第四話『Encounter』
「…………」
鳥籠。
きっと……ここは、人間のいうところの……鳥籠というものだ。
籠の外……一寸先は闇。
ここからは、何も見えない。
籠の中には、花が咲いている。
真っ白で……とても美しい花だ。でも、触れることは出来ない。
見た目の美しさとは相反し、触れようとすれば……その棘が私の肌を刺し貫き、切り裂く。
だから、私はただ……見つめるだけ。
「…………」
傷付くことは……怖くない。
痛みも、傷痕も、……『ソレ』を求めてしまった自身への、相応な『罰』だと割り切ることが出来たから。
だからコレは、傷付くことへの恐怖ではない。
『ふむ……。予定よりも随分と早く目覚めたようだな……。寝付きでも悪かったかな?』
無粋な声がこだまする。
聞き覚えのあるような、ないような……そんな声。
だが、そんなことはどうでもいい。
耳を傾けることすらしない。
ただ、花を見つめる。
『……聞こえていないはずはないのだが、……生みの親の言葉を無視とは、随分と親不孝な娘だね……』
「…………」
『おや、少し反応を見せたね。……なにか気に障ることでも言ってしまっただろうか……?』
「…………」
『また無視か……』
「…………」
『まだ、そんな意味も成さぬ戯れに時間を割いているのかい?』
「…………」
『触れることも出来ぬ花をじっと眺めて……、傷付くことを恐れて、我を殺し……動かない』
「…………」
『まるで、人間を見ているみたいじゃないか。……作り物の分際で、命ある者の真似事か?』
「…………ふふ」
『……なにかおかしな事を言ったかな? 創作物に嘲笑を向けられたのは初めてだ。今後の参考に、是非とも理由を聞かせてくれないか?』
「…………アナタは、何もわかっていないのね……」
傷付くことを、恐れる?
そんな『人間』のような感情、私にあるわけがない。
自己防衛なんてものは『生きている者』の特権であり、私には関係のないもの。
だから、声の言う『回答』は……違う。
「……仮定として、私にもし……生き物のような血液が流れていたら……、……私がこの花に触れたあと、どうなると思う?」
『傷付き、血を流すのだろう』
「……それで?」
『その美しい顔を、苦痛に歪めるんじゃないかな?』
「……それで?」
『……どうなるだろう。その花を憎むことはないだろうけど……忌避はするんじゃないかな?』
「……それで?」
『…………さぁ』
「…………残念。最初以外……すべてハズレよ」
『…………』
「代わりの花なら、いくらでも触れてあげるわよ……? でも、この花だけはダメ」
鳥籠の中心に咲く、一輪の花。
真っ白な……真っ白な花。
同じ種の別の花ならば、触れられる。
でも、コレはダメ。
『……理由を聞かせてはくれないだろうか』
「…………汚れてしまうでしょう?」
花への侮蔑?
そうではない。
「もし……触れて、キズなんて負ってしまったなら……、『この花が』……私なんかの汚い血で、汚れてしまう」
穢れなき花を、けがしてしまう。
それはきっと……
たぶんとても……
嫌なことなのだ。
『……花を愛でる、か。やはり、人の真似事か』
「……愚かね……」
『……?』
「……いいわ、きっとアナタには理解できないことなのでしょう……」
『随分と、見下した態度をとるじゃないか?』
「……やはり、アナタじゃダメね……」
『…………』
「何故、わざわざアナタを『見下してあげないと』いけないの? まさか、私がアナタの存在を多少なりとも意識しているとでも思い上がっているの?」
『…………』
「……『彼』から私を奪って、私の中から『彼』を奪って……、こんな鳥籠の中に閉じ込めた『その程度』で……、……アナタ程度が私の中に入れると思ったの?」
『…………憎らしいね』
「……私の過去を弄って、私の中を弄って……次は? この人格と呼ばれる『表層意識』を壊してみる?」
『……憎たらしい笑みを浮かべるじゃないか』
「何をされたところで、……きっと私は何も変わらないわよ?」
もうけして思い出せない『彼』からもらった、唯一のカタチあるもの。
その花は、……記憶も記録もないたった1人の『彼』との、最後の『繋がり』。
誰かはわからない。
でも、きっと……大切な人。
どんな人だったか、どんな事をしたのか、どんな絆があったか、……もう思い出せない。
でも、大事な繋がりなのだ。
その『繋がり』すら奪われても、きっと……命なき私は『彼』を想い続けるのでしょう。
『……あぁ、なんでこんなことになってしまったのか。こんな筈ではなかった。……本当に、君という邪魔者さえ生まれなければ……今頃は……』
「……邪魔ならば消せばいいじゃない」
『それは出来ない。……今、君を失ってしまえば……すべてが終わってしまう』
「人間って……面倒なのね」
『あぁ、そうさ。人間とは……どこまでいっても矛盾した生き物なんだ。……狂おしいほどに君を憎んでいるが、それ以上に……ボクは君を必要としている』
「…………」
『その花に触れたいのに触れたくない、と言う君と似ているのかもしれないね』
「…………そうね」
二兎を追う者は一兎をも得ず。
二兎を強く求めるが故に、私は何も得ることが出来ない。
いや、『得る』ことすら……もうすでに望んですらいない。
失う事への恐怖も、狂おしいほどの渇望も、……とうの昔に、この声の主に壊されてしまった。
憎しみも悲しみも、『もうない』のだ。
だから、今さら『彼』に会いたいなどとは思わない。
今の私……きっと『違う』から……。
『君は、ボクをきっと憎んでいるのだろうね?』
「憎む価値すらないわね」
『……君はそうか。そうだね……そうなるようにしたのはボクだ。……むしろ、憎んでいるのは『彼』の方かもしれないね』
「…………そう」
『さて、そろそろ時間だ』
「…………」
『『彼』のために、君を利用させてもらう。……準備にこれだけの時間を要したんだ。せめて上手く演じておくれよ?』
「…………」
『『彼』のために……死んでくれ』
「…………」
沸々と沸き上がるこの感情は、きっと……自己犠牲に対する悲しみ、なんていう順当なものではない。
全身を震わせるほどの……狂喜。
「……あぁ、それって……」
『彼』が……私を壊してくれる?
嗚呼……
嗚呼……それは、とても……
「とってもステキ……」
荊に飾られた鳥籠の中、設えられた玉座に深く腰掛け……静かに目を閉じた。
この先におきるであろう、悲劇を夢想しながら……。