな」
どうやら本当にミイラになりかけていたらしい。
「さ、参りましょう。旦那様」
「はいはい」と適当に返事をしながら、読みかけの単行本を陳列棚の中に戻すと、刃は、かすみを伴ってコミックコーナーを後にした。
次回は、物語が急展開を見せます。
そして、新キャラクター登場!?
ご期待ください。