五話のつづき2
『わたくしのマスターに対して、「馬鹿」ですか……』
NPCは、微笑む。
『ブス専――いえ、アインさんでしたか? ……彼女には後でたっぷりお灸を据える必要がありそうですね……』
少女の叫びと同時に標的を換えた巨像の右足を、NPCは表情も変えずに片手に持った神槍で軽々と突き上げる。
『麒麟』の突貫に匹敵する程の早さを誇る一撃。
巨像はつんのめるどころではなく、まるで片足を蹴り上げられたように盛大に体勢を崩して仰向けに倒れてしまう。
建物の少ない広場側に倒したのは、NPCなりの最低限の気遣いだ。
『ですが、まぁ――』
もはや、目の前の土人形など彼女の視界にはない。
その視線の先にうつるのは、誰よりも慕い、望み、敬愛する主の……呆れたような、でもどこか嬉しそうな苦笑。
シャレと呼ぶには、些かいい加減に過ぎる稚拙な言葉だったが、……きっと何よりも、主を響かせた。そんな少女に……
ほんの少しだけ……嫉妬してしまう。
『――今回だけは、及第点……でしょうか』
NPCは……『アウラ』は、笑わない。
◇◇◇
「……はは、言われなくても……諦めたりしねぇ……っての」
声は、ちゃんと届いた。
「負けたら、一日中煽られんのか……。あぁクッソ、アイツまじでやりかねないから、やなんだよなぁ……はは」
いっそ、明日は仮病でも使って学校を休んでやろうか? ……いや、歌穂さんや美緒さんに迷惑とか心配をかけるのは、ダメだな。
じゃあやっぱり、明日も学校に行かなきゃならないわけだ。
千秋の煽りって……的確にウザいんだよな……。普段からアレなのに、本気で煽ってくるなんてなったら……うん。百パー手が出るわ。
たぶん確実に、グーで一発はいっちまうな。
そうならないためには……
……やっぱり、勝たなきゃダメなんだよな……。
「……つか、あと何秒だよ……」
視界端のタイムカウントは、35。
檻の柱は、残り2本。
はは……、いつの間にかそんなに経ってたんだな。
あと……95秒か。
なら、もうちょい踏ん張ってみるかな。
霞む視界。
倒れていた肉体を無理矢理起こし、手探りで杖を探す。
あぁ、そう言えば……さっきの一撃で耐久値もってかれて、消し炭になったんだったか?
けっこう気に入ってたレアアイテムだったんだけどな、……すこし残念だ。
つか、もう数分前から手足の感覚があやふやで、杖無しじゃ1人で立つことも無理っぽいわ。
まぁ、いっか。
腕があるならガードモーションは出来る。
ジャストガードでHPさえ守り抜けば、……まぁ、殴られるくらいは我慢できるさ。
「……あぁ〜あ、まさか……モンスターのテメェにサンドバック扱いされるとか……マジでストレスだよ、クソトカゲ」
『――――っ!!!!』
「だけどまぁ、今回は……好きにさせてやるさ……。……だが、忘れるなよ? ……次やる時は、百万倍にして返してやるからよ……」
脅迫にすらなっていない。周りからすれば、ただの強がりにしか見えないかもしれない。
だが、それでいいのだ。
オレは誰かの語る『万能な英雄』なんかじゃない。
弱くて汚くて、臆病な1人の凡人だ。
きっと、出来ることよりも、出来ないことの方が遥かに多い。
……ただ――
『出来ない』からと言い訳して、大切なモノを諦め……切り捨てて前に進めるほど、オレは器用に生きてはいけない。ってだけ。
次のために、今を諦める事が出来ない。
比較的多数のために、極少数を犠牲にする……なんて出来ないのだ。
『……今でなくとも、まだ機会はある。今回はもう諦めて、次にまた頑張ればいいじゃないか』
ほら、ナビゲーターもこう言ってる。
賢い大人は、みんなそう言う。
『利益と損失』を天秤にかけて、より安全に……より計画的に……より確実に……大きな利益を求める。
当然だ。
子供と大人では、背負っているモノが違う。
ローリスク・ハイリターンで全てが上手くいくならば、それに超したことはないのだ。
だけど……ダメなんだよ。
今じゃなきゃ、ダメなんだ!
今じゃなきゃ……きっと、何も取り返せないんだよっ!
アンタ達みたいに、何でも諦めて次を探すことを『大人になる』って言うんなら、オレはまだ……青臭いガキのままでいい。
弱いなりに無様に足掻いて、他の何もかもをかなぐり捨てて……『今』!
……ただ……アイツに会いたいんだ。
会って、話したい事が……いっぱいあるんだ。
『……これ以上は、キミの肉体にも多大な負荷がかかる。……言って聞かないのであれば、安全の為にこのまま強制的に回線を切断してでも――』
「うるせぇええっ!!」
『……だが、このままではキミが……』
「たかがゲームだろうが……。こんなクソガキが、折角……無理してカッコつけようとしてるんだ。……大人が、邪魔するなんて……それこそ野暮ってもんだろ」
お利口に生きてやる道理なんてないだろ?
「邪魔しないでくれよ。……オレは今……楽しくゲームしてるんだ」
◇◇◇
……『彼』の、声が聞こえる。
覚えていない声。
だが、必死に何かを叫ぶその声は……きっと、『彼』の声なのだろう。
閉じた瞳は開かない。
すぐ目の前に『彼』がいるかもしれない。
でも、開かない。
きっと今は、その時ではないのだろう。
暗い暗い闇の中……ただ、眠る前の子守唄のように、『彼』の声を待ち焦がれる。
次はなんて言うのだろう?
次はどんな声を出すのだろう?
どんな顔をしているのかしら……? 笑ってる? 泣いてる? 怒ってる? 哀れんでる?
それとも、いえ……たぶんきっと、『彼』は楽しんでる筈だから……あの時みたいに無邪気に、笑っているのかしら……?
『あの時』?
あの時って……何?
いつの事だろう……。
やはり、思い出すことは出来そうにない。
『彼』は、どんな顔で笑っていただろうか?
……ほんのちょっとだけ、薄目で目を開けてみようか?
小さく芽生えた好奇心に、ちょっとしたイタズラ心が膨らんでしまうが、……やっぱりやめよう。
楽しみはちゃんと取っておかないと……ね。
大丈夫。
きっと『彼』ならば、途中で逃げ出したりはしない。
だから……もうすぐ、会える。
……『彼』に。
◇◇◇
振り上げられた黒竜の剛腕が、何度も叩き付けられる。
最初の数分は、精々数秒に一発程度、余裕と手加減を孕んでいた攻撃も……今は、見る影もない。
残り3分を切った辺りから、徐々に節操をなくしていった。
一方的に叩き付けられるだけの暴力。
だが、今はむしろ……黒竜にこそ余裕の欠片もない、本気の蹂躙と化していた。
加減も忘れ、何度も何度も何度も何度も叩き付けられる剛腕は、浮遊島全体を揺らし続け……口から吐かれる黒炎のブレスも、鞭のように振り回される尾も、多種多様な魔法の数々も、……オレに確実に当たりこそすれ、倒すには至らなかった。
そして、残り時間が1分を切り……もはや小細工など忘れたかのように、黒竜はシンプルに……足下に転がったオレを、がむしゃらに殴り続けている。
倒しきれない
殺しきれないオレに、業を煮やし……
怒りと焦り、感情に任せた動物的なソレを暴力として、ふり下ろし続ける。
1体のモンスターに手も足もでない、かつての英雄は……さぞ不格好だったことだろう。
『ノワール』に少なからず羨望を抱いていた奴らには、夢をぶち壊すような結果になったのかもしれない。
でも、カッコ悪くても……オレは笑い続けるよ。
どれだけ泥にまみれても、オレはこの選択を後悔したりしない。胸を張って……あのバカ達にも、自慢できると思う。
……3
また、笑って
……2
また、騒いで
……1
「楽しかった」って、胸を張って言えると思う。
黒竜の放った最後の一撃。
それは、両手を握り締め、膂力を全力で込めてふり下ろされた最高の一撃。
今までよりも凄まじい地響きを轟かせる中……だが――
――鳥籠の、最後の1柱は……ひび割れ、砕け散った。
そして同時に、デバフ天国のサークルも綺麗さっぱり消えてしまった。
なるほど、あのサークルを形成していたのは、あの鳥籠だったわけか……。
レベルも戻った。
魔法もアイテムも使用できる。
それなら……まぁ、一発くらい返しとくのが、礼儀だよな?
「……いつまで、見下してくれてんだよ……出来損ないの、クソトカゲ野郎」
高位召喚魔法『巨像の行進』
黒竜の前後に2つの大きな魔方陣が浮かび上がり、2体の巨大な騎士甲冑を模したゴーレムが召喚される。
1体は背後から黒竜を羽交い締めにし、もう1体はソレを全力でぶん殴った。それはもう、羽交い締めにしていたゴーレムごと吹っ飛ばす程の威力で。
ダメージや討伐は期待できないが、まぁ数分じゃれあうくらいなら……アレでも十分だろう。
リベンジパートは……今回はなしだ。
そんなことよりも……と、オレは体を引きずりながら彼女のもとを目指す。
不格好な匍匐前進で、少しずつ……彼女の……アルヴスのもとへ……。
「……アル、ヴス」
こんな時に限って、視界がかすむ。
「……アルヴス……」
地を這う体が、激痛に悲鳴をあげている。
「…………アルヴス」
あと少し……あとちょっとなのに、意識が遠退いていく。
頼むよ。
もってくれ……
今、伝えなくちゃいけない言葉があるんだ。
下唇を噛み締め、タイル張りの地面を這いずり、惨めに……足掻く。
邪魔は入らなかった。
棒立ちのプレイヤー達も
逃げ惑っていたNPC達も
アレほど妨害してきたモンスター達も
小うるさいナビゲーターも
もはや、オレの悪足掻きを止めようとする者は……誰もいなかった。
同情のつもりか?
……だとすれば、少しむかつくが……まぁ今はどうでもいい。
やっと
やっとだ
やっと……たどり着いた。
白い少女の眠る、玉座の前へと。
「……おい……、もうそろそろ、起きてくれよ。狸寝入りなんて……趣味悪いぜ」
「…………ふふ」
オレの言葉を聞いて、今まで瞳を閉じていた少女は……まるで悪戯っ子のように片目だけ開いた。
オレは玉座の正面に座り込み、久しく会うことの叶わなかった少女を見上げる。
「久しぶり……って言うのがあってるのか?」
「ごきげんよう」
「何年ぶりだ?」
「……覚えてないわ」
「……そっか。まぁ、オレもそこら辺はあやふやだしいいや」
「アナタが、ノワール?」
「ああ。お前の言うノワールだって保証は出来ねぇが、……ノワールって名前でやってた」
「…………そう」
「…………あぁ」
「…………」
「…………」
「残念ながら、きっともう私はアナタの望んだ存在ではない」
「そっか」
「だから……今の私からアナタへ、『はじめまして』」
「……そうか」
忘れられてたか。
だけど、何故か不思議と悲しくはなかった。
予想はしていた。
もしかしたら、オレのことなんてキレイさっぱり忘れて、オレ以外の『誰か』のもとで……楽しく笑っているんじゃないか? ……そんな妄想。
あぁ……そうか。
『忘れられる』程度なら、麻痺しきったオレの感性でも簡単に受け入れる事が出来たのだ。
まだ、オレ以外の『誰か』が……アルヴスの主となってはいないから、……まだオレは安心したんだ。
「……嫉妬したく、なかったんだ」
「…………?」
「お前が、オレ以外の男に尻尾振ってついていくところなんて、見たくないんだ。……オレって、けっこう嫉妬深かったんだな……。なんか、自覚すると……かなりショックだな」
「……私を、独占したかったの?」
「……、……。あぁ、そうだな。お前はオレだけのモンだって、所有権振りかざして……ずっと、傍に置いておきたかった」
「…………」
「でも、お前は愛玩動物じゃない。囚われのお姫様なんて、キャラじゃないだろう?」
「そうね」
「だから、前までのオレには言えなかった言葉を、……ずっとお前に伝えたいと思ってたんだ」
「なに?」
もう言葉は選ばない。
「……すぐに迎えに行く。すぐにお前を迎えに行ける男になって、また会いに行くから……さ……」
視界に、ノイズが入る。
景色が虚ろに歪み、音も上手く聞き取れない。
オレ自身が発した声すら、まともな言葉になっているかわからない。
まるで、眠りにつく直前のように……意識が肉体を切り離そうとしているみたいだ。
「……だから……」
言葉が不確かなら、せめて別れの顔は
笑って終わりたい。
「……紅茶でも飲んで、優雅に待っててくれよ♪」
「……」
「もう、あまり待たせない……からさ」
《アバター名『ノワール』の回線切断を確認しました。このまま再度ログインが確認されない場合、自動的にWDLの電源が切られます。カウント……20、……19》
「……えぇ、……待っているわ」
《……18……17》
「おやすみなさい。……私の、『ノワール』」
◇◇◇




