四話のつづき1
『……マスター、そのお姿でお戻りになるのですか?』
「…………ふむ」
今のアカウントでは……やっぱりイベントを勝ち進むのは骨が折れそうな気がする。
多少レベルが上がったとはいえ、たかが50程度である。
ソレに、今や……偽者が大量にばっこするような環境だ。
木を隠す森があるというのなら、今さらサブアカウントに拘る理由はない。
「……そうだな。スタートダッシュでしくじるわけにもいかないし……」
……本当に?
本当にそれだけが理由か?
たぶん、きっと違う。
こんなみすぼらしい姿で、アイツに会いに行くなんてありえない。
オレはメニューウィンドウから……『アカウント管理』を選択する。
また、あの姿で……この世界に降り立つ為に……。
◇◇◇
ゴゥーン……
ゴゥーン……
正午を告げる、城の鐘の音が浮遊島『グランティニヘリア』全土に響き渡る。
イベントが、始まる。
いつも通りならば、各プレイヤーの元にPV映像が送られ、クエスト嬢が新たな期間限定ステージを解放してくれる。
コレが、レイドや攻略イベント。
もしデュエルイベントや、トーナメントイベントならば、転移門前広場にソレに対応したギミックが出現する。
イベントオープニングといっても、所詮はその程度なのだ。
数分程度のPV映像を見た後はすぐにクエスト攻略。
限定アイテムや武器には期待値が上がるものの、やることは大抵変わらない。
今回はレイドイベントなので、いつも通り配布される映像を見たら……そのままイベントクエストを発注。
そう、何も変わらないのだ。
それが……
『いつも通り』のイベントだったならば……――。
少なくとも、この3年……
――『空に亀裂が入ったことはない』
「……な、なに……アレ?」
何処からともなくこぼれた言葉。
まさに、それだ。
この『グランティニヘリア』に集まっていたすべてのユーザーが、全員そう心に浮かべたであろう。
なにせ……
「……嘘、でしょう……?」
古参筆頭ともいえる英雄プレイヤーすら、初めて体験する事象なのだ。
イベントの演出と予めわかっていたとしても……、背中を流れる嫌な汗が止まらなくなるくらいの悪寒が駆け抜ける。
プレッシャーとも、威圧感ともいえる、そんな文字通りヤバそうなものが……あの黒い亀裂からコチラを覗いているような気すらするのだ。
ゲーム世界だというのに……命の危機に直結するような……。それほどのものが。
島の北側に現れた、なにもない中空をを引き裂く大きな亀裂。
ソレは圧倒的な存在感を放ち、まるでプレイヤー達を地獄へと招こうとするよう。
街に配置されていたNPCたちは、絶望に染まる顔で逃げ惑い、プレイヤー達すら……一歩後ずさってしまう。
『……さて、レディース&ジェントルマン。このゲームをかねてよりプレイしてくださっている紳士淑女のみなさま。ごきげんよう』
突然、この世界全体に反響する……男性の声。
これも前例をみない出来事だ。
『ボクはこのゲームの制作者であり、……この世界で唯一の、運営者だ。……いや、その表現は間違っているね。このゲーム……『Re:GAME〈ゲート〉』はすでに完成している。だから、ボクは運営などしていない。……あぁ、そうだ。『観測者』、というのが一番的を射ているかもしれないね。まぁ、気軽に『ゲームマスター』とでも呼んでくれたまえ……。……ボクはこのゲームの裏側から、ずっと君達を見ている』
『観測者』をかたる男の声が、世界にこだまする。
『それでは、今回のイベントの説明は……ボクの口からさせていただくとしよう。まずは簡潔に……このイベントクエストにおける最終達成目標から』
声が言い終えると同時、世界が……揺れた。
比喩抜きに、世界が震えたのだ。
地震とかそういう自然現象ではなく、……まるで、これから起きる『災禍』に『世界が怯えている』ように……。
「……おい、まさか……アレなのか」
『暗視』スキルと視力強化を重ねがけしていた、名も知らぬどこかの『狙撃者』が……震える指で、黒い亀裂を指す。
『ナニか』が、いたのだ。
いち早く目にしてしまったからこそ、そのプレイヤーは即座に走り出した。
亀裂とは逆方向、どこへでも一瞬で移動出来る『転移門』へ向かって。
……ソレがダメだった。
『獣』とは、本能に忠実であり……ネコがネズミを追いかけるように、反射的に『逃げる者から追う』習性をそなえているのだ。
それが、肉食獣ならばなおのこと……
――……一瞬である。
「…………」
その『狙撃者』プレイヤーは、一瞬でヒットポイントを0にされ……白い粒子となり消えた。
残り体力も、耐久値も、防御力も関係なく……一瞬でHP0。死にゲーも真っ青な、初見殺しの即死である。
南端の聖教会にて復活はするものの、蘇生はこのオープニングが終わった後に行われる。
……『Re:GAME〈ゲート〉』始まって以来の『負けイベント』。
ソレは後に、『絶望の代名詞』として語られる事となる。
『……ゥウオォォオオオオオォンッ!!!』
咆哮にも似た圧倒的な威圧感を孕む雄叫びをあげ、『ソレ』はソコにいた。
広場のど真ん中。……先程まで、『狙撃者』プレイヤーが立っていた場所に……全長10メートルを超える巨躯をもって佇む――一匹の魔狼。
「……『フェンリル・ガレフ』! 神獣級モンスターがなんでココにっ!?」
蒼銀の氷狼――『フェンリル・ガレフ』。
平均レベル1200であるステージ『氷獄【ネヴュロス】』でのみ戦うことの出来る『神話級』モンスター。
滑らかな蒼銀の体毛に覆われた本体は【魔法完全無効】と高度な斬撃耐性を秘め、背、前足、尾、首、アギトに纏う鋭利な氷柱は……岩石系モンスターすら比較にならぬほどの硬度を誇っている。
猛々しい牙や爪は、まさに必殺の凶器である。
攻守ともに、最強レベルのボスモンスターである。
そんな『氷獄【ネヴュロス】』で唯一恵まれているのは……、『フェンリル・ガレフ』の発生率が極めて少ないことだろう。
絶対に存在するエリアボスとは違い、神獣級は数ヶ月に一度生まれるか生まれないかである。
その発生時でさえ、クエスト嬢から緊急クエストが発注され……早急に英雄ギルドから精鋭を招集し臨時の討伐隊が組まれるため、おおごとになることはなかった。
だがソレも……生まれたばかりの『幼体』であるからでこそだ。
プレイヤー達を塵でも見るような眼光で見下ろすその巨躯は、大型犬程度の『幼体』とは比較にすらならない。
「確実に『成体』クラスだよな……アレ」
「昔、戦ったやつより大きいですよね〜……、ボクのメガネがおかしくないなら、ですが」
「安心しなさい。そのメガネ……たぶん正常よ?」
「……安心できない答えなんですが……」
「でっ……っけぇー!! 前のヤツがクマくらいで……レベル1570だったっけ? 比較になんね〜♪」
「「アリス、笑い事じゃないから……」」
「推定レベルは、2500前後ってところか……。見た目通りの成長度合いなら……だがな」
「「ユーリさん、冷静な分析しないでくれないかな!? 心折れちゃうからさっ!」」
「ランカさん、バレッドさん。お二人とも少し落ち着いてください。まだ、コレが戦闘イベントと決定したわけじゃありませんし」
「リィリアの言う通りだよ♪」
「『成体』が存在してる時点で既に大問題なのよ!」
「今やるか、のちにやるかの違いでしかないんだろ!? 既に苦労する未来が確定してんのに悠長にお話してる場合かよっ!」
そう。
このゲームで唯一……『成体』と化した『フェンリル・ガレフ』を倒した経験があるのもまた、伝説ギルド『零雪の箱庭』の……8人だけなのだ。
その時よりも圧倒的な成長を遂げたバケモノを見て、ランカもバレッドも……冷静でいられるはずがない。
むしろ2人から言わせれば、悠長にしているこの4人……ユーリ、ロイ、アリス、リィリアの方がどうかしている。
だが……、4人の反応も仕方ないのだ……。
『焦る』という行為は、『焦ればまだなんとかなるかもしれない』なんていう希望論からくる悪足掻きである。
『フェンリル・ガレフ』一匹だけならば……言い方は悪いが、やり合えない事もないのだ。
攻撃パターンが前に戦った『成体』や、普段から戦っている『幼体』と似た動きならば……やりようはいくらでもある。
そう、『だけ』ならば……である。
『フェンリル・ガレフ』は……絶望の皮切りでしかない。
「…………うそ、だろ……」
黒い亀裂が動きを見せた。
暗黒の先から、モンスター達が出てきたのだ。
『林獄【グランシュトロム】』の神獣、全身を岩石や希少鉱石などで構築した、体長100メートルをゆうに超える深緑の巨像……『ガルガンティア』。推定レベル2300。
『炎獄【ハルヴェニク】』の神獣、真っ白な焔を纏った神速の炎皇鳥……『ネフティス・ノヴァ』。体長は3メートルにも満たぬながらも、自然と漏れ出るエネルギーは他の追随を許さぬ程。推定レベル2300。
『雷獄【ヴィン・キュルス】』の神獣、発光するたてがみを揺らし……その身に白雷と黒雷を纏う白亜の一角馬……『麒麟』。普通の馬よりも少し大きいという体躯ながら、その実……驚異的な機動力と、雷速や光速を超越したスピードを兼ね備えた『速さのバケモノ』である。推定レベル2500。
そして……
『ヴァルガレギオス』。
プレイヤー達が立つ浮遊島の上空から……まるで、値踏みをするように……、もしくは、『何かを探している』かのように見下ろす、漆黒のドラゴン。
唯一……このモンスターだけは、名前以外の情報がない。
つまり『英雄すらも初見のモンスター』なのである。
一目見た印象だけでも、明らかに他の神獣級と同格か……それ以上。
こんな戦力を前にして、『焦る』なんて余裕が芽生える筈もない。
『プレイヤー諸君、勘違いしてはいけないよ? 君達が真に倒すべき『心臓』は彼らではない。そんな無謀を強いるほど、コチラも無能ではない』
こんな、確定した負けイベントを『クリアする方法がある』と言う男の声。
それを証明するように、咆哮をあげた黒竜が浮遊島へと降り立つ。その両手で大切に抱えているモノは……大きな『鳥籠』。
その中には……1人の少女。
真っ白な髪、雪のような肌を包むのは、シミ一つない純白のドレス。存在すべてを白で彩ったような少女だったが、唯一……鈍く光る深紅の瞳のみが……物憂げに辺りを見渡す。
美しきその少女は、人形のような作り物じみた顔を……悲しげに歪ませた。
「…………」
言葉はない。
『さて、一目見ればわかるだらう? ……彼女こそが『心臓』だ。『彼女の討伐』こそが、このイベントの最終目標。実にシンプルなイベントだろう?』
こともなさげに告げる男の声とは裏腹に、プレイヤー達は……言葉を失っていた。
難度に異を唱えたとか、状況についていけていないとか……そんな複雑な理由ではない。
ただ単純に――
……その少女に、見惚れてしまっていた。
言葉も時間も忘れ、そのたった1人の少女に見入ってしまっていたのだ。
どのプレイヤーも前もって、少女の姿は目にしていた。二日前に送られてきたイベントPVを目にして、知ってはいた。
だが写真や映像と、実物は……全くの別物だったのである。
神々しく……無垢で繊細な……言葉にならぬ存在。
文字通り、ほとんどのプレイヤーが目を奪われていた。
それと同刻、違った理由で言葉を失った6人。
「……間違いない、ですよね」
「ホントタイミング最悪っていうか、……なんで今更出てきちゃうかな〜……」
「3年も遅刻だ」
「……本当よ。……アンタさえ、さっさと顔を出してれば……『アイツ』はっ!!」
「八つ当たりは見苦しいですよ……ランカさん。『あの方』を止められなかったのは、わたくし達の責任なのですから……」
「吹っ切ったフリなんてしてるが、3年経った今でも……やっぱ引きずるよな……」
全力で落ち込んでいた。