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良い子と悪い大人のための平成夜伽話  作者: 橘圭郎
第一部 《魂萌え雀》
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鋼の乙女・中


 かくして鋼の乙女は、毒の大気を清浄化するための第一歩として、宇宙船に積まれていた特別な種を撒くという指示を受けました。

 ただし葉によって毒気を吸う植物でさえも、汚染された土壌ではまず芽吹くことさえ叶いません。そこで彼女は自らの腕に傷を付け、そこから流れる赤い液体――液化した賢者の石――をもって土と水とを清めてゆきました。


 はて、先ほどから出てくる専門用語に分からぬものがあると?

 申し訳ございません。しかし詳しく語れば時間が足りないのもまた事実。ひとまず「賢者の石」は常識や一般的な物理法則を超えた力を持つ不思議な物質、「アタノール機関」は賢者の石を精製する特殊な装置だと考えてくだされば結構でございます。

 ここで重要なのは、最高精度のアタノール機関は彼女の腹部に搭載された一基しか未だ存在せず、また男が亡くなった今や複製も再生産も不可能だという点でありましょう。


 赤い液体を流し、ハウスを作って木を育て、大きくなったら開放。赤い液体を流し、またハウスを作って木を育て、大きくなったらまた開放。地道としか言い様のない作業を、幾遍(いくへん)も幾遍も繰り返しました。毒気が薄れた地域を囲い、池や沼には藻を植え、岩と山には苔をむしました。草花を慈しみ、虫の卵を孵して放ちました。

 年月が進むごとに、砂塵も大分しずまってゆきました。


 乙女の進めている作業は、本来この星にあるはずだった生態系を壊しているとも言えましょう。現に、毒の大気の下でも(たくま)しく生きていた異形の小動物達は徐々に少なくなっておりました。

 彼女もそれに気付かないほど愚かではありません。

 だけれどもそんな、お優しい通念など知ったことではないのです。彼女の目的は、与えられた任務を果たして地球に帰ることだけなのですから。




 ところが三十年ほど経った頃でありましょうか。突然、通信報告を送っても返事が来なくなったのです。また、定期的に送られるはずの作業用機械人も遅れ気味になりました。

 やがて地球からの配給は完全に無くなり、機械人達も減少の一途を辿るようになったのです。


「地球では、一体何が起こっているのでしょう」


 もしかして、自分達は見捨てられたのか。地球では人口問題が解決して、惑星移住計画は凍結されてしまったのか。そんな悪い演算結果ばかりが頭をよぎります。


「何にせよ、このままではいけません。私一人になるのだけは避けなければ」


 とにもかくにも、労働力の確保は急務でした。そこで彼女は比較的新しい機械人を選んで改造を施すことにしました。

 自分達の耐久年数が残り半分以下になったとき、自らを構成するパーツを外部に複製して組み上げるようにプログラムし直しました。つまるところ、機械人に単為繁殖能力を与えたのです。

 乙女の企みは成功しました。毒気が弱まったことで耐久年数も上がった機械人は、次第に自ら安定して数を増やしていきました。

 おかげで一時期は(とどこお)っていた計画も再び軌道に乗り、百年目にしてようやくこの星から毒を消し去ったのでございました。


 それでも、地球からは何の音沙汰もありません。


「どうして何も送ってこないのですか。私はあなた達の言う通りにしました。この星を、ちゃんと地球人の住める星に直しました。ほら、見えますか。桜の花が、あんなに綺麗でしょう? ほら、聞こえますか。小鳥のさえずりが、あんなに美しいでしょう? だから……もう、いいでしょう? 迎えに来てください。早く、お屋敷に帰らせてください……。私、私……頑張りましたよね……?」


 鋼の乙女がどれだけ通信機に訴えかけたとて、なしのつぶてでございます。


 彼女は待ちました。希望を持ちながら、便りを待ちました。

 一年、十年、そして百年……待ち続けました。

 ですが日が昇り、また沈む度にわずかずつ、その期待は薄れてゆきました。

 乙女の望みと反比例するように、機械人は着々と殖えていきました。やがて彼らは街を起こし、それぞれに職業を分けて暮らし始めました。これといった命令が無いと何をしてよいのか分からず、人間の真似をすることしか思いつかなかったのです。

 機械人達は鋼の乙女を造物主と崇めて信仰しましたが、彼女にとってはどうでもよいことなので、爪の先ほども頓着(とんちゃく)致しませんでした。




 千年が経ちました。百年を十回も繰り返したのです。すでに待つことを諦めた乙女は、地に満ち殖えた機械人を眺めて、ふと思い立ちました。


「……これだけの人手があれば、宇宙船だって新しく作れるかもしれませんね。この星に来た船は片道用だけれど、調べれば基礎的な部分は分かるはず。そうすれば……きっと出来ます。帰れます!」


 途端、彼女は自分の躯体が熱くなるのを感じました。

 そうと決めれば早いものです。鋼の乙女はこの星の新世界を造り上げた女神であり、唯一の存在なのですから、全ての機械人を手足として動かせるのでありました。

 ところが、ところがです。物事は順調にはゆきませんでした。いえ、途中までこそ進んではおったのですが、あるときを(さかい)にすべてが狂ってしまったのです。


「女神様。あなたはどうして、宇宙船を作ろうとお思いになったのですか?」


 本来ならば盲目的に乙女に従うはずの機械人。何故かそのうちの一体が、彼女に近づき訊ねてきたのです。


「私には、私を造った人との大事な約束があります。それを守るために、遠い星へと帰らなければならないのです」


 対して彼女は、正直に自分の思うところを語りました。するとその機械人は、途端に熱を帯び、彼女を責め立てるように迫ったのであります。


「女神様。あなたが遠い星へと帰ったならば、この星はどうなるのですか。私たちはどうなるのですか」

「別にどうにもならないでしょう。あなたたち機械人は既に、都度に私が命令を下さなくても立派に殖えているではないですか」

「そういう問題ではありません。あなたは、私たちの女神様なのですよ。どうして私たちを見捨てて姿を消そうだなんて、それを私たちに手伝わせようだなんて、残酷なことができるのですか。今まで私たちを導いてくださったのは、あなたですのに」

「今まで? いいえ。この星での私の役目は、もう九百年も前に終わっています。私にはこの星に留まる義務はありませんが、あの星に帰る権利ならあるのです」

「しかし、あなたは私たちの女神様だ。自分勝手にこの星を離れるだなんて、そんなことをしてよいはずがない。あなたは、あなただけのものではないのです」


 かくして議論は平行線。しかもこの(くだり)はただの口論には収まりませんでした。なんと例の機械人は賛同者をつのり、宇宙船建造計画を潰すべく、破壊工作に及んだのであります。

 もちろん乙女にしてみれば、それは反逆行為でしかありません。ですから彼女は反逆者を討伐するように言いました。

 するとこの命令が引金となり、機械人同士で泥沼の戦争が始まったのです。それはもう、泥沼も泥沼でございました。

 初めは乙女の意思に従う尊重派が優勢で、彼女を機械人の女神という枠に閉じ込めんとする反対派を、容易に駆逐していきました。しかし反対派が全滅すると、生き残った尊重派のなかから再び反対派の考えをもつ者が現れ、また殖えていきました。

 そして反対派が逆転勝利を収め、尊重派を全滅させると、今度は勝ち残った反対派のなかから尊重派の考えをもつ者が現れて、乙女に忠実であろうとする勢力がまた立ち上がるのです。

 こうして両派の戦争は、終わっても終わってもすぐに始まりました。八割がた完成していた宇宙船が無残に壊れても反対派の勢いは止まず、さりとて乙女が意気消沈しても尊重派の主張は揺るがず、いつしか乙女の手に余る事態にまで陥りながらも、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し……。


「なんということ。私がこれまでにしてきたことには何の意味も無かったのでしょうか。それとも、私がもっと上手に進めていれば、こんな結果にはならなかったのでしょうか」


 いくら乙女が(かえり)みようとも詮無きことでした。

 そしてついには、たった二人にまで減った機械人が尊重派と反対派に別れ、乙女の静止も聞かずに相打ったのでございます。




 一万年が過ぎました。百年を百回も繰り返したのです。もはや考えることを辞めた乙女は、ただただ無為に存在しておりました。

 千年の孤独と万年の忘却に落ちた彼女の日課と言えば、例えば雲の模様がアレに似ているとか、木のうろが人の顔に見えるとか、さようなことを探し練り歩くことくらいでした。日がな一日、雪解けの岩清水に耳立ていたこともあれば、黄色い海に潜り長虫を掴んでは離し掴んでは離し遊んでいたこともございます。

 そんな彼女が海底を所在なく歩いているとき、つま先に当たった石を拾い上げたのも、そこに走っている線描に意味を見出そうとしたのも、本人としてはまったく気まぐれのつもりであったでしょう。

 石版には辛うじて、文字が書かれているように見えました。


『お屋 を守る

 必ず帰

  の人が っている』


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