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良い子と悪い大人のための平成夜伽話  作者: 橘圭郎
第二部《雲呑み兎》
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おまけ2 もうひとつの「★ 幽霊問答」

この「おまけ」はあくまで補足であり、蛇足であります。

読んでもいいですし、読まなくてもいいです。


「★ 幽霊問答」は、なろう版投稿にあたって丸ごと新たに差し替えており、この「おまけ2」は元サイト新都社版に準じた内容です。ここで登場した幽霊が第二部最終話にまた出てきて魔女と会話し、魔女と美琴の関係性を看破したりしていました。


なろう版と新都社版を比較すると、美琴が生まれてから経過した時間や、魔女と赤鬼が手を組む経緯などに大きな差異があります。

ですが、どちらであっても大きな物語のなかでは同じことです。今作においては、どのような過去を辿ろうとも、等しく滅びの未来へ繋がってしまうのですから。


 あるとき、あるところに、一人の男がおりました。

 年は少なく、名を母木宗助と申します。


 突然ですが彼は、自殺未遂を致しました。まだ本格的な性への目覚めすら経験しておらぬ子供が、とある団地の屋上から飛び降りたのです。

 理由は特にございません。宗助は学校で手酷いイジメを受けていたとか、家庭に不和が続いていたとか、そういった精神を追い詰めるような物事とは無関係でした。また日頃から自殺願望をほのめかすことは無く、何の前触れもありません。さしたる原因は明らかならず、本人に問うても返ってくる答えは「なんとなく」の一点張りでございました。

 しかし何より恐るべきはその当時、彼のような子供が珍しくもなかったことでありましょう。


 とかく一命を取り留めた宗助は、目を覚まして自分が病院にいることを知りました。そして包帯を巻かれた頭がズキズキと痛むのを感じて、自分が死に損なったことに気付きました。これといって特に感慨はございません。宙を泳ぐ半透明の長虫やら羽虫やら床を這う(たこ)の群れやらを見ても、全く驚くことをしませんでした。

 宗助の目には医者の足が蛞蝓(なめくじ)の上を滑っているように、また海星(ひとで)の引っくり返ったようなものが母親の顔にへばり付いているように映ったりしましたが、そんな光景をおかしく思う感覚までもが欠けてしまっていたのです。もちろん、それらが自分だけに見えているのだと自覚もしておりません。

 やがてその感覚異常は周りの知れるところとなり、宗助は頭の怪我が治ってもなお、入院を余儀なくされたのです。



 喜びも悲しみも無く、ただただ無為に過ごす日々。さすがの宗助にも「飽き」の感情が戻りつつあった頃合に、出逢いは訪れました。

 真昼時にぼんやり宗助が眺める窓ガラス――敢えて細かく申し上げますと、彼が見ていたのは外の景色ではございません。透明な窓ガラスそのものです――の向こうから身を漂わせ、ぬいっとすり抜けてきたものがあったのです。理科学者のシンボルとしての白衣に袖を通して、長い紺色スカートを履いた、それはそれは大層りりしい目鼻立ちの女性であります。

 彼女は病室に入って首をきょろきょろ動かし、宗助の視線が自分の動きを追っているのだと気付くや、ぱぁっと顔を綻ばせました。

 これより先の話は、彼女に任せることに致しましょう。それと申しますのも彼女は実に雄弁多弁。その知り得たことを語るにおいては、余計な口は挟まぬほうが早く、また正確だろうと存じます故。


   *


 やぁやぁ、きみ! きみだよ、そこの少年。ひょっとして私のことが見えているのじゃないかね? いやいや、隠さずともよい。目は口ほどに何とやら。ということはさて、声も聞こえているだろう? 

 実はだね、きみのような人間を探しておったのだよ。まったく、この時代は坊主も神主も名ばかりで困る。見えぬくせに、魂の何を説くことがあるのかと逆に説教してやりたいくらいさ。そうは思わんかね?

 そうか、思わないのか。共感を得られないとは残念だ。

 それより私が誰かって? 見て分からないかね。ご覧の通り、名も無き幽霊だよ。そしてどこから来たかと問われたなれば、未来より参ったと言う他あるまい。

 ふむ、きょとんとしておるな。まあ確かに、にわかには信じ難かろう。だからと言って、証明も難しいのだな。なにせ私はおよそ八十年後の先からここへ来たものだから、きみがすぐに知るべきことを教えてみせることは出来ないのだよ。日単位で細かい出来事を憶えているでもないしね。大体、未来と言っても何から何まで同じとは限らぬ。

 とは言え、私がどうやって時間を遡ってきたのかというメカニズムを説明することは充分に可能だ。聞きたいかね? 聞きたいだろう? なに……別にどうでもいい? いかんなあ、少年。少年、いかんよ。きみくらいの年の子から好奇心を除いたら何も残らんぜ。

 とりもあえず、聞くだけは聞きたまえ。どんなものであろうとも、他人から伝えられる知識に無駄なものは無いのだからね。


 さてしかし、どこから語るべきか。勢いだけに任せても何だな。まずは幽霊とは何か、ということを教えなければなるまい。それというのもおそらく史上初の時間遡上を成功させた要因は、私が幽霊である、という唯一つの充分条件にあるからだ。

 言っている意味が分からない? なぁに今は理解出来ずとも、頭に残しておけばよい。いずれ思い起こして呑み下せるようになるさ。いいかね? きみがこの先、どんな人生を歩むか私には知る由も無い。だが私の話の役立つときが必ず来る。断言しよう。これは未来人としての忠告ではなく、大人としての訓示だよ。

 それで、どこまで話したかな?

 ……うむ、まだ何も話していないな。ではさっさと進めようか。

 一つ端的に言おう。幽霊は生きている。

 おや、驚いているね。なるほど常識を覆されるというのは冷静ではいられまい。しかしよくよく考えてもごらん。私はこうして喋っているし、動いてもいる。この世にちゃんと存在しているよ。栄養源は主に他生物の思念カスだが、これは別にあっても無くてもいい。何もしなくても死なないのが幽霊の特徴の一つさ。

 いいかね。死んだ人間が幽霊になるなんて嘘っぱちだ。肉体が死んで剥がれた魂なんて、どうせ間もなく自壊する。自我を保てないのだ。

 ちなみに私は産まれたときから幽霊さ。父も、母も。

 ところで、生物は肉体と魂によって構成されているとは学校で習ったかね?

 習ってない? そうか。まぁよい。これはおおむね事実だ。そこで古く人間は、肉体が死して魂のみになって現世をさ迷っているものを幽霊と呼び、そう定義してきた。一方で幽霊は無気力無自覚無頓着なものが殆どであるため、特に否定もせず人間の言わせるままにしておいた。だから現に今でも、というか八十年近く後の時代でも、自分達の発生を誤解している幽霊がごまんといる始末だ。実に嘆かわしい。

 だが本質は違うのだよ。魂と呼ばれる存在それだけで身体を構成し、無限の生命をもって広い宇宙を漂う生物。それが「幽霊」だ。国と地域に根ざす宗教感、持っている性質によっては「精霊」や「神霊」などとも称されるがね。でも私は「幽霊」という呼び名が好きだな。だって意表が突けるから。

 それはそれとして我々の遠い祖先は、悠久の果てにこの地球へ流れ着いた。

 そのまま地球の大気の中をのんべんだらりと浮かぶものが殆どだったが、中には死の危険を冒してでも効率よく繁殖しようとしたものもいた。どうしたかと言うと、原始の海で発生した有機物にとり憑いて細胞分裂を促したのだよ。これによりアミノ酸の塊が生命を持った。そこから派生して殖え続けていったのが、きみ達の常識で考え得る「生物」だ。肉体の損傷がそのまま魂の消滅に繋がるとしても、敢えて増殖進化の道を選んだのさ。

 もしかしたらその幽霊は、死にたかったのかもしれないね。生命体として完璧であることに飽きてしまったのかもしれない。まぁこれは推測に過ぎないが。

 どうしてそんな昔のことを私が知っているのか? はっはっは、この目で見てきたからに決まっている。私は時間遡上が出来るのだよ? なんでって、見てみたかったんだもの。仕方ないじゃないか。好奇心には勝てんよ。

 ではその方法論を、明日教えるとしようか。親御さんがお見舞いに来ているというのに私がいても邪魔だろう? そうだ。せっかくだから宿題を出そう。幽霊であることと時間遡上の関連性について、少しは自分で予想を立ててみたまえ。ヒントは「すり抜け」だ。

 ではまた会おうぞよ、少年。



 やぁやぁ、少年。昨日の宿題は出来たかね? まったく何も考えていない? なんともはや、なんともはやだね、少年。ものを考えるということはとても贅沢な行為なのだよ。人間が手にした至高の習慣さ。それを存分に享受して生きるのも悪くはないと思うのだがね。とは言え、確かに答えを導くための要素が少なかったのも事実か。ヒントの出し方がぞんざいだったかもしれないな。

 さて本題に入ろう。今日のキーワードは「すり抜け」だ。

 どうして幽霊が人間の目に見えないか、分かるかね?

 答えは簡単。光をすり抜けているからだ。幽霊は、というよりも魂は、実に多くのものをすり抜けているのだよ。宇宙の真空や有害光線に耐えられなくては話にならないからね。空気はもちろん熱や音、重力子さえも選択的に透過可能さ。

 おや、何か言いたそうだね? いいさ、なんでも言ってごらん。ふむ、ふむ、幽霊の身体が物をすり抜けるのならば、この服はどうなっているのかって?

 ははぁ、少年。さてはきみ、私の裸を想像したろう? 顔に似合わずエッチだなあ。

 まぁ冗談はさて置き答えを言うとだね、この白衣もまた身体の一部なのだ。自分のイメージに即して体表面を変化させているのだよ。ある程度まで小さくて軽いものならば普通の物質も取り込んで霊体に変えることも可能だが、ここまで大きなものとなると持ち抱えることは出来ない。つまり生物学的見地から述べると、これでも私は常に裸の状態なのさ。がっかりしたかね? それともかえって興奮したかね? 

 些か話題が逸れたな。その「すり抜け」が時間遡上にどう関わるか。

 結論を先に言うと、私は時間をすり抜けてきたのだよ。

 順を追って話そう。先にも挙げた通り、幽霊は光を透過する。光とは、波と粒子の性質を併せ持つ質量ゼロの物質だ。多くの生物にとって物質と認識されづらいものさえ、幽霊はすり抜ける。

 ならばと一歩踏み込んで考えてみた。時間はどうか。

 あまねく物質というものは運動している。そこにある床や机も、それを構成する物の分子、原子、電子レベルまで見れば必ず――絶対零度でないという条件付きだが――運動している。動き続けているからこそ存在している。動くことと存在することは非常に近しい関係にあるのだよ。

 そして時間も動いている。過去から、未来へとね。

 さては時間もまた一つの物質なのではなかろうかと私は仮説を立てた。質量ゼロ、体積無限。宇宙空間を内包し、未来へ運ぶ極大粒子モデル。まあ、逆は必ずしも真ならずと言うがね。それでも考えてみるだけの価値はあるじゃないか。

 そして私の予想はおおむね正解だった。あとは要領とイメージの問題だったよ。時間が未来へ移動するから、それをすり抜けて留まり続けるだけで過去へ遡れるのさ。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にはあらず」というやつだよ。いやまぁ正確な意味は原典とは違うだろうがね。河の上流から、過去が流れてくるイメージさ。

 ふむ。もうちょっと別の例えをしてみようか……線路を走る電車を想像してみたまえ。一つの車両が一つの時間で、中に乗っているものが我々だとする。後続車両に乗るためには、一度いまの車両を降りればよい。時間も似たようなものさ。今の時間をすり抜けて、過去から来る時間に飛び乗るのだよ。きみには無理だが、私にはそれが出来る。現にそうしてここにいる。

 あぁ、ただね、望むままに好きな時代へ跳べるわけでもないよ。存外、時の流れは速いから。うかうかしているとあっという間に通り過ぎてしまう。それにあくまで来る時間を待つだけだから、過去へ行くことは出来ても、未来へ戻ることは出来ないのさ。生身で前を走る車両に追いつく術を持たぬ限りね。

 ……おや、そこに気付くとは少年もなかなか聡いね。先ほども言った通り、私は地球の有機生命発現の時期に立ち会った。その上でこうしてここにいる。つまり、そうだよ。私はもう、主観時間で、三十八億年以上は生きているんだ。これで精神が壊れずにいるのだから、我ながら自分は天才なのじゃないかと思うね。はっはっは……ふぅ。

 おっと、随分と話し込んでしまったな。時間遡上の論理はこれで以上だ。明日は地球生物の進化と幽霊の多様化について話すとしよう。ではまた。



 やぁ、待ったかね、少年。待ちわびたかね? 今日も楽しくてためになる、お姉さんの授業タイムが始まるぞ。今日は私がおよそ三十八億年の長きに渡って観察してきたことの中でも、特にきみ達の未来に関わることを伝えるつもりだ。心して聞くがよい。

 一昨日も話したが、幽霊は地球が出来るよりも前から宇宙にいた。いやそれどころか私の予想としては、宇宙開闢(かいびゃく)と同じか、むしろその前から存在していたのではないかとさえ思う。この辺りはまだ検証が済んでいないので深入りは避けるがね。

 さて当時の幽霊と言えば形も定まらず、何も考えず、ただ存在しているだけのものだった。それどころか、個の概念すらも無かったと言っていい。外見的にはスライムとかアメーバみたいなものを想像してくれて構わんよ。そしてこれまた一昨日の復習になるが、地球の生物はこの幽霊達の依り代に選ばれることで「生物」たり得るものとなった。

 ところがね、ところがだよ。そうやって進化した地球系生物は、逆に幽霊の多様化を促すようにもなったのだ。

 地球の「生物」は生き延びることと子孫を残すことに必死だ。そのために多く考えを巡らせ、強く感情を顕わにした。思念・想いは空中に撒き散らされ、それを幽霊達が餌として影響を受けた。他生物の想いを取り込むことによって幽霊は多くの形質を獲得していった。きみもこの病室でいくらかの浮遊霊を見たはずだが、それらの殆どが現存する動植物を模した形であるのはここに由来する。

 そして数ある生物種の中でも、特に複雑かつ多量の想いを発するのがきみ達、人間だ。今や、きみ達が我々幽霊を支えていると言っても過言ではない。いや、過言か? まぁどちらでもいいか。

 あ、ちなみに、想いを取り込むと言っても別に物騒なことはしていないよ。ふむ、きみにこんな経験はないか? 例えば誰かが泣いているのを見ると自分も悲しい気持ちになる、誰かの怒鳴り声を聞くと自分も萎縮してしまう……これはね、実際に感情を含んだ霊的な物質が宙を飛び交っているのだよ。それをつまみ食いさせてもらっているだけさ。

 さて、ここからが今日の本題だ。前置きが長かったかい? まぁ聞きたまえ。

 人間が増えるに従い、幽霊もまた人間の想いを効率よく受ける方法を模索した。一番よいのは、感情の向く先に己がいることだ。想いを直接的に受け止められるからね。そのためには人間の目に触れて言葉も交わせることが必要だった。

 そして進化の果てに選んだのは、常人の目に見えるもの――すなわち現存する動植物、例えば狐や狸。人によく扱われた器物、例えば恋人たちの語らいを綴った日記。大きな流れを汲む自然現象、例えば氷雪など――を利用することだ。それらを核にして想いや感情を集め、幽霊の身体を実体化させる。そして霊体の可変性を活かして多様に姿を変えたり、さも強力な天神地祇てんじんちぎでもあるかのように振舞ったりして接触する方法だった。人はそれを変化なり妖術なり奇跡なりと呼び、またそれを操る存在を「物怪」と総称した。

 つまるところ「物怪」は「幽霊」と「生物」の両特長を併せ持ったものだと言えよう。人間と同じ「生物」の土俵にいるから容易く関わりを持ち、さらに自ら人間に働きかけることが可能なのだ。個として長く、種としても存続する。そうして受けた想いを蓄えれば「幽霊」と同じく、もしくはそれ以上に豊かな発想で力を扱うことも出来るのさ。

 人との関わりが途切れれば肉体や精神に異常をきたしかねないという弱点を抱えながらも、得るものは大きい。霊体にも生物的特徴を持たせることで、他生物種との交配も比較的容易だったりする。

 ……話は変わるがこの辺りで少し、私から少年に質問をしたいのだが、いいかね? いくつかはっきりさせておかねばならぬことがあるのでね。

 うむ、素直な良い子は好きだよ。では……きみが幽霊を見えるのは生まれつきかい?

 そうか、頭を打ってから見えるようになったのか。肉体と魂にズレが生じているのが原因だろうな。ではその、飛び降りとやらは何のためだ?

 なんとなく?

 ふむ……最後に少年、きみは自分の未来に希望を持っているか? いや、この質問は違うな。きみは自分の未来を想像出来るか?

 質問の意味が分からない?

 例えばだね。明日は何を食べようとか、来週はどこへ行こうとか、そんな些細なことであれ、自分の未来像を思い浮かべることは可能かい?

 それすらも出来ない、か……だから生き続けることに意味を見出せなくなった……やはり、そうか。

 少しだけ整理する時間をくれないか。すまない。きみにこんなことを言うと辛い思いをさせるだけかもしれないが、それでも敢えて言おう。

 また明日、とね。



 やぁ、少年。突然だが今日は最後の授業だよ。

 だけど本題に入る前に、ちょっとだけ、運命というべきものについて触れておこうか。なぁ少年。きみは「運命」についてどう考える?

 運命は自分次第で、いくらでも変えられる――これはまぁ、正しい

 運命は決まっていて、絶対に変えられない――これもまた、正しい。

 矛盾していると思うかね? 確かに一見するとそうだが、これは、要は、視点の問題だ。

 線路を走る電車をまた例えに使おう。一つの車両が一つの時空間・世界だとして、その中でどんな人生を送るかは、その人の行動によって大きく左右される。遊んでもいいし、勉強してもいい。その選択によって未来は大いに変わるだろう。その意味で、可能性は無限にあるという話も全くのでたらめではないだろうね。

 だがもし、線路の上に巨岩が置かれていたらどうなる? 車両の外へ逃げる術を持たない以上は、誰が何をしていようと関係無い。絶対に抗えない。車両の中だけで生きる人間の意思では、未来を変えることなど出来はしない。

 身も蓋もない言い方をしたしまったかね。だけど実のところ、「運命」とは甘美なだけじゃない。運命の赤い糸という言葉も確かにあるが、そんなごまかしで全てを言い表せられるほどお優しくもない。とても理不尽で、おそろしく暴力的な一面も持っているのだよ。

 さて今日のテーマは、どうして私がきみに接触を試みたか。単純に幽霊と喋れるというだけでは不適格なのだ。素直な子供でなければならない。

 その理由というのが、昨日教えた「物怪」に関わることさ。未来の見えない子供が多く産まれたのがこの時代。それからしばし下りた時代に、奴が産まれる。

 子供の絶望感が集まって後にあの物怪を出現させたのか、それともあの物怪の出現の前兆としてきみのような子供が増えたのか、それはまだ定かではないがね。果たして奴は人類という種全体の自殺願望の現れか、それとも我々を監視する絶対的な立場のものが実在するとして、本気で人間を滅ぼすために送り込まれた第二のパンドラか。

 あの物怪というのは、大蛇(おろち)のことだよ。その顕現と共に必ず厚い黒雲を生むことから、私が最初にいた時空間においては『日呑みの大蛇』などと呼ばれていたものだ。

 奴はひとたび力を解放すれば希望を呑み尽くし、生と死をない交ぜにする、破滅と絶望の権化。私は何度も繰り返し時間を遡ったのだけどね、独力では止められなかった。行き着く先は一つさ。そこに至る過程はあれこれ違えど、必ず奴は暴走し、あらゆる想いを無に返してしまうのだ。私も時間遡上が遅れていればどうなっていたか知れないね。

 ふむ? そんなに悪い奴なら、みんなで頑張ってやっつければいいんじゃないかって? いい質問だ。しかしこれはこれは厄介なことに、少年。大蛇自身には何の悪意も無いのだな。それどころかとても善良で、自らの力を恐れてもいる。ただ本人の意思とは無関係に不幸を呼び、悲劇を起こし、絶望の引き鉄を引いてしまうようなのさ。不可避の運命。この大蛇こそが、線路に置かれた巨岩なのだ。

 いっそ奴の出現そのものを阻止したいとも思ったが、何故だか場所や系統が非常に特定し難い。あずかり知らぬところで妨害でもされているのかもしれないね。あるいは「運命」がそうさせているのかな。さらに産まれた後では、強力な魔女と鬼神とその眷属が奴を守っているから手出しもかなわないのだよ。

 ならば、と私は考えた。

 その大蛇でさえも人の想いによって産まれた物怪の一つに過ぎない。では逆に、大蛇と対等以上の力を持った――性質もまた対をなす希望に満ちた――物怪を新たに生み出すことは出来まいか。無限の絶望には無限の希望を。物怪の力と形態は、関わった人間の想いに強く左右されるのだから。

 そのためには、そう。その想いを集め導く者がいなければならない。

 だから少年。きみの未来を私に決めさせてくれないか? 僅かばかりではあるが、可能性の芽をきみに託そう。

 少年よ、小説家になりたまえ。漫画家や歌劇作家、映画監督でも構わないぞ。とにかく物語を作るのだ。読み手の想いを強く引き起こしさえすれば、必ずその理想は実現する。

 するよ……するとも。例えば人は太古の時代から空飛ぶ夢を語り継ぎ、それを望み、いつしか飛行機という技術発明で実現させた。例えば心優しいロボットの活躍を描いた漫画は、それを読んだ子供らに未来の展望を与えて、機械工学の発展を大いに促した。きみ達の先人はそうやって夢物語を現実世界に反映させてきたのだからね。今さら物怪の一人や二人、どうってこともなかろう?


   *


 そこまで語ると、彼女は微かに目尻を下げました。

「さぁ、そろそろだ。ここいらで話を切り上げねばならない。それと言うのも少年。きみは今、とても危険な状態なのだよ。肉体と魂が一致していないのだから、そのままではやがて衰弱し、ものを考えられなくなってしまう」

 幽霊の手指が滑らかに動き、宗助の両頬に触れました。それは熱くも冷たくもなく、ただ奇妙に不確かな触感だけがあるのです。強いて文字で表現するならば、乾いた水、などという不可思議なものになるでしょうか。

「少年のズレた魂を元の位置に戻す。そうすればきみはもう私を見られなくなるだろう。もしやすれば私のことなど忘れてしまうかもしれぬ。だがゆめゆめ、教えたことまでを忘れてはならない。今すぐには理解出来なくとも、頭の隅に留めておきたまえ。改めて言うが、必ずいずれ役に立つことだからだ」

「……ま、って……」

 ぐっと彼女の手の平に力が込められた瞬間、宗助は切ない表情を浮かべました。さらにその口が請うように開かれました。

「うむ? 待てと言われれば多少は待つが、どうしたね?」

「あ、また、明日も、来てほしい……」

 そして宗助は手近な引き出しからトランプを一組取り出すと、一枚のカードを選んで差し出しました。その図柄はハートのAでございます。

「喋って、くれるの……おねえさん、だけ……」

 世界が変わり、誰にも信じてもらえなくなった彼が、今まで知らなかったことを教えてくれるお姉さんを特別視することは何ら不思議ではないでしょう。

 そのカードを見た幽霊は驚きに大きく目を見開き、

「おやおや、まぁまぁ、随分と罪な女だね、私も。いたいけな少年の心をかどわかしてしまったようだ。しかもきみ、また明日と言ったかい? ちゃんと未来を考えることが出来るようになったのかい。これは愛かね。奇跡かね。それとも、未来を知る私と接触したことで、大蛇の影響が緩和されたのか? それに、ともかく、あれだ。私が言うのもなんだが、私なんかの小難しい話を聞いて素直に楽しめるなんてのは、やはりきみには才能があるよ。物を生み出す才能さ」

 すぐ後に顔をくにゃっと緩ませました。

「ただ惜しむらくは、私は少年の想いに応えられないということだがね」

 幽霊は慎重に受け取ったハートを眺めつつも、声色には憂いが滲んでおりました。

「あぁ少年。そんな顔をしないでくれたまえ。きみは良い子だ。そんなきみへ一方的に物事を教えて押し付けた挙句に、精一杯の告白を断る私は、さぞや悪い大人だろうね」

 悲しそうに瞳を潤ませる宗助に、幽霊は再び手を伸ばしました。そして彼女の手の平がゆるりと宗助の顔を撫でると、徐々に温もりが伝わってまいりました。

「私は見たり喋ったりするのが専門で、大した力は持っていないが、せめて、きみの願いが形になるように、祈ろう」

 そうかと思うと直後、宗助の意識はすとんと落ちて、彼はベッドの上に突っ伏したのです。


 出逢いが突然なれば、別れは唐突なものです。

 宗助が目を覚ましたときには、既に白衣の幽霊はいなくなっておりました。それどころか、視界に鬱陶しかった長虫や海洋生物じみたものの類までもすっかり消えておったのです。

 また一方で、彼女に渡したハートのAはどこにも見付かりません。宗助は一枚の欠けたトランプを、誰にも言えぬ初恋の思い出として大切にしようと決めました。

 かくして表向きにはどこにでもいる普通の男の子に戻った宗助少年が、この先にどんな未来を紡いだか。いかなる物語を著したのか。これについては今さら語るに及ばないでしょう。




 此度においては胸を躍らせる大きなヤマも、膝を打たせる綺麗なオチもありません。

 されどもイミはございます。

 これにて役者は揃い、舞台のからくりも整いました。

 次なる幕が、どんでん返しの大一番となりますや、否や。


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