バベルの子・上
あるとき、あるところに、精力絶倫な男がおりました。
彼は年少の頃より周囲の人間から、業突く張りだの銭ゲバだのと呼ばれ蔑まれる男でありました。金のためならどんな汚いことにも進んで手を染め、また自分のためなら平気で他人を蹴落とす品性だったのです。
そうまでして金に執着するのは、ひとえに男が抱く野望の故でありましょう。
彼が常々から公言してはばからかなった野望とは、世界中の女をモノにしたいという、実に単純かつ至難の道でございました。
やがて資産運用の才を花開かせた男は、自分の思い通りにならないことは全て金の力でどうにでも出来るくらいにまで身を立てました。あと百年もすれば、彼の名前は卑しい金持ちの代名詞として辞書へ載るに違いありません。
この域に達していよいよ、彼は自らの悲願を叶えるべく動きます。
まずマンションを買いました。
中の上を自称する一般市民がかような言い方をすれば、やっとこさ一室を手に入れた程度のことでありましょう。しかし男は、一棟二棟まるごとの大規模なのです。
次に女を買いました。
これもまた、愛人に貢いで繋ぎとめるだの、お気に入りの娼婦を呼び込むだの、常人が想像し実行し得るレベルの話ではございません。
例えば子供の遊び場に不発弾が埋まっている国から戦災孤児を、例えば寂れた農村から口減らしの的になった娘を、手段の合法と非合法とを問わず買い漁ったのです。ちなみに、世界中から戸籍の無い未成年を身請けしたため、かかっている表札は全てが同じ苗字であります。
結果、男のもとには多種多様な少女が集まりました。毛の色、眼の色、肌の色……まこと彼のマンションは、敢えて品の無い言い方をしてでも端的に表すならば、人種のコレクションケースでございます。
さらに少女達へ充分な衣食、及び教育も与えました。
あばらの浮いていた身体には血色の良い肉が付き、肌に刻まれていた傷は温もりある絹で隠され、虚ろだった瞳には輝きが戻ります。読み書きを覚え、将来の夢を見出し、大学や専門学校へ進んだ者も少なくありませんでした。
ここで誤解無きよう申し上げておきますが、これは男の善性を説く件ではございません。闇深い取引で財を成した彼を今更、善悪の物差しで計っても詮無きことでありましょう。
ただ、事実を事実として述べるのみでございます。
百人、二百人と増えました。
それにつけて十人、二十人と手に職を付けていきました。
そして男の趣味で始めたハーレムが一種のコミュニティへと変質し始めた頃合いで、一人の特異な少女が入居してきたのです。
彼女は目が見えませんでした。
産まれつきなのか、それとも何か薬で焼かれたのか。目蓋が閉じたまま張り付いており、開くことが出来ないのです。
彼女は何者か分かりませんでした。
とある人買い組織が店じまいをするにあたって売れ残りを慌てて叩き売ったため、そのどさくさで国籍も人種も不明なのです。
顔立ちはアジア系で彫りの浅い丸顔なのですが、表情の動きは乏しくて考えが読み取れません。肌は手入れもされていないのに滑らかで、白く染み一つ付いておりません。
また髪は黒とも青とも見える艶があり、角度によっては緑にも映ります。便宜的に青髪と呼ぶことに致しましょう。
彼女は会話が出来ませんでした。
しかし、口が利けないわけではありません。さりとて、未知の言語を用いているわけでもございません。これについては長々と説明するよりも、実際に彼女が男のもとへ来たときのやり取りをお聴きになるほうが早かろうと存じます。
男が名前を訊ねると、青髪の少女は答えました。
「油虫は、濡れ煎餅になって羽ばたきますか?」
故郷はどこかと聞くと、青髪の少女は答えました。
「なぜならば、ウドの大木が蜂蜜に求婚したとき、月明かりは淋しく食べられるからです」
何か欲しいものはあるかと伺うと、青髪の少女は答えました。
「ねじれた茶釜を見ましたか? それとも、逆立ちして抱き寄せましたか?」
この有様です。引き取られたばかりの少女は殆どが言葉が通じないため、男としてもまともな返事が来るとは期待しておりませんでした。
とはいえ、これはあまりにも予想外でございましょう。
青髪の少女の口から出る言葉たるや実に明朗。その上で発声、文節、抑揚、母音……どれをとっても、男の出生国で使われているものと全く同じでありました。
それが余計に男を悩ませます。単に扱う言語が異なるだけならば、精巧な翻訳機を用いるなり優秀な教職員を呼ぶなり、いくらでも方法がございます。ところが言葉が通じるのに話が通じないのですから、一筋縄では参りません。
男は囲っている女達の中でも特に、青髪の少女を気にかけるようになりました。女を集めることに少し飽き、年を経て昔ほどの情欲が無くなりかけていた男は、彼女の謎にのめり込んでいったのです。
されどこの少女、調べれば調べるほど不可思議でありました。
彼女は他人の言葉は理解しておるらしく、教えたことはよく覚えます。発言を必要としない動き――どこそこへ行って、なにがしを持って来い――などはその通りに出来ますし、同じマンションに住むどの女の母国語でも聞き話すことが可能でした。
つまり青髪の少女は、世界中のあらゆる言語を扱えるのです。しかしその内容はというとやはり、
「飛魚が過ぎれば蜜柑は跳ねて行きます」
「茄子と中国は、どちらが化粧品ですか?」
などなど、意訳をすれば全くの支離滅裂でございました。
事物と単語が対応していないのも、より解明を困難にさせておりました。
例えば冷蔵庫から一本の人参を取り手渡し、これは何かと訊ねて「なめくじ」と答えられたと致しましょう。そして三十分も間を置き、同じ人参を触らせて、これは何かと問えば「傘張り浪人」と返ってくる始末。
さながら言葉の万華鏡でございます。
さては視覚が失われていることが言語出力の妨げになっているのではないかと、偉い医者と言語学者らは考えました。そこで男は、青髪の少女の目を開く手術に踏み切ります。
術後の経過は良好で、一週間もせぬうちに包帯が取れました。そして開いた目蓋の下にあるものを見て、医者は息を呑みました。
彼女の眼球は白目に当たる部分が無く、まるで大きな葡萄やブルーベリーの果実が眼窩に埋まってでもいるかのようです。
「この少女は何者なのですか。本当に人間なのですか」
医者や学者は恐れおののきましたが、男は動じません。それどころか、医者達に食ってかかりました――そんなことは今はどうでもいい、この子は見えるようになったのかどうかと。
結果としては、残念ながら青髪の少女に光は戻りませんでした。
目が開いても機能しなかったのです。
落胆した男は、せめてものおまじないにと、彼女によく似合う銀縁の眼鏡をプレゼント致しました。実用性の無い飾りですが、彼女は毎日その眼鏡をかけておりました。しかし、それを本当に気に入っているのか、それとも自分を養ってくれる男からの贈り物だから仕方なく身に着けているのか、言葉も感情も掴めないので分かりません。
すると、男は余計に肩を落としました。
そうです。青髪の少女について四六時中思い悩むうち、いつしか男は彼女に対し、コレクションの一つとは一線を画した感情を抱くようになっていたのでございます。




