鋼の乙女・上
あるとき、あるところに、精力絶倫な男がおりました。
彼は人並みの家に生まれ、人並みに褒められたり叱られたりして育ちました。人並みの恋も何度か経験しましたが、いつも胸の内では空虚さを感じておりました。
男は人並み外れて志高く、妥協を許さぬ気概の持ち主であったのです。
曰く、椅子に座るときの仕草が気に食わない。
曰く、ごはんの食べ方が気に食わない。
曰く、言葉遣いが気に食わない。
曰く、笑い方が気に食わない。
女性と付き合えば付き合うほど、相手の悪い部分ばかり目に付きました。
そこで男は思い至りました。理想の女がどこにもいないのであれば、自分で作れば良いのだと。どこまでも従順で、いつまでも若くあり続ける永遠の乙女を、自らの手で組み上げるのだと。
そんな狂気じみた理念の極致を、まこと真剣に掴み取ろうとしたのでございます。
一度目標を決めた男の集中力たるや、傍から見れば鬼気迫るものがありました。
最先端の機械工学に物理学、生物学に脳科学、果ては中世錬金術から古代神学まで、ありとあらゆる学問に通じて十年。科学とオカルトを融合統一させた独自の理論で学会に衝撃を与え、企業からの支援契約を取り付けて二十年。理想的な躯体と完璧な人工知能の製造に着手して三十年。
そうして男の一徹した志は遂に、鋼の乙女を造りだすことに成功したのです。
すらりと伸びた四肢に、整っていながらも感情豊かな容貌。服を着ておれば人間と見分けが付きません。さらに機械でありながら、美と芸術を愛する感性も具えておりました。
余談ではありますが、母乳を出せない鋼の乙女にも、その胸部にはたわわな双丘が備わっております。これが男の趣味であることは否めませんが、実用的な意味もございました。柔らかな胸の内には帯電ジェルと呼ばれる物質が詰まっておりまして、これは何がしかの理由で腹部アタノール機関が深く損傷した場合に、予備電源として使えるのです。Bカップほどでも約72時間、鋼の乙女に搭載されたFカップともなれば、最高で約400時間もの連続稼働が出来る代物でありました。
これぞまさしく「きょういの持続力」でございます。
お耳汚しを失礼致しました。それはさておき、男は念願叶って理想の乙女との生活を手に入れましたが、それも永遠ではありませんでした。たとえ医学やサイバネティック工学が発達しようとも、人間として産まれたからにはおよそ百二十年という限界寿命があるのです。
対して鋼の乙女に与えられた耐久年数は、地球の時間で数えて、少なく見積もっても二万年以上はありました。
有限の生命を持った男。
無限の生命を持った乙女。
はてさて、独り残されたる乙女の歩んだ軌跡とは如何なものであったでしょう。
男は息を引き取る間際に、彼女へ遺言を残しました。
――この家を守っていてくれ。いつか自分は生まれ変わって、またお前と出会うから。
その約束に従い乙女は、広い屋敷の保全を務めて幾十年も隠遁暮らしを送っておりました。そこへある日、黒服の集団が訪れたのです。
「あなたの身柄を引き取りに上がりました」
黒服らは言いました。
「嫌です。どうして私の居場所が奪われなければいけないのですか」
突然の要求を、乙女は当然拒みました。
「人類を救うためなのです。ご理解ください」
折しもこの頃は、ますますもって地球人口の爆発的な増加が問題視されていた時代。
黒服らの言によりますと、このままの調子でゆけば食料生産やエネルギー循環が追いつかず、地球では全ての人命を支えることが出来なくなるのだそうです。そこで人間達が下した結論とは、この地球が限界を迎えるよりも先に、移住に堪え得る惑星を外に見つけることでした。すでに計画は進んでおり、目星も付いておるのだと。
あとは現地を地球人が住みやすい環境に作り変える、露払い役さえいれば良いとのことでした。
「だけど何故、それが私なのですか」
「技術だけでは、あなたほど性能の高い機械人を作れないのです。我々の心を束にしても、彼があなたに込めた魂には足元にも及ばないでしょう。あなたしか任務を全う出来る者がいないのです」
「それでもお断りします。私はあの人と、このお屋敷を守ると約束したのですから」
「その件はこちらにお任せください。家の修繕と管理は我々にも出来ますが、人類を救えるのはあなただけなのです。第一、このまま人類が滅んでしまえば、家だけ残っていても仕方が無いでしょう」
「それは問題のすり替えです。あの人が残した命令を上書きする論拠にはなり得ません」
「しかしその彼が言ったのですよ。自分が死んだら、あなたのことは我々の好きにして良いと」
「それは……嘘です」
鋼の心にも動揺が走りました。
「はい、嘘ですよ」
すると一瞬の不覚を突かれ、乙女は黒服達に取り押さえられてしまいました。
そして抵抗も虚しく、彼女は電圧銃で気を失わされたのでございます。
次に乙女が目を覚ましたとき、そこは雲の上を遥かに超えた、星の海を渡る船の中でありました。
混乱する彼女に、無機質な通信が届きます。
『そのシャトルは目的の星まで自動的に航行します。我々は任務の完遂を期待しています。もし逆らったり放棄したりすれば、あなたの大事な屋敷は取り壊させて頂きます。任務の詳細は、現地に到着し次第こちらから伝えます。繰り返します。そのシャトルは……』
乙女は深く悲しみました。彼女に逃げ場はございません。不本意ながらも命令に従うことだけが、男との約束を守る唯一の道となったのであります。
降り立った先には黄色い海がありました。赤い大地の上には崩れた石と鉄の街並みが広がっており、この星にも知的生命体――ときには宇宙人と呼ばれるもの――がいたことを窺わせました。恒星との距離も程よく、昼夜の気温差こそ地球よりも大きいのですが、地球人が我慢できないほどではございません。
問題は大気でした。
植物を枯らし、金属さえも腐らせる毒気が充満しております。しかもその毒は土と水にも深く溶け込んでいるのです。また吹きすさぶ風はガラス質の細かい砂を巻き上げて、カメラレンズや吸気口を傷付けます。たしかにこれは、並みの機械人では一年と保たないでしょう。男が精魂込めて創った鋼の乙女でなければ、正常に生き抜くことは困難でありました。
『五十年以内を目標に、大気を浄化するのがあなたの任務です。もちろんあなた一体では手が回らないでしょうから、使い捨ての機械人を随時そちらに送ります』
星の現状を報告すると、地球からはこのような返信がありました。街の残骸だけがあって、生きている宇宙人やその死体がどこにも見付からないのは、この毒気が原因かもしれません。
彼女は作業へ移る前に、まず適当な石を切り抜いて板を作りました。そしてそこに文字を刻みました。
彼女の頭であれば、一度記憶したことは決して失われませんので、メモを取る行為は本来無意味です。しかし彼女はせめて、外部に出力することで本懐を忘れまいとする、人間の仕方を真似したかったのでございます。
石版にはたった三行だけが刻まれました。
『お屋敷を守る
必ず帰る
あの人が待っている』




